遠藤周作の小説「沈黙」で読んでて、キチジローはどうなったか?ってことが気になってた。
小説に書かれていたのは現代文で最終場面と思われがちなキチジローのコンヒサンの後に文語体で書かれた切支丹屋敷役人日記で主人公の中間として身を寄せたキチジローから禁制の品が見つかり、現代文では人間の弱さの象徴のようなキチジローが拷問を受けてロドリゴから貰ったものか問い詰められても口を割らなかったということである。その結果キチジローが拷問や処刑で殺されたか、役人側が根負けしたか読み取ることはできなかった。マーティン・スコセッシ監督のサイレンスでも当然キチジローの最終的な運命はわからないままである。
で、沈黙の声って沈黙を書き表すにあたっての背景みたいなことを述べているのが出てて買って読んでみたけど、この点は謎のまま・・・
ただ、興味を引くのはある大学の入試問題で遠藤周作の小説が取り上げられ、問として作者が言いたかったことは何か?として5択が提示されていた。遠藤氏は5つとも正解としたが答えは1つだった。そりゃそうだわなwでなきゃ試験問題として成立しない。が、ここで大事なのはその小説を書いたのは遠藤氏であって出題者ではない。
ここで一つ確信できるのは国語の問題でいい点数を取れることと原作者の意図を読み取れることは必ずしもイコールではないということである。ましてや記述の作文となるとなおのこと原作者の述べようという意図ではなく出題者の意図によって配点が決まるということであろう。
これが自然科学の特に計算問題ならば結果が正しく算出されているかでその問題の点数がもらえるかどうかが決まり、後は導出過程から、正解でも途中にNGが入っていれば規定に従って減点、間違っていても正当な過程を書いていれば部分点がもらえる。
そう考えると、キチジローの最期の正解は作者しか知らないのも道理であろう・・・
小説に書かれていたのは現代文で最終場面と思われがちなキチジローのコンヒサンの後に文語体で書かれた切支丹屋敷役人日記で主人公の中間として身を寄せたキチジローから禁制の品が見つかり、現代文では人間の弱さの象徴のようなキチジローが拷問を受けてロドリゴから貰ったものか問い詰められても口を割らなかったということである。その結果キチジローが拷問や処刑で殺されたか、役人側が根負けしたか読み取ることはできなかった。マーティン・スコセッシ監督のサイレンスでも当然キチジローの最終的な運命はわからないままである。
で、沈黙の声って沈黙を書き表すにあたっての背景みたいなことを述べているのが出てて買って読んでみたけど、この点は謎のまま・・・
ただ、興味を引くのはある大学の入試問題で遠藤周作の小説が取り上げられ、問として作者が言いたかったことは何か?として5択が提示されていた。遠藤氏は5つとも正解としたが答えは1つだった。そりゃそうだわなwでなきゃ試験問題として成立しない。が、ここで大事なのはその小説を書いたのは遠藤氏であって出題者ではない。
ここで一つ確信できるのは国語の問題でいい点数を取れることと原作者の意図を読み取れることは必ずしもイコールではないということである。ましてや記述の作文となるとなおのこと原作者の述べようという意図ではなく出題者の意図によって配点が決まるということであろう。
これが自然科学の特に計算問題ならば結果が正しく算出されているかでその問題の点数がもらえるかどうかが決まり、後は導出過程から、正解でも途中にNGが入っていれば規定に従って減点、間違っていても正当な過程を書いていれば部分点がもらえる。
そう考えると、キチジローの最期の正解は作者しか知らないのも道理であろう・・・