ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

義母の一周忌でした!

2024年10月23日 | 俳句

 またまた、ご無沙汰しました。皆さまお久しぶりです。私はコロナからはすっかり復活したんですけどね、今度は頑張ってさあブログを書こうと思ったら間が空きすぎて何を書いていいやら…困ってしまいました。

 そこで、先日の20日の日曜日に行った、広島のお寺での義母の一周忌のことを書こうかと…。

 早いものですね。去年の今頃はまだお婆ちゃんは元気でリハビリに励んでいましたのに…10月29日の夜あっと言う間に旅立ってしまいました。まさに一瞬の出来事で、その日はまだ私も自宅に帰らずにいましたし、お婆ちゃんの傍には主人も居ましたから…今思えばきっと淋しくはなかったのではと思って、自分の心を慰めました。

 昔から私は生徒たちに、人の一生というものは差し引き〝0(ぜろ)〟なのよと、話していました。長い人生の間には誰にでも良いことや悪いことがいろいろとあるでしょう。ても、そのプラス(良いこと)とマイナス(悪いこと)を全部計算すると、最後には0になって終るのだということなんです。だから良い思いばかりをしてきた人は晩年にそのツケ(プラス分)をマイナスで払っていかないと天国へは行けないのではと思っています。その反対も然りかと。

 そう考えると、私は少々の苦労や病気などの苦しみはいくらでも耐えられました。なぜだか私は小さい頃からこの苦しみは報われるときが必ず来ると信じていましたもの。私の母も若い時は苦しいことの方が多かったような…でも晩年は倖せで、毎日が〝天国!天国!〟と言って、99歳で亡くなりました。義母も若い時には大変な苦労をしてきたんだと、いつも聞かされていましたが…やはり晩年は倖せで、102歳の天寿を全うしましたものね。

 できれば私も母たちのようにありたいといつも願っているのですが、まだまだ人間としての修養が足りないようです。愚痴など言わず何事にも感謝して生きられるように、もっともっと努力しないといけませんね。

 先日俳句教室を辞めるという方にその理由を聞くと、〝そろそろ自分でも痴呆の出始めているのが分るので、これ以上悪くなる前に辞めたい。皆さんにご迷惑を掛けたくないから〟と。それで〝みんな迷惑だなんてちっとも思っていないわよ。むしろ来られるのを楽しみにしているくらいですよ〟と説得したのです。すると、〝実は、今まで積み上げてきた自分にはプライドを持っています。だから、それを壊したくない。皆さんには醜態を晒したくないのです。今が自分にけじめを付ける潮時だと思うから…〟とも。詳しいことは知りませんが、現役時代はもちろんのこと退職されてからも地域などのお世話をされたりして、活躍して来られた83歳の男性の方なんですよ。確かにそれなりの兆候が時々は出ていましたが、それを十分に自覚されていたようで、でも俳句が好きで迷惑かと思いながらも今日まで参加させていただきました。有り難うございました…と言われると、もう何も返す言葉がありませんでした。

 〝終活〟という言葉が流行するようになって早何年になるでしょう。私も10年前はそんな言葉を聞いても自分には関係ないことと考えもしませんでした。でも、今この歳になると何かにつけて先のことが思いやられます。自分の人生にどうピリオドを打つたらいいものかと…こんなことで思い悩んだりするのもやはり秋だからでしょうか。

 さて、またお婆ちゃんの一周忌の話からつい横道に逸れてしまいましたね。スミマセン!今回は日帰りで、朝8時に宇部を出て広島へは10時半到着。11時から菩提寺・本照寺の本堂をお借りして法要を行いました。

 それが済んで、12時半からはお婆ちゃんの大好きだった広島江波山にある、創業1900年の老舗フレンチレストラン「シェ・ヤマライ」で会食。京都からの義弟夫婦や千葉の甥夫婦など、総勢9名でのささやかな法要でした。でも義母の大好きな人たちばかりなんだから、きっとあの世から嬉しくてニコニコして眺めていたんじゃないのかしら。ねえ、お婆ちゃん!    合掌

 「シェ・ヤマライ」のランチメニュー

  ステーキメインのお得でおすすめのフルコースです。

   ● オードヴルの盛り合わせ

  冬期はオイスターヴァリエ(殻付きカキのオーブン焼き5種) 

  • 季節の野菜のクリームスープ(この日は薩摩芋でした)

  • シェフの気まぐれの本日のお魚料理

  • お口直しにフルーツシャーベット

  • 国産牛フィレ肉のステーキ

  • 小さなサラダ(写真なし)
  • お楽しみデザート

  • コーヒー又は紅茶(写真なし)

 この度はみんなそれぞれ忙しいということで、15時にレストランを出て解散しました。ここには嘗て1934(昭和9)年に建築された広島県立広島測候所があります。現在は広島市江波山気象館といって、気象と科学をテーマとした博物館で、気象観測や天気予報の様子を見学や豪雨・暴風疑似体験ができる、子ども達にも親しまれている施設だそうです。またこれは被爆建物で、広島市指定重要有形文化財にもなっていますし、柳田邦男の小説「空白の天気図」の舞台にもなったところなんだそうです。その傍に大きな銀杏の木が2本あました。その1本にはびっしりとぎんなんが…こんなに生っているのを初めて見ました。今年は異常に暑かったので我家の柿などは全滅なんですけどね。暇があれば拾って帰りたいんだけど…なんせあの匂いがね、車の中に籠ったら大変ですもの。諦めました。ザンネン!

 それからすぐに帰途に着き、18時前には無事宇部に戻りました。行きも帰りも運転してくれた息子が一番疲れたでしょうに…でも若いから元気。私は何もしなかったのに疲れました。やっぱり歳なんですね。悔しいけど。では、また…

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今月の吟行会は…ちょっといいところへ!

2024年10月06日 | 俳句

 あら今日はもう10月6日ですね。またまた前回から12日ぶりの更新で、ゴメンナサイ!でも今朝はちょっと曇ってはいましたが、秋風が爽やかで、あの暑さが嘘のようでしたよ。彼岸過ぎから秋の兆しが感じられるようになり、私の気分もやっと上向き。何をしてもイヤイヤというのでは成果も上がりませんものね。そろそろ気分を入れ替えて…またガンバロウっと!

 ということで、4日の第1金曜日に月例の吟行会を実施しました。今回は、山陽小野田市の厚狭地区にある山口ワイナリーの見学~寝太郎堰・沓古墳というコースです。

 実は今回の当番幹事Y子さんに、当日は大雨の予報ですが本当に来られますかという確認の電話がワイナリーから入ったと。それで、吟行会を延期しましょうかという打診を私にして来たのです。調べてみると、確かに台風の影響で前日から当日にかけては雨、それも西日本では大雨が降るかもと。しかし、私の天気アプリで見る限りは、前日は一日中雨だが、次の日は午前中が雨でも大したことがなさそうでした。ということで、俳句は雨でも決行(結構!)というのが私の信条ですからそのままと決定しました。

 さて、そういう訳で決行した当日の天気は…雲は少しありましたが、暑くもなくなんともいい気候ではありませんか。みんなから〝さすがは先生!〟と認識を新たにしましたと。自分ではそんなこと全く思ってもいなかったんですけど…やっぱりねと、ちょっと鼻が高くなりました。(笑)

 ワイナリーは厚狭の町からちょっと入った山手の方でしたから、途中の道々には彼岸花が今を盛りと咲いています。こちらではどこもかしこも例年に比べると約二週間遅れですね。

 見学を予約した10時に着くと、案内の人が待って居てくれました。実はこのワイナリーの営業日が土日と祝日のみ。その他での見学は事前に予約して下さいということ。それで、予約していても来られないことがあると職員の無駄足になるからということで、来られるかどうかの確認の連絡をするのだとか。そうとは知らず…でも、悪天候でも見学に来るというのは物好きな俳人ぐらいのものかもね。(笑)しかし、葡萄畑はこの雨の天気予報でその前に全てを収穫し終えたんだそうです。それは残念!

 知らなかったのですが、よいワインを作る葡萄には雨が一番禁物だとか。そのためここでは〝レインカット〟栽培法で育てているので、あのように全部ビニールが掛けてあるのですよとも。

 ところで、ここは永山酒造の創業者の嘗ての別荘だったとか。見事な自然美の景観を取り入れたところで、紅葉の頃はもっと美しくなっていることでしょう。案内された葡萄畑へ上っていく道の溝に蛇を見つけて…これは〝穴惑〟ならぬ〝溝惑〟やねなどと言いながら…途中には山栗も落ちていましたし、曼珠沙華や継子の尻ぬぐいオオオオオナモミのくっつき虫(実)や草の絮もこんなにたくさん…などなど、ここはまさに季語の宝庫でした。

 醸造場も見学させていただきました。中に入ると、途端に葡萄を搾っている香に酔いそう!その後ショップの方に行くと…勿論みんなお土産にワインを買って帰りましたよ。我家はYMGーWine「SOREINE」…これ山口弁の〝それいね〟(そうなのよという意味)からの命名なんですって。アハッ知りませんでした。そういえば、〝道の駅ソレーネ周南〟もそうだとか。

 家に帰り早速呑んでみると、とってもフルーティーで美味しかったですよ。

 さて次は、「寝太郎堰」。厚狭の里に伝えられている「寝太郎物語」によると、庄屋の息子のものぐさ太郎が三年三月寝て暮した後に草鞋を持って千石舟で佐渡島へ行き、その新しい草鞋と使い古された草鞋を交換して持って帰り、それで大もうけをしたんだと。そして、そのお金で厚狭川を堰き止め用水路を作って、湿地帯だった千町ヶ原を瑞々しい水田に変えたという伝説です。それをもとにした寝太郎祭が毎年4月29日に行われ、千石舟に乗った木像が厚狭駅前を練り歩くのだとか。ここ厚狭にはあちらこちら寝太郎にまつわるものがあって、この堰もその代表的なものの一つなんです。

 また、その堰近くの「沓(くつ)古墳」へも行きました。これは古墳時代後期の小さな古墳で横穴式石室があります。説明によると、厚狭川流域の沓の地一帯を治めていた村長(むらおさ)の墓で、彼の左の手には黄金色に輝く珍しい銅の腕輪がはめられていて、40本の弓矢と鉄の刀が収められていたそうです。

 その後、昼食まで少し時間がありましたので、傍にある厚狭の鎮守社「鴨神社」を見学。ここは嘗て私が勤めていた時の先輩の先生の家で、その「目(さっか)」という姓が官位の一つで由緒ある神職の位からきているのだということを初めて知ったところなんです。懐かしい!でも、悲しいけどその先生ももう神さまになってしまわれましたけどね。

 それから昼食、その後句会場へ移動して句会。3時間みっちりと俳句の勉強をしました。ここまで読んで下さった皆さまも大変お疲れ様でした。ありがとうございます。オシマイ!

