ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝八月大名〟って何?

2022年08月31日 | 俳句

 今日から天気が崩れて、しばらくは雨の予報が続いているのですが…、今日の最高気温はまだ32度、おまけに最低気温も27度とは!雨は全く降りそうな気配がなく、またも蒸し暑い夜になりそうです。

 今朝のラジオ体操もどんよりとして蒸し暑く、まだまだ残暑が厳しい。でも時折吹いてくる風はやっぱりあの猛暑の頃とはどこかが違いますね。今朝もラジオ体操はちょっと淋しい人数でした。

 実はここをお世話して下さっている会長のNさん、そのご夫婦がコロナに罹ったんですって。どうもお孫さんから感染したようで、先週の金曜日にはお会いして一緒に帰ったのに…月曜日からお休みで罹患していたと。じゃああの金曜日にはもう感染していたのでは?だとすると私たちもアブナイ!なんて言いながら帰ったのですが、昨日は朝からダルいし、つい熱を測ってしまいました。36、4度…大丈夫のよう…でもちょっと喉が痛む…。罹った人の話では喉がとっても痛いとか。でも熱が出るんだそうですから…やっぱり?

 さて、今日は8月最後の日。要するに〝八月尽〟なんですが、以前にも書いたように、私の持っている『角川俳句大歳時記』には季語として載っていません。もちろん〝葉月尽〟も。どちらにしても季節の大きな変わり目ではないからでしょうか。陽暦の8月はまだ初秋の頃、陰暦なら中秋で、その月の最後の日にそれ程の感興が湧かないからなのでしょう。

 歳時記を見てたら面白い季語発見!今まで聞き知ってはいましたが、使って詠んだことはありません。それは〝八月大名〟という季語。

 歳時記の説明によると〝昔は陰暦の二月と八月は農閑期である。八月は、稲作であれば作業はほとんどなく、実りを待っていればよい。この時期、農家では嫁取りや法事など客を招くことを多く行った。体を休めるだけでなく、ご馳走を食べる機会も多かった〟などというところから言われ出した季語という。

  下駄履いて八月大名らしくなる  伊藤白潮

 これは「鴫」(2008年10月)に掲載されたもの。もうこの頃は農業が主ではやっていけない時代になっていたでしょうから、本当の意味で〝八月大名〟にはなれないでしょう。そこで下駄でも履いたらそれらしくなったと言うことでしょうが、この〝下駄〟ということから、もしかしたらどこかの湯宿に泊まりご馳走でも食べて湯巡りなんぞしていたのでは?なんて想像していましたら…

 ところが、この作者・伊藤白潮氏は「鴫」の主宰で、2008年8月12日、81歳で亡くなられているんですよ。そうすると本当に亡くなられる寸前に詠まれた句ということになるんですね。(雑誌には大体2ヶ月ぐらい前に投句しますから) だったらこれはきっと気持ちの上だけで〝八月大名〟の気分を味わって詠まれたのでしょう。まさに芭蕉が最後に詠んだ〈旅に病んで夢は枯野をかけめぐる〉というような、生涯現役の俳句人生を送られた方なのでは?…と思います。

 個人的にはお名前しか知らないのですが、重厚な作品もたくさんある反面、本人も意識しておられたのか、ユーモアや諧謔精神の溢れる作品も多く、私はそちらの方が特に印象に残った作家でした。     合掌

 もう一句面白い句が…

  ITに闌(た)けて八月大名ぞ     能村研三

 これは「沖」(2020年10月)掲載の、とても新しい現代的な句。作者・能村研三氏は、1949年市川市で能村登四郎の三男として生まれる。2001年、登四郎の死後、「沖」主宰を継承し、現在は公益社団法人俳人協会理事長、千葉俳句作家協会会長、朝日新聞千葉版俳壇選者、読売新聞千葉県版俳壇選者などを歴任され、今最も活躍中のお一人です。

 この〝八月大名〟も絶滅危惧種のような季語ですが、他にも今の時代に合わずに忘れ去られてゆく季語がたくさんあります。そんな季語の本意は変えず、時代にマッチさせながら詠み残してゆきたいものだと、私は思っています。皆さんもどうぞそんな季語を見つけたら、現代的な感覚で詠んで蘇らせて下さい。是非ご協力をお願いしま~す! 

 写真は、芙蓉や木槿と同じアオイ科の〝矢の根梵天花〟。南アメリカが原産で、耐寒性があり、道端などに帰化しているとか。高さは1メートルくらいになり、茎は広がります。葉は鏃形で、和名の「やのねぼんてんか」はこのかたちに由来。春から秋にかけて、淡いピンク色に中心部が赤褐色の花を咲かせる常緑小低木で、学名は Pavonia。

 ラジオ体操へ行く途中のお仲間さんの家に咲いていて、長い期間次々と花が咲くのでいつもいいねと言いながら、今回やっと調べてその花の名が分りました。ミニ芙蓉ともいわれ、花言葉は「慎重」「繊細美」だそうです。

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今年は開校150周年ですって!

2022年08月28日 | 日記

 もう8月もあと3日を残すのみになりました。今日の天気は概ね晴れのようで、朝夕は随分凌ぎやすくなりましたね。最高気温は相変わらず30度を超す予報ですが、昨日などは最低気温が21度ですって。やっぱり季節というものはところどころ脱線しながらも基本的にはちゃんと巡っているんですね。アリガタイ!

 写真は、一昨日の朝と昨日の夕方の空…やはりもう秋!

