5年以上前になるけど特定の宗教を信じていた私は、一般的な願掛けとかジンクスとかには無縁だった。
が、妊娠した時は、どうしてもどうしても女の子が欲しくて、
「家の近くの公園横の階段は白い部分しか踏まない」というルールを作った。
(階段は色が手すりを挟んで白と黒に色分けされていた)
黒の部分を、うっかりでも一歩も踏まないで通したら願いは叶う。
そう信じ込んでそれを固く守った。
なぜかというと、特に夕方から夜のツワリがあまりにも酷くて、仕事から帰ると倒れるように寝たきりだった。
それも長期に渡った。
テレビの音も画像も、何かを想像したり考えることも、刺激のすべてに吐き気がした。
身体を起して声を出して祈ることが全くできなかったので、願掛けのようなものに頼るしかなかったのである( ;∀;)
願いが通じて女の子を授かった時、私はその階段に心から感謝した。
まあ私はこんなふうに、結構何でも素直に信じる(笑)
今思うと別に階段に神様がいたわけじゃないけど、何かにすがることで心の支えになったらそれだけで充分だった。
というか、心の支えこそが欲しかった。
祈る、願掛け、ジンクス、お守り、心の支え、感謝…そのようなものは私はバカにしないし、それがわからない人間にはなりたくないなあ。
が、妊娠した時は、どうしてもどうしても女の子が欲しくて、
「家の近くの公園横の階段は白い部分しか踏まない」というルールを作った。
(階段は色が手すりを挟んで白と黒に色分けされていた)
黒の部分を、うっかりでも一歩も踏まないで通したら願いは叶う。
そう信じ込んでそれを固く守った。
なぜかというと、特に夕方から夜のツワリがあまりにも酷くて、仕事から帰ると倒れるように寝たきりだった。
それも長期に渡った。
テレビの音も画像も、何かを想像したり考えることも、刺激のすべてに吐き気がした。
身体を起して声を出して祈ることが全くできなかったので、願掛けのようなものに頼るしかなかったのである( ;∀;)
願いが通じて女の子を授かった時、私はその階段に心から感謝した。
まあ私はこんなふうに、結構何でも素直に信じる(笑)
今思うと別に階段に神様がいたわけじゃないけど、何かにすがることで心の支えになったらそれだけで充分だった。
というか、心の支えこそが欲しかった。
祈る、願掛け、ジンクス、お守り、心の支え、感謝…そのようなものは私はバカにしないし、それがわからない人間にはなりたくないなあ。