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第28回俳人協会山口県支部の俳句大会でした!

2024年09月24日 | 俳句

 先日の大雨以後急に涼しい風が吹くようになって、今日の最高気温は28度。日中はまだまだ暑いのですが、30度を切る日が多くなりましたね。空を見上げるとまさしく秋の雲です。今朝はラジオ体操から帰る途中にやっと赤い彼岸花を見つけました。白や黄色は彼岸前から我家にも咲いていましたが、赤いのがどこにも見当らなかったんですよ。でもやはり例年よりは1週間ぐらい遅いような…。今までにない今年の酷暑といつまでも続いた残暑でいろんなものの歯車が狂ってしまったんではないでしょうか。

 

 ところで、一昨日の22日に「第28回俳人協会山口県支部俳句大会」が防府市で開催されましたので、今日はその報告をしましょう。

 私が宇部・山陽小野田地区の受付を担当していますので、9時までには着くように仲間たちと会場へ行きました。でも何だかいつもと違って様子がヘン!いやにガラ~ンとしているんです。一応準備のためにそれぞれの地区の役員はみんな来ているようですが、例年に比べると人数が少ない…よく見ると役員ばかりでお手伝いをしてくれるはずの一般の人たちが誰もいないんですよね。

 どうしたのかと聞いてみると、前日からの大雨のため早朝から山陽本線が上下線ともにストップしているんだとか。それで汽車で来る人たちが駅に待たされて動きがとれなくなっているんだそうです。私たちは車で来たのでそんなこととはつゆ知らず、ビックリ!です。復旧もいつ頃になるのかまだ見通しが立っていないようすで…でも、これって二次災害を出さないためにはどうしようもないことでしょうしね。それよりもこの度の大雨の被害では、またまた能登半島が大きくて、あの正月の地震からまだ完全に復旧していないというのにお気の毒で…何とお見舞い申し上げていいのか言葉が見つかりません。どうかもうこれ以上…能登に限らずどこであっても大きな天災が起こりませんようにと、私は祈ることしかできません。しかし、この異常気象はどこまで進むのでしょうか。あれこれ考えると怖ろしくなってしまいます。

 さてこの俳句大会は、防府駅の傍の「ルルサス防府」で、定刻の13時から開始されました。講演は、俳誌「若竹」主宰・加古宗谷先生の「俳人 村上鬼城」でした。先生は〝実は山口県に是非来たかったんですよ〟という話から始められ、その理由が山頭火が好きでその故里だからだと。それで講演の半分はその山頭火とそれを調べて書物に著わされた村上護氏のことでした。時間が少なくなってきて慌ててテーマの「境涯俳句の系譜 鬼城と木歩」についての話題になりましたが、これも話があちらこちらに飛んでやはり1時間では足りなかったようです。先生はもっともっと話されたかったんだろうなと思ったのですが…また、私たちも興味深い話が多くてもっといろいろ聞きたかったんですが、後の予定が詰っていましたので…残念至極!

 その講演が終った後、応募句と席題句の表彰、続いて事務局長・支部長・加古宗也先生のそれぞれの選評があって、予定通り15時半に無事閉会でした。皆さま大変お疲れ様でした。

 ちなみに今年度の受賞作は、以下の3句と優秀賞7句、秀逸賞13句でした。また、当日の席題は「法師蟬」で、加古宗也先生の特選3句と優秀賞10句が表彰されました。

  山口県知事賞 水鉄砲の水に撃たれてより元気  光市 竹本チヱ子

  朝日新聞社賞 離任式待つ間あかるし花ミモザ  山口市 杉山久子

  俳協県支部長賞 堰板に水豊かなる芒種かな   四万十市 中平キリン

 席題の部・加古宗也先生の特選3句は以下です。

  子らは皆遠くに在りてつくつくし     熊本 綵乃

  法師蟬朱文字のままの墓仕舞ひ      木村たけま

  木洩れ日は山のオアシス法師蟬      阿部 明美   

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やっと月例の吟行会を開催しました!

2024年09月13日 | 俳句

 今日はもう9月13日ですが、今年の「二百二十日」は10日でした。早稲(わせ)の花が咲く頃の「二百十日」と同じように、中稲(なかて)の開花時期に当るからなんです。晩稲(おくて)の花の頃は「二百三十日」と。どれも大風が吹きやすい日なので、どの日であっても農家の人たちは「厄日(やくび)」として恐れ警戒したのです。

  八方に二百二十日の湖(うみ)荒るる  稲荷島人

  降り出して厄日の雨の荒れやうに    稲畑汀子

 そういえば、毎朝行くラジオ体操でのこと。主人はまだ肋骨の痛みがとれないので、いつも私一人で行ってます。それがこの10日に狭い裏道を歩いていて…あっ、ああっ…と、自分でもビックリするぐらい大げさに転んでしまいました。転ぶ瞬間、これはヤバイ!と必死で踏ん張ったのですが、体を支えきれず地面へどどどどっとスライディング(笑)…ちょっと坂になっていましたので。でも、胸を打ったら私も肋骨が…と思って手足でがむしゃらに止めました。それで今日が三日目ですのでとても痛いんですが、骨には異常がなさそう…安心しました。いくら〝気を付ける〟と頭では思っていても、一瞬の油断に体は言うことを聞いてはくれませんから、危ない、危ない…。 まあ、これも一種の厄日だったからと考えて、我家の厄災がこれで逃げてくれると有り難いんですけどね。

 さて、今日は9月6日の金曜日のことを書きましょう。先月コロナのため中止していた月例吟行会を実施したんです。もう9月だから先月よりは少しマシだろうと思ったら、何のことはありません。相変わらずの猛暑で、最高気温は35度。でもそんなことは言っておられませんから、いざ決行です。

 今回の吟行地は、山陽小野田市の洞玄寺と松嶽山(まつたけさん)の正法寺。

 洞玄寺は、毛利元就の五男元秋を祖とする厚狭毛利家の墓所があり、山陽小野田市の文化財に指定されています。厚狭毛利家の菩提寺として二代元康以降のお墓があり、三代元宣が元康の法号から洞玄寺と命名しました。明治2年、洞玄寺の住職が奇兵隊の脱退に加担したことで廃寺となりましたが、正福寺と一度名前を変えた後、昭和44年に洞玄寺に戻りました。昭和46年に納骨堂を建設する際、地中から西暦600年前後の須恵器が数多く出土したそうです。

 境内に入って山門のすぐ傍に、歌人・今川了俊(貞世)の詠んだ〈雨にきる 我身の代に かへななむ ころもをるてふ あさの里人〉という歌碑がありました。室町幕府から九州探題として太宰府に派遣される道中の旅行記の「道ゆきぶり」に、〈建徳2年(1371)10月8日、当寺に一泊して〉詠んだと記載されていて、厚狭の地名を詠込んだ最古の歌ということです。

 やはり厚狭毛利家の菩提寺らしく至るところに、その家紋の「一文字に三つ星」や「立ち沢瀉(おもだか)」が残されていました。

 毛利家墓所には、二代元康以降十三代四一に至る歴代当主及び一門43基の墓碑が建立されています。この暑さのなかでもここは、やはり森閑として山からの気がひんやりと感じられましたね。あら、二枚目の写真がボケいます。ゴメンナサイ!

