仏陀の名言に
「苦行は何の意味もない」
ってのがありますね。
でも、これって仏陀自身が苦行を行って行きついた境地であって、苦行をやりもしないで意味がないって確信を持って言えるかと言えばそうは思えないんですよね。
そう、苦行を行うことの意味ってのは苦行に何の意味もないってことを身をもって知ることにあり、苦行を行いだして疑問を抱いて苦行をやめにしたときに苦行を行ったことに価値が出てくるんじゃないでしょうか。
仏陀自身が苦行をやめたときに、苦行の志を共にしていた人々が離れ去っていったように、世の中の真実と向き合える人ってのは人々の離反や無理解に苦しめられることは避けられないようです。私のようなメンタルの弱い人間では宗教家なんてのは向かないってことでしょう。
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