ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝2024カープフアン感謝デー〟へ行って来ました!

2024年11月28日 | 日記

 今日も朝から曇っていたかと思うと雨が降り出したり、今度は突然日が照り初めるという…、何ともころころと変わるお天気です。また、気温もグッと下がって、昨日はとうとう我慢できずに炬燵を出しました。最低気温7度…寒いはずですよね。日中の最高気温も13度までと…まさに冬の気候ですもの。

 先日11月23日の「勤労感謝の日」に…この日も寒かったので一応の防寒対策をして、朝から家族3人で広島へ出掛けました。はい、この日に今年の「カープフアン感謝デー」があったんですよ。9時30分開始でしたので、新山口から新幹線で。8時半過ぎ到着のこだまでしたが、列車から降りる人のナント多いこと。まさかこの人達もこのイベントに行くのかしらと思って見ると、どうもカープフアンらしい雰囲気です。更に駅から球場までの道ではドンドン人が増えていって、まるで試合がある日のようでした。

 ところで、その日新山口駅でこだまを待っていると、入ってきた列車が…エエッ、何これ?ピンクの絵が描かれていて、キティちゃんよ!と。そういう列車があることを全く知りませんでした。調べてみると、ハローキティ新幹線といって、博多駅 ⇔ 新大阪駅間を1日1往復のみ、こだま840号、851号として運行しているのだそうです。また、車内でハローキティのデザインで彩られた乗客席があるのは2号車だけだそう…ということは、その珍しい列車に、それも2号車に知らずに乗ったんですね。何という奇遇でしょう。今年は年頭から散々な目に合いましたから、それが最後になってこんな滅多にないことに出会うなんて…もしかしたら来年は良い年になるかも。(アラ、鬼が笑う?)

 さて、この「カープフアン感謝デー」は毎年あるようですが、私たちは初めてでした。広島近辺の人なら当然行きたいでしょうから多いのは当り前と予想はしていましたよ。でも新幹線に乗ってまで来る物好きは私たちぐらいかしらと思っていましたので、もうビックリ!これがフアンというものでしょうね。フアンというのは本当にアリガタイもの。実を言うと、私たちはこの感謝デーの入場整理券が当選したからであって、でなければ来なかったでしょうから、まだまだ本物のフアンとは言えないのかも。

 ファン感謝デーは、今シーズン入団した若鯉選手たちの登場からスタート!ルーキーイヤーの選手たちが初めてのカープファン感謝デーへの意気込みなどを語りました。

 その後、私服おしゃれNo.1を決める「カープS-1グランプリ!!」が行われ、アドゥワ、益田、森、島内の各4選手が自慢の私服を披露しながらランウェイする選手をファンが投票しました。

 その結果、カープS-1グランプリ!!初代チャンピオンには、アドゥワ選手に決まりました。

 また、2025年にデビュー30周年を迎えるスラィリーにまつわるクイズ「スラィリー愛No.1決定戦」に8人の選手たちが挑戦するなど、ステージイベントは開始から大盛り上がりです!

 そのスラィリー愛No.1決定戦で優勝したのは、滝田選手でした。

 グラウンドでは入場券に付いている番号の抽選で当選した人たちが参加できる、選手とのキャッチボールや写真撮影、ハイタッチ会などのふれあいイベントのほかに、普段は立ち入ることができない外野の芝生エリアを散歩できるイベントなどが開催されていました。しかし、私たち3人はやっぱりくじ運が悪くて、一人も当りませんでしたよ…残念!

 お昼は懐かしいむさしの弁当を食べたり、余りにも寒かったので温かいうどんやホットコーヒーなどで凌いでいたんですが、この冷えでは終了の15時までは我慢できないし、この調子なら帰りも混雑するだろうしと、14時前には球場を出ました。すると、今度は広島駅の下り新幹線が全て70分遅れだとの標示。聞けば理由も分らず、いつ頃復旧するかも見通しが立たないとか…。やっと復旧してから分ったのですが、車内に不審物があってそれの点検のために遅れが出ていたのだとかいうことでした。結局その不審物は乗客の忘れ物だったらしく…JRのダイヤを混乱させた大迷惑な忘れ物ですね。

 下の写真はカープロードのマンホールの蓋です。やっぱり広島はカープ坊やと紅葉ですね。

 とにかく無事に16時過ぎには新山口駅に着きましたが、なぜだかとても疲れました。やっぱり寒さのために身体が硬直していたからなんでしょう。老化もあるのでしょうが、私いつも冬になると肩が凝るんですよね。だから寒い冬が嫌い…なんて言っても、まだ冬になったばかりで、この先が思いやられます。下の写真は新山口の駅前。広島に比べるとナント寂びしいこと…益々寒くなりました。

 

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エエッ、火野正平さんが亡くなったって?

2024年11月21日 | 日記

 昨日の夕方、主人から…火野正平が死んだってよ!と。

 エッ、ほんとに?腰痛の治療中じゃなかったの?と信じられませんでした。とにかくビックリしました。だって我家は毎朝、NHKBSで7時15分から朝ドラの再放送、今は尾野真千子さん主演の国際的デザイナー・コシノ三姉妹を育てたお母さんがモデルのドラマ〝カーネーション〟ですが、それが済んで今の朝ドラ〝おむすび〟を観ます。その後7時45分からはあれば必ず火野正平さんの〝こころ旅〟を観ていたんです。それが終ってから朝の体操へ出掛けると…、そういうのが長年我家の日課でした。

 このところ正平さんの体調が良くなくてピンチヒッターの方々が交互にいろいろな地域を巡っての〝こころ旅〟が放送されていましたが、やはり長年見慣れていた正平さんの旅がいいので、一日も早く復帰されるのを心待ちにしていたんですよ。それがまさか亡くなられるなんて全く考えたこともありませんでしたのでショックでした。

 嘗て山口県への旅では、宇部市にも来られて、子どもたちが卒業した中学校を訪問してくれたんです。この自転車で全国を巡り、それぞれの想い出の場所を訪ねて書かれた手紙を読むという、まさに〝こころの旅〟。それを14年近くも続けてこられて、全国津々浦々の人々との交流は観ている私も一緒に旅をしているようで…、だから欠かさず観ていましたもの。ご本人も秋には復帰するつもりで頑張って養生しておられたとか。9月に骨折したのがよくなかったのでしょうか。本当に残念です。きっと正平さん自身が一番悔しい思いをされたのではないかと、そう思うとやりきれない気持ちです。心から哀悼の意を捧げたいと思います。正平さん、どうぞ安らかにお眠り下さい…合掌

 するとその夜FAXが入り、見ると今度は馬酔木同人のOさんの訃報でした。私が新人の頃から親しくして頂いた方なんですよ。この前は詩人の谷川俊太郎さん、昨日は元横綱の北の富士さんもと、このところ次から次と知ってる方々が亡くなって気が塞ぐことだらけで、本当に気分が沈んでしまいます。

 思い返せば今年は年頭からいろいろな人との別れがありました。最近でも私の回りでは、亡くなるんじゃないんですが、長年慣れ親しんでいた人たちが次々と去っていくんですよね。先日は20年近くもパーマやカットをして貰っていた美容師のNさんとMさんが同時に今月で辞められると言うし、フォーユーでもいろいろとお世話になったKさんとSさんがこれも今月で辞められるんです。それぞれ事情があって仕方のないことなんでしょうけど。でも、長く付き合って気心の分っている人たちともう会えないのかと思うのは淋しいものです。〝出会い〟があれば〝別れ〟があるのは当り前。それは分ってはいますけど、やっぱり辛いですよね。たとえ新しい出会いがあったとしても、歳を取ると新しい人間関係を築くのはとても疲れます。それより現状を維持して今までの縁を大事にする方が気持ちもいいし楽ですからね。歳を取るほどに別れが多くなるのは当然のことでしょう。そのうち私の方から〝さよなら〟と言わなくてはいけない日が間近に迫っているかも知れませんもの。この先がどうなるかということなんて、こればかりは誰にも予想はできませんからね。

 今日は時間があるので、真面目に俳句のブログを書こうと思っていましたのに…、こんな暗い事を書いてしまって…ゴメンナサイ!