 次は、洞玄寺からくねくねとした狭い山道へ入って、それを奥へ奥へと…エエッ、こんな所に寺なんかがあるの?というような何もない道を約5㎞ほど走る。するとやっとそれらしき入口と看板があり、ホッとしました。

 そこからもう少し上に駐車場があるというので、そこへ着いて今度は歩いて行くと…大きな犬の声が…ナント吠えること、吠えること。そりゃ見たこともない怪しげな男女が7人もゾロゾロとやって来るんですものね。境内に上がっても吠えるの止めなかったんですが、見れば吠えながら尻尾を振ってました。ということは歓迎してくれてたんですね。分からないものだからみんな怖れて避けていたんですけど、そろそろと近づいて撫でてあげると喜んで…。

 余りにも声が大きいし威勢がいいので、てっきり雄と思ったら…名前は〝花ちゃん〟ですって!では記念写真を…はい、ポーズ!あら、どうしたの?あまりにも吠えたから照れてるのかしら。(笑)

 この正法寺は、山頂からは九州の山々、眼下には関門橋が望見できて、ハイキングやキャンプに好適といわれる松嶽山(標高324m)の8合目にあります。藤原氏全盛期の建立で、灯籠、丁塚、お大師様を配した狭い道を進んだ先にあるお寺です。今から約1000年前に花山法皇により開創されたと。その花山法皇が自ら彫ったとされる十一面観音が本殿に祀られているそうです。境内には願掛け不動明王や交通安全の菩薩、水子地蔵の石像があり、ほかに南北朝時代、厚東氏17代の武貞が九州の菊池氏を討つために戦勝祈願をした際に寄進したと伝えられる鐘楼があって、山口県の重要文化財に指定されています。

 写真は、願掛け不動明王。下のは〝ボタンヅル〟の花…だと思うのですが?

 とにかく暑いながらも今月の吟行会を無事に終えて、昼食後いつもの会場へ戻り17時までみっちり勉強しました。では、これでオシマイ!皆さまお疲れ様でした。私も久し振りでとても疲れましたが、楽しかったです。やっぱり俳句は吟行しなくっちゃね…部屋の中ばかりでは類想句の山ですもの。

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露の世は露の世ながらさりながら…

2024年09月09日 | 俳句

 今日は9月9日。陰暦では五節句の一つ「重陽」といって、陽の数である九が重なることから目出度いとして祝われます。別に「菊の節句」ともいって、菊を酒に浮かべて飲む慣わしやこの日に小高い丘や山に登るという「登高」。これらは天災や厄を避けて長寿をもたらすための中国の古い習俗で、それが日本でも中世以降に広まったものです。だから九を重ねるという意味では確かに陽暦でも縁起はいいでしょうが、「登高」や「菊酒」というにはちょっと早すぎるし暑すぎるような気がしますね。やはり、これらは旧暦の九月九日(今年は10月11日)に相応しい行事ではないでしょうか。

  重陽や海の青きを見に登る     野村喜舟 

  菊の酒醒めて高きに登りけり    高桑闌更

 さて、先日の9月7日も二十四節気の一つ「白露(はくろ)」といって、露が凝って白くなるという旧暦八月の節なんですよ。

  白露の日召されし父の形見かな   稲畑廣太郎

 この白露も年によっては8日になったりしますが、とにかくその日に〈召されし父〉の形見を見て感慨に耽っている作者でしょう。アッ、もしかして亡くなった日が白露だったのかも。ちなみにその父とは、高浜虚子の孫・稲畑汀子さんの夫、稲畑順三さんなんですよ。一体どんな形見だったんでしょうかね。

 ところで、そもそも「露」というのは、夕方から夜分、さらに明け方に気温の低下に伴って大気中の水分が結露したもので、秋の代表的な季語です。また、露は日差しとともにはかなく消えることから古来「露の命」などといって、生命の儚さにたとえられてきました。

 その「露」を詠んだのに〈露の世は露の世ながらさりながら〉という小林一茶の有名な句がありますが、これは最愛の幼い娘を亡くして、いき場のない悲しみを一茶が詠んだもの。その気持が何度読んでもひしひしと伝わってきます。以前義母が亡くなったときにも書いたような…。

 それをまた書いているということは…そうなんです。実は「白露」前日の6日、甥の葬儀に実家へ行って来たからなんです。甥は私の長兄の長男、2年ほど前から闘病生活をしていました。病状がよくないということを聞いて、私たちがコロナに罹る前の7月15日に見舞いに行ったばかりなんです。それから2ヶ月にもならないというのに…享年57歳でした。余りにも若すぎますよね。でも兄も退職寸前の59歳、義姉もコロナ禍の始る直前に亡くなりました。母と一緒に本家を守ると言っていた兄が余りにも早く逝き、その後は義姉が何かと母の世話をして実家を守ってくれていました。それが母が亡くなると、その後3年足らずで。そして、その後を継ぐといった甥もとうとう…他の兄弟やその子どもたちはみんな元気だというのに。どうして本家だけがと…私にはもう里帰りする家がなくなったようでとっても淋しいです。

 よく悪いことは重なると聞きますが、まさに今年の我家は厄年なんでしょうか。コロナの後遺症で散々ヒドイ目にあったというのに、今度は主人が何かを取ろうとして椅子から落ち、診て貰うと肋骨にひびが入っていました。そのため大分まで初めての鉄道の旅です。厚狭駅までは車、そこから小倉駅まで新幹線、それから特急ソニック号で大分まで。駅には弟が迎えに来てくれていましたので、その車で葬儀場へ。

 その日は絶対車で来た方が楽だったとブツブツ言っていた主人も…帰ってから日に日に痛くなるらしくて、今は家でおとなしくしています。年を取ると転んだりしてもすぐには痛くなくて、大したこと無いと安心していると、その後がなかなかよくならないんですよ。特に高齢者は骨折などがダメ!考えると、まだまだ何かが起こりそうでコワイんですが、十分に気を付けますね。

 というわけで、写真の花は甥の葬儀で貰ったもの。どんなに美しい花に飾られてもイヤですよね。生きている方がいい!でも…お父さんとお母さんに…ああ、お婆ちゃんにも会って、安らかに成仏して下さいね。 合掌

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早くも9月、ぼちぼちガンバラなくっちゃ!

2024年09月02日 | 俳句

 コロナの感染と後遺症で8月がとうとう終わってしまいました。コロナに罹る7月末までは、自分で言うのもおこがましいぐらいとても元気だったんですよ。それなのにこの1ヶ月でぐ~んと歳を取ってしまった感じ。イヤですね!

 でも今日から9月、もういい加減に気を入れて頑張らなくっちゃと思っているところに、こんなメールが入っていました。

 9月1日は「防災の日」です。
 この機会に、災害に備える大切さを改めて考えてみませんか。
 日頃から防災や災害発生時に備えて活動している団体をご紹介します。
 あなたの寄付が、防災・減災支援の活動を支え、未来の災害から多くの命を守る力となります。
 皆さまのあたたかいご支援をよろしくお願いいたします。

 ああ、そういえば今日9月1日は、俳句でも「防災の日」や「震災忌」「震災記念日」として季語になっています。大正12年(1923年)のこの日、相模灘一帯を震源とする大地震が関東地方南部を襲い、各地に甚大な被害をもたらし、死傷者はナント20万人にものぼったんだとか。

  十二時に十二時打ちぬ震災忌    遠藤悟逸

 マグニチュード7.9と推定されるこの大地震は、この日の11時58分に発生。ちょうど昼食時だったため、家屋の倒壊と出火で大火災が生じ、また各地に津波も生じたという。その被災者は、東京府を中心に神奈川、千葉、埼玉、茨城、静岡、山梨と、1府6県に及び、その人口の29%にあたる約340万人であったんだとも。これがどんなに悲惨であったかということは、実際には知り得なくても、平成23年(2011年)の東日本大震災のことを思い出せば想像に難くはないでしょう。

 掲載句のように、時計が12時に12時を打つという何の変哲も無いことがどんなに有り難いことなのか。言われてみれば誰でもが分かること。なのにその平々凡々とした日々が続くと、人はそのよさを忘れて、何か変化を求めようしたがります。やっぱり人間って懲りない生き物なんですよね。だから昔から〝歴史は繰り返す〟と言うんでしょうけど。

 まあ、とにかくこの日本に、いや日本だけじゃなく世界に何か災害が起こる度に、私は何らかの支援をしてきました。それで今回もささやかながら寄付をさせていただきました。一種の自己満足ですけども…でも気分はいい!

 また、ブログを見ると「今日のひとこと テーマ:9月の目標は?」とありましたので、「コロナからの完全復活!」と書きました。これには〝一度投稿すると編集はできません〟と書いてありますから、もう取消したり書直したりはできないということ。これで私の心の準備は万事整いましたので、後は体を鍛えるばかりです。

 よ~し、これで打倒コロナだ。ガンバルゾ!でも、ボチボチですよ…無理はしませんから。というわけで、これからも応援よろしくお願いします。

 写真は、7月の「きらら俳句教室」の吟行で撮らせてもらった〝蝶蜻蛉(ちょうとんぼ)〟の翅です。きっと何かの鳥に狙われて食べられ、翅だけが残ったのでしょう。でも、この写真を撮らせてくれた人が、家に戻って次の日に写真を撮ろうとすると、この光沢はもうなくなっていて、真っ黒にしか映らなかったそうなんです。ということは、この蜻蛉は食われて間がなく、この時は翅の細胞がまだ生きていたということでしょうか。不思議ですね。飛んでいる写真は撮れませんので、お借りしました。スミマセン!

チョウトンボ - Wikipedia

 蝶蜻蛉とは、梅雨明け直後の風のない日にヒラヒラと、まるで蝶のように飛ぶので、知らない人はみんな蝶だと思ったりします。分布は本州~九州ですが、近年では本州の北端でも見られるようになったとか。遠目に黒く見える翅は、表面が紫色に輝き虹色の幻光を放って、真夏の太陽によく似合う。だからこれを見た人は、珍しいのでみんな句に詠みたがります。でも、まだ季語としては認められていませんので、どう詠むかが問題でしょうね。 

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コロナとの格闘記?

