北口本宮を後にし、西湖いやしの里根場(ねんば)へ向かう。
ちょっと道に迷い、11時半ころ現地に到着。そそくさとチケットを買い、入場する。
受付から北に向かってゆるやかな上り坂が続いている。
ふと、何かの声が聞こえた気がして振り返ると、そこには富士の姿が。
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秋とは思えないほどの高気温が続く。コスモスには気の毒な天候だな。
とはいえ、冠雪のない富士には、このコスモスがドンピシャの装いといえよう。
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この根場(ねんば)地域には、甲斐・武田氏の時代より、40軒ほどの兜造りと呼ばれる茅葺屋根の集落が営まれていたという。
「西湖いやしの里根場について」のWebページには下記のような記述がある。
1966(昭和41)年9月、西湖周辺では、秋雨前線と台風24号によって大雨が続いていました。
そこへ、台風26号による記録的豪雨が追い打ちをかけ、ついに耐え切れなくなった山腹が崩壊。
「山津波」と呼ばれていた土石流が一気に沢を下り、根場集落を直撃しました。
9月25日、未明のことです。
これにより、当時41棟あった茅葺民家のうち、37棟が全半壊。
平和な暮らしは一瞬にして奪われ、集落は消滅してしまいました。
その後、2003年の富士河口湖町の誕生を契機に、旧根場集落の復興を企図して観光・展示事業がスタート。2006年のオープン以来、本沢川(ほんざわがわ)の両岸沿いに往時を思わせる茅葺民家が20棟ほどの兜造り民家が立ち並ぶ街並みが完成した。
そう、懐かしさを呼び起こすノスタルジーマーケティングにまんまと乗せられ、根場を訪れた家族が一組、この地に足を踏み入れたというわけ。
まず、受付の左手にある「手打ちそば みずも」で蕎麦を手繰る。
蕎麦はいい。だが、つゆに角がある(あくまでも、個人の感想!)。
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蕎麦屋の前の石垣には、ノコンギクと思しき花が咲いていた。
いや、ノコンギクではないかもしれないな。とかく野菊は面倒だ。同定など出来ようはずがない。
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📸2023年9月27日:周囲にはゲンノショウコが微笑む。
( 画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰)📸2023年9月27日:あるがままに咲く花たち。
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📸2023年9月27日:蕎麦屋の左手ある薬明神社。
( 画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰)📸2023年9月27日:石段を登り蕎麦屋を臨む。
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振り返れば Mount Fuji! 画面左手には典型的な兜造りの民家が臨める。
どこかで見たことがあると思ったら東京都檜原村で見たのだった。「数馬の兜造り民家」という。
養蚕が盛んだった地域では、通風や採光を工夫したこのような形式が普通に見られたという。
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📸2023年9月27日:本沢川沿いにもノコンギクが咲く。
( 画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰)📸2023年9月27日:護岸内側にはキク科の草本も。
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せせらぎ屋には、小さな池が穿たれていた。
その辺には、富士山周辺に多いことからフジアザミと命名されたアザミの仲間が植えられていた。
残念! 時機を逸したか。。。
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📸2023年9月27日:火の見櫓だという。
( 画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰)📸2023年9月27日:また、振り返れば Mount Fuji!
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ゆるやかな上り坂と記したがとんでもない誤りだった。
だらだらと続く坂道は、上りもそうだが下りもきつい。
まして、家人の車椅子を押しながらだからなおさらだ。
もっとのんびりするつもりだったが、1時間半ほどでこの地を後にし、石和へと向かった。
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📸2023年9月27日
📸2023年9月27日
📸2023年9月27日
📸2023年9月27日
📸2023年9月27日
📸2023年9月27日
📸2023年9月27日