アーグチフォリウス・スターダストの小さなつぼみが仄見えていた。
そう、クリスマスローズは得てして春を先取りする傾向にあるようだ。
これは、「開花」ということが春を意味しているのであればということなのだが。
そこで、「おもむろに、春らしさ漂う」というわけ。さて、「らしさ」が取れるのはいつのことやら。
おもむろに、季節が移ろう。
あれほど固かった新芽が緩んで来、そのなかにいくつものつぼみが息衝いているのが見えてきた。
ユキワリソウの覚醒も、意外と早い。如月ともなればほころび始める。
春の帳を上げるのはどなたであろうか?
なかには、このタツナミソウのように世の中の秩序を乱す輩も存在する。
咲きたいと思った時が全盛期とばかりに、自儘に綻ぶなんてのも自然の中で生きる者たちの特権なのだろう。
一向に進展を見せないのがヒメシャガたち。年末の姿とまったく変わらない態様で惰眠を貪っている。
今日、ブラ散歩のついでに最寄りのホームセンターに立ち寄った。目を引いたのはフクジュソウの鉢である。ふた芽で680円+税、さん芽以上で980円+税、などと値札がついていた。これが適正価格かい?
そうだ、我が家のフクジュソウはどうであろうか? つい先日まで坪庭の地面にはなんの変化もなかった。押取り刀で取って返し、坪庭に駆け込んだ。
なんと、なんと、時やよしと思ったか、地面からちょこんと頭を出し、外の様子を伺っていた。どう、春の足音は聞こえたかい? 温もりの気配をその肌に感じることができたかい?
フライング気味につぼみを膨らませているタツナミソウの株を発見した。
ひたすら芽を膨らませることに熱心だったユキワリソウにも、白い花びらに変化すると思われるドットがいくつか見え隠れしていた。
ひと際早く葉を茂らせ始めたユキワリイチゲは、葉ばかりが元気で、今年も花は結ばないのだろう。過度な期待はしていないよ。精一杯、葉を茂らせておくれ。
既述したホームセンターに立ち寄る前に、かつてゲーセン(キャッツアイ)だった跡地に建設中の「(仮称)ベルク狭山北入曽店」の前を通りかかった。
いまどきにしては小規模と思われる店舗も外観上はほぼほぼ完成したようであるし、駐車場の整備もつつがなく進捗しているかのようであった。
とあるサイトには、あのベルクが手掛ける新たなスタイルのディスカウントストアというキャッチフレーズが踊っていた。その名称だが、「Challenging the limits of Belc(ベルクの限界に挑戦)」の頭文字からとった「CLBE(クルべ)」とし、鮮魚コーナーや総菜、ピザ、デリカ・スイーツでこれでもかと安さを強調した業態になるという。
ベルクがクルべ! 単なる倒語かと思ったが、どうもそうではないらしい。。。
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智光山公園でシナマンサクなどの開花を愛でた後、家内が待つクリニックへの道を辿る。
南の彼方を遠望すると、狭山工業団地の上には冴え冴えとした空が広がっている。輪郭を持たないぼかしたような雲、シルエットと化した裸木、天を突き刺すかのような無機質の鉄塔--そのそれぞれが、この冬の寒さを物語っているよう。
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畑地のなかほどに、浮島のような小さな林が見える。近寄って見ると、そのすべてがユズリハ(杠葉:ユズリハ科ユズリハ属の常緑高木)のようである。これは販売を目的とし、意図して植栽されたものであろうか。
「庭木図鑑 植木ペディア」によると、「新葉が揃うまで古葉が落ちず、新旧の葉が着実に入れ替わる様子に円満な世代交代や子孫繁栄を託したもので、縁起の良い木として記念樹に使うことも多い」との記述があった。確かに、庭園や公園など、いろいろな場所でよく目にはしていたが、このような謂れがあることは寡聞にして知ることはなかった。
そう、これは売り物なんだろうね。
なんてこと考えていると、その脇には巻くことを忘れてしまった白菜が寂しげに打ち捨てられていた? えっ、まだ捨ててないって。諦めてないって? はて、どうやって結球させようとするのだろう?
しばらく歩いて空を見上げる。そこには、結球し始めた白い雲がぽっかり浮かんでいた。
さらに歩くと竹林があった。春を待ちわびて、ざわざわ、ざわざわと落ち着きのない竹たちがひたすら根っこを伸ばしているようだった。
早く芽を出せ筍たちよ、出さぬと唐鍬で掘り返すぞ!