2024年08月03日 | 俳句

 またまた1週間以上のご無沙汰をしてしまいました。皆様にご心配をおかけ…ああ、いやいや、毎日欠かさず更新されている方ならいざしらず、私のように1週間に1回ぐらいのペースならいつものことですもの。気が付きませんよね。

 でも、聞いて下さい。今やっとブログや俳句のことなどを考えられる状態になったんですよ。実は一家中がコロナに罹ってダウンしていたんです。

 先週の24日の水曜日、息子が日頃になく早く帰ってきて、体調が悪いと。その日は風邪でも引いたのだろうぐらいに軽く考えていました。だって、息子は既にコロナに罹って、1週間の自宅待機をしましたもの。その時は息子だけで私や主人には移らなかったんです。それで2度目はないだろうと安心していましたら、翌日には熱が39度以上に上がり、これはまさかコロナ?いやインフルエンザかもと半信半疑で病院へ連絡すると…。

 ところが、あいにく病院は木曜日が午後休診でダメ。また休日の夜間診療はあるけど、平日は小児科のみ。エエッ、これは困ったと、すぐに薬局へコロナの検査薬を買いに行きました。だって、コロナなら私も主人もまだ罹ったことがないから移されたら大変ですもの。

 はい、すぐに陽性だという反応が出ました。こりゃ大変!と、息子にはもう2階から降りてこないように…私たちとは接触しないように言って、避けていました。また消毒もこまめにして気をつけたつもりなんですよ。でも、それまでは一緒に生活してるんですから、もう移らない方がおかしいでしょう。

 でも、最初の時は濃厚接触者にはなりましたが、自分で調べてみると陰性だったんで、それで甘く考えたのかも。今回のコロナは型が違って伝染力が強いのか、見事に土曜日の夜から主人の体調がおかしくなって、次の日曜日にはやはり39度以上の熱と喉の痛みが出ました。今回はすぐに休日診療へ。間違いなくコロナですと…咳も酷くなり食欲も全く無いと。

 それからはまさに孤軍奮闘。食事の用意をしても、二人とも食べたくないと言うし、仕方が無いので、私一人が〝おいしい!おいしい!〟と言って、食べてたんですよ。ああ、これで私は罹らずに済むかしらと思いきや…、世の中そんなに甘くはないですよ。コロナ菌も全員やっつけなくちゃコロナのメンツに係わるとでも思ったのか、まるでバレーボールの時間差攻撃!

 なんと私も火曜日の朝から喉がおかしくなりました。まだ熱は出ていないけど、すぐに行きつけの病院へ。やっぱりコロナの判定。でも、早めに行って薬も飲んだんだし、それまで頭痛があったので鎮痛剤も飲んでたし…きっと軽く済むのではと思ったのが大間違いでした。

 私の場合は、熱は微熱でしたが、喉の痛みと食欲不振、倦怠感に頭痛…おまけに声も出なくなって…更に一番ダメージを受けたのは味覚でした。全く味が分からないし、だから美味しいとも思えない。でも薬を飲むのに何か食べないといけないと…やっとこさゼリーやプリン、バナナなど食べて何とか凌ぎました。だから動くのもしんどくて、ただオリンピックだけは観てました。更には口内炎で口が痛くて…こんなに食べられないのは初めてのことですよ。

 おまけに毎日暑いですから、一歩も外に出ず一日中クーラー着けてごろごろと。こんな生活は不健康だと分かっていても今は仕方が無いですね。

 息子はエライ!エライ!と言いながらも、やっと31日の水曜日から仕事に復帰しました。が、私たち2人はまだ、まだ…。でも、日曜日には義母の盆供養のために広島の菩提寺へ行かないといけないんですよ。今はコロナに感染しても5日間の自宅養生でいいんだよとはお医者様。でも、こんな状態が5日で治るとは思えませんけどね。とにかくマスクをしっかりとして、人には移さないように気をつけて出掛けますが、自分の体力がなくてフラフラだから、それの方が心配です。

 というわけで、まだ力が戻っていませんので、皆さんの所への訪問も疎かになっています。もとのように元気になったらすぐに訪問しますから、それまではお許し下さいね。

 全国的にコロナが増えているようなので、皆様もこの暑さとともにお気を付け下さいませ。 

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〝きらら俳句教室〟の第4回目で~す!

2024年07月25日 | 俳句

 昨日は7月24日、そう、〝土用丑の日〟だったんですよ。となれば、当然〝鰻(うなぎ)〟を食べる日…。勿論私も鰻が大好きで、この日を楽しみにしているひとりだったんですが、これは本当に人間の身勝手な都合であって、鰻さんたちから言えば一族の最大の〝受難の日〟なんですよね。

 そんなことを考えていたら金子みすゞの「大漁」の詩※を思い出して、〝生きる〟ということの罪深さを思わずには居られませんでした。

  命けふ鰻胆食べ虔(つつし)めり    籏 こと

 だから、歳時記の例句を見ていたらこんな句が目に付きました。命あるものを頂いて生きながらえる私たち人間は、心からの感謝と敬虔な気持をもって有り難く頂かなくてはいけませんよね。また、こんな句もありました。

  一気に書く土用うなぎの墨太く    吉田北舟子

 そう言えば、俳画を習っていた時こんな絵を描いたことがあったなあと懐かしくなりました。絵を描く分には何枚描いても罪にはなりませんからね。この〈一気に書く〉というのが難しく、更には〈墨太く〉というのも。筆に含ませた墨が少ないと掠れすぎるし、多すぎると滲んでしまう。だから生きのいい美味しそうな鰻を書くのは難しい!墨一色というのは特に濃淡が大切ですし…。

※ 大漁

 朝焼小焼だ/ 大漁だ/ 大羽鰮(おおばいわし)の/ 大漁だ。
 浜はまつりの/ ようだけど/ 海のなかでは/ 何万の/ 鰮のとむらい/ するだろう。

 さて今日は、先日(7月20日)の土曜日に行いました〝きらら俳句教室〟第4回目の報告をしますね。

 この日はやっとこちらも梅雨が明けたという暑い日でした。いつものように9時30分より開始。外への吟行は出来るだけ短くして、後は涼しい室内でということで、いつものコースを歩きました。

 先月とは打って変わって、今月はどこを歩いても〝蟬しぐれ〟が降ってきます。そういえばレンジャーのHさんが〝今年は燕(つばめ)がとっても少ないんですよ。燕の塒入(ねぐらいり)観察会を先週する予定だったのに燕がいなくて、それで今日の夕方からにしたのです。それなのに昨夕下見をすると30羽ぐらいで。例年だと500羽は普通、多い時は1000羽以上という観察が出来るんですけどね。今年は何もかもおかしくなってるみたいで…〟と。このように異常気象が今や地球上のあらゆる生物に影響を与えているのだということを知ると、これから先のことがとても怖ろしくなりますよ。

 さて、今回も新しいことを三つも知ることができて、大いに感動しました。

 その一つ目は先ず「蟬(せみ)」のこと。

 油蝉や熊蝉などたくさんいましたが、中でも熊蝉が必死に鳴いているところを直ぐ目の前で見ることが出来て、その時の会話…

 〝みんながこんなに注目しているのに、全く逃げようともせず必死で鳴いて…スゴイ!〟〝そりゃあなんとしてでも雌に気に入られないと…〟〝ヘエッ、じゃあ蟬はどうやって結婚相手を見つけるの?〟〝雄は鳴くだけ。雌がその声によって子孫を残すのにいい雄を選ぶんですよ〟と。〝じゃあ雄は雌がどこにいるのか分からず闇雲に鳴いているの?〟〝そうですよ。選ぶ権利は雌にあるんですから。だから認められるために雄は必死なんです〟〝わあ、雌の方がエライのね!〟〝だって蜂でも蟻でもそうでしょう。蟷螂(かまきり)だって…昆虫や鳥の世界ではそういう雌上位が多いんですよ〟とは、レンジャーHさんの話。考えてみればなんだか雄って哀れですよね。今では人間界でも…特に昔の日本の男尊女卑なんていう時代はもう夢でしかなくなってるでしょう。そのうちどんどん昆虫化していって、よくて対等、下手すると…なんてことになりかねないかも…ネッ!(笑)

 次は糸蜻蛉(とんぼ)の話。

 糸蜻蛉は夏の季語ですから、確かにあちらこちらとやたらに飛んでいました。やはり繁殖期だそうで、雌を求めて右往左往しているのは雄だと。でも、蜻蛉は雄の方が雌を見つけて頭を掴んで確保するんだそうです。そして、必死で交尾をしようとするのだが、これも雌が拒絶するとできない。雌が受入れてはじめて結ばれ、ハートのマークになるのだそうな。やっぱり雌の方に選ぶ権利があるようですよ。それを強引にすると…ほら、あの強制〇〇等罪になってお縄になるかもね!(笑)

 下の写真は、雄が雌の頭を捕まえたもののなかなかOKをもらえず、奮闘の末にやっと…。でも、3枚目の写真は他の個体でハートマークになったもの…でも何だか歪な恋だったような…。

 さて、最後は「跳鯊(とびはぜ)」の話。

 私たちがセンターへ戻ろうと干潟の傍を通ると、館長さんがおられて面白い話をして下さいました。〝この跳鯊は、水の中だけでは溺れて生きられない魚なんだよ。だから日を浴びるため干潟に上がってきて、皮膚が乾くと今度は水に浸かりに行くだ。そのときコロンころんと寝返りを打って水に浸かる様子がとてもおもしろい!〟〝ヘエッ、鯊の仲間なのに?エラで呼吸してるんじゃないんですか?〟〝いや、跳鯊は主に皮膚呼吸なんだ。だから水から出ないと…。それに肉食だからバッタなども食べるので、生きたバッタを水辺に投げてやったりすると、もう一斉に飛びかかってみんなで食い尽くす…それを見てると、そりゃあ獰猛(どうもう)な魚なんだよ〟と。もう、ビックリ!