 先日25日の朝からラジオ体操は以前の8時20分に戻りました。なぜかというと、子どもたちの夏休みが24日で終ったからなんですが、昔は一部の地域を除いて9月1日が2学期の始まりと決まっていましたよね。今ではコロナのせいもあってかしら、地域によっていろいろと異なっています。概ね北海道や東北など、雪の多い所は以前から夏休みを短めにして、冬休みを長くしていたのは知っていましたが。

 この度の新型コロナウイルスの感染が拡大した2020年は、臨時休校やオンライン学習などが行われるなど異例のことが続いたので、夏休みの期間を短縮する自治体が増え、20日~30日前後と例年よりもかなり短めの学校が多くあったよう。しかし、2021年や今年など、まだコロナの感染は収まっていないものの、例年の夏休みの期間に戻っているみたいです。

 調べてみると、夏休みの期間が札幌市が27日間、長野市が28日間と一番短い。札幌は分りますが、長野がこんなに短いなんて今まで全く知りませんでした。やっぱり雪が多いからなんでしょうか。長いところは43日間で、南に行くほどその傾向が強い!…あら、当り前かな。(*^ー゜)

 ちなみに宇部市は来年度から1週間程度の短縮を決めたと報道されていましたが、私の住んでいる上宇部小学校は今年8月25日から2学期という。これはその決定を先取りしたのでしょうか。調べるとどうもそうではなく、宇部市の公立小・中学校のどこでもが25日の始業式でした。

 現役の時はこの夏休みの期間が一番気になっていましたが…。今現場がどうなっているのか、さっぱり分りませんし、また知りたいとも思わなくなってしまいました。人というものは興味の無いことや自分に必要の無いことなどはすぐにどうでも良くなるもんですね。悲しいけど、今のことで精一杯…でなけりゃやってられない!…もんね。

 ところで、上述の上宇部小学校は、明治5年8月の学制発布を受け、同年12月宗隣寺内に宇部小学校として創立されました。その後、明治25年1月に宇部村宇部尋常高等小学校と改名、大正10年11月の宇部市制施行に伴い、宇部市立宇部尋常高等小学校と改名され、上宇部国民学校を経て、昭和22年4月から現在の上宇部小学校となりました。宇部市では、最も古い歴史ある学校なんですよ。

宇部市立上宇部小学校

【小中一貫学校教育目標】ふるさとを愛し、ふるさとの未来を創る子どもの育成

【学校教育目標】問いや憧れをもち、進んで学び、考え、行動するたくましい子どもの育成

【校訓】清々しく やさしく たくましく

 校区は、宇部発祥の地であり、昔から住んでいる人も多いのですが、近年は住宅団地の急増に伴い、他の地域から転入してきた住民も増えていて、教育に対しては熱心で協力的なところ。私が宇部に住むようになってからは、宇部市で一番生徒数の多いのは上宇部小・中学校というのが当り前でしたが、今ではどうなんでしょう。校外に新興住宅地が増え、例に漏れず宇部市も市中が空洞化していますからね。

 その「祝150周年・上宇部小学校・2022」という大きな垂れ幕がふれあいセンターに掛かっていますので、それを眺めながら毎朝ラジオ体操をしています。

 去年は「宇部市制施行100周年」という節目でしたが、何事においても長く継続するためにはこの節目というものが大事ですよね。例えばもし竹に節目がなかったらと考えてみれば、その大切さがよく分るでしょう。

 考えてみれば、私も俳句を始めてからもう35年以上に、ブログも今年の2月で5年が過ぎて、今日はブログ開設から2020日なんです。我ながらよく頑張りました!

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〝きらら俳句教室〟第5回目です!

2022年08月24日 | 俳句

 昨日は二十四節気の一つ、「処暑」でした。「処」は〝収まる〟という意味で、この頃から暑さが一段落するとされています。

  目薬の処暑の一滴頬伝ふ   長村雄作

 確かに目薬を差したとき必ず一滴や二滴は頬を伝って流れます。私なんかなぜかしら、目薬を差すのが下手で一発で入ったことがなく、殆ど薬を頬に流すことも…。(笑)その時のちょっとした温度差…顔というとどこでも、特に目などは敏感で、そのヒヤッとした感じは誰もが経験することでしょう。季語の中でも「処暑」のような目に見えない時候の季語は、その季節感を言い止めるというのはとても難しいんです。でもこの句はそれがよく分って実感のある佳句ですね。

 しかし、東北や北海道を除いて、日本全国がまだまだ日中は最高気温30度を超すような状態ですもの。これで〝暑が収まった〟とはとても言いがたい!〝秋暑し〟でしょう。

 さて、今日は20日の土曜日の〝きらら俳句教室〟第5回目の報告でも…

 いつも通り9時30分開始。今回は水原秋櫻子の「自然の真と文芸上の真」について、少し話をしました。要するに真実であれば〝あり得べき嘘〟を詠んでもいいということ。〝事実〟だけを詠むのでは単なる報告になってしまいます。もしそこに咲いていなくても、その花を咲かせることによって詩情や芸術性が高まるというのならば、またそれが〝真実〟ならば想像の花を咲かせてもいいんだよと。〈俳諧師(講釈師をもじって)見てきたような嘘を言う〉と昔から言われてきていますもの。とにかく想像力を身につけ現実だけに囚われないで自由に翼を大きく拡げて詠んで下さいね。

