千姫(徳川家康の孫娘)の人生など …3

昨日、書き漏らしていたので補足。秀頼と死別して次いで本多平八郎(忠刻・ただとき)の妻になった、と記したが、この二人に女の子と男の子が生まれている。男はすぐ死んだが、娘の勝姫はその後池田光政という「名君」の正室となった。そして血筋からいえば、この池田光政と勝姫の子孫が徳川最後の将軍慶喜までつながるという。 だからといって、これは豊臣家の血筋があったというわけではないが、妙な流れだったと言えるかも知れ . . . 本文を読む
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