 跳鯊は今まででも何度も見ていましたし、汀を歩くとまるで運動会のようにピョンピョン跳ぶ様子が面白くって、カワイイというイメージしか持っていませんでした。あの有明海で有名なムツゴロウと似てるから同じ藻などを食べる草食なのかと…。本当に知らない事だらけですよね。

 熊蝉と跳鯊の写真は撮れなかったので、お借りしました。スミマセン!

 今回も大変勉強になりました。ありがとうございます。この後涼しい部屋で句会をして、12時過ぎに終了。その後すぐに家に戻り、食事をして午後からまたいつもの如く宇部馬酔木会の句会へ。やっぱりこんなに暑いと疲れ方が随分違いますね。ああ、本当に疲れました!ではこれで、オシマイ!

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7月の吟行会はどこだったでしょう?

2024年07月11日 | 俳句

 昨日は夜中に3回も緊急避難メールが入って、主人は眠れなかったと…

 へエーッ、そうなの?と、半信半疑でスマホを見ると確かに夜中の1時頃から3時過ぎまでに3回。朝のニュースでは宇部線をはじめ山口線、山陽線、山陰線など軒並み不通になっていました。下関では土砂災害や床上浸水なども…夜中に相当降ったようですね。調べて見ると、この時間帯には山口県下どこでもよく降ったようですが、特に1時過ぎの下関では瞬間降水量100㎜だとか1時間雨量が史上最大の85㎜以上だったとか、宇部でも69㎜と記録されていましたから本当にスゴかったんですね。

 でも、私が起きた時はしっとりと濡れてはいたものの小雨で…これは夜中に線状降水帯が通過したということなんでしょうけど。でも私はそんなこととは露知らずぐっすり寝ていて…暢気なものですね。これじゃあもし土砂崩れでも起こったとしたら逃げ遅れて真っ先に死んでしまいますよね。オオ、コワッ!

 今日の日中は小康状態でしたが、ニュースでは今夜から明日の朝にかけてまた降るかもと…。とにかく川岸や地盤の危険なところへは近づかないことですかね。でも、我家の近くにはそんなところはありませんから大丈夫だとは思いますけど…。

 さて、それでは先日5日の金曜日に行った月例吟行会の報告でも忘れないうちにしておきましょうか。

 今回のまず一番目の吟行地は、宇部市の小野茶産地の「藤河内」。その茶畑を一望に見渡せるという展望台へ。この日も晴れて最高気温は33度と暑い日でしたが、さすが展望台では遮る物が何一つ無くて、宇部市が360度見渡せましたし、涼しい風が吹き渡ってとても気持ちよかったですよ。

 写真は、茶畑ですが、まだ茶摘機で刈っていました。手前の濃い緑のところが刈った後で奥の黄緑が今から刈るところ。はて、これは何番茶になるのでしょうか。山牛蒡の花と捩花が咲いていました。どちらも夏の季語です。

 次は、この藤河内の近くにあるという宇部市指定の天然記念物「樅(もみ)の木」へ。この木は樹齢約200年と推定され、市内の巨樹の中でも最大級のもの。回りには廃屋と藪があって近くへ寄れませんでした。その横近くには藤河内八幡宮がありました。

 樅の木は、1枚目の写真では余り大きく見えないでしょうが、2枚目でその大きさが分かるのでは。樹高20.6メートル、根回り7.2メートル、目の高さの幹周囲は3.95メートル、枝張りは7~10メートルだそうです。八幡宮には〝鎮座400年祭記念碑〟があって建立時期は平成12年と。ナント参道に〝ままこのしりぬぐい〟がもう咲いていました。これは秋の季語なんですよ。

 最後は、廃校となった小野中学校の後を利用している、竹資源利活用の拠点となる総合施設「竹LABO(ラボ)」の見学でした。予約していた時間通りに行くと施設の方が待っていてすぐに案内してくださいました。

 「竹資源を生かして地域を元気にする総合施設」をコンセプトに2020年2月29日に開設。が、新型コロナの影響で一般公開を延期して、2021年11月21日より開始されました。見学は事前予約制で、常駐のスタッフが施設を案内してくれます。なんせ元学校なので冷房設備が殆どありません。約1時間の見学時間で汗だくだくになりましたが、とてもよい勉強になりました。

 この施設の立ち上げは、「竹の情報や有効活用方法をこの場所から発信して、地域の荒れている竹林を整備し、竹林やふるさとをよみがえらせ、元気な里山を目指したい」という目的、即ち国産竹に新しい付加価値をつけ「竹害」から「竹財」へ持続可能な新しい竹産業を構築していきたいということです。

 1階には竹製品を扱うエシカルバンブーの研究所や竹製品を作る作業場と地域の農産物の加工場を、2階には炭の紹介など行う「炭LABOルーム」と竹資源での起業を目指す人のコワーキングスペースを、3階には同施設内で製造された竹楽器など竹関連の品を多数設置した「竹のミュージアム」や県内外の竹職人・竹作家の作品の「特別展示室」など、それぞれ設けられています。

 たくさん有りすぎて圧倒されたのと酷い暑さでかしら、撮った写真が殆どボケていて…まあ、見られるのがこれぐらいで…ゴメンナサイ!

 下の写真は、竹で作った〝灯籠〟、中に灯りを入れて点すととても幻想的になってキレイですよ。

 こうやっていろいろな展示物を見たり説明を聞いていると、私たちが昔からどれだけ竹のお世話になって生活し、生きてきたかということがよく分ります。なのにこの大自然の恵みを今では忘れてしまって、ただひたすら科学的な便利なものを追いかけそれに頼るばかり。その挙げ句にそれを産み出す産業廃棄物や家庭から出る山のようなゴミの処理に困るという現実を、改めて思い知らされます。そういう認識を大いに強め、これからの生き方を改めていかないといけないなあと、つくづく考えさせられました。

 あっ、そう、そう、案内して下さった方も仰っていましたが、竹冠の漢字のものは全て竹で出来たものか関係があるものだと言っていいですよと。竿や箒など、笊や籠とかの容れ物などはみなそうですよね。それ以外でも竹の繊維のタオルやシャツ、竹の洗剤、竹の消臭剤、竹の楽器、竹炭の風鈴やお菓子なども展示されていました。ああ、東南アジアの竹でできた自転車もありましたよ。もう、ビックリです。とっても暑かったけど、これだけ広範囲に竹が利用できるということは、日本はまさにふんだんにある竹を〝宝の持ち腐れ〟にしているということですよね。それだけでなく放置された竹が蔓延って、あちらこちらの土地をダメにしているのですよ。まさに「竹LABO」さんの言う通り、「竹害」を「竹財」にしないといけませんね。

 あっと言う間に12時になりましたので、お礼に…竹とんぼや竹せんべいや竹消臭剤などを買って、そこを失礼しました。昼食は〝明石焼〟がメインのお店…初めてでとっても美味しかったです。その後はいつもの会場へ行って、5句投句の8人で40句の句会をしました。

 無事に5時前には終わって解散。お疲れ様でした。それにしても、勉強にはなりましたが、竹の展示などを詠むのは、美術館や博物館などと同じで難しい!四句八句ならぬ、本当の四苦八苦をしました。では、オヤスミナサイ!

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これは?…未知との遭遇!

2024年07月04日 | 俳句

 今日はあっと言う間の7月4日です。でも前のブログで書きましたが、〝七月〟は〝文月〟ではありませんからね。その7月に入るとすぐに時候の季語「半夏生(はんげしょう)」というのがあるんですよ。

 これは七十二候の一つで、夏至から11日目に当る日。陽暦でいうと7月1日か2日頃になります。この日に雨が降ると「半夏雨(はんげあめ)」と言って、昔から大雨が続き、土砂崩れや洪水で被害が出ることも多いのだとか。実際この辺りで雨が降り、確か熊本や熱海などの土砂災害がそうだったと記憶に新しいですもの、コワイですよ。今年は大きな被害は出ませんでしたが、やはりこの2日間はこちらでも朝から洪水警報と警戒レベル3とか4とかの避難指示が出たりして、スマホが鳴りっぱなしでしたものね。

  磐梯をしんそこ濡らし半夏生   阿部みどり女

 この句は、いつ頃の作品かは分かりませんが、福島県の磐梯山を詠んだものでしょう。みどり女は、1932年、東京杉並で俳誌「駒草」を創刊・主宰しましたが、1944年、太平洋戦争の激化に伴い「駒草」を休刊しました。その後「河北新報」の重役であった娘婿の勧めで仙台へ移転し、1945年「駒草」を復刊。以後三十余年に渡って同地の俳句界で活躍しましたから、会津の磐梯山にも慣れ親しんでいたことでしょう。この句の〈しんそこ濡らし〉が半夏雨の降り続く様子を実感させて、とてもいい句ですね。

 この「半夏生」の頃に咲くので、「半夏生」という草があります。別名「片白草」とも。最初の写真は、まだ花が小さな蕾なので葉が白くなっていません。10日後に花がしっかりしてきたので葉が白くなりました。最後のはもう花が開いています。

