明日は明日の風が吹く

明日の事を今日悩んだって何にも解決しない
まぁ何とかなるさ!

あのとき私たち国民の総意はリスクを取った

2020-04-15 22:27:57 | 歴史
コロナ禍で閉塞感が募る中、政府に文句を言いたくなること自体は自然な感情の発露ではある。
安倍政権の迷走ぶりや人をおちょくった答弁はバシバシ叩けばいいと思う。
特に国民が公園などの花見から締め出されている中、奥ちゃまが3密状態で宴を開いておきながら公園じゃないから問題ないなどと答弁すること自体、緊急宣言が出ても「外食はいいのね」とクラスターを拡散されたら安倍のおっさんの責任が大きい。

しかし、思い切った策を出せない背景の一つに量的緩和に始まるリスクを取って強いカードを矢継ぎ早に切って経済を浮上させようというものだった。

民主党政権による不況の閉塞感から量的緩和のリスクを取った政権に国民の総意は未来を託した。

強いカードは尽き果てようとし、普通だったら役所に分配することで官僚支配を強めようとする財務省主計局の連中が民草への一律配布にいい顔をするはずがない。
このままだましだまし少しづつマスクの配布などこざかしい施策をだらだら続けることで今まで放出してきた量的緩和の付けも相まって、経済規模は縮小するが命をつなぐ日用品、医薬品は確実に値上がりが続くことだろう。

カードを切り切った後に訪れる無策と経済規模は縮小しつつ必需品の物価が上がるスタグフレーションの発生が現実味を帯びてきた。

安倍ちゃんにダメ出しは誰でもできるが、もともと彼を選んだのは国民の総意であり、今日の結果は安倍のおっさんとその取り巻きに止まらず我々国民も背負うべきものだろう。

もちろん投票行為を通じて安倍のおっさんを支持しろと言ってるわけでない。
複数の候補者が提示されているなら有権者個々人は誰の名前を書いても問題はない。
気に入らない政権を投票行為を通じて退場を求めることは国民の当然の権利である。

ただ、最後まで安倍政権を支える義務なんてのはもともと存在しないが、私たち国民がリスクを取ったということは踏まえておくべきと思う。
コメント
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