一所懸命咲いたキイチゴが、いま、稔りの時を迎えている。
かつて、みん花時代に、散歩には必ずミネラルウォーターのペットボトルを携えて歩くのだという方がいらっしゃった。そう、熱中症予防には適度が水分補給が欠かせないね、と申し上げたら、いや、これは路傍の草や実を洗浄するための水であると仰った。
なるほどと頷きながら、1、2度、このような時期に、キイチゴの実をもぎり、ペットボトルの水で洗って食ってみた。
う~んっ、どんなもんだろうか。それ以来、洗浄用の水は持ち歩いていない。
クサイチゴの実もそうだが、ナワシロイチゴの実は殊の外美しい。小粒のルビーのようだぜ。
昔は、もうちょっと上手く撮れたのだと思う。
いまはシャッターを押すと支え手の押さえ効かず、シャッターを切ったと同時にカメラが首を振る。
このキュウリグサのように小さな花の場合、手振れが写真に致命的な結果をもたらす。副花冠のくびれが不鮮明だね。もっとしっかりとホールドしないといけない。
S台中央公園は、県道126号線に出ようとする交差点に面している。行き過ぎる人も多い。そんな公園ののり面に、このドクダミの八重が咲いていた。
誰かが植えたのか? 通りすがりの誰かが、この公園の植生を乱そうとして。
天からの恵みが実を結んだのか? 新たな生態系を目論んだ神の手による悪戯とか。
Appendix:滴を纏ったタンナワレモコウ
雨上がりの朝などに、このような自然の悪戯を目にすることがある。
子宝草とか、クローンコエなどと呼ばれるセイロンベンケイソウの仲間がいる。
そう、葉の縁に小さな子供の葉をびっしりと育むあの不思議な葉のことだ。
葉が蒸散作用の一環として水滴を迸らせる現象と、葉が自ずから葉を産み出す現象と、いずれもが欠くべからざる植物の生理現象なのだろうが、なにか偶発的とは思えない縁のようなものを感じるんだ。
いつもきれいな写真を見せていただき、ありがとうございます。
これは、意図して撮ることのできない光景ですね。
朝一で小さな庭を巡回し、常ならぬ景色を探します。
小さな庭だけに、数分の作業ですが、こんな状況に出会うと、じっくり撮らざるを得ませんよね。
はい~、僕は、見つけてシャッターを押しただけ。
タンナワレモコウが創作したアートに拍手、有難うございました。
その場を提供している者として、嬉しさいっぱいです。
コメント有難うございましたm(_ _)m