  半夏生咲かせ半信半疑かな    山田みづえ

 ところで梅雨明けはまだですから、昨日からの久し振りの青空はまさに〝梅雨晴間〟というところでしょうか。〈梅雨晴間二階傾くほどに干す  今井千鶴子〉ほどじゃありませんけど、やっぱり大洗濯しました。ところが今度はなんとも暑い。久し振りにラジオ体操へも行きましたが、いつも通るちょっとした坂がエライこと、エライこと!これは蒸し暑さのせいだけじゃなく、雨で4、5日体操をしていなかったからかもと。たったこれぐらいのことでこんなにも体力って落ちるもんですかね。これじゃ骨折とかで動けなくなったら二度と歩けなくなりそう、先のことが思いやられますよ。

 さて、今日の話は…実はわたし先日ものすごい体験をしたんです、人生初めてで最後…というよりもう二度と体験したくないということを。それは、いつものようにラジオ体操へ行く途中でのこと。ご近所のおじさんが畑に出て仕事をされていたので、ご挨拶しょうと声を掛けたんです。その時の畦道…幅1.5mぐらいなんですが、いつもの道だから下を見ずにおじさんの方ばかり見て、何も気にせず歩いていたんです。すると、何かグニャッとしたゴムホースのような大きさの長いものを踏んでしまって…。エッ?と思って下を見ると…ギャッ!!と悲鳴を上げて飛び上がり、一瞬心臓が止りそう!でした。

 もうお分かりでしょう?道を渡ろうとしていたんでしょうか。道幅いっぱいに横たわった大きな〝蛇〟だったんです。私は、見るのはもちろん、見えてなくても蛇と言われただけで飛んで逃げるほどの蛇嫌いなんですよ。余りにも大きな声で叫んだ私を心配して来てくれたおじさんが見て、〝こりゃあ、青大将じゃ〟と。私に踏まれて蛇も驚いたのか、しばらくは丸くなって動かなかったから、もしかしたら死んだのかもと思いきや…おじさんが近づいて鎌を振りかざそうとすると、鎌首をグッともたげて睨んだんですよ。おお、コワイ、コワイ!私はもう一時も見たくありませんでしたから、その場をすぐに離れてラジオ体操へ。しかし、その行く道々であの蛇を踏んだ感触が生々しく甦ってきて…その日は一日中何をしても気分が悪かったです。本当は蛇の方がえらい迷惑を蒙ったんでしょうがね。でも友人に話すと足に巻き付かれなくて良かったわよと…もしそんなことにでもなっていたら、私は卒倒してしまったかも。高浜虚子は〈蛇逃げて我を見し眼の草に残る〉と詠んでいますが、私はさしずめ〈蛇踏んで我を見し眼の足に残る〉と詠まなくっちゃ…でも、これぐらいではとても言い足りませんけどね。

 だから、帰りはもうその道は通らずに、遠回りして帰宅しました。次の日に蛇はどうなったかをおじさんに聞くと、あの後は溝の方へスルスルと逃げていったんですって。いやあ、二度と無い貴重な体験をしました。(笑) その話を体操の仲間に話すと、〝そりゃあ、すぐに宝くじを買いなさいよ!絶対当るから…〟ですって!う~ん、買ってみようかななんて、ちょっと食指が動きましたが、いやいや、もう蛇のことを思い出したくもないのでやめときました。

 もう一つ未知との遭遇体験が…昨日今日と、暑い日が続いていますが、午後から出かけようと車に乗ると…アッチッチ!ハンドルが熱くて持てません。エンジンを掛けて温度を見てみると…なんと〝40度〟を超えています。これも今までに体験したことのない領域です。いくらエアコンをガンガン掛けても、なかなか冷えず、いつまでたっても31度ぐらいまで。いやあ、これからはこんな日が…いやもっともっと気温の高い日が続くようになるのかも。そのうちに〝今日は30度だから涼しいわあ!〟などと言うようになるのでしょうか。とにかく今年の夏は特に熱中症にはお互いに気をつけましょうね。では、これで…オヤスミナサイ!

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今日は〝六月尽〟です…が、いつも思うことは…?

2024年06月30日 | 俳句

 今日で6月が終り、明日から7月…ということは、半年が過ぎるということなんですよね。でも、どなたかのブログを読んだら、今年は閏年だったから366日。だからその半分は183日で…その日は7月1日なんですって。まあ、そういう細かいことはいいとして、とにかく今年も半分は終わったということ。

 歳時記に〝水無月尽(みなづきじん)〟という季語がありますが、それについては〝陰暦六月の尽きること。すなわち暦の上で夏が終わること。一年の半分が経過する節目であり、この日に身の穢れを祓う習慣が水無月祓(はらえ)あるいは夏越(なごし)の祓である〟と、小川軽舟氏が解説しています。

 私も以前この日に近くの神社へ行くと〝夏越の祓〟が行われていて、参詣者はみんな茅萱で作った〝茅の輪(ちのわ)〟を潜って穢れを祓い、無病息災を願っていましたものね。一年の半分を無事に過ごせたという感謝と、またこれからの半年も無事に過ごせて新しい年が迎えられますように…と神様に祈る気持ちには大いに納得です。しかし私は、これで〝夏が終わる〟という感覚にはどうしてもなれないんですよ。それはきっと陰暦の行事を陽暦の日にちで行うからなのでしょうがね。

 〝一年の半分が経過する節目〟というのはその通りで実感しますが、しかしそれはあくまで〝六月(ろくがつ)〟の終わりとしてですもの。〝水無月〟と言えば陰暦ですから、大体陽暦8月7日か8日ごろの立秋までの1ヶ月です。だから軽舟氏も、〝水無月の終わりといえばそうした信仰行事と結びついた季節感があったはずだが、現代においては実感しにくい〟と、解説の最後に書いておられます。

  草の戸や畳替へたる夏祓へ     炭太祇

 この句はやはり、陰暦の水無月尽での〝夏祓〟でしょう。ジメジメした梅雨の時期から暑苦しい真夏をやりすごして、明日からは空気の澄んだ秋の気候へと変わっていく…ならこの粗末な家もせめて畳ぐらいは替えてすっきりとして夏祓えを…という句意でしょうか。だとすれば今の六月の終わりではこのような感慨は絶対に生まれてこないでしょうからね。

 しかし、〈また雨の降つて来さうな茅の輪かな  星野麥丘人〉のような句になると、今の梅雨最中のどんよりした曇り空の下での茅の輪を想像してもいいでしょう。ということは、〝夏越〟や〝茅の輪〟という季語は、一応晩夏だからその季節感を厳密に守って伝えねばということよりも、内容の〝邪神を祓いなごめる〟ための行事という本意を理解して詠む方がいいのだと思います。

 下の写真は、以前〝夏越大祓〟に行って貰ったお守りと、中津瀬神社の〝茅の輪〟です。

 調べてみると、この行事を行っている神社では、陽暦の6月30日とか、または月遅れの7月31日などと様々なんですが、人というものはいつの世も健やかに元気で生きること、すなわち長寿を願うものだということ。これは古今東西普遍的なことでしょうからね。そういう民俗信仰に由来するような季語においては、特にその本意をしっかり理解して詠むことが最も大切なのではないでしょうか。

 ちなみに、〝水無月〟という意味は、一般的には炎暑のため水の無くなる月の意です。だから〝常夏月〟とか〝風待月〟などとも言いますから、陽暦の六月を指すのはおかしい。やはり梅雨が明けてからの小暑大暑のころが相応しいでしょう。だから次のような句も生まれるのですよ。

  水無月や風に吹かれに古里へ    上島鬼貫

 ついでに言えば、明日から7月ですが、それを〝文月(ふみづき)〟とは言ってほしくないです。歳時記にも〝文月〟とは〝語源は諸説あるが、「文披月(ふみひらきづき)」の転じたものとされてきた。短冊などを手向ける七夕の行事にちなむものである〟と。だから〝文月とは七夕の月と理解しておけば本意を外すことはない〟とも、軽舟氏が解説しています。ということは、〝文月〟も〝七夕〟も初秋の季語ということ。決してまだ梅雨も明けていないような陽暦の〝七月(しちがつ)〟には使ってほしくないのです。

  文月や六日も常の夜には似ず    松尾芭蕉

 有名な芭蕉の句ですが、これは〝やはり七夕月だなあ。前日の六日でさえ常日頃の夜空とは違って、こんなにも澄んでいるのだ〟と、夜空や星の美しさを讃えて詠んでいるんです。絶対に陽暦の七月ではありえませんからね。

 このことについては確か以前にも何度か書いています。陰暦の月の呼称を簡単に陽暦に当てはめてほしくないと…言葉を知っているからではなく、意味を理解して使ってほしい。言葉というものには必ずそう表現されるべき何らかの語源があるのですから。どうか皆様よろしくお願い致しますね。  

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〝きらら俳句教室〟の第3回目で~す!でも、その前にちょっと…

2024年06月24日 | 俳句

 一昨日の21日は〝夏至〟でしたね。全国的に〝梅雨入〟も宣言され、こちらでは毎日雨が降って鬱陶しい日が続いています。ところで、歳時記の〝夏至〟の例句を見てると、

  夏至の日の手足明るく目覚めけり    岡本 眸

という句がありました。でも私はなぜか、この日は今までにないぐらい気怠い朝で、この句とは真反対。手足が重くて暗~い目覚め…何にもしたくないという感じだったんですよ。それで〝特別何もしてないのに、どうしてこんなダラしいのかしら?〟と主人に言うと、そういうのを〝フレイル症状〟というんだよと。何それ?…と聞いたら、特別な原因もなく、何となくダルイとか、何もする気がしないとか、気分が乗らず重苦しいなどの状態をいうんだそうな。じゃあ昔よく言っていた〝不定愁訴〟とかいうものなの?と言うと、まあ、似ているかも知れんが、今では〝フレイル〟と言うんだそうだと。

 ヘエッ!と思って、ちょっと調べてみました。すると、〝フレイルとは英語のFrailty(虚弱・老衰)という言葉に由来し、一言で表すと「加齢に伴い心身が虚弱している状態」のことです。人は年齢を重ねると筋肉が衰え、外出や人との交流も少なくなり、心も体も弱ってくる傾向があります。フレイルは、明らかな認知症や病気などを発症しているわけではないものの、確実に衰えを感じるような状態です。つまり、健康な状態と介護を必要とする状態の間の段階がフレイルだといえるでしょう〟ですって!

