珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

シンパでもアンチでもない

2019-08-04 | S教団関係
このタイトルを使うのは、記憶の限り二回目と思う。
前ブログの「世界一…」で書いた気がする。
当時は、そういう人はSを「よく知らない」か「どうでもいい」人であり、関わった、実体験している人はそんなことは言わないと書いた気がする。

が今再び書くと、その二極ではない、そんな人は本当にいる。
好き嫌いは自由だけどいる。

具体的にいうと
シンパではないけど、何もかも全否定をするアンチとか、こういう言い方をするアンチは嫌という人、
またはアンチではないけど、手放しで全部肯定しているわけじゃない人、というのかな。

アンチもシンパもバカして、ただパソコンの前で何もしないで知識をひけらかしている。
踊る大捜査線なみに「現場で戦っている人間」が一番偉いのに。

と思うかもしれないけど、決してパソコンの前だけではない。
リアルでもそうである(笑)
そして、こんなことは知識では書けず、実体験を書いている。

ネットからは「アンチ情報」や「シンパ情報」の白黒な知識はゴマンとあるけど、その二極ではないこと感じることは体験でしか書けない。

アンチかシンパという二極しか許されないのではなく、「曖昧な部分を明瞭に書く」という戦いを、踊るほどではないが地味にやっている( ;∀;)
というところでご理解いただけるだろうか。
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確信

2019-08-04 | 海辞典
かくしん【確信】
固く信じて疑わないこと。また、固い信念。「勝利を確信する」「確信をもって言う」
デジタル大辞泉

 
宗教を信じる醍醐味は
確信をもつことである。
迷いがなくなること。
あの人はお金に困ってるとか、いい車に乗ってないとか、病気になったから
「ほらね、誰も幸せになんかなってないじゃない」
と言う人がいるが、信者の幸せはそんなものじゃない。
「私は絶対に間違いなものを信じているから大丈夫」という確信をもつことで人は幸せを感じる。

事実「あの宗教はインチキだ」という、信者なみの未来も疑わないような
確信を持てば、信者と同じ幸福感を感じられる。
来る日も来る日も、曼荼羅にしがみついてその教義ばかり語っていたように、来る日も来る日も
確信を込めたそのインチキぶりを語りたくなる。
家がどうの車がどうの病気がどうの、そんなの関係ないでしょ?

確信はそのくらい人を有頂天にして、虜にする。

デジタル海辞典(版元不明)


当ブログは、これでいいのだろうか、いやどうでしょ? また気が変わるかも、先のことは知らんねん、まあいいや、忘れよ、そうだっけ?
と日々迷いつつ書いているので、その信ぴょう性の確信は知らんけども(笑)
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