 天気も朝はどんよりとして寒そうでしたが、今は日が照りだしてとっても気持ちよさそう!そうですよ、照る日もあれば翳る日も雨の日だって。だから〝人生楽ありゃ苦もあるさ…〟のあの精神で乗り越えて行かなくては…。今度は明るい話を書きますから待っていて下さいね。では、今日はここまで…

 写真は、まだ生き生きと咲いている〝琉球朝顔〟と、今を真盛りの〝石蕗の花〟です。琉球朝顔は秋の季語で、その花言葉には「愛情の絆」「明日もさわやかに」など。また石蕗の花は初冬の季語で、花言葉には「愛よ甦れ」や「困難に負けない」などがありますから、また元気を出してガンバロウと思いますので、よろしく!

 

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何とまあ…半月振り?いや1ヶ月ぶりかしら?

2024年11月16日 | 日記

 まさにタイトルの如し!で、こんなにブログをサボったのは初めてかも。でも、よくよく考えてみれば…これも仕方がなかったんですけどね。ではその辺の所を記録として簡単に纏めておきましょうか。

 前回のブログが10月23日、今日は11月16日…ということは、半月どころかもうすぐ1ヶ月になりますよね。我ながらビックリ!折角読んで下さっている方々からはこのブログは〝消滅〟しつつあるのではと心配されているのかも。だってその証拠にこのところのアクセス数がうなぎのぼりで、昨日のランキングなどはナント529位になってるんですもの。これじゃあせっせと書かない方が却って皆さんが訪問して下さるということなんでしょうか?ヘンなの!

 そんな下らないことをあれこれ言わずに、先ずはその様子をメモってみましょう。

 10月25日・午前中宇部市芸術祭俳句大会の役員会議 29日・小羽山俳句教室 30日・毎月の通院 31日・琴芝小学校の「子ども夢教室」での俳句指導 11月1日・朝から月例の吟行会 4日・二俣瀬俳句教室 5日~7日・広島の芸北でワンゲルのOB会 8日・予約の美容院 9日・午前中厚南の文化祭展示の準備、午後と夜間はフォーユーの俳句教室 11日・万倉小学校の「子ども夢教室」での俳句指導 12日・午前中宇部市芸術祭俳句大会の選考会議、午後岬俳句教室 15日・厚南俳句教室 16日・午前は二俣瀬文化祭の展示準備を主人に頼んで、きらら俳句教室へ、午後宇部馬酔木句会 17日・二俣瀬文化祭の展示の撤去へ…

 はあ、この中の空いた時間で、原稿書いたり俳句の添削、吟行会事後投句の選句と選評、通信句会の選句と選評、宇部市の俳句大会の選句。おまけに今月は文化祭が二つもあって、その出品のための短冊・色紙の制作。これは日頃滅多に書かないものだから、練習などに結構時間を取るんですよ。ついでに自分自身の作品をあちらこちらへ投句するための作句もしなくっちゃ…ああそうです、更に身体のことも考えておかないといけないですから、この合間を縫って整形へのリハビリやカーブスの筋トレへ。加えて、月曜から金曜までは歩いて行って朝の体操…もちろん洗濯や掃除などの家事から寝る・食うなどの基本的な生活時間も。ほら、そうすると私の好きなドラマを見たりフォロワーさんのブログを訪問したりする時間がなくなるでしょう。だから切り詰められるのは我家に居る時間の中だけ。でも、睡眠や食事時間は切り詰めたくないので、どうしても家事へ…特に一番のしわ寄せが来ているのが掃除なんですよね。庭の手入れや家の中の掃除などは最低限のことだけで我慢して暮しています。整理整頓など細々としたことを何もかもきちんとやろうとすると…これはもう身が持ちませんもの。歳を取れば体も動かなくなって余分に時間も掛かりますし、怪我などすればさあ大変です!…と言うわけで、ブログを書く方には全く手が回らなかったんですよ。ほら、これ読むだけでも目が回るでしょう。だから…ゴメンナサイ!なんですよ。

 来週からは少しゆっくりになりますので、今月のロスは後半で取り戻します。それまで待って下さいね。では、今日のところはこれでお許し下さい…オシマイ!  

 写真は、「牡丹臭木(ボタンクサギ)」でクサギと同類の花なんですが、初秋の季語。もう一つは「木槿(ムクゲ)」。これは「底紅(ソコベニ)」といって、やはり初秋の季語なんですよ。どちらもとうに終ったはずなのに、初冬の今でもまだ咲き残っているんです。本当に今年は季節感が狂いっぱなしで、俳句を詠むのに困まりましたよ。

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ぼちぼちですが、コロナの後遺症からやっと…。

2024年08月25日 | 日記

 コロナに罹ってほぼ1ヶ月が過ぎようとしています。もうこのあたりでいい加減に復調しなければと思うものの…本当に体が重くまだ思うように動けないんです。

 コロナにここまで手こずるとは…!若ければそうもないのでしょうが、せっかく努力してどうにか維持してきたこの体が一瞬のうちにボロボロと崩れていくような感じです。そうなると精神までがダメージを受けて…

 コロナ罹患後の代表的な症状には、疲労感・倦怠感、関節痛、筋肉痛、咳、喀痰、息切れ、胸痛、脱毛、記憶障害、集中力低下、頭痛、抑うつ、嗅覚障害、味覚障害、動悸、下痢、腹痛、睡眠障害、筋力低下などがあるそうです。(厚生労働省)

 とすると、私は疲労感・倦怠感・関節痛・筋肉痛・咳・喀痰・息切れ・胸痛・頭痛・味覚障害・動悸・筋力低下は間違いなく…ああ、記憶障害・集中力低下・抑うつも当てはまるかも。ならば、当てはまらなかったのは脱毛・嗅覚障害・下痢・腹痛・睡眠障害ぐらいかしら…睡眠障害などは全くの反対で、毎日毎日何もせずに寝ていました。何か書こうとしたり本を読もうとすると起きていられなくてすぐにゴロリと…とにかく朝から夜まで何もできずにひたすら寝るばかり。

 今までいろんな病気に罹り、手術なども何度かしましたが、こんなに立ち直れないことは無かったんですけどね。時間が薬とは言いますが、今まではその通りで病や傷が癒えかかるとじっとしていられない程。一日も早く外に出たいし、またみんなとあれこれやりたいと思ったりしました。日にちとともに自分がどんどん元気になっていくのを実感してきたのですが。今回はある程度症状が軽減され身体的には楽になっているはずなのに、自分の体が思うようにならない。気力だけは誰にも負けないつもりでしたが、それが何かをしょうとちょっとでも動くと〝ああ、エライ!〟とへたり込んでしまうのです。だから家事などもいっぺんには出来なくてぼちぼちと…それで時間が掛かって余計疲れてしまいます。

 食事の準備もせいぜい一品作れれば上等。微妙な味の感覚がまだ戻っていませんので、作るものが美味しいとも思えなくて…。これは主人も同じで二人して味がよう分からんわと言っては仕方なく食べています。(笑)

 昨日東京の友人が心配して電話をくれました。その彼女の話では……

 自分もコロナに罹ったけど軽くて何ともなかったの。それは、知人からどんなに高くてもコロナの治療薬を使ったほうがいいからねと言われていたので、それを飲んだら4日間で治って後は何ともなかったんだと。

 エエッ、そんな薬をどこで手に入れたの?と聞くと、病院で医師に申し出ると処方してくれるんだって。黙ってたら駄目なのだと。勿論高齢で既往症などがあって重症化の恐れがあれば別だろうけど、そうでなかったら本人が要望しない限りは医者からは絶対出さないのだと。

 じゃあそれは保険が利かなくてものすごく高いのでは?と聞くと、イヤ保険が利いて1万円ちょっとだったかしら。4日分くれてこれ飲んだらもう来なくていいよと言われ、その通り飲み終えたら治って後は何ともなかったと言う。