 更には、〝フレイルを放置しておくと、そのまま介護が必要な状態にまで発展してしまいますが、早期に適切な対処をすれば症状が改善することもあります。フレイルを予防するとともに、フレイルの症状が見られる場合は、改善に向けて動くことが大切です〟とも。

 じゃあ、その〝フレイル〟かどうかを調べるにはどうしたらいいのかしら?と思って見ると、その診断基準がJ-CHS基準と呼ばれるもので、以下の5つの項目のうち、3つ以上が該当するようであれば、フレイルだと診断されますって。じゃあその5つの項目とは?「体重減少」「筋力低下」「疲労感」「歩行速度」「身体活動」だそうです。もし1~2項目に該当する場合は、プレフレイルと呼ばれるフレイルの前段階だとも…ですってよ。こりゃあ、大変!…筋力低下と疲労感、歩行速度は該当する…じゃあ私は〝フレイル〟になっているんでしょうかね。イヤダ~!放置すると認知症になるかもですって…それは困りますよ。なら気を入れて予防にガンバラナクッチャ…ねッ!

 それでは今日は頑張って、15日にありました〝きらら俳句教室〟第3回目の報告をしておきます。

 いつもの通り、9時半から開始。この日は事前に吟行の意義を説明しました。せっかく実物を目の前にしているのですから、その時の実感を詠むことが一番大切ですよと。上田五千石氏の〝眼前直覚〟の論を例に解説しました。

 さあ、では10時から吟行です。今日は先ず〝干潟ふれあいゾーン〟へ行き、童心に返って蟹の穴を探しました。ある、ある…ちょうどいい具合に潮が干いていましたので、〝蟹の砂団子〟が無数に…すると蟹もチョコチョコ逃げて岩場に隠れようとします。

 俳句ではただ「蟹(かに)」といえば、沢蟹、川蟹、磯蟹などの小蟹のことで、夏の季語なんですよ。トビハゼもいましたが、これは鯊(はぜ)の一種ですから秋の季語になるんですね。

 「蟹の穴」でも「蟹の砂団子」でも季語になりますよ。

 今度はいつもの道をしばらく歩いて行くと、見たことのない変な虫(※1)が…あら、ちょっと変わった蜘蛛(※2)も…レンジャーのHさんにそれぞれの名を教えて貰いながら…でも、その時だけでセンターに帰るとすっかり忘れています。この歳になると新しいものって何度聞いてもなかなか覚えられませんね。特に花の名などは最近の洋花は全くダメ。一つ覚えたら前に覚えたのを忘れて…まるで記憶の抽斗が一つしか入らないようになってるみたい!皆さんはいかがですか?

※1 ヨコヅナサシガメ(横綱刺亀、学名Agriosphodrus dohrni)は、カメムシ目(半翅目)サシガメ科に分類されるカメムシの一種。オオトビサシガメと並び、日本サシガメ科中最大級の種である。

※2 キマダラコガネグモ で、北アメリカではこのA. aurantia がもっとも普通なクモの一つで、 black and yellow garden spider、corn spider、writing spider と呼ばれてよく知られている。

 最後はビオトープまで来ました。すると、いろんな種類の蜻蛉(とんぼ)があちらこちらに飛び回っています。「川蜻蛉」や「糸蜻蛉」などは夏の季語ですが、「塩辛蜻蛉」や「赤蜻蛉」「鬼やんま」などは秋の季語。それで「蜻蛉生る」と言えば夏の季語なのよと言うと、早速〈生まんとて蜻蛉(とんぼう)水を打ちつづく〉という句が出ていました。作者に聞いてみると産卵しているところを見たんですって。これぞまさに現場に出なかったら詠めませんものね。さすが皆さん〝有言実行〟です!

 蜻蛉の写真はなかなか撮れませんでしたので、代わりに〝睡蓮〟を。これも夏の季語ですからね。でも最後の写真…こんなの撮った覚えがないんだけど、なかなかいいじゃない!なんて思って見ていましたら、ああ、思い出しました。〝たぬき藻〟の花を撮ったんでした。真ん中の黄色の花…見えますか?やっぱり何でもすぐにしなくっちゃ忘れてしまいます。いけませんね。これからは気をつけよう!

 さて、いつもの如く12時過ぎには終って急いで帰り、13時半からの宇部馬酔木句会へ行きました。ああ、疲れました。こんな様子なら私〝フレイル〟とは言えないんじゃないかしら?ねッ!はい、オシマイ! 

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〝きらら俳句教室〟の…第2回目は?

2024年06月20日 | 俳句

 先日の土曜15日は、第3回目の「きらら俳句教室」でした。さて、その報告を書いておかなくてはと考えていたら…あら、先月5月18日の第2回目を書いていなかったような…と気が付きました。このように段々忘れっぽくなるんですよね。そう言えば、4月の「桜紀行」も〝その5〟で止まったままでした。その続きがまだあるというのに…。時期の遅れた記事を読むというのは、まさに気が抜けたビールを飲むようなもの。面白くもなんともないでしょうね。

 俳句を誉めるとき使う言葉に「臨場感」というのがあるんですが、その意味は現場に臨んでいるような感じ、即ち真に迫った実感の俳句ということです。ならば、当然時期を逸れた気の抜けたような話題はイマイチでしょう。分っているんですがそれが出来ない性分で…ガマンして読んで下さいね。

 さて、先ず第2回目の〝きらら俳句教室〟から書きましょう…と、記事一覧を見ていたら、ナントあるじゃありませんか。5月23日に書いた下書きが…。写真がまだだったのでそのままにしていて、忘れていたんですね。情けないこと!では、ちょっと手直しして今度こそUpしますので読んで下さい。

 今日は、桜紀行をちょっとお休みにして、先日の18日土曜日にあった〝きらら俳句教室〟第2回目の報告をしますね。

 いつもの如く9時30分より開始。今日は〝茅花ながし〟や〝卯の花腐し〟の話でもしてみようと思っていましたのに…いつの間にか朝ドラ〝虎に翼〟の話からだんだんと漫談調になってしまって…。まあ、こんな日もあっていいわよねとみんなで大笑い。

 さあ、10時から吟行…今回は感動したことが三つもあったんですよ。

 まず最初は、蜘蛛の子…夏の季語なんですが、〝蜘蛛の子を散らす〟という喩えがあるように、袋が破れると中から一斉に子蜘蛛が出てきて四方に散ってゆくものとばかり、私は思っていたんです。

 だから、レンジャーのHさんからこれが蜘蛛の子ですよと言われてビックリ!まさか下の写真のように小さな蜘蛛がこんなに固まっているとは…

 すると今度は〝ではこれに触ってみて下さい〟と、Hさんが言うので、木の枝でちょっと触ってみました。すると…エエッ、なんとなんと…この芥子粒のようなつぶつぶがパーッと網の目に広がるではありませんか。見ていたみんなも驚くばかり。

 では、これをちょっと拡大してみましょうか。全部蜘蛛の子でしょう。でもこのようなものが嫌な方はスルーして下さいませね。

 そうなんです。蜘蛛の子が生れたばかりで、まだ独り立ちする前だったんですね。だからその近くには母蜘蛛が見張っていて、周りをウロウロと心配するように動き回っていました。それを撮ったつもりでしたが、残念ながら写っていませんでした。ゴメンナサイ!

 感動した二つ目は、大葭切(おおよしきり)…ギョウギョウシと言われるように、葦原を巡っていると、盛んに鳴いていました。雄の葭切が鳴くときは喉の紅さがよく見えると聞いていますが、私は、姿を見てもその紅い喉はまだ一度も観察したことがないんですよ。それが、今回はHさんがフィールドスコープでしっかりと見せてくれました。やっと念願が叶いました。写真が撮れませんでしたので、これはお借りしました。ゴメンナサイ!

オオヨシキリ

 そういえば時鳥(ほととぎす)も、結核に冒されて喀血する正岡子規が、〝鳴いて血を吐くホトトギス〟と自分を重ねて、俳号をホトトギスの異称〝子規〟と名付けたんでしたよね。

 しかし、ホトトギスの喉は実際にはなかなか観察出来ませんのでまだ見たことはありません。というより、ホトトギスは観察会に行っても声ばかりで、その姿を確認することがなかなかできませんから。たとえ見れたとしても飛んでいくところをちらりとですもの。口の中までは…。ああ、そうそう、鴉の子(雛)は口の中が赤いんですよ。これは野鳥の会の先輩に教えてもらって、実際に観察もしましたから分ります。

 他にこの日は、5月の花として…順にイタチハギ(鼬萩)、シャリンバイ(車輪梅)、ニワセキショウ(庭石菖)、ツバナ(茅花)、ボケていますが絶滅危惧種のニラバラン(韮葉蘭)、自生のシラン(紫蘭)、スイカズラ(忍冬)、トベラ(海桐)などでした。

 観察小屋から覗くと、クロツラヘラサギの保護・リハビリケージ保護センターの傍には、この日はクロツラヘラサギが2羽飛んで来ていました。右側のケージの上にいるのはダイサギで、中にいるのは保護して飼育されているクロツラヘラサギ。遠くなので写りが悪くてスミマセン!