 10時になってから吟行へ。この日は朝からヘンな天気でとても蒸し暑く、しばらく歩いただけで汗が噴き出すような。下の写真は、湖側は青空だったのに、海側には不穏な雲が…ヘンな天気でしょう。でも雨は降りませんでした。

 今回は初めて海の方を案内してもらいました。ちょうど夏と秋の端境期で見る物といっても花などはなく、鳥も…渡り鳥がもうそろそろ動き始めていて、その先陣をきって渡ってくるのが〝鴫(しぎ)〟類らしいのですが、潮の満ちている頃だったせいか、全く見つけられませんでした。また、花も殆ど終って今は実りに向っている時期のよう……。潮風に強いからか、茱萸(ぐみ)の木がやたら目に付きましたが、その実はまだ爪楊枝の頭ほどにもなっていませんでした。

 下の写真は、やっと見つけた〝ハマボウ〟の蕾と〝カクレミノ〟の実、熟れると黒くなると。ハマボウはオクラの花に似た黄色の美しい花ですが、カクレミノともども季語にはなっていません。

 余りに何もないので、SさんがレンジャーのTさんに〝その草むらを踏んでバッタでも跳ばせてみせて!〟などと言ったので、〈草を踏みあちこちばつた跳ばしたり〉という句も出ていました。実際は一匹も跳ばなかったんですけど…俳句はそれでいいんです。他の季語では〝狗尾草〟〝露草〟〝葛(くず)〟〝蟷螂(かまきり)〟〝蟬〟〝残暑〟ぐらいでしたね。

 参加者も夏の疲れが出たのか、3人欠席の計10人でした。まあ一年中やっていればこういう時期もあります。でも〝継続は力なり〟ですから皆さん頑張りましょうね。

 定刻12時過ぎには無事終了。私はそれから急いで帰宅し、猫ちゃん達に餌をあげ、またすぐに午後の句会へ。さすがに余りの蒸し暑さに今回はとても疲れました。オシマイ! 

 

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8月19日は〝俳句の日〟ですって!

2022年08月19日 | 俳句

 今日もまた最高気温は30度を超えていましたが、先日のまとまった雨で夜はかなり下がって23度と、エアコンを付けずに寝られるようになりました。ちょっとの違いなのですが、体は敏感に反応しますね…アッ、これまだ若い!ということかしら?

 そう、そう、今日8月19日はその語呂合せから「俳句の日」なんですよ。ちょうどいいことに午後からは俳句教室で、みなさんこの暑い中をガンバッテ取り組みました。お疲れ様!

 さて、8月ももう残す所三分の一。昔は夏休みの終るのが早くって焦りましたが、今でもやっぱり…何にも変わってない!ということは…進歩がないということですかね。でも、明日は朝からと午後のダブル句会ですし、来週の月曜日・火曜日も続けて俳句教室ですから…この暑い中をよく頑張っていますよ。自分を誉めてあげなくっちゃ……ね!

 実は先週の水曜日もとても蒸し暑い日でしたが恒例の吟行会を、今回は山口方面で行ったんです。宇部空港の駐車場に9時30分集合、7名の参加でした。吟行コースは、護国神社~瑠璃光寺、その後昼食。午後は菜香亭を見学し、そこで句会でした。

 護国神社というのは、国家のために殉難した人の霊(英霊)を祀るためのもので、1939年(昭和14年)に招魂社から改称された神社です。実家も婚家もそういう近親者がいませんでしたし…義父は戦争へ行って抑留されていましたので、この神社への参拝は嫌っていました。その影響か、主人も私もこの護国神社を知ってはいましたが、来たことはなかったんです。

 初めて来た山口県護国神社は森閑として全く人気が無く、境内には〝みたままつり〟の燈籠がたくさん掛けられて…。お盆が直ぐなのでてっきり今から行われるのかと思いきや、8月8日に〝献灯みたま祭〟が終ったその名残でした。今だに終結しないロシア・ウクライナの戦争、それを思っての平和を願う献灯が多く目に付きました。

 次の瑠璃光寺はもう山口では定番の観光地。だから説明は抜きにしますが、でも五重塔はいつ来てもいいなあと思います。さすがに国宝だけのことはありますね。見ればもう紅葉がうっすら、秋の気配が…。それにしてはヤケに蒸し暑いこと!

 昼食にはこの瑠璃光寺の前の蕎麦屋へ行き、名物の〝そばずし〟セットを頂きました。その後「菜香亭」へ。句会場の部屋が開くまで菜香亭の中を見学。

 この菜香亭は、山口の迎賓館として120年続いた料亭で、伊藤博文・井上馨・山県有朋をはじめ、政治家や実業家、著名人が集まり、食事をしながら大切な話をする場所として栄えました。今はその主だった所が移築されて市民の交流の場となり、明治・大正・昭和の歴史を伝えています。

 特に百畳の大広間には、総理大臣9人を含む錚錚たる人物の扁額が29枚も並んでいて、それはそれは見事なものです。その中には先日街頭演説中に凶弾に倒れて亡くなられた安倍晋三元首相のものもあり、下には白い菊が供えてありました。

 明治10年頃創業した初代・斎藤幸兵衛の「斎」と「幸」をもじって「菜香亭」と名付けたのは、時の外務大臣・井上馨だったそうな。それから5代目の〝おごうさん〟が57年間守り続けて、平成8年に閉店されたんだそうです。

 私たちはそのおごうさんが日常使っておられたという部屋を借りて、17時まで句会。それから宇部へ戻って解散。これもやっぱり…お疲れ様!でしょう…ね!

 

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〝終戦記念日〟とは詠みたくない!