家内を迎え、サイ◯クの楽農広場へ野菜の買い出しに向かう。
そこには、「“MEATOPIA” A STORY THAT BEGINS WITH OUR PIGS」などといった立体花壇が飾られたいた。
ここは「サ◯ボク」。あの名高い「スーパーゴールデン◯ーク」を販売している。結構高いけど、これが美味いんだよ。食べる人はみんな笑顔になる。そう、ここはヒト属にとっては理想郷かもしれないが、豚さんにとっては・・・・・・。。。
今日は、定期通院のため、柏原のクリニックへ家内を送迎する。予約時間は9時半だが、通勤時間帯に、入間川を超えるルートは思いの外渋滞にハマる事が多い。通常、車で15分ほどで行き着くクリニックであるが、倍の時間を要することも珍しくないのだ。
ガソスタに寄り給油後クリニックへと向かおうと、8時半に家を出る。だが、こんな日に限って、物事が遅滞なく進む。給油時間もさほどかからず、渋滞というほどの混みようもなく、9時には受付を済ますことができた。
さて、この貴重なスキマ時間をどう過ごそうか? 原点に帰ろうと再読している宮部のマサの続きを読もうか、それとも、付近の智光山公園ヘとブラ散歩か? まだ、緑化植物園には見るべきものとてないとは思ったが、後者を選択した。
住宅地を抜け15分ほどで智光山公園ひょうたん池脇のゲートに出、芝生広場を横切り花木園へと足を運ぶ。
そこには、黄色い紙テープのような花弁を四方に散らしたシナマンサクの姿があった。まだ、「満作」と言うには程遠く、数えるほどしか開花していなかったが、「まず咲く」花の姿を目の当たりにした瞬間だった。
比較的近年に造作されたロウバイ園である。
ここには3つの品種が植えられ、エリアごとに分かれているという。
①桜の園駐車場側 「満月(マンゲツ)ロウバイ」
②斜面の下段 「福寿(フクジュ)ロウバイ」
③斜面の上段 「素心(ソシン)ロウバイ」
ということは、上記画像は②の福寿かもしれない。
冬芽の観察も、冬の楽しみの一つかもしれない。
そう、葉を落とした巨樹の姿、寒樹を愛でるのも、この季節にしか味わえない魅力がある。
うんっ、見過ごしがちな日常の中にこそ、意外な発見や胸に染みる光景が宿っているのかもしれないね。
ここ数年のことであるが、正月の初詣は菩提寺と決めていた。
本堂にて参拝し、墓参を済ませ車のドアに手を掛けたが、鐘楼の脇にあるロウバイが数輪綻んでいるのを発見した。これは、撮らにゃならんね。
年が改まり、いち早く綻ぶ花を「迎春花」などと表現することがある。一般的に、黄梅(オウバイ:モクセイ科ソケイ属の半つる性落葉低木の一つ)の漢名であったり、別称とされることが多いが、ロウバイもそのように呼称されることがある。
一般的な開花時期は、ロウバイが11~1月、オウバイが2~4月とされているので、ロウバイのほうがフライング気味に春を知らせる一番花と言えよう 笑
一茶は、「めでたさも 中くらいなり おらが春」などと詠む。一休禅師は、「正月は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」などと断じた。
さてはて、かくいう凡愚の正月はどう図ればいいのだろう。さしずめ、「食うて寝る 変わり映えせぬ 去年今年」といったところか。
そんな些末なことに思い巡らせてベランダに出ると、ヤブコウジに金環食が現れていた。『精選版 日本国語大辞典』には、「月が太陽を覆い、暗黒の月の周囲に、太陽がわずかにはみだして金色の輪のように見える日食」とあり、かなりレアな天体現象の一つとされるようだ。
何の代わり映えもしないヤブコウジの実が、ちょっとした光の悪戯で金環食を身に纏う、今年の庭弄りは験が良いかもしれないぞ。
そう、そう、重要なことを書き忘れてしまった。投稿したあとであったが、ちょっと補遺しておこう。長きにわたるgooブログの不具合のことである。
ブログを書いたり、閲覧したりといった際には、もっぱらノートパソコンを使用している。スマホでも閲覧しないことはないが、やはりノートPCのほうが使い勝手がいい。
この不具合、復旧しつつあるというが、リアクションに関してはスマホの方はポチることができるのだが、ノートPCの方は依然として不具合が生じたままなのである。そう、「いいね!」以下都合4箇所がグレーアウトしたままポチることができないのだ。
「スマホでできるのならば、スマホを使えばいいだろう」なんて囁きも漏れ伝わってくるが、やはり使い慣れたツールでないと上手くない。
今日のこのブログのアップも、数度「投稿する」ボタンを押してやっと投稿できた。各所に不具合の痕跡が見られるというわけだ。一刻も早く修復してほしいものである。