明日は明日の風が吹く

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まぁ何とかなるさ!

どこで廃れて途絶えたか

2023-05-13 15:57:21 | 歴史

古代エジプトのイシス神殿の遺跡から仏像が発掘されたみたいですね。

もともとマケドニアのアレクサンドロス大王がインドからエジプトまで制圧したことから仏教がエジプトまで伝わっていても不思議ではないと思ってましたが実証される発掘があって何よりです。

アレクサンドロス大王自身が東征で最も大きな敵であったアケメネス朝ペルシアの被占領地をそのまま統治することになりアケメネス朝の宗教的に寛大な政策を継承してますから仏教が西へ伝搬すること自体は不思議なことじゃない。

アポクリファのマカバイ記でアレクサンドロス大王がこき下ろされているのはアンティオコス4世エピファネスによるギリシア同化政策以降に書かれたからで、それ以前に書かれていればもっと良い評価を得ていたことでしょう。事実のちに第2神殿を破壊したのはティトゥス率いるローマ軍で、ユダヤ人がローマの支配下にはいったのは共和制末期のポンペイウスによるエルサレム占領で、それ以前に書かれたマカバイ記はローマ人を実に好意的に記しています。

西方に細々入った仏教は遊牧政界では非殺生の戒律など好ましくないように映ったのは想像に難くなく、さらに地中海の北側はキリスト教、南側はイスラム教と言った具合にオリュンポスの神々を始めとする比較的寛大な宗教文化はヘブライの神の前に駆逐されることになります。それ以前に細々と入ってきた仏教はヘブライの神の前に容易に消されたことでしょう。

一方でキリスト教ですがネストリウス派の流れを引く宗派は唐の国まで伝播して景教と呼ばれます。遣唐使が長安の都にやってきたことでしょうから一部の日本人は奈良時代にはキリスト教の存在を知っていたことになります。ですが、なぜか景教は日本に伝わらずキリスト教の伝来はずっと後の天文年間室町戦国時代のフランシスコ・ザビエルによってもたらされることになります。

天橋立の知恩寺には地獄絵図が、フランスのシャルトル大聖堂には地獄の彫刻が刻まれて、洋の東西を問わず人間の考えることって似たり寄ったりと思いがちですが、ヒンディーや仏教などインドの宗教やユダヤ教・キリスト教・イスラム教と言ったヘブライの神を奉じる宗教が天国と地獄とか地獄極楽みたいな二元論的な死生観を受け入れるのはゾロアスター教を奉じるアケメネス朝ペルシア以降のことです。それ以前はインドでは輪廻の思想がユダヤ教では死ぬ時の楽しみや苦しみがそのまま冥府で継続されると信じられていたわけですから。

知りたいのはオリエント世界で仏教はどんな風にとらえられて結局受け入れられずに滅んでいったのか、景教はどうして日本に渡らなかったのか。遣唐使が持ち帰らなくとも景教の僧侶が遣唐使船に乗ろうとしても不思議じゃない。今でこそ大陸からは黄砂・爆買いや犯罪あるいは不法就労などを目当てに渡ってくる人々など大陸から渡来する者には碌なイメージを持ちませんが当時は隋や唐の文化を学ぶために日本人は命がけで海を渡ったわけですし、大陸からも鑑真和上など優れた人物が渡ってきて日本に優れた文化を伝えていたわけですから。

 

そして不思議なことに今の日本のキリスト教はカトリック・プロテスタント・東方教会など欧米経由で伝わってますし、欧米の仏門に帰依する人って日本経由の仏教を奉じてるんですね。

 

 

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積分とは何か

2023-05-13 08:47:38 | 地球と物理

さてさて、微分法についていろいろ述べましたが、今度は積分法について述べてみましょう。

まず、積分とは何か?

この問いに対する答えは、「積分とは無限に細かい要素に分けて足し合わせる」ということです。

例えば長方形の面積は辺の長さを掛ければいいだけで小学校の算数レベルの話です。もし、長方形の面積の求め方が分からないって方がいれば悪いことは言いません、その程度の算数は学びなおしておかないと日本の社会では日常生活に支障をきたすでしょう。ピタゴラスの定理や連立方程式あるいは二次方程式を解くといったような高度な算術が分からないと言われても日常生活に支障をきたさなきゃそれでいいんじゃね?ってのが私の考え方です。自分の職種がそういったことを求めてなければ問題ありません。私の場合は不幸にしてそういったことを必要とする職種に就いているので習得しないわけにはいきませんが・・・。ただ、本当に初歩的な小学生レベルの算術となると分かっていないと後々何かと苦労することになるでしょう。

直角三角形の面積を求めることだって法外に難しい話じゃありません。

ところがこれに曲線が絡んでくると話は一気に難しくなってきます。

例えば底辺がb-a、一方の端がf(a)もう一方がf(b)で上辺がf(x)という図形の面積を求めようとするときにf(x)のところの微小な区間⊿xについては長方形の面積f(x)⊿xと見做して問題ない。この微小な区間の長方形をx=a~bの間で足し合わせる。この区間⊿xを限りなく0に近づけると無限級数になって曲線が絡んだ図形の面積を求めることが出来る。これが積分法と呼ばれる手法です。

実例でいえばある時刻tで速度がv(t)であるなら、微小な時間⊿tの間の道のりはv(t)⊿tこれを⊿t→0として時刻aからbまでに進んだ道のりを求めようとします。速度が一定なら速度に時間を掛ければ道のりは容易に出てくる。これが速度が時々刻々変化するなら速度を積分すれば道のりが算出できる。ってことは道のりを微分したら速度が算出できるんだから積分って微分の逆の事をすればいいんじゃね?ってことになる。ですが、数学的にはまだこれでは根拠が十分じゃないですね。

そこでf(x)を0→xの区間で累積を取った関数をF(x)とする。この大文字の関数は原始関数と呼ばれます。このF(x)が微小な区間⊿xの間でどれだけ変化するかと言いますと、当然f(x)⊿xという長方形の面積分だけ増えてるわけです。ですからF(x+⊿)=F(x)+f(x)⊿xとなる。ですからF(x)の微分はlim ⊿x→0 (F(x+⊿)-F(x))/⊿x=f(x)もとの関数に戻ることが分かります。

こうして遂に積分とは微分することで元の関数に戻るような関数を探すことであるという普遍の真実にたどり着いたのです!

・・・私ではなくライプニッツって親父が・・・

なんだか地理で出てくるドイツの都市ライプツィヒとごちゃ混ぜになりそうですが実際にライプニッツ自身がライプツィヒ出身です。ライプツィヒ出身でいえば私が思い浮かべるのはリヒャルト・ワーグナーですか・・・

 

気分が滅入っているときにワーグナーの曲って落ち込んだ気分が高揚してきて、リエンツィ・タンホイザー・ニーベルンゲンなどなどをよく聞きますね。

 

さて話を戻して積分ですが、微分ってのはルール通りに手続き踏んで計算するんですが、微分したらその関数になるような関数を探すってのは並大抵のこっちゃないw。実際に原始関数を厳密に求められる関数なんて数ある関数のうちのごくごく一部なんでしょう。すでにある関数を微分して求められた関数はすぐに積分できるとしても、多くの積分計算はよくこんな方法を思いつくなぁと感心させられることしきりです。微分は名の如く微かに分かるんですが積分は本当にまるで解りませんw

ここまで変数が一つの場合の微積分を述べましたが、多くの関数は3次元の各要素と時間など複数の変数で構成されています。そんな場合の微積分、偏微分と重積分を考えていくことにしましょう。

 

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