 最後に、もう一つ感動したこと!4月23日に実施した〝子どもレンジャークラブ〟の俳句教室〟、そこでの感想文をHさんに見せて貰ったのですが、それには〝俳句を作って楽しかった!〟とみんなが書いてくれていました。中でも感心したのが、「最後に言いたいことを…ひと言で」という質問に対して、殆どが〝またやりたい〟と書いていたのに、中に〝鳴かぬなら私が鳴こうほととぎす〟と書いてくれている女の子がいたんです。

 もう、ビックリ!です。まだ5年か6年生ですよ。あの信長・秀吉・家康の句(※参照)を知っていて、それをもじって詠んでいるんですよね。こんな子どもたちがこれからドンドン成長してくれたら、俳句の未来は明るいでしょう。嬉しくなりました。こりゃ、大人もおちおちしてはいられませんよ。みんなガンバラナクッチャ…ねえ!では、これで第2回目はオシマイ!

 ※『故事・俗信 ことわざ大辞典』(尚学図書編集 小学館 1982年)に、「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」を織田信長、「鳴かぬなら鳴かせてみしょう時鳥」を豊臣秀吉、「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」を徳川家康の句とし、それぞれの武将の特徴である短気、工夫、忍耐を時鳥への対応をもって表現したもの」とある。

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サプライズ!…と月例吟行会の報告です!

2024年06月16日 | 俳句

 先日のM俳句教室でのことです。13時半の定刻に句会場へ行くと…何だかいつもと違う雰囲気。いつもだったら私が到着するとすぐに開始の礼をして…

 あれ?教室のお世話をしてくれている幹事さんが何だかゴソゴソと…何処かに隠していたのでしょうか、立派な花束を持って前の方へ…〝先生、この度は受賞おめでとうございます〟と。エエッ、とビックリ。思いがけないサプライズでした。見て、見て…キレイでしょう!

 また、昨日(土曜日)の宇部馬酔木句会でも皆様からお祝いをいただきました。本当にありがとうございます。感謝、感激…あめあられで、涙が出そう。心からお礼申し上げます。

 それでは、今日は先日7日に実施しました月例吟行会の報告…、忘れないうちに書いておきましょうか。

 行先は、山口市の小鯖(おさば)地区方面。山口宇部空港の駐車場に9時集合して、さあ、出発です。天気は上々…もう暑いぐらい!最初に先ず目指したのは、小鯖地域交流センター。午後からこのセンターの部屋を借りて句会なんですが、その前にここで地域の案内パンフレットを貰うためです。

 この小鯖という地域は、平安時代の頃に山口の佐波・矢田などから移住してきた人々が住むようになって、小鯖村ができたんだとか。名前の由来は「佐波」からだそうですが、なぜ魚の鯖の字になったんでしょう。ここには〝佐波川〟という一級河川がありますが、鯖が捕れていたのかしら…?

 さて、この地の見所は四季それぞれにあって、〝おさば歳時記〟によれば、春は三世代交流大運動会、夏は小鯖体育大会・小鯖夏まつり、秋は小鯖八幡宮秋祭り・小鯖ふるさとまつり、冬になると小鯖消防団出初式・小鯖小学校竹馬大会などと。なかでも小鯖八幡宮での〝代神楽舞〟は、江戸時代から始まったもので、毎年10月最終日曜日に行い、県の無形文化財(無形民俗)になっているものです。また、この神社は桜や鬼百合、彼岸花などの花の頃もよい吟行地みたいですから、今度は花のある頃に来てみようかと思っています。

 では、今回どこを観て回ったかといいますと、先ずこの交流センターのすぐ裏手にある「正田山」。ここは標高111mで小鯖地域のほぼ中心位置にあり、頂上から棯畑(うつぎばた)以外の全域が見渡せます。山頂には野外活動広場があり、全長約46mのローラー滑り台が設置されていますし、春には桜が満開となって花見には絶好の場所です。

 ところで、私たちみんな童心に返って、このローラー滑り台を滑ってみたんですが、さて、これを俳句に詠込むとなると非常に難しい!なんせ〝滑り台〟だけでは理解して貰えませんので、17音中の9音を使ってしまうと…後がみんな似たり寄ったりになってしまうんですよね。

 次は、正田山からは見えなかった棯畑の「野花菖蒲」自生地へ行きました。標高380mの湿地帯に自生している〝ノハナショウブ〟は、県の有形文化財(天然記念物)で、花色が変化に富み、今がちょうど見ごろ。ラッキーでした。

 最後の吟行地は、「鳴滝」です。高さ10mの滝で、棯畑から流れ出る鳴滝川の渓谷にあり、滝は3段になっています。古来山口市の名勝として文人墨客が多く訪れている所です。中でも山口出身の有名な詩人・中原中也がここを詠んだという詩の碑が三の滝の傍に建っています。

 その詩は、この鳴滝を詠んだものとして、詩集『山羊の歌』に収められている〝悲しき朝〟です。

悲しき朝

河瀬(かわせ)の音が山に来る、
春の光は、石のようだ。
筧(かけい)の水は、物語る
白髪(しらが)の嫗(おうな)にさも肖(に)てる。

雲母(うんも)の口して歌ったよ、
背ろに倒れ、歌ったよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いわお)の上の、綱渡り。

知れざる炎、空にゆき!

響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

われかにかくに手を拍く……

 中原中也は明治40年4月29日、山口市湯田に生まれ、昭和12年10月22日、30歳の若さで没しましたが、昭和の代表的叙情詩人として全国的に知られています。昭和9年に詩集『山羊の歌』を出版、その中にこの詩「悲しき朝」が収められています。

 他に滝に真向かうように建つ滝不動…出入り口には紅白のお地蔵様も。周りには蛍袋が沢山咲いていました。

 お昼になりましたので、この鳴滝の傍にある〝山口地ビールサン・レミ・ド・プロヴァンス〟で、ビュッフェ式のランチを頂きました。その後、小鯖地域交流センターへ戻って、4時半まで句会。それから山口宇部空港まで戻り、5時半には解散しました。皆様どうもお疲れ様でした。オシマイ!

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笑われた〝江戸城〟へ…その〝東御苑〟を見学!

2024年06月12日 | 俳句

 それでは授賞式の翌日に行きました〝新宿御苑〟の続きで~す。あの東京の人たちから笑われた〝江戸城〟へ。

 実は、その日の朝、千葉に居る友人に久し振りに連絡すると、午後からなら付き合うよと言われて、東京駅で12時30分に落ち合うことに。ところが、丸の内中央出口と言われていたのにそれが分らずにウロウロして、南口へ出てしまいました。困って連絡すると、もうそこをじっと動かないで待っててと…。結局分らぬ人間が動くより知ってる方が動いた方が早いということ。

 それで、今から行けば皇居参観の当日整理券配布に間に合って、券が貰えるかもと、急いでタクシーに乗り桔梗門へ行くと、ナントもすごい行列。当日並んだ300人に入場整理券が渡されるんだそうで、とんでもないことでした。でも、まだドンドン来てるからいいのかもと思い並ぼうとすると、その人達はすでに整理券を手に入れている人たちだったんですよ。もうあっと言う間に整理券は無くなったそうで、殆どが外国の人ばかり…。

 というわけで、残念ながら皇居の参観は諦めて、何時でも公開されている〝東御苑〟へ入園することに。そうなればもう急ぐこともありませんので、先ずは近くで腹ごしらえを。いい具合に冷麺専門店が見つかってそこで昼食。今度は並んで待つ必要もありませんので、大手門から入ってゆっくりと観て回りました。では、順番にどうぞ…

① 大手門 ② 同心番所 ③ 百人番所

 回りは高層ビルばかりなのに…ここはまるでタイムスリップしたような不思議な空間です。

 城壁一つ一つの石の大きさ…これ、見て下さい。スゴいですよね。これは友人がとっても背が高いんですよ。

 広すぎて全部は到底見られませんので、二の丸と天守台だけにしました。

 ウツギとリョウブの花。その下は菖蒲園。丁度見ごろで、よかった!

 アカザとコウホネの花。鯉は〝ヒレナガニシキゴイ〟。

 天守台には何もありませんでした。また、あの〝忠臣蔵〟で有名な〝松の大廊下〟も松の木が一本あるだけで何も…。まあ、とにかく広い、広い!こんなに広いところを昔の人はよくもまあ…将軍様達は移動するだけでも大変だったでしょうね。今はどこもかしこも緑いっぱいで、観光地として、また人々の憩いの場にもなっているようでした。

 最後はこれ以上はもう一歩も歩けないほどに疲れて…でも、宇部までは帰らなくっちゃと、友人と別れて地下鉄で無事に羽田へ。若い娘でさえ疲れてもう歩きたくないと言うぐらいなんですから、私はこの老体に鞭打って…本当によく頑張りましたよ。そんな自分を〝褒めてあげたい!〟。

 

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