 クヤシイ!そんな情報知ってたら…これはお金の問題じゃないです。こんな辛い思いをするぐらいならそれくらい出しても…と思いますよ。

 そういえば、昔インフルエンザに罹ったとき、その治療薬のタミフルが危ないと騒がれたことがありましたが、私は即飲みました。するとあっと言う間に治ったという経験をしています。だから知ってたらすぐに飲んだでしょうに。もしかしたらまだ効果が保証できないからとか、薬価が高いから一般には普及させないようにしているのでしょうか。コロナの後遺症で苦しんでいる人や仕事まで辞めなくてはならないような人まで出ているのですし、もしその薬を飲めば軽くてすむのなら…もう少し情報を流して貰いたいと思いませんか。それとも私が知らなかっただけかしら。

 何にしてもいろいろなことを知っている方がいいですよね。知らずに後から悔しがるよりも。ただ、その情報が全て正しいものとは限りませんし、人それぞれに症状や効果は違うでしょうから何とも言えませんが、そこはしっかり学んで正しい自己判断ができるようにしておくべきでしょうけどね。

 もしこのブログを読まれて思い当る方、またはこれからコロナに罹られる方もおられるでしょう。その方々のための一情報となれば幸です。まあ、厚生省労働省では罹患しないことが一番で、そのための予防対策をして下さいというのがお勧めでしたけど。でも、こりゃ当り前のことでしょうよ!

 もう少し気温が下がり涼しくでもなれば、少しは元気になれるかもと、頑張っています。そしたらまたブログもぼちぼちと始めようと思っていますので、よろしくお願いしますね。

 写真は〝昼顔〟と〝朝顔〟。昼顔は夏の季語で、朝顔は秋の季語です。他に〝夜顔〟があります。これは夏の夕方から夜にかけて咲く、芳香を放つ大きな純白の花です。これらはみなヒルガオ科。また〝夕顔〟というのもあって夏の季語ですが、これはウリ科の花です。言葉は似ていても種類は違いますから気を付けて詠んでくださいね。

 

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桜紀行 その5 新潟県の〝弥彦公園〟と〝彌彦神社〟

2024年05月23日 | 日記

 桜紀行もいよいよ福島県から新潟県へ…。ガイドさんの情報では西蒲原郡弥彦村にある弥彦公園の桜も余り期待できないと。それでコースには入っていない〝彌彦神社〟の方へ回りますかという提案に全員一致で行くことに。12時半鶴ヶ城出発。これから約2時間半ほどは磐越自動車道を走って行くので、到着まで車中でお休みタイム。15時前に弥彦公園へ到着。見れば、ナント、ナント…見事に桜がほぼ満開!これはまたまた予想に反したウレシイ悲鳴でした。ヤッター!

 この〝弥彦公園〟にはソメイヨシノや八重桜など約50種の桜があり、大正五年(1916)、現在のJR弥彦線の前身である参宮線開通を機に越後鉄道株式会社(当時)の駅舎と一体の公園として整備され、昭和三十七年(1962)に彌彦神社外苑として献納されたのだとか。

 また弥彦山(東京スカイツリーと同じ634m)を借景に、自然美と人工美とを巧みに調和させた名園として、四季を通じて多彩な表情を楽しむことができ、苑内の通称「もみじ谷」は近年紅葉の名所として、秋には境内の菊まつりと並んで多くの観光客で賑わうんだそうです。

 〝彌彦神社〟の方は、越後一宮として古くから信仰を集め、「おやひこさま」として人々に親しまれ、初詣には毎年20万人以上の参拝者が訪れるんですって。御祭神は天照大神の曾孫の天香山命(あめのかごやまのみこと)。創建から2400年以上の歴史を有するとされる神社で、日本最古の万葉集にも詠われています。祭神と妃神の仲が良いことから、縁結びにご利益があるといわれているんですよ。でももう私には必要ないんですけど…アッそうだ、息子のために拝んどこ!(笑)


 この彌彦神社には見事な鎮守の森があって、樹林に覆われた境内には神聖な空気が漂っていました。紅葉スポットとして特に有名だそうですが、年間を通して美しい自然と森林浴を楽しむことができます。桜は神社の裏手の方に〝桜苑〟があって、ソメイヨシノがほぼ満開だったと。残念ながら私は行かず仕舞。今から5月の八重桜まで、50種類以上の桜がかわるがわる咲き競うんだそうですよ。この旅行で、私の頭に棲みついていた〝新潟は雪が多くて寒いところ〟というイメージが完全に覆されてしまいました。やっぱり何でも体験してみないといけませんね。

 さて、境内を進むと津軽の〝火の玉石〟というのがありました。この石(重軽の石)は持った時の重さの感じ方により、願いが叶うかどうかを占うものなんだそうです。

 ぜひ試してみてはとガイドさんに勧められ、みんな代わる代わる抱えてみました。心の中で願い事を思いつつ持ち上げ、軽いと感じれば祈願が成就、重いと感じたら叶わないと。では私もと…持ち上げてみると、わあ、やっぱり重い!小さい方がやっと持ち上がったぐらいですから大きいのは…腰を痛めるからと止めました。これじゃあ願い事はダメだわ…。うえ~ん(; ;)ホロホロ

 弥彦山山頂には奥宮の彌彦神社御神廟があるとか。神社から10分ほど歩いたところに弥彦山ロープウェーの山麓駅があり、そこから山頂駅まで行くことができるそうですが、残念ながら下から眺めるだけ。ということで、16時過ぎには今日の宿泊地岩室温泉へ出発です。宿の「ゆもとや」へは彌彦神社からは10分でしたので、あっと言う間に到着。

 部屋に入って、食事までにはまだ時間がありましたので、暗くなる前に近くを散策。この宿の裏手に源泉があると聞いて行ってみると、確かにありました。この300年の歴史を誇る岩室温泉は、一羽の傷ついた雁が流泉につかってけがを治したという伝説からで、別名「霊雁の湯」とも呼ばれ、新潟の奥座敷として親しまれており、またここが新潟芸妓の発祥だとも。その傍に「夜泣き地蔵」もありました。

 この「ゆもとや」には、趣向を凝らした「雁の湯」「夢殿」二種類の大浴場があり、それぞれ1日ごとに男女交替制。それで私はもちろん夜も朝も入浴して、両方を堪能しましたよ。食事は珍しくバイキングではなくて、新潟・日本海の幸がふんだんに…生きのいい魚は当然のこと、私が一番期待したのはやっぱり魚沼産のコシヒカリ…はい、とっても美味しくてお代りをしてしまいました!これでまた、肥るわ~イヤダ!なんて…しかし、お料理もお風呂も大満足でした。

 それなのに明日の天気予報は雨100%だと…。さて、さて3日目はどうなることでしょう。では、またの続きを…お楽しみに!

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桜紀行 その4 会津の〝鶴ヶ城公園〟へ!

2024年05月19日 | 日記

 投稿が遅くなりましたが、5月12日の第2日曜日、はい、〝母の日〟でしたよね。昨年はお婆ちゃんが居ましたので、私たちが義母を祝ってお花などをあげましたが、今年はもう…だから仏壇にお花と大好きなお菓子を。

 私は今年は娘から〝魔法のお箸〟を、息子からはお花と食事で祝って貰いました。〝魔法のお箸〟というのは、お箸で未来を創造する企業、あるふぁちーむ合同会社の〝あるふぁスティック〟で、一度使ったら虜になるという摘まみやすさと一般市場には出回っていないという希少価値の高いものなんだそう。〝父の日〟のも合せてと、二人分を貰いました。写真がなくてゴメンナサイ!

 また、息子のくれた今年の花は〝ベゴニア〟で、花言葉は〝幸福な日々〟…ありがとね!更に私が海老を食べたいと言ったので、昨年お婆ちゃんと行った秋穂にまた行こうと…ところが、予約をしていなかったので海老料理専門店は全部ダメ。仕方なく国民宿舎の〝あいお荘〟へ行くことに。ここには以前行ったことがあるのですが、海眺の宿と言うぐらいでレストランからは周防灘が一望できます。この日はお天気が今イチでしたが。そこで食べたのが…私は刺身定食、主人は何とステーキ定食、息子は天刺定食とみんなバラバラ…でも、名物の海老はフライの単品で注文して食べましたよ。やはりこの辺りは魚が美味しい!お刺身はみなプリプリして…さすがです。ゴチソウサマでした。みんなみんなアリガとさん!