2022年08月16日 | 俳句

 昨日は8月15日…いわずと知れた〝終戦の日〟です。歳時記を見ましたら、主季題に「終戦記念日」と、傍題には「敗戦忌」「終戦の日」「敗戦の日」などとありました。これは以前にも書いたことがあるような気がしますが、私は「終戦記念日」という表現には少なからず違和感を持っています。

 そもそも「記念」という意味は広辞苑で調べると、〝後々の思い出に残しておくこと。また、そのもの〟とあります。あの悲惨な日本最大の戦争の記憶、私には何もないのですが、いろんな体験者の話や映画・ドラマなどで見聞きして知識的には知っています。また、この戦争のせいで日本は人類史上初の被爆国になりました。その核戦争の怖ろしさを身を以て体験した国なんですから、忘れようたって忘れることは出来ないでしょう。更にこのような戦争がこの地球上に二度と起きないようにとしっかり歴史に刻み、次の世代へと伝えていかねばならないとも思っています。

 しかし、101歳の義母はまさにその体験者なんですが、でももう思い出したくもないし、語りたくもないと言います。ある意味経験した殆どの人々はそうなのではないのでしょうか?しかし「〇〇記念日」などというような言葉にすると、そこには何らかのプラス思考が働き、とても懐かしい良い思い出だったような気がしてきませんか。

 そもそも「思い出」として残したいと思うものは、きっと誰しもがいい思い出だと思うんですよ。嫌な思い出というものは出来れば忘れたい、思い出したくもないというのが一般的な気持ちなのでは。

 でもこれは記録に残さねばならない歴史的事実であるということにも異論はありません。だったらせめて「記念」をつけずに、〝終戦の日〟とか〝敗戦日〟などと、または戦争で亡くなられた300万からの方々を悼むための〝敗戦忌〟などを使って詠みたいものだと。だから歳時記や季寄には、「終戦記念日」というのを主季語として載せて欲しくない!というのが私の考えなんです。

 次の2句は、どちらも馬酔木の大先輩の作です。特に後句の貞峰氏は今96歳、俳誌「馬酔木」の当月集作家として毎月句を発表し巻頭を飾っておられます。

  堪ふる事いまは暑のみや終戦日   及川貞

  この空を奈落より見き敗戦日    岡田貞峰

 参考までにお二人の経歴などを判る範囲で…。終戦の時、貞氏は46歳、貞峰氏は20歳頃に、要するにどちらもこの戦争をしっかりと体験された目で詠まれた句ということですね。貞氏の句は…〈堪ふる事いま暑とコロナ終戦日〉なんて言い換えたらまさに現在そのものですものね。

 及川貞氏は、1899年(明治32年) -1993年(平成5年)の俳人。女学校時代、御歌所寄人の大口鯛二について和歌を学ぶ。大正5年海軍士官と結婚し、夫の任地の佐世保や呉で暮した後、昭和8年上京、馬酔木俳句会に参加、水原秋櫻子の指導を受ける。13年「馬酔木」同人。馬酔木婦人会を興しその育成に尽力。茶道師範で終生主宰誌を持たず自由な句風で女流の最長老と目された。句集に『野道』『榧の実』『夕焼』ほか。

 岡田貞峰氏は、1926年(大正15年)生れ、東京都出身。水原秋櫻子に師事。1956年「馬酔木」新人賞。1957年「馬酔木」同人。1972年「馬酔木」賞。1997年「馬酔木」顧問。

 さて、先日書きましたように、15日の昼は家族6人で食事に行きました。今回もお婆ちゃんのおごりで、フランス料理のフルコースです。

 主人が、〝ブログに食べ物を載せるようになったらオシマイだよ〟なんて言いますので、今回は簡単に写真だけを…はい、お婆ちゃんゴチソウサマでした!

 とっても静かな所の、それも個室で家族水入らずの落ち着いた新盆供養の会食が出来ました。残念ながらコースの一番おいしかったスープと魚料理の所を撮り忘れて、息子にLINEで写真送って貰ったんですが、それをどうしていいのか…?更にスマホで撮った写真はどれもピントがイマイチ、お天気も曇りで…ゴメンナサイ!

 ああ、帰るときに気が付いたのですが、アプローチにあった目高…とっても涼しそうでしょう!入るときに気付かなかったということは?…やはり人間満ち足りてこそ見えるものも見えるのかと…いけませんね。(@^▽^@)

 

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〝新盆(にいぼん)〟なんですよ!

2022年08月13日 | 俳句

 8月13日、今日からこちらでは16日までがお盆休みです。といっても土日が入っていますから実質2日だけになりますので、息子などは面白くなさそう。

 我家は今年1月に義弟が亡くなりましたから〝新盆〟なんです。でもその盆供養は先日広島の寺へ行って済ませましたので、家では静かに仏壇にお参りして家族みんなで食事でもしようかという話になりました。それは15日のお昼にということで、その時のことはまた後で…。

  新盆の軒まつさきに灯りけり   山田みづえ

  盆三日あまり短かし帰る刻    角川源義

 私の実家は浄土真宗で、新盆は自宅で行います。それで6年前の母の時は親族がたくさん集まりとても賑やかでしたが、義姉の時はもうコロナの出た年でしたのでぐっと控え目に…。更に今回は宗派も違いますし、こんな状況ですので更に淋しい新盆になりました。でも、義弟はコロナのことなど知っていますので、きっと許してくれることでしょう。

 そうすると歳時記に次のような句を見つけました。

  御仏はさびしき盆とおぼすらん

 これは一茶の句なんですが、調べてみると出典が「文政九十句写」の文政10年だと。他にも同じ出典で〈華の世を見すまして死ぬ仏かな〉や〈死時も至極上手な仏かな〉などの句もあって…。エエッ!これもしかしたら正岡子規のように自分のことを〝仏〟と詠んだのかしら?

