珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

二極ではない3

2019-04-20 | S教団関係
アンチ=非難、罵倒。
シンパ=擁護、絶賛。

この二極。
政局であれ、思想であれ、タレントの動向であれ、ネットの書き込みは刺激を求めてはやし立てる人たちの白黒の温床となっている。
彼らのシンパもアンチも、懸命にその「白」か「黒」を探しては読む。
白が欲しい人は白ばかりを強化して、黒が欲しい人は真っ黒ばかりを夢中で読むというふうに。

かつては「真っ白」にしか見えず、今度は「真っ黒」にしか思えず、それは白か黒の二色でしかありえない。
自分がそうだと、当たり前のように誰しもが二色だと思っているように見えるのだろうか。

白と黒の間には、「無関心」とか「放っとく」とか「どうでもいい」「相手にしてない」という、ある意味もっと辛辣なものさえある。

思ってはいても、愉快ではないことは言いたくないという言葉もある。

触れずに「そっとしておきたい」思いもある。

相手を思って、尊重するという声もある。

白でも黒でもない、書かれない色がある。
それは時代の波に軽んじられるものなんだろうか?
「玉虫色」は、1ビットのネットには不向きな色なんだろうか?


かなり古いけど、明るすぎない色が好きなランプ。


コメント

正しい、間違ってる

2019-04-20 | S教団関係
かつてS新聞に、お寺をボロカスに言う記事があった時
「なんであそこまで言うんですか?」
と訊いたら
「わが子が殺されたら穏やかに言えますか?
は責めなきゃ同罪でしょう」
と返された。

今Sをボロクソ言う人に
「そこまで言わなくても」
とか言うと、やっぱり返ってくる。
「わが子が殺されたら穏やかに言えますか?は責めなきゃのさばるから」

結局、同じこの言葉。
まるで印籠のように、こう言われたら「ははーっ」とひれ伏すしかない。

宗教なんて、やるもやらないもどれを選ぶも自由である。

でも「正しい宗教」と「宗」とか
悪どい詐欺」と「それを気づかせる善い行為」とか

「正邪」「善悪」を付けると、自由はふっとぶ。
そして責めるがセットになる。

「自由な宗教」と思えばこんな争いなど起こらないのに、それはどうしても嫌で、
間違った詐欺」と「正しい覚醒」にしたいんだからしょうがない。

間違った宗教」と「正しい宗教」に私は懲りたけど、懲りない面々はいるもんだなあ。
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