 玄関外にクサフジ(ナヨクサフジかも?)がたくさん咲いていました。    

 それでは「桜紀行」のその4にいきましょうか。喜多方の〝日中線〟のシダレザクラの次は会津〝鶴ヶ城公園〟の約1000本のソメイヨシノでした。しかし、ここも残念ながらやっと開花宣言がなされたばかりで、殆どがこれからでしたね。でも会津へ来たいという念願は一応叶いました。が、私の一番観たい白虎隊の飯盛山などは、残念ながらバスガイドさんから〝あちらのほうですよ〟という説明を聞いただけで又の機会にと…。クヤシイ!

 喜多方からは40分ほどでここに到着。お城の入口まで誘導して貰い、自由に城内を1時間ほど散策。その後城の出口にあるレストランに集合して、名物「会津わっぱ御膳」の昼食でした。でもこれは…ちょっと期待はずれでしたね。だから写真もありません。

 さて、この城は、至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名されました。慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、武士の誇りを貫き通した難攻不落の名城として有名です。明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、昭和40年(1965)に天守閣が再建。平成に入り茶室や隅櫓も復元されて、平成23年(2011)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられましたが、この赤瓦の天守閣が観られるのはこの鶴ヶ城だけだそうです。

 天守閣への入場は別料金でしたので、膝の悪い私は遠慮して主人だけが観に行きました。この日は下で待っているだけでも汗を掻くぐらい暑い日でしたが、私は待っている間にいろいろと写真を…ではご覧下さい。

〝タカトウコヒカンザクラ〟が一本だけよく咲いていました。ああ、今度は高遠へ行きたいな!

 さて、ここでこの調子なら次の新潟県の〝弥彦公園〟での桜もきっとまだ早いだろうと…ということで、予定コースには入っていない〝弥彦神社〟に寄って行くことになりましたが、そこはナント……。でも、これはまた次にね…乞うご期待! 

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桜紀行 その3 喜多方の〝日中線のしだれ桜並木〟

2024年05月09日 | 日記

 昨日(5月8日)の夜のナント寒かったこと!最低気温8度でしたよ。ところが、今日の日中の最高温度は21度まで上がると。この13度の気温差…体に堪えます。この頃の体調不良…いや、それだけでなく精神状態までおかしくなったのか、何となく鬱状態なんですよ。心が重たいです。でも、しなくてはいけないことは待ってはくれませんので…ガンバロウ!

 さてさて、では延び延びになっている「桜紀行」の続きでも書いて、少しは心を軽くしましょうか。今頃?…そうです。一月遅れなんて言わないで、読んで下さいね。

 それでは〝その2 五色沼の一つ「毘沙門沼」〟からの続きです。4月8日の月曜日の朝、裏磐梯のホテルを8時半に出発。この日の最初の桜見物は、福島県喜多方の「日中線のしだれ桜並木」でした。

 主人も私も〝喜多方〟といえば、〝喜多方ラーメン〟のことしか知りませんでした。まさかこんな場所にあったとは思いもしませんでしたね。東京周辺やそれから以北の土地勘が全くなくて、県名は知っていてもその配置がさっぱりなんです。だから最初のサービスエリアで上信越・東北地方の道路マップを貰って、それを見ながらのバスの旅…でもこれもなかなかいいものです。地理の勉強にもなって…

 さて、その「日中線」なるものは一体何なの?〝ニッチュウセン〟と音で聞けば直ぐに思い浮かぶのは〝日中戦争〟のことかしら。ツアーの皆さん、みんな似たり寄ったりの年頃ですからね。実際は知らなくてもいろいろ聞いたりしていて…。ところが、字を見て〝戦〟じゃなくて〝線〟とは?ガイドさんの説明を聞いてやっと分かりました。

 日中線しだれ桜並木には、長さ3kmにわたって約1000本のシダレザクラが咲き乱れ、福島県でもほかにない壮大なスケールの桜並木が楽しめると。昭和59年に廃線となった日中線の跡地の一部を遊歩道として残したものなんです。中間点付近には当時走っていたSLが展示されて、さくらまつり期間中にはライトアップも行われるそうです。

 これが満開の時の写真だと…ネットよりお借りしました。スミマセン!

  私たちが行ったときは、本当に咲き始めで…これが満開になったらと想像しながら歩きました。

 「日中線」というのは、喜多方市の喜多方駅から同県耶麻郡熱塩加納村(現・喜多方市)の熱塩駅までを結んでいた旧国鉄のローカル線で、1984年(昭和59年)4月1日に全線廃止と。路線名は、終点である熱塩駅の北方にある日中温泉に由来するのだそうです。

 最初行って見ると下の写真のような石碑がありましたので、てっきり日本と中国の〝日中〟だと思ったんですけどね。違ってました!

 確かにこの並木道が満開になるとキレイでしょうね。中に気の早い木が1,2本咲き出していましたので、そこには人が集まって記念撮影を…ここだけで写真を撮ると結構咲いてるように見えるでしょう。

 この喜多方市は、福島県の北西部、会津盆地の北に位置し、北西に世界遺産の国内候補に挙げられた飯豊連峰の雄大な山並みが連なり、東には名峰磐梯山の頂を望む雄国山麓が裾野を広げる豊かな自然に恵まれた風光明媚な市なんです。ここが会津の北方に位置していたことから、古来より北方(きたかた)と称されていて、江戸時代には、会津藩の領地となっていました。明治以降、小さな集落を合わせて町や村が形成され、昭和20年代後半から30年代にかけて、町村合併促進法により複数の市町村が形成され、その後5つの市町村が平成18年1月4日に合併して、新しい喜多方市が誕生したんだそうです。

 また、ここはラーメンだけでなく、蔵が多く立ち並ぶ街並みを楽しめることから「蔵の町」としても知られているようです。人口4万人に満たない町に蔵の数が約2,600棟という全国的にも稀有な「蔵の町」で、市町の表通りはもとより、路地裏や郊外に至るまで多彩な蔵が建ち並んでいる様は圧巻だそうですよ。時間があれば歩いてみたかったなあ。アッ、本場のラーメンも食べてみた~い!返す返すも残念です。

 

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桜紀行 その2 五色沼の一つ「毘沙門沼」

2024年04月28日 | 日記

 一昨日はやっとのこと〝菜種梅雨〟の合間の快晴で、溜まっていた洗濯物を目一杯干しました。車に乗るとナント31度もあって、エアコンがガーガーと回りっぱなしだったんです。ところが、次の日はもう雨。するとまた今日は晴れなんですよ。でも明日がまた雨という…いやはやこのところお天気様に振り回されっぱなしで、この異常気象には体の方も悲鳴を上げています。

 さて、先日の〝桜紀行〟の続きを書かないといけませんね。それでは、〝三春の滝桜〟を観てからの以後の行程を…。

 この日の宿泊は、五色温泉の「メルキュール裏磐梯リゾート&スパ」。三春からここまで約1時間ほど。ホテルに近づくにつれ磐梯山がバスの窓からよく見えました。

 このホテルはあの有名な〝五色沼湖沼群〟の近くで、ホテルに着いてから時間がありましたので、その五色沼でも一番大きな「毘沙門沼」まで歩いて散策に出かけました。この沼は確か、コロナ流行の前年に友人と東北へのツアーに参加したときにも来たことがあります。あの時は11月でしたが、まだたくさんの観光客で賑わっていて、紅葉が美しかったのを覚えています。今回はまだこの辺りは雪がたくさん残っていて、大して見るべき物も無くとても寂れていてビックリしました。これもやっぱりコロナの影響なんでしょうか。

 以前にもすぐ気が付いて写真を撮りましたが、毘沙門堂と秋櫻子先生の句碑です。表に〈水漬(みづ)きつつ 新樹の楊(やなぎ)ましろなり〉、裏には「昭和十三季仲秋. 磐鏡園主人 秋山義次建」と。