 なぜって?実は一茶が亡くなったのは文政10年11月19日(1828年1月5日)なんですもの。

 確か一茶は、52歳で初婚、しかしその妻や4人の子どもたちとは死別、再婚した相手とは直ぐに離婚し2度の中風と、様々な家庭的、身体的不幸の中で晩年を迎えています。しかし2度の中風で身体的に不自由となり言語障害にも見舞われたものの、幸いにも知的能力は障害を受けませんでした。そんな身体でありながらも文政10年64歳の時には3度目の結婚をするんですが、この年に大火が発生して自宅を焼失。かろうじて焼け残った土蔵で暮らし、その数カ月後に65歳で亡くなります。だからどこかに死の影を感じていたのかも知れませんが、そんな中でも精力的に門人宅を巡回し続け、越後の観音寺に奉納する俳額の撰を行い、約1万5千句の中から丁寧に選句を行うなど、一茶は衰えを感じさせない活動ぶりを見せていたといわれています。更には土蔵の屋根を垂木まで全て取り換える修理を行ったとか。だからこの句を詠んだ時、一茶としてはまだまだ死ぬつもりなどなかったということでしょう。だとすれば、これらの句は一茶の一種の洒落から詠まれたものなのでしょうか。

 それはさておいて、今日も義母の家に行って夕食を済ませ、フルーツなどを食べて一息入れていましたら突然スゴイ雨の音が……これ、もしかしたら線状降水帯?と思うぐらいの大雨でした。しかし、ものの30分も降らなかったかしら…なんでもう少し降ってくれないの!

 〝でもこんなのが一晩中も降ったら…こりゃ大変よね!〟と、お婆ちゃんと話していましたが、関東では台風8号の通過で滝のような大雨が降っているというニュース、東北地方もまだ断続的に大雨が降り続いているようだとも…だからそんな暢気な話ではないんですけどね。ゴメンナサイ!

 先程1年前のブログ記事がメールで来ていましたので見てみましたら…何と同じような大雨のことでした。去年の今頃は九州や山口、特に熊本県の線状降水帯がヒドくって、大きな災害が出たんですよね。また、コロナの感染者数も多いと心配していますが、これは今年に比べるとカワイイものですよ。ケタが違いますもの。

 よろしかったら、まあ読んでみて下さい。

 
〝線状降水帯〟の恐怖いつまで?

 昨日の夕方突然スマホに〝緊急速報メール〟が入ってきました。警戒レベル3高齢者避難等の発令が19時00分宇部市全域に流されたようです。理由は土砂災害の恐れありでした。 雨......
 

 どうか、この台風によって関東や東北の皆さま方への大きな被害が出ませんように…と祈ることしかできませんが、くれぐれも気をつけて下さいね! 

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車中温度46度の初体験?

2022年08月11日 | 日記

 一昨日の俳句教室が終って車に乗ると…ワアッ、46度!初めての体験です。こんな温度の車には10分も乗ってはおられません。エアコンを入れて走り出すと、すぐに40度ぐらいまでは下がりましたが、後は徐々に…

 もしこんな車中に1時間もいたとすれば…まさに焦熱地獄でしょう。それをまだ何も分らないような年端の子どもが…これこそ殺人行為と言わずしてナントいいましょうか。

 毎年何件かは車内に子どもを放置し、熱中症で死亡させるという事故?が発生しています。今年も何件かありましたが、先月末は2歳と1歳の姉弟が車に放置されて亡くなっていましたよね。母親は車のエンジンを切って約1時間も2人を残して男性に会いに行っていたのだとか。それも一番暑くなる午後3時過ぎらしいから、どう考えても単なる事故では釈明出来ませんよ。そんな親のエゴイズムの犠牲になる子どもたちが哀れ過ぎます。何のために生まれてきたのか…いや、何のために産んだんでしょうか?

 我家では今2匹の仔猫を育てていますが、とろろもこんぶもよく食べ、よく寝て、よく遊びます。それ以外にすることはないんですものね。ああ、いやいや、排泄という厄介なものもありますが…。テンの時はもうしっかり大人になっていましたので、餌でも排泄でも…好きなときに好きなようにと、余り手を掛けずに済んだのですが、仔猫たちはそういう訳にはいきません。今は朝昼夕と餌をあげても、まだ足りずに10時15時夜更けと食べたがります。成長期ですから仕方が無いのでしょうが、全くのべつ幕なしなんです。それで、少しセーブして我慢をさせなくては…と、先日夜を控えたんですよ。すると朝、息子が来て、来て!と呼ぶので行ってみますと、何と真空パックのからすみを見つけてそれを食い破って半分ほど食べていました。恐らく2匹でやったんでしょう。これっ!と見せると、コソコソと逃げていきましたから。

 まさかこんなものは食べないと思って…油断してました。ゴミ箱も漁りますので猫が食べそうな魚の食い残しなどは見つからないようにして捨てるんですけどね。だから結構余分な手間が掛かります。これがたくさん飼ってるようなところだったら毎日がその世話だけで明け暮れるのではと気の毒に思ってしまいました。

