お釈迦様が苦行をして「苦行は何の意味もない」と明言を述べて苦行をやめて悟りに至るエピソードに見る教訓って・・・
苦行をしたからこそ苦行は何の意味もないってことを確信をもって語ることが出来るようになったってのは前に述べたとおりです。
つまりは何もしないで努力する人をあざ笑う人よりも、それは意味のない努力かもしれないでもやってみなきゃ意味があるかどうかは分からないじゃないか!と行動と努力に移せる人の方が価値があるってことです。努力する人をあざ笑う人は自分が努力しても何も得られず傷つくことを怖がっているから、努力する人を笑いものにすることで自分を慰めようとしてるだけ・・・。そんな卑怯者が何をぬかそうが気にすることはない。
もう一つは、何かを苦しみぬいて答えを出そうとしているときに、その苦行に意味がないのではないかと疑念を抱いたときに多くの人は「ここで苦行をやめると今までやってきたことが無駄になる」と恐れて苦行を続けることにしがみつこうとするんですけど、過去が無駄になるかは知ったこっちゃないけど今の方法を続けても結局何も得られなさそうだと悟ったなら今まで積んだことを手放すことを恐れず進む道を変える勇気を持つこと。そうすれば無駄に思えた過去の努力だって今のより良い道に進むためには必要だったんだって分かってくる。方法が間違ってそうなのに同じ方法にしがみつきたくなるのは苦しんでいる自分に酔っていたいだけ。
お釈迦様は苦行する自分に酔っていたいだけのかつての仲間たちが離れ去っても道を変えることを恐れなかった。
何気なく聞くエピソードにも教訓はいっぱい込められている。
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