 雪解け水で沼はとても冷たくて…見ると点々と若緑のものが…それは小さな蕗の薹でした。

 以前は気が付かなかったのですが、ここには磐梯山が噴火したときの日本赤十字社の記念碑もありました。平成元年に、噴火百周年記念の「日本赤十字社平時災害救護発祥の地」の碑として建立されたものです。

  

 このホテルは、以前は「アクティブリゾーツ裏磐梯」と言っていたのが外資系のホテルになったのだそうです。だからか夕食のバイキングにはその種類の多さと多彩さには驚かされましたし、お酒類は何でも飲み放題の無料でした。

 しかし、ホテルの何処へ行くにも広すぎて…お風呂から部屋へ戻るのにも歩いて歩いて…でしたから、歩数計が1万歩を超えていましたものね。

 では、続きはまた今度… 

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桜紀行 その1 三春の〝滝桜〟

2024年04月19日 | 日記

 今年はあっと言う間に桜前線が通過していきました。散々気を持たせていたかと思うと、突然暑くなって一気に開花でしたね。その挙げ句に今度は強風が吹き荒れてあっと言う間に散ってしまいました。まるでその時の私の〝こころ〟のように…

 皆様、ご無沙汰致しました。前回のブログからナント2週間以上も…、こんなに間が空いたのは始めてのことです!しかし、そんなブログにもかかわらず毎日閲覧して下さっている方々がいらっしゃったのをみると、本当に感謝、感謝です。

 この間が忙しかったという理由だけならいつものこと。どうってことないんですが、実を言うと強烈な精神的ダメージを受けて書けなかったんです。長い人生のうちには心が打ちのめされることって何度かはありますよね。が、今回は今までにないほどのダメージを受けてしまいました。ここにその詳しい内容は書けませんが、何十年も信じて付き合ってきた人に裏切られるという…まあ、考えてみればそれも昔からの〝仇も情けも我が身から〟ということかもと反省しています。しかし、それが見抜けなかったという自分にも腹が立って落ち込んでしまったのです。ちょっと大袈裟だったかしら。でもそれぐらいのパンチを、それもダブルで受けたんですから…やはり私には耐えられないことでした。だからこんな気持ちでは到底筆を執る気にもならず、全てが空しくって…哀しい!(; ;)…

 しかし、毎日こんな気持ちで鬱々と過ごしてもいいことは何ひとつありませんし、また、報告すると約束した記事を待っていて下さる方がいるのだと思えば…と気を取り直して重い腰を上げました。くどくどと泣き言など言って…ゴメンナサイ!

 それでは、先日行って来た〝上信越・南東北(福島・新潟・長野)ぐる~り3県7つの桜名所めぐり4日間〟の桜紀行を報告しますね。写真も沢山ありますし、長くなりますのでちょっとずつ分けて書きますから読んで下さい。

 先ず初日(4月7日)は、ANAの始発便で山口宇部空港から羽田へ。10時第1ターミナルに集合、一路バスで「三春の滝桜」へ。

 以前退職したら主人がキャンピングカーを買って、二人で全国の桜を観て回ろうという遠大な願いを持っていたんですが、いつの間にかその夢もどこかへ…。更に義母たちがこちらへ来てからは、旅行といっても一緒に近場のところへ行くだけでした。それが昨年102歳の義母を見送って、それなら念願の桜を今年は観に行こうという計画を立てたのでした。もちろん車で観て回る元気はもうありませんので、どこかのツアーを探してのことでした。最初は今年の桜は開花が早いという予想でしたので7日ではもう遅いかしらと思いつつ、7ヶ所も巡るんだから運が良ければどこかは満開かもと期待を膨らませながらの申込でした。ところが、ガイドさんの話では4月に入ってからの意外な寒さでこの滝桜はまだ咲いていないかもと…。

 東京では満開の桜とスカイツリーを横に観ながら高速を走って行きましたが、福島県の三春に近づくに従い、道々のシダレザクラは殆どが開花前…。ところが、この日が20度を超すというナントも暑い日でしたので、もしかしたらと思ったら…まさに今日開花宣言が出たという…ヤッター!です。もちろん2、3分咲きでしたがそれでも大感激でした。

 東京はやや曇り空、でも三春に近づくに従って快晴でしたよ。バンザイ!

 この「三春の滝桜」は、福島県の三春町に樹齢1000年を超える桜の巨樹で、三春ダム湖の東岸にあり、エドヒガン系のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)です。岐阜県の根尾谷薄墨桜、山梨県の山高神代桜とともに、日本三大桜の一つとされています。樹高13.5m、根回り11.3mの巨木には、四方に伸びた太い枝から薄紅色の小さな花が無数に咲き、その様子が滝が流れ落ちるかのように見えることから滝桜と呼ばれたといわれています。大正11年10月12日に、桜の木としては初めて国の天然記念物に指定された名木です。皇居宮殿の正殿松の間を杉戸絵「櫻」(橋本明治画伯)や、赤坂サカス赤坂Bizタワー壁画「四季樹木図」(千住博画伯)が、滝桜をモデルに描かれたことでも知られています。令和4年(2022)10月12日には国の天然記念物に指定されてから100年目を迎えました。

 それでは三春の「滝桜」をどうぞ…まだこの程度でもやはり迫力がありました。ぐるりと一周して色々な角度から写真を撮ってもどれもみな格好がいい!さすがは日本三大桜のひとつです。もしこれが満開だったらと思うと…でもこれぐらいで満開を想像して観るというのもまたいいかも。1時間ほどそこにいて最後に振り返って見ると、その間に最初より少しピンクが濃くなっているような…。するとこの2、3日後に行った人はきっと満開が観られたでしょうね。羨ましい!

 帰り道に満開の時の写真が売っていました。

 それでは、この続きをお楽しみに…

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〝年寄りの冷や水〟?それとも〝好期幸齢者〟?

2024年03月30日 | 日記

 昨日に続き今日もいいお天気で暑いくらい。車に乗ると23度を示して、エアコンからは涼しい風が吹き出てきます。この暖かさでは桜のつぼみが一気に開き始めるでしょうから、ときわ公園の桜が満開になるのも4月の初め頃でしょうか。4月5日に恒例の吟行会をときわ公園で行う予定ですので、きっと一番の見ごろになるかも。これは楽しみです。

 さて、昨日はラジオ体操の参加者で、毎年花見をしてきたんですが、その大きな桜の木が昨年伐り倒されてしまったので、今年は代わりに〝みんなの鼻でも見て体操の輪を広げよう〟ということで、〝鼻見〟親睦会を開きました。

 いつものラジオ体操を終えて、会館の二階で総勢18人が集合。注文していた花見ならぬ〝鼻見〟弁当を開いて、みんなで和気藹々と…

 その食事が一段落すると、今度は〝頭の体操〟をしましょうということで、連想ゲームが始まりました。回答者になった人がみんなから出されたヒントで答を当てるゲーム。これがなかなか高齢者には難しい。問題が「ゴジラ」や「ウサギ」などの時はよかったのですが、「恋」とか「青春」とかになると…ヒントもあやふやでなかなか正解になりません。中でも一番傑作だったのが、「青春」のヒントで、〝今の私〟とか〝幾つになっても〇〇!〟とかが出た後に、Oさんが〝胸がドキドキ〟と言うと、即座に〝心筋梗塞〟と答えたのにはみんな大笑いです。それぞれ誰もが身につまされる年齢ですからね。そんな笑いの中で更にもう一つ…と世話役のNさんが持ち出したのは小豆と容れ物と…それにお箸。そう言えばもうお分かりでしょうか?