 ましてや人間の子なら一人でもその世話は大変でしょう。しかし、我が子なればこそそれができるんですよね。昔は子だくさんの家が多かったし、我家も…おまけに貧しかったから食べることに必死でした。でもそんな中で私の母は9人の子を立派に育てあげましたもの。自分のことなんて二の次三の次で、何一つ贅沢をしない母でしたね。本当に感謝しかありません。見倣いたくてもとてもとても…ですから、せめてその気持だけは忘れないようにしたいです。

 先日2匹とも三種混合のワクチンを打ちました。その時とろろはもう2㎏、こんぶが1、7㎏でした。こんぶの残した餌をみんな食べますので、やっぱり…という感じ。でも、2匹を差別はしていませんよ。猫でも同じ兄弟なんですから食べ物でケンカはさせたくないですもの。同じように上げるのですが、こんぶは食べるのが遅いし食も細い。始め頃とろろは自分のを早く食べ終わってこんぶの皿に顔を突っ込んで食べようとしていました。ダメと叱ると、こんぶが食べ終わるまで傍で見ているようになり、残したら食べています。絶対に押しのけて奪うようなことは…させませんし、しません。でもこれ私が見ている時だけかしら?(笑)とろろもちゃっかりしていますから。

 しかし、猫でも教えれば出来るんですよ。餌を貰う時は、いつも〝お座り〟を…最初はとてもしそうになかったのですが、こんぶの方が直ぐに覚えて座るようになりました。とろろは食い意地が張っているので、そんなことより早くくれ、くれとせがんで、なかなかしなかったのですが、そうするとこんぶだけが先に貰って、自分は貰えないということが分り、餌を持って行って〝お座り〟と言うと…、ああ今ではもう言う前から直ぐに2匹がお座りをするようになりましたよ。その時今度は〝お手〟をさせようと練習中なんです。(@^▽^@)

 こんぶ〝お座りしたで!早くくれ~…〟とろろ〝いややけど、しょうがないか…〟

 とろろ〝まだくれんのかいな…〟こんぶ〝いいかげんにしいや!〟なんて…、写真撮るために待たせたもんで、ゴメンね! 

 あれほど慣れなかったとろろも私にだけは気を許してお腹が空くとそばに来てスリスリし離れようとしません。やはり動物を操るのは〝食い気〟でしょうか。エエッ、人間もですって!そういえばお婆ちゃんも食い気ですものね。

 長生きするには何よりも〝食い気〟!でも、それだけじゃ…いや、ありました。お婆ちゃんの元気の秘密、それは〝広島カープ〟ですよ。主人と一緒に住むようになって、今では野球だけでなくゴルフにサッカー、高校野球に相撲と、スポーツなら何でもござれです。一日中家に居ても退屈しませんものね。

 主人がDAZNに入っているので何でも見られるのに、なぜか広島マツダ球場でのカープの試合だけは放映しないんです。それで今度はとうとうJSPORTSに加入してそれで見ています。だから負けるといけませんが、勝つと機嫌がいい!食も進んで…大いに結構、結構なんです。だから、ガンバレ、ガンバレ広島カープ! 

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昨日は立秋だったんですって、ホント?

2022年08月08日 | 俳句

 昨日8月7日は二十四節気の一つで〝立秋〟。暦の上ではこの日から秋に入りますが、実際にはまだまだ暑さが厳しい!俳句では一応今日からは〝残暑〟として詠みます。しかし、この暑さではとてもとても…〝猛残暑〟とでも言わなくっちゃ…ね!嘗て藤原敏行が〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる〉と『古今集』に詠んで有名ですが、平安時代でもやはり立秋だからといってその日から直ぐに涼しい秋になったということではないのですよね。

 ここでちょっとこの和歌について主人との会話を…

 〈秋来ぬと〉は秋が来たとも秋が来ないともとれるが?と。…その通り、助動詞「ぬ」が打消し「ず」の連体形とも完了「ぬ」の終止形ともとれます。その時には「来」の読みが違って、打消しなら「こぬ」完了なら「きぬ」となるのよ。ここは意味的に完了で〝秋が来た〟即ち〝秋立つ〟のことだから「きぬ」と読む。

 じゃあもう一つ、文末の〈ぬる〉は何か?と。…これは完了助動詞「ぬ」の連体形よ。〝なんで終止形じゃないのか?〟それは〝係り結びで前に〈ぞ〉があるから…。ほら〈ぞ・なむ・や・か~連体形、こそ~已然形〉って覚えたでしょう〟…なんて、高校生の古典文法のお時間でした…失礼!

 話が変わりますが、先日の午前11時50分頃、宇部市に豪雨予報が…とスマホに入ってきました。強い雨23㎜/hと…。しかし全く降る気配がないので、午後1時過ぎに再び見ると…〝当分雨は降りません〟ですって。これなんなのでしょう?yahoo!からのお知らせでしたが、なんともオソマツ!

