珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

いくつになっても

2019-08-09 | 趣味の話
栗原はるみさんの旦那様の、栗原玲児さんがお亡くなりになった。
男性で85歳なら充分長生きされたのではないだろうか。
はるみさんは食事はもちろん、よく健康管理をされたんだろうなあ。

栗原はるみさんは72歳。
信じられないほど若々しくて可愛らしい。
センスがよくて、いつも笑顔で、はつらつと圧巻の家事をされる人。
メイクもファッションも全然けばけばしくなくて、歳をとっても「おばさん」じゃない人。

素敵すぎる…( ̄∇ ̄ノノ"( ̄ω ̄;)


私ですか?
珈琲カップ
だけは可愛らしいよ( ̄∇ ̄)


 幾つになっても、一個くらいは「可愛い」が好きで持っていたいですね~
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書く理由

2019-08-09 | S教団関係
私がなぜ、Sをやめても時々S関係のことを書いているかというと、単純に「信じる」という人の心理に興味があるからである。
実生活では心配されなくてもとっくにSなど無縁で、自分の趣味も充分に楽しんでいる。
ブログもまさに趣味で書いているので、こんな内容に興味がある人か、あとは
批判が趣味という人以外は誰も読んでおられない思う。

最も興味を覚えたのは「信じれば事実になる」という人の心理だった。
これはつくづく興味深かった。

 S界隈では、宗教には正邪があるとか、「これでしか成仏できない」などの教義が信じられているけど、信じればその人の中ではそれが真実になる。

そしてそれらを頭がおかしいといって「自分のアタマで考えれば、それは極悪な犯罪集団の詐欺でしかない」と信じる人には、やっぱりそれが真実になる。

私は宗派の教義に「拝んだら害毒になる曼荼羅がある」とか「これでしか成仏しない」なんて、そんなことは(頭がおかしいとは思わないけど)全く信じられない。

同じように、そんな信教が「これに限り宗教ではない」「ただの極悪詐欺団体」というのも(頭がおかしいとは思わないけど)そうは思わない。

信じていない私の中では、それは真実にはならない。

それらは両方とも特化した感情で見ているからと思う。
ああ人は
好きであれ、憎しであれ強信すると、似たり寄ったりなものが「これだけはよそと違う!!」になるんだなあ、と思う。

強信の骨頂は宗教と思っていたけど、確信が強ければそれは「何であれ」自分の支えになることもわかった。
それをもし否定されてもぎ取られたら、どんなに辛いかがとてもよくわかる。
そこまで信じるものがあるということは、なるほど強いなと思う。

何を真実と思うかは、信じる人それぞれ。
でも強信すると布教したくなって、それを自分の胸にとどめておくのは難しいよね。
布教は迷惑という人に、そんなの信教の自由。不要なら断れば済むじゃない?というと、即座に、
「そんな簡単なもんじゃない!!」「押し付けられること自体が迷惑でウザイ」「洗脳だ、MCだ」
とよく怒られる。

ならば「人の中傷や、思い込みを押し付けて拡散されるのは非常に迷惑だしウザイなあ」
というと、途端これは一転( ̄∇ ̄)
「自由」「華麗にスルーすればいい」「相手にする方が器がない」
 
なんで中傷は自由で華麗にスルーすればいいで、布教はいけないの???
勝手な理屈だな~( ̄∇ ̄)

まあそんなこんなが面白くて、そんな心理に興味が尽きないので書いているだけですよ。
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