 ほら、よくあるでしょう。脳梗塞などで不自由になって、そのリハビリにお箸で豆を抓む練習をするのがあると。それを2チームに分かれて、豆拾いリレーなんです。最初は小豆を5粒抓んで他の容器に移し次の人へ。行き着いたら今度は大豆に変えて、また同じようにリレーしていく。やってみると意外と難しいんですよ。特に小豆の方が…結局、前半後半で勝ちと負けが同じということで引き分け。それで全員が賞品を貰いました。

 というわけで、体も頭もしっかり働かせて、…最後の仕上げはボーリング。これは全員ではなく有志でしたが。私と主人は久し振りのボーリングに参加して楽しかったです。

 写真はお借りしました。ゴメンナサイ!なんせ投げるのが必死で…でも、米寿に近い人も投げるんですからね。負けてはおられませんよ。アハハッ…

6月22日はボウリングの日!ボウリングの歴史と健康メリット(季節 ...

 エエッ、結果は?ですって…ハイ、今日はその掃除のし過ぎで体がガタ、ガタなんですよッ!これでもうお分かりでしょう。これを〝年寄りの冷や水〟なんて笑わないでくださいね。

 ほら、今年米寿を迎えられた高田宏成氏の著書・『あなたになってほしい好期幸齢者、これからが本番のワクワク人生戦略』(Kindle版)ですよ。

 その本の中には〝これまでの人生は「助走」で、これからが本当の幸せを意識して行動する「本番」人生です〟と書かれているのだとか。氏はクラーク博士の名句「少年よ、大志を抱け」をもじって「好期幸齢者よ、大志を抱け」として米寿記念出版されたものなんです。著者の大志(夢)は「一燈照隅(いっとうしょうぐう)、万燈照国(まんとうしょうこく)」なんですって。もともとは半世紀以上も企業の問題解決を業としてきた経営コンサルタントなんだそうです。

 いい言葉ですね。私もこれからはこの「好期幸齢者」を使わせて貰おうっと。要するに何を始めるにしても〝思い立ったが吉日〟ですし、〝今が一番若い〟んですからね。じゃあ私もまた4月から心機一転してガンバリましょう。応援ヨロシクお願いしますね!

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宮島で10年ぶりの同窓会をしました!

2024年03月29日 | 日記

 新幹線を降りて新山口駅から外へ出ると、小さな雨粒がポツリポツリと…。こりゃあ大変と急いで駐車場へ。車に乗り一路山口宇部道路を走らせていると、次第に雨脚が強くなっていきました。

 家に着く頃にはナントものすごい土砂降り…おまけに家へ入ろうと傘を差した途端に〝グァシャ~ン、ガラガラ、ドーン!〟と雷が…。ビックリして差し掛けた傘を慌てて閉じて家へ一目散…それでずぶ濡れ。

 雨を拭いながら居間へ入ると、主人が〝雨女さん、お帰り…〟と、ニヤニヤ笑いながら言う。その嫌みな言い方に私もすかさず、〝二日間雨に降られて、いい気味と思ってるんでしょう。残念でした!傘はほんの少し差しただけ…男性群なんか殆ど差さずに歩いてたわよ。終わり頃はお日さままで出て…〟と言うと、〝うそじゃろ、ホントか?〟と信じられないという顔。

 そうなんです。この24日~25日前後にかけての天気予報は、どこをどうひっくり返しても全国的に雨、雨。雨。要するに〝菜種梅雨〟なんだと。

 だから、広島の先輩からも今回の同窓会が終わって〝晴女の神通力も効かなかったようですね〟という慰めのメールなど頂いたりして…。殆どの人が今回ばかりは雨に降られて…と思ったんでしょうね。でも、本当に不思議なくらい私たちが歩く時は雨が止んでくれて、何か乗物に乗るとその間に降るんです。こんな経験が私には何度もあるんですが、話しても信じて貰えないことが多い。しかし、行動を共にしたことのある人はみんな信じてくれますよ。今回もそれを実証しましたものね。

 ところで、大学の同窓会は女性は9年ぶり。男性は10年ぶりでした。私がお世話するのももうこれが最後かもと、懐かしい広島でやったんです。いつも男性群の幹事を引き受けていたYさんが昨年亡くなられ、それで彼やその他の亡くなった同級生たちを偲び、想い出を語ろうということで企画したもの。今年は桜も例年より早いという予報で、宮島に宿を取ったのでした。でも結局来られたのは8人、男性3人と女性5人だけでした。

 久し振りですので私もいろいろ計画したんですよ。それなのに…全て当てが外れました。何度天気予報と開花予報を調べたことでしょう。最後は桜は諦めて、せめて天気だけでも…私の〝晴女〟というお加護を信じてまさに神頼みの心境でした。だって、宇部を出るときは降ってなかったんですからね。

 広島駅に12時集合。さてと見ると、…やっぱり降ってましたのでタクシーで平和公園へ。小雨の中をとにかく休憩所へ行き、そこで広島の有名な〝お好み焼〟を食べました。本当は鉄板で焼いたのを直に食べたかったのですが、なんせ昼時の混雑は酷いもので、1時間待ちは当り前。席は予約出来ないがテイクアウトならいいというので、焼いてもっらていたんです。

 なぜそんなに時間が無いのかというと、宮島へ行くひろしま世界遺産航路の船が14時出発で、以後は潮の関係で出ないというから。さて宮島まではゆっくりと45分間の船の旅。これで桜が咲いてたら最高なのに…と言いつつ、元安橋から出発して、原爆ドームや平和公園を眺めながら雨に煙った海へ。でも景色はそっちのけでお喋りに花が咲いてたら、途中から横殴りの雨になり、宮島に着いたらこれはまた大変だわと思いながら…。

 写真を撮る余裕がなくて…下の写真はお借りしました。ゴメンナサイ!

航路イメージ

map

れいら

 でも、もうこうなったらやけくそ!泣いても笑っても…と腹を括っての宮島上陸ですよ。しかし、タラップを降りる頃にはまたもや小雨。男性群は〝春雨じゃ、濡れていこうか…〟と傘も差さず。でも、本当に傘も差さなくていいぐらいの宮島だったんですよ。ほら、こんなに潮が引いて…。ところで、私たちが帰った次の日にここでフェリーが座礁してニュースになっていましたよね。ビックリです。

 完全に潮が引いて、たくさんの人が大鳥居の傍まで下りて行ってました。でも、やっぱり桜は残念ながらまだ。荷物は宿の車で運んで貰っていましたので、私たちは〝銀ブラ〟ならぬ〝宮島ブラ〟で、商店街を抜けて宿まで歩いて行きました。

 16時過ぎ宿に到着。それ以後のことは…ご想像に任せて、翌日のことを。ナント、晴れ…とまでは言えませんが、雨はすっかり上がっています。また、昨日よりは暖かい。見ると昨日大きくふくらんでいた宿の前の桜が、今朝は2,3輪開いているではありませんか。ヤッター!です。

 3枚目のは満開の頃の写真をお借りしました。ゴメンナサイ!

宮島の写真

 さて、朝食が済むとまたの再会を約し、それぞれの予定で一応宮島で解散。しかし、6人は一緒に広島駅へ行くので、そこでまたコーヒータイムでのお喋りを。

 男性群と分かれて私たち3人は、東京へ帰る友人が元大学のあった所へ行ってみたいというので、今度は懐かしい路面電車に乗って行きました。嘗ての面影を残した校門のフェニックス…これが大学のシンボルで校章にもなってました…でもこんなに伸びて高くなっています。これこそが卒業してからの年数なのよねと、感慨一入。また、四季折々に美しいメタセコイアの並木も残っていました。ここは〝森戸道路〟と言って、なぜかここを歩くと誇らしい気分に…これも変わってないわね!と、懐かしいこと。

 そう言えば、確か卒業式の日、新聞社の人にこの校門で記念写真を撮ってもらい、それが新聞に掲載されたことがあったのよ…と。でも、その時の3人娘とはメンバーが違うけど、気分は同じ。ほらやっぱり〝三人娘〟でしょう!(笑)なんちゃって、パチリ!

 今は公園になっている校内に洒落たレストランを見つけてお昼です。懐かしさの味も加わってナント美味しかったこと!外を見ればお日様までキラキラと…。

 ほら、言ったでしょう、私〝晴女〟だって。すると彼女らも〝私だって〟と。そう、なら男性群がみんな〝雨男〟だったのかもね。しかし、私たち〝晴女〟の方が多かったからこの程度で済んだのよね。…ということで、同窓会も無事終わり、メデタシ、メデタシ!でした。

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また、また巡ってきました、この日が!

