とうとう3月が終りますね。今日は俳誌「早苗」の運営委員会で広島へ行って来ました。年度替わりの総括と新年度へのスタートを切るための会議なのですが、昨今の状況からなかなか難しい問題が多く、10時45分から16時までみっちり討議をしましたので、とても疲れました。でも、朝の内降っていた雨も早々と止んで、広島は今を盛りと桜が見事でしたよ。
広島駅ではカープの試合を見に行く人たちと擦れ違い、いつもながらその人の多さにビックリ。このところのカープは、開幕から信じられないような快進撃ですものね。当然フアンの応援にも熱が入りますよ。
先ほどお婆ちゃんちから帰ってきましたが…今日も、阪神に3-2で逆転勝ち!なんと6連勝ですよ。嬉しいのは当然ですが、こんなに勝ち続けると気持ち悪い!なんて言って…ゼイタクですよね!
さて、昨日はラジオ体操でお別れ会があったんです。本当は今日の予定だったんですが、雨という予報で変更。いつもお世話になっているふれあいセンターの館長さん初め4人の方が退職や転勤だというので、お礼にお花の鉢を差上げようということに。
そのお返しを貰って…昨日はみんなニコニコ顔。終って信号を待っていると、通りすがりの人から〝皆さん、何だか嬉しそうですね!〟と声を掛けられるほど。幾つになっても何か貰えるというのは…全く子供と一緒です。でも、これがもし今日だったら、私は広島へ行くのでラジオ体操へは来られなかったでしょう…だからラッキー!ほら、こんなに…おまけに朝採りのほうれん草まで頂いて、いいでしょう。ついでに帰り道に見つけた〝土筆(つくし)〟も採って、お婆ちゃんへのお土産に。そうしたら早速土筆の卵とじを作ってくれました。懐かしい春の味が…
ところで、今日は3月の終わり、即ち〝三月尽〟ということなんですが、私はいつも迷います。この句の〝三月尽〟はもしかしたら新暦なのではないかと。
歳時記を見ると、主季語〝弥生尽〟として傍題には〝三月尽〟〝四月尽〟が出ています。その解説では、〝旧暦三月の晦日をいう。春が尽きるという感慨がこもり、惜春の情の深いことばである〟と。
しかし、〝新暦になってからは春が尽きる感慨を四月尽として詠むことも増えている。三月尽は新暦三月の終わりの意でも使われる〟とも書かれていますから。
ちなみに旧暦では、1月~3月が春、4月~6月は夏、7月~9月までが秋、10月~12月が冬ですから、季語もそれに則っています。だから〝三月尽〟は当然春の終わり。ところが新暦では季節が約1ヶ月以上ズレていますので、4月の終わり(実際は5月5日の立夏の前日までが春)の〝四月尽〟が春の終わりということで詠まれるのです。ちょっとややこしいですが…。
俳句を詠む人はそこをしっかり理解して使わないと、この句の〝三月尽〟はどっちを詠んでいるのかと鑑賞する方は迷ってしまうのです。
桜日記三月尽と書き納む 正岡子規
三月尽人それぞれの旅鞄 大橋通男
さて、この2句を比べて、皆さまはどう思われますか?前のは、明治35年に亡くなった子規の句ですから当然旧暦での〝三月尽〟でしょう。桜日記というのは主に桜のことを書いた日記なのかしら、それとも桜の絵や色の日記?とにかく春というのはやはり桜に代表されるもの。その桜もみんな終ってしまって、これで来年まで見られない…ああ、春も終わったなあ…と。
ところが、後句は〈人それぞれの旅鞄〉と、ポイントは〝旅鞄〟にあります。そうするとこれから旅へ…それは人生の旅へとも思われますので、春が終わり…即ち夏へ向って出発するということになります。そう考えてもダメとは思いませんが、それは惜春の情とは違うような…。だとすると、年度替わりの新暦の〝三月尽〟…4月からは社会人として新しい世界へ旅立つ…そのときの鞄にはみんなそれぞれの人生への思いが詰まっていると考えれば感慨も一入でしょう。更に何となく旅立ちへの期待と不安も詰まっているように感じますし。
とまあ、私なりの解釈をしましたが、いかがでしょう。なにかご意見があればご教示を、よろしく!
それでは、あなたも〝三月尽〟で一句どうぞ!さて、どちらの意味で詠まれますか?