珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

愚痴考察

2019-08-31 | 思うこと
愚痴と文句と人の悪口があまりにも好きな人の書き込みを見て、不思議に思うことがある。
特に「やらされた」「ごり押しされた」という、私の母親も好きだった「無理やり~された系」の人の愚痴。
こういう人はとてつもなく長くてしつこい。

が、私はそういう理不尽は誰の前でも平等で、その人だけに集中砲火されたわけではないと思う。
気の進まないことをやらされようになるのは、誰の前でも同じようにある。
そして断ることも、「断りにくい」空気も理不尽も、同じように平等だと思う。

断った人にも「~させられた」はない代わりに、別の様々な非難や苦労がある。
波風が立つとか、後悔とか、評判が落ちるとか、何だかんだとレッテルを貼られて、その弊害をいつまでもぶつくさ言われるとか、そういう人とは違う、面倒くさくてこの上ないものを引き受けるわけである。

だから苦労は同じ。
種類は違うけど同じ。


でも「~させられた」という人の愚痴が、断った人より多いのは気のせいかな?
どっちを選択しても愚痴を言いたくなるようなことは同じだけあるのに、「させられた」を選んだ人の方が
後になっても、いつまでもグチグチ言ってるような?

偏見かもしれないけど、愚痴について個人的な印象です。
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