珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

ノーモア…2

2019-08-30 | 娘と夫の話
夫が酒をやめたと思ったら、娘があんなに片時も離さなかったスマホをやめた。

「勉強に集中できないから預かって」

は?
聞き間違いかと思ったが、本当にピタリと手をつけなくなった。
二人とも意外に潔くてびっくりした( ̄▽ ̄;)

いさぎよ・い【潔い】
思い切りがよい。未練がましくない。また、さっぱりとしていて小気味がよい。「―・く身を引く」「―・く戦う」
 goo辞典



子どもの頃、めちゃくちゃ怖かった話が一つだけある。
それはアニメ、ムーミンの中の「笑いの仮面」というお話。
仮面をつけて踊るお祭りがあって、皆好きな仮面を選んで祭りを楽しむんだけど、祭りが終わったら仮面を燃やさなくてはならない。
でも仮面を気にいったスギフだけがこっそり燃やさないでいたら……

これ以上はやめた方がいい時、形はなんであれ、何らかの警告が鳴るはず。
忠告だったり、心や身体の違和感だったり、アクセデントだったり…

そんな時は潔く、一度灰にして終わらせたいものである。
捨てると現れる女神がきっと微笑む。
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これだけが…という心理

2019-08-30 | S教団関係
S界隈の信仰の独特さを一言でいえば、信じることが大切なのではなく「何を信じるか」が大事。
つまり彼らは「宗教は自分たちの教えじゃないと意味がない」と言いたいのである。

「自分たちお教えじゃないと」「これ以外は何の作用もない」
この人たちの理屈では、何でもがそうである。

私は何であれ純粋に祈ることに、救いも力もあると書いている。
そして何であれ善意から人に何かを与えると、寄付であれボランティアなどの人力であれ、結果自分のためになって(情けは人の為ならず)、
何であれ年がら年中人を批判し、誹謗し、コケにしていたら我が身に返ってくると思っている。

特定の教えだけに特別な「罰」や「功徳」のような作用があるのではなく、功徳とか罰のようなものがあるとしたら何にでもいえることだろうと。
例えばアンチになるのはいいけど、結果、来る日も来る日も愚痴や批判のようなネガティブな言動に支配されたら、運気も人格も下がると思う。
これが「罰」というか自分が引き寄せた運命のようなもので、だから特定の「法華経誹謗」という意味ではなくて、私はそれはよろしくないと思っている。

よくS界隈の人が天使と悪魔のような二極をもつのは、
つまり、信仰者として慈悲深い面を持ちながら、一方で他人のワルグチ三昧になる不思議さは、
「自分たちお教え以外は無意味」という
ここにある。

どこにでも何にでもある共通性を「うちだけ!!」と思い込んでいるゆえに、両極端になるというのかな。

信者のブログのコメントをよく読まれたし。
どこもお仲間には紳士淑女的で礼儀正しく、忍耐強くて許容があり愛情深いのに、アンチに言い放つ時の
豹変っぷりを。
ギャップ萌えですか~

 あの人もその人この人もそう。
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