2024年02月27日 | 日記

 一昨日の2月24日、とうとうまた巡って来ましたね。そう、ロシアのウクライナ侵攻開始から2年目の日。おまけにそれが私の誕生日でもあるんですよね。だから1日も早く終結してほしい!エッ、わたし何歳かって?それはヒミツです。( ´艸`)

 でも、例のごとく1年前のブログ記事が送られてきたのを見ますと、昨年は義母がまだ元気で、私の誕生日のお祝いにとお赤飯を蒸してくれていたんです。そう言えば、お婆ちゃんの誕生日も2月20日でしたから…昨年は娘、息子と合わせて4人分の誕生祝にと秋穂の海老料理を食べに行ったのでした。あの時のお婆ちゃんの食欲にはみんなビックリさせられましたが、でもそれだからあの時はまだまだ元気だったんですよね。

 やはり7月に体調を崩し、食べられなくなって入院して以来急速に弱っていきましたから。今考えるとそれも仕方がなかったかなとも…今では心穏やかに義母の死を受け入れられるようになりました。本当に時間が薬…心の良薬ですね。

 さて、今回は娘たちがお祝いとして、昨夜美味しいお料理屋さんに招待してくれました。今まで何度か行きたいと思っていたところなんですが、なかなか予約が取れず今回初めて行きます。普通の民家のようなところで、知る人ぞ知るという隠れ家のようなところ…楽しみ!

 まず部屋に入り出迎えてくれたのは、氷の彫刻…干支の〝龍〟、人参の〝鯉〟大根の〝牡丹(?)〟でした。

 それでは、その美しい手の込んだ会席料理をご紹介しましょうか…

 前菜…ふわふわ蒸し 青のりあんかけ キャベツのテリーヌ

 お造り…本日のお造り(マグロトロ、イカ、タイ、ホタテ)

 酢物…五色野菜のみぞれ酢

 油もの…大根・長芋・鰯のグリーンスープかけ

 お口直し…みかんシャーベット

 焼き物…県産牛の鉄板焼※県産の利き酒セット(雁木・カネナカ・東洋美人)

 御飯…焼おにぎりの茶漬

 甘味…生チョコブラマンジェ

 お飲み物…珈琲・紅茶・ルイボスティー

 以上でした。どれにも日本料理の繊細な技が冴えていて、見るだけでも楽しく、食べるのがもったいないくらい。また美味しいお料理で、ご馳走様でした。久しぶりに飲んだ日本酒も口あたりよくとってもいい気分に…

 帰るとき空にはちょっと欠けてはいましたが、美しい月が…実は24日が満月で〝一粒万倍日〟という縁起の良い日だったんです。でも天気が悪くて見えず、だからこの日は十六夜でした。

 またこの日には…他にもとっても嬉しいプレゼントをたくさん貰ったんですよ。その一つ目はちょっと言えないものなので置いといて、次に息子からウォーキングシューズ、主人からはケーキを、それに何か月も探して探してもう諦めていたものが、この日突然出てきて…これは猫ちゃんが探し出してくれたので猫たちからのプレゼント。とっても高価なものですので、これが一番嬉しくて感激しました。(笑)

 このようにこの度は今までにないくらい嬉しいウレシイ誕生日でした。これはきっと亡くなったお婆ちゃんからの贈り物かもね。だってお婆ちゃんが亡くなった日も美しい満月でしたもの…ねッ!お婆ちゃん。それにみんなみんなアリガトウ! 合掌!

 ※昨夜アップするのに写真がシステムエラーでどうしても出来ず、遅くなりました。

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〝冬の月〟を見ながら〝引き際〟ということを…!?

2023年11月29日 | 日記

 昨日はなんとも美しい月が皓々と出ていましたね。これはもう「冬の月」です。確か11月の満月はビーバームーンといって、一昨日の27日だったと。ところがこちらは雨で見られませんでしたので、つい気に留めていなかったのですが、昨日の美しい月でお婆ちゃんの亡くなった夜を思い出しました。そうです、今日の29日が月命日になります。あれから1ヶ月…早いというよりまだ1ヶ月というのが実感。

 この日のお月さまの写真です。雲がどんどんなくなって、とってもキレイでした。でも、どうしてこんな色が…スマホを新しいのに変えたからかしら?

 忙しい日々の暮らしに追われながらも…昨日おにぎりを作っていると〝炊きたての御飯でおにぎりが食べたい!〟とベッドから言ってたお婆ちゃんの声が聞こえてきました。この月の光を浴びる度にお婆ちゃんは蘇ってきて、私たちの中に生き続けています。

 このごろ〝引き際〟という言葉が気になっています。引き際というのは〝現在の地位や立場などから身を退く時に、その時宜や退き方をいう〟のだと。〝引き際が悪い〟とか〝引き際が肝心〟などとよく使われますが、人の引き際というのはその人を後々までズウッと印象づけるもののようですね。

 そう考えるとお婆ちゃんの人生の引き際は本当に見事でした。あれはお婆ちゃん自身がお膳立てしたのではと思うくらい。「後の月」と「月下美人」の咲く時になんて…こんな好条件はそうそうとは訪れないでしょう。お月さまが少しでも陰ったら…花の咲くのが1日でもずれていたら…そう考えたら、この偶然の一致は必然だったのではと思えてしまいます。

 これが義母の亡くなった夜に咲いた月下美人です。

 お婆ちゃんは、耳の悪い私が羨むほど良く聞こえてました。普通102歳といえば…体のあらゆるところが悪くて当り前。それなのにお婆ちゃんはどこといって困るようなところはなく、特に耳は特別いい。ある日お婆ちゃんのベッドの傍で看護師さんと内緒話をしていて、てっきり聞こえないものと思って話す看護師さんに、〝お婆ちゃんが聞いてるわよ〟と言うと〝嘘っ!〟と。だから、お婆ちゃんに今の話聞いてた?と確かめると〝うん〟ですって。だから何がほしい?と聞かれたら、私はいつも〝お婆ちゃんの耳〟と答えていましたものね。

 義弟たちが京都に帰る前の27日の夜、4人で来月の予定を話し合っていたのです。なぜかというと、11月は各地域の文化祭が毎週末に目白押しでその展示に、おまけに主人は陶芸展までが重なって、その準備やら後片付けやらで2人ともが出ずっぱりになるから。それでどうしても京都から毎週来て貰わないといけなくなるわねと…そういう話をしていたのを、お婆ちゃんはもしかしたら…いや耳のいいお婆ちゃんならきっと聞いていたのでは?…と私は思ったんです。だってその挙げ句の2日後なんですからね。亡くなったのは。

 これ以上みんなに迷惑を掛けたらいけん…介護疲れでみんながクタクタになったらいけん…ほどほどのところで…そう考えて自分が一番キレイに覚えておいて貰えるこの日を選んだのではと…。

 おまけに、この日の看護師さんはお婆ちゃんが大好きなお気に入りのNさんで、リハビリもして貰って、〝また明日もね〟と言って分かれたんですよ。もうお婆ちゃんには思い残す事が無かったのかも。私たちにも〝もう少し介護したかったのに…〟というぐらいの惜しまれ方で身を退くなんて…見事としか言い様がありませんよ。

 皓々とした月の光を浴びる度に〝お婆ちゃん、元気!そちらは寒くない?こっちはもう寒くって…あんなに暑かったのが嘘みたいよ!〟なんて、ついつい話しかけてしまいます。これからもきっと、いつまでも…

 私も、そろそろ自分の〝引き際〟を…人生とは言わないまでも、今の俳句生活の引き際を本気で考えないといけないかなあなんて…月を見ながらお婆ちゃんに話しかけてます。〝あんたももう年なんだからそろそろ辞めてのんびりしたら…〟といつも言われてましたからね。

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〝勤労感謝の日〟と〝餅拾い〟

2023年11月24日 | 日記

 今日はまた何と寒いこと。ゴミ出しに外へ出ると冷たい北風がビュービューと吹いて、震え上がってしまいました。見れば最高気温でも13度とか。昨日より10度前後の気温差は体に堪えますね。何だかお天道様に翻弄されているみたい!