 この前の東北から北陸の日本海側地域での記録的な大雨、それで大きな被害が出ましたよね。その要因となったのが「線状降水帯」だったんですが、今回その予測情報が事前に発表されていなかったのも被害を更に大きくしてしまった原因だと。

 このように最近の異常気象では、気象庁も予測の出来ないことがあって、先日のような後手に回ってしまったんですよね。私のような全くのド素人ではただ報道されるニュースやアプリからの緊急警報通知で分るだけですから…いつもオタオタして振り回されっぱなし。しかし、昔に比べると天気予報も随分確かなものになっていますので、それに携わっておられる方々にはいつも感謝しているんですよ。

 さて、昨日は早朝から広島へ。義弟の初盆で、お寺での〝施餓鬼(せがき)法要〟へ出席しました。婚家の宗派は日蓮宗でその寺が広島市中にあります。嘗ては広島市に家がありましたので、私たちはいつもお盆には出掛けて行って墓参りなどをしていましたが、今はこちらに転居しましたので、お盆の供養には住職さんが毎年出張して来られます。

 この度は初盆ということでお寺での合同法要があったのです。最近義母の体調がすぐれず主人と二人で出席。その時に、今年初盆を迎えた家族で費用を出し合い、お参りに来られた方々にお礼の菓子箱を差上げることになっているのです。

 以前義母と一緒にお参りに来た時にお土産の菓子を貰って…不思議に思って聞いたことはありましたが、今回はその当事者になって…なるほどとよく分りました。

 終った後、初盆の家族だけが集まり檀家総代から説明がありました。この初盆の方式はこの寺独自のもので、もう70年以上も受継がれ行われてきたものだと。良い風習だと思うのでこれからも続けていきたいからよろしくと。

 お寺も跡継ぎ問題が大変なようですが、今の住職は3代目。この寺は次の4代目がもう決まっていて、今回初めてその方が挨拶されました。これで寺も安心でしょうが、世話人さん達も安心されたようです。

 今までは殆ど義母が取り仕切っていましたので、私は言われるままに…。でももし義母がいなくなったらと思うと…こういうことには全く自信がありません。家のしきたりや冠婚葬祭など、そのやり方はそこそこの家で違うでしょうし、考え方なども違いますから…皆さんはいかがですか。これが次の世代へとなるともっと分りませんよね。こういう昔ながらの風習というものは教えて貰わないと分らないし、教えられても今時の若い人たちには素直に受入れられないでしょう…ましてやそれを教える人たちもどんどん少なくなっているんですもの。

 昔の風習というものは嘗ての大家族の暮しでこそ代々守られてきたんでしょうから、今のような核家族になり個々人が自分たちの暮しを守ることにしか眼を向けなくなったとすれば…この先は全く分りません。

 今では仏壇を祀ることさえ疎かになってきつつあるのですから、お墓を守るなんて…それも自分の住んでいる所ならいざしらず、両親も亡くなってもう帰ることもないような遠い故郷だったとしたら墓参りさえもしなくなるでしょう。だから最近は墓仕舞をする所がとても増えているそうですし、また無縁仏になってしまうのも多いのだとか…。

 私の実家は浄土真宗でしたし、両親が昔からのしきたりをしっかり守っていましたので、子供の頃からいろいろなことを見て覚えました。だから実家に帰ると義姉がそれを受継いでしてくれていましたので、とても安心していましたが、その義姉も3年前に亡くなり、今は甥夫婦が実家を守っています。が、これも時間の問題でしょう。仕方の無いことだと思いますし、自分のことを考えてもとても義母の期待には添えないでしょう。ましてや息子の代になったら…これは全く不明ですもの。

 お寺のような代々継いでいかねばならない所…例えば創業〇〇年とかいう老舗の店や旅館など、きっと今日まで続いたというのは目に見えない大変な努力があったからだと思いますね。

 実は、この寺の傍に〝みっちゃん〟というお好み焼屋さんがあって、ここに来たときはいつも食べて帰るんですよ。この店が昭和25年(1950)創業の老舗なんです。70年以上も続いているんですね。そういえば大学時代に、ここではなく、確かお好み村だったと思いますが、食べに行った事があったっけ。その後も何度か他の所でも…。以前は家の近くに行きつけのお好み焼屋さんがあったのでそこばかり。最近になって総本店がここだというのを知って行くようになったんですよ。

 戦後焼け野原だった広島の街の復興とともに、お好み焼のカタチが出来上がるまでには数々の歴史があったようですが、その物語の中心的な人物がこの〝みっちゃん〝こと井畝満夫(いせ みつお)さん。広島の街にお好み焼を生み出した一人として、歴史を語り継ぎ、お好み焼を広島のソウルフードへと定着させた人なんですって。

 やっぱり…おいしかった!お好み焼は宇部でもよく食べますが、さすがに本場もんは違いますね。広島へ来られたら是非どうぞ!決して広告料は貰っていませんから…

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蝸牛が紙を食べるって、ホント?

2022年08月05日 | 俳句

 今日も最高気温は35度と。でも朝は曇っていてラジオ体操の時まではもっていた空が帰りには降り出し…。ウレシイからそのまま濡れて戻りましたが、家に着く頃はもう止み、その後はまた日が照って…蒸し暑い!

 昨日の午後は車に乗ってみれば、なんと40度…以前にも経験しましたが、目眩がしそう!この頃は夜もクーラーを掛けて寝てるし、こんなに朝から晩までクーラー漬けの生活では体の機能も正常には働きませんよ。あちこちが音をあげています。あの元気なお婆ちゃんもとうとう昨日から熱を出して寝込んでしまいました。コロナや熱中症ではなさそうだし、この異常気象の日々をクーラー病で体がついていかないのかも…心配です。

 また、こちらでは喉から手が出るほどほしい雨だというのに、今朝は雀の涙…。それなのに昨日は山形や新潟では記録的な大雨で、そのため山形では最上川の3ヶ所が氾濫したとか、新潟などでは土砂崩れが起って大きな被害が出ているとも。

