元旦、二日は家に閉じ籠もり、酒食に明け暮れ怠惰に過ごした。
三日、これではいかんと、菩提寺に「立春大吉/鎮防火燭」の御札を頂こうとブラ散歩を決意する。いや、いや、「決意」などと、それほど大袈裟なことではないか。往復したって30~40分のプログラムなんだもの。
いつもの通り、S台中央公園を経由して菩提寺へと赴く。
冬の公園だ。さほど見るべきものはない。
霜柱がいまの気温を物語る。
ほんのすこし残ったイイギリの実も、いまの季節を語っている。
枝ばかりとなった木々、彼方の空が見通せる林、なにもかもが冬という季節を告げていた。
公園を抜け、ほんの少しばかり県道126号線に沿って北上し、交番のある信号を右折する。
すると、県道と並行して付けられた切通しのような狭い小径に出る。この道に出れば菩提寺はすぐそこだ。
黄金色に染められた鐘楼、その正体はと凝視してみると、それはまだまだ固いロウバイのつぼみが紡ぎ出したものであった。
ふと本堂の右側を見ると、球形の石が一つ転がっていた。な、なんじゃ、こりゃ~? 石球禅石とでも言うのだろうか。
何を諭しているのだろう? 答えを見つけられないまま、寺を後にする。
真白き富士の嶺という歌があった。さすがに、その歌が流行った頃、生を享けていたわけではない。僕は、確か倍賞千恵子の歌唱を聴いたことがあるような気がするのだが。
ここ狭山は、意外と富士の姿が臨める街だ。いいものだね、正月に富士を見るというのは。
小さな公園を抜けて帰ろうと思った。そこに、さきほど菩提寺で見たより、少し、ほんの少しだが、ほころびかけているロウバイを見つけた。花を育ててるやつって、これだけで、なんかほんのちょっと得した気分になれる。意外と単純なものなのだ。
帰り次第、すぐさま「立春大吉/鎮防火燭」の御札を祀った。
もちろん、正しい祀り方があるようだが、我が家では立春大吉を玄関に、鎮防火燭は台所に祀っている。理に反するとのご意見もあろうが、よいと思った祀り方で己が心安らぐのであれば、それはそれでよいのだと思う。