室町6代将軍足利義教の恐怖政治を生き延びた家系とロベスピエールの恐怖政治を生き抜いた家系を数学でつなごうなんてしてますけど、線積分の説明までできればルイ・オーギュスタン・コーシーにだいぶ近づいてきます。さしずめ徳川家重・家治親子やルイ15世あたりまで来たってところでしょうか・・・
線積分がどんなものかと言いますと・・・
例えば船で釣りに出かけると船頭さんからタナの指示があってそこに仕掛けを落としていくわけですが、錘は同じなのに潮の流れが速いと深く落とすほど竿はよく曲がって仕掛けは潮下に流されます。これは道糸の長さが長くなる分だけ潮の流れから受ける力が大きくなるわけです。これを計算しようとするなら道糸のある場所の限りなく小さな部分にどれだけの力が加わっているかを考えて、海水に浸かっている部分の領域だけ足し合わせていくことになります。
こうやって線に沿って無限に小さな部分に分けて足し合わせる作業を線積分と言います。高校で習う積分計算だってx軸あるいはt軸に乗っかっているyなりf(x)なりf(t)を無限に細かく分けて足し合わせる線積分の一種です。
次にパラシュートが受ける力を考えてみるとパラシュートのある部分の無限に小さい面に受ける力を考えてパラシュートの面全体に足し合わせるとパラシュートが受ける力が分かります。こうなるとパラシュートが広いほうが大きな力を受けることは容易に想像がつきます。
例えばアオリイカのヤエン釣りなんかでは秋口の小さなイカを寄せてくるときは抵抗を受ける面積が小さいので少ない力で済みますが、写真のようなキロクラスを寄せるときは逆噴射がなくてももともとの面積が大きいので強い力で引っ張る必要があります。
こうした面に沿って無限に小さい面に分けて面の指定された領域について足し合わせることを面積分と言います。
今度は密度が均一でない物体の重さを調べるには・・・
物体のある場所の無限に小さい立体の重さを調べて物体全体の領域で足し合わせる。こういう手法を体積分と言います。
体積分はともかく、線積分や面積分では閉ざされた輪っかや表面を積分することも当然出てきます。
ってことで次は積分計算の嫌悪感をさらに増幅させる∲という記号の意味を考えてみましょう。
ここまでくると積分を単に微分の逆の計算という理解では追いつかなくなることでしょう。しかし、積分が無限に小さな部分に分けて足し合わせることで全体の量が分かるんだという積分の本来の定義に立ち返ることができるならこのような記号も恐れることはありません。