 さて昨日は11月23日、国民の祝日の「勤労感謝の日」でした。まるで寒さを忘れたようなうららかな日和…そう、〝小春日和〟でした。何かちょっとでも力仕事をすると汗ばむぐらい。主人は久し振りに我家に戻って、植木の伸びきった枝などを剪っていました。私は私で溜まっている原稿などの整理。息子は休みなので朝寝を楽しみ…我家の猫たち・とろろ・こんぶも、今日はなぜかみんなが家にいるので、ごろごろと寝たり起きたり…長閑な時間がやっと戻ってきた感じです。お婆ちゃんがいたときはそれなりに気持が張り詰めていて、それはそれでやりがいのある時間でしたけどね。

 少しずつ以前の時の流れに戻りつつあるような…しかし、それは私にとっては問題かも。折角規則正しい生活が身に付いて良かったと思っていましたのに、また、またいい加減な暮らしに…だって楽な方に堕ちるのは早いんですもの。気をつけようっと!

 午後からは俳句教室のKさんから上棟式の餅撒きをするので来ませんかと誘われ、餅拾いに行ってきました。この〝餅撒き〟、昔はよくありましたが、最近は殆どありませんね。このKさん宅は昔造り酒屋だったとかで、百年前に建てられた家には立派な鏝絵があると。それを保存してあるというので見たいと思い、娘夫婦も誘って行ったのですが、その鏝絵は今はまだ見られないと。残念ですが、公開される時に見せてもらうことにして、今日は本気で餅拾いをするぞーッ!(*^ー゜)

 ところで、この宇部市では…いや、これは山口県のどこでもかも知れませんが、何かのイベントあれば必ずと言っていいほど最後には餅撒きがあるんです。だから先日のふれあいセンターでの文化祭でも餅拾いをしてきましたものね。

 香川県から引っ越してきた娘や広島からの義母も言っていましたが、宇部は何があっても直ぐに餅撒きをするんやねと。調べてみるとやはり餅撒きが多い県は和歌山と山口だそう。だって山口市阿東地区では、コロナ禍以来、4年ぶりこの23日に国内外から猛者がそろっての第10回餅ひろい世界選手権が開かれたんだそうです。記念大会ということでこれまでで最も多い1万個の餅が用意されたんですってよ。ヘエッ、知らなかった!

 さて、この日の餅撒きは宇部市でも中心部から外れた田園地帯。だからその地区の方々が結構集まっていて、昔ながらの餅撒き光景…やはり田舎はのどかでいいですね。こんなにふんだんに拾えたのは初めてかしら。街の方ではものすごい取り合いで恐ろしくって少ししか拾えないんですから。お菓子もたくさん撒いておられましたので、子どもたちも大喜び…楽しいひと時でした。早速ぜんざいにでもして食べようかなと、あんこを買って帰りました。

 このような昔ながらの行事やしきたりなど…まあ、お金は掛かりますが、それで人々の厄災が払われたり、また地域の人々の絆が固くなるのならイイコトだと思いませんか。それを特に実感するのは、お遍路巡りなどをする時なんですよ。こちらの秋穂にも八十八個所〝お大師参り〟がいつも春にあるんです。お婆ちゃんと何度も行ったっけ…お接待の蒸かし藷が美味しくて、お代りがほしいなんて言ってたわね、お婆ちゃん。今年もあったらしいですから、来年もきっとあるでしょう。だったら久し振りに行って見ようかな。

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お久しぶりです!先ずはお婆ちゃんのことを…

2023年11月19日 | 日記

 あっと言う間の11月、それももう後半で2週間もしないうちに師走に突入ですね。義母が亡くなってから三七日が過ぎました。早いようで遅いようで…

 いろいろとご心配して下さった方々にも失礼してしまいました。今までブログを書く気力がなかったわけではないのですが、余りの忙しさというか…まあ、事情が事情なので許して貰えるかななんて…でもこのまま何も書かずにいくとズルズルといきそうで…これはいけんとちょっと一段落したところでご報告がてら今の思いを綴ってみようと思います。その間フォローの皆さま方への訪問もままならず失礼してしまいました。お許し下さいね。これからまた頑張りますので、ヨロシク!

 さて、考えてみれば嘘のようなホントの出来事でした。誰の頭の中にもこれっぽっちもお婆ちゃんが死ぬとは予想していなかったんですから。もちろん年は年ですし、お医者様が仰るように〝何時死んでもおかしくない〟という状態だったのかもしれません。しかし、頭はしっかりしているし、食欲はあるし、一緒に歌ったり手遊びしながらリハビリも上向きだったし、介護のお手伝いをして下さるみんなに〝お世話になります〟〝ありがとうございました〟〝明日もよろしくお願いします〟といつものように言って別れ、その夜のことでしたから。

 〝お婆ちゃん、いいお月様よ。きっと今夜は月下美人が開くわ〟と話していたら…その月下美人の花が開くと同時にこれ以上無い美しい月光の中へ旅立っていった義母…哀しいというより茫然自失?…いや、そんな言葉では到底表せないですね。これは味わった人にしか分からないことかも。とにかく思考が…この事態をなんとかしなくっちゃという方向へだけ働きましたから。一瞬のことといえばそうかもしれません。全く予測の付かないことでした。そこが医学に疎い素人だったからでしょうか。せめて昏睡状態に陥ってとか何らかの兆候があってのことならいざ知らず、私たちには全くの予想外だったのです。いずれ死を受入れなければならないのは分かっていたのですが、余りにも元気で、まだ心の準備が整ってなかったのです。だって在宅介護で良い方向へ向かっていましたから、もう少しこのまま一緒にいられる時間が残っているものとばかり思ってしまったのです。

 もちろん遅かれ早かれその時が来ることは分かっていましたが、それは頭の中だけのこと。ベッドに寝てはいても目の前で普通に話が出来て、何か食べればおいしいと、手足を擦ってあげれば気持いいと喜び、そういう体温が直に感じられるという現実には死はまだ遠くにしかなかったんですね。だからショック!…これが一番妥当な言葉かもしれません。そのショックが大きかった分だけ立ち直りが遅いのでしょう。そう考えれば、全く予期せぬ事故や犯罪や戦争などで理不尽にも突然の死を迎えられた人々の遺族の方々の気持はいかばかりかと少しは実感をもって察せられます。

 今でも主人は義母宅にいて後の整理などを、私は相変わらずの通い妻で食事の用意をしに行ったり来たりの毎日です。玄関を入ると真っ先に仏壇へ行き、〝お婆ちゃん、どう? 今日のご機嫌いかが…〟と言うと、〝はい、今日も元気で、ご機嫌はいいですよ!〟と、いつも言ってた声が聞こえてきそうです。

 どんな時でも前向きで明るさを失わなかったお婆ちゃん、痛いとか苦しいとか、嫌なことは一言も言わなかったお婆ちゃん、いつも希望を持って次のことを楽しみに待って生きていたお婆ちゃん…みんな、みんな見習わなくっちゃね!頑張りますから天国から見ていてよ、お婆ちゃん…合掌

 写真は葬儀の時のもの。家族葬でこぢんまりでしたが、お婆ちゃんのこよなく愛した子・孫・曾孫までが誰一人欠けることなくの見送りでしたので、きっと最大の笑顔で旅立ったことでしょう。それにお婆ちゃんが日頃から手作りしていた大切なものや以前四国の八十八個所を一緒に巡ったときの朱印帳、それに朱印を全部押した袈裟も掛けてあげました。一番下の写真にある二つのボールはリハビリ用に買ってあげたもの。お婆ちゃんはそれを寝るときも離さず握っていましたので、手に握らせて納棺しました。きっと頑張り屋のお婆ちゃんですからあの世でもリハビリをして…今頃は天国を歩いているかも…ねッ、お婆ちゃん。

 

 

 

 

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