 更に、昨日の朝9時48分頃には宮城県と福島県で最大震度4を観測する地震があったそうで。こうも次から次へと災害が押し寄せてくるなんて…今回は東北ですが、明日は我が身ですよね。洪水や地震は九州などでもひっきりなしですもの。

 被害を受けられた方々に心からお見舞い申し上げます。一日も早い復旧をお祈り致します。ガンバッテ下さい。

 ところで、先日のブログで幸田露伴の忌日のことに触れましたが、その時「露伴忌」以外に「蝸牛忌(かぎゅうき)」ともいうのだと書きました。

 露伴は『五重塔』などで知られる明治の文豪ですが、『評釈俳諧芭蕉七部集』などの古典研究なども残し、旧来「露伴、漱石、鷗外」と並び称される日本の近代文学を代表する作家の一人。「蝸牛」というのは、かたつむりのことで、その露伴の別号が「蝸牛庵」だったんです。

 その号の由来ですが、露伴は自分の家をかたつむりの家(蝸牛庵)と呼び、やどかりのように幾度となく住まいを変えたんだそうです。その中でも、一番長く10年間住んだ隅田川の東、向島にあった家が、明治村に移築されて保存されているとか。 露伴の作品の中に、『蝸牛庵夜譚』(1907年11月、春陽堂書店)とか、『蝸牛庵句集』とかいうのもあるようです。

 調べていると、その句集に所収されているという次のような露伴の句がありました。

  豪傑も茄子の御馬歟たままつり

 この句について、「増殖する俳句歳時記」で、清水哲男氏の次のような鑑賞文がありましたので転載させていただきます。

 幸田露伴は、言うまでもなく『露団々』『五重塔』などで知られる明治の文豪だ。『評釈俳諧芭蕉七部集』という膨大な著作があり、俳句についても素人ではない。「歟」とは難しい漢字だが、ちゃんとワープロに入っている(いまどき誰が何のために使うのだろうか)。読み方は「か」ないしは「や」。文末につけて疑問・反語を示す(『現代漢語例解辞典』小学館)。ただし、ここでは一般的な切れ字として使われている。かつては荒馬にうちまたがって戦場を疾駆していた豪傑も、この世の人でなくなって、なんとも可愛らしい茄子のお馬さんに乗って帰ってきたよ…。と、いうところか。言われてみればコロンブスの卵だけれど、盂蘭盆会(魂祭)の句としては意表を突いている。稚気愛すべし。楽しい句だ。ところで、私が子供だったころまでは、茄子の馬などの供え物は、お盆が終わると小さな舟に乗せて川に流していた。いまではナマゴミとして捨てるのだろうが、なんだかとてもイタましい気がする。さすがの豪傑も、そんな光景には泣きそうになるのではあるまいか。『蝸牛庵句集』(1949)所収。(清水哲男)

 露伴の写真を見ると、髭を生やしていかにも堅物そうなイメージですが、その人物像を辿るとなんとも破天荒で、学校も中退していたりと、意外な一面がありました。何が何でも小説家になりたいという自分の興味にはとても正直な情熱家だったようです。数え16歳の時、給費生として逓信省官立電信修技学校に入り、卒業後は官職である電信技師として北海道余市に赴任したものの、坪内逍遙の『小説神髄』や『当世書生気質』と出会って文学の道へ志す情熱が芽生えたと言われています。そのせいもあり、1887年(明治20年)職を放棄し帰京。間もなく文壇で頭角を現し「紅露時代」を築いていくのですが、その原動力は「これだ」と思い込んだら他には目もくれない、圧倒的な行動力だったのだと。露伴の人柄などは次女・幸田文さんの随想『父』や『こんなこと』など読むとよく分りますよ。

 ちなみに、蝸牛庵にちなんで蝸牛の話などを。一見鈍重で歩みののろいカタツムリですが、昔から童謡などにも歌われて子どもたちに人気の生き物ですよね。その食べ物ですが、私は菌類や野菜など、植物食性だと思い込んでいたのです。ところが、〝紙〟を好んで食べるという…皆さんはこのことご存じでしたか?

 雨の降ったある日郵便物を取りに出て、その一つの端がちぎれていて…?。最近の郵便配達は雑でこんな破損したようなものを配るのかしら…と、ちょっと憤慨!でも、何だかヘン!…これは何かが食いちぎった跡のような…。

 すると、近くにいつも我家に顔を出す蝸牛がいるではありませんか。まさか…と思いましたが、そのままにしていました。すると、また次の雨の日の郵便物にくっついている蝸牛を見つけました。今度はそのまま持って来て、一晩その紙の上に置いておきました。翌朝見てみると、ほらこの通り!穴が開いていたんです。ヘエッ、知らなかった!百科事典で調べてみると、紙を好むのでゴミためにも多く集まると確かに書いてありました。でも、ゴミための蝸牛じゃ…俳句になりませんよね。

 すると、歳時記に〈でで虫が紙食ひちらす玩具箱 石河義介〉という句が例句に載っていました。知っている人には何でもないことかも…でも私には感動でした。

 今日の写真は…その衝撃的な発見!蝸牛が紙を食べた証拠です。上のが最初に見つけた郵便物の食べ跡。次のがまた来ていた蝸牛と、一晩そのままにしておいて朝見ると穴が開いていた食べ跡。この蝸牛たちは時期になると我家にいつも顔を見せに来てくれる…同じ個体なのかしら?いや、その時々で大きさが違うようだから…きっと一族なんでしょうね。最後のは去年来ていた蝸牛です。

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