ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝時雨雲…〟の句は〝怪我の功名〟だよ!

2020年01月31日 | 俳句

 とうとう今日で1月が終わりますね。〝1月行く、2月逃げる、3月去る〟といわれる、私にとっては恐怖の時期なんですよ。

 今朝ラジオ体操へ行くと、雲が一面に…。そういえば天気予報は一日中曇りでしたもの。ところが、体操を始めて、イチ、ニッ、サン、シー…真上を見上げるとナント明るい青空が見えました。このところ宇部は曇っている日が多くて、ああ、また今日もと思い込んでいたんです。

 人というものは、遠くは見るのに自分の真上って余り見ませんよね。自分の真上にこんな綺麗な青空があったなんて…。でも、体操が終わる頃にはもう雲が湧いてきてその青空を隠してしまいました。まるで、身近にあるシアワセに気が付かない人には見せないかのように…

  時雨雲(しぐれぐも)一握(いちあく)の空持ち去りぬ

 平成10年の私の作です。思えばその頃、1月には娘の手術と甥の訃が重なり、10月には姉が…。次の年の8月に義父、10月には兄と、次々に亡くなり、まるで人生の負の時代がまとめて押し寄せて来たようでした。だからこの頃は法事が目白押しだったんです。(笑) 今だから笑って言えるんですけどね。

 これだけ次々と不幸が押し寄せると、何に対しても悲観的になり、自分の病気さえも悪い方にしか考えられなくなって、〝なんで私にこんな苦しみばかりを~もう神様、助けて~〟という気分だったと思います。〈一握の空〉とは、一握りの青空のこと、その残されたわずかな青い空をまたも無碍に時雨雲が持ち去ってしまったという、大袈裟にいうなら〝絶望感〟というものを詠んだんですね。

 私の第1句集『風聲』(ふうせい)に収めて、林翔先生に推薦句として採り上げていただいた句です。この時は自分の気持ちだけで精一杯で、それを詠んだんですが、今改めて見直してみると、この句は季語の「時雨雲」が良かったんですね。自分で言うのもおかしいのですが…

 「時雨雲」は冬の季語。そもそも「時雨」は、冬の初めに降る通り雨のこと。降る時間も短く、地域も限定されていますので、ある意味一瞬で終わることもあるんです。それが去った後は、まるで嘘のように青空になったりと…。ということは、どんなに辛く暗いときでも、それが通り過ぎればまた明るい世界がくるのだと…。気付かずに私は悟っていたのでしょうか。エヘッ、偉そうなことを…。ゴメンナサイ!

 ここでもう一つ言わせて貰うならば、この句は、〈一握の空〉もよかったから翔先生も誉めて下さったのでは?もしこれが〝一瞬の空〟だとしたらダメだし、ましてや〝一瞬に空〟なんて詠もうものなら、きっとボツになったでしょうね。この違い分かりますか? 

 まだ俳句を始めて10年余りの私が、それを自覚して詠んだとは思えません。これはきっと知らず知らずのうちに身についてきたものだったのでしょう。その時はなぜこの句を先生が…と分からなかったのですが、今にして思えば、ナルホドと。やっぱりベテランの先生方の選句眼は確かで素晴らしいと思いました。ああ、私も早くそうなりたあ~い! 

 この句は、この時の私の偽らざる心境をただ必死に五七五にしただけで、季語も深く考えずに即けて詠んだような…まさに〝怪我の功名〟の句なんですよ。だからみなさんも根を上げずに精進すれば、いつかどこかで報われます。それを信じて……さあ、また頑張りましょう。

 写真は、今朝の空と今現在の正午の空。…と、これ書き終えてUPした途端、またさあっと日が差してきました。ヘンな天気~!

 

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〝鳥〟を俳句に詠むときは…

2020年01月29日 | 俳句

 今日は朝から日が差して、久し振りの青空です。昨日の天気予報では山口県は一日中曇りでしたのに、ヘンなのお…

 まあ、洗濯物が乾くのならいいわ…と思っていましたら、急に暗くなって、そうです、時雨雲でした。エエッとは思ったものの、そのままにしていたら、すぐまた日が差して…これもまた、ヘンなの!合間合間にさっと時雨れても、結局晴の勝ちで洗濯物は乾きました。ヨカッタ!

 先日から、忙しすぎてブログが追いつきません。27日、28日も俳句教室の日でしたので、その添削で時間がなくなりました。今日は原稿の〆切が近いので、今度は朝からそれに…。まだ終わってはいませんが、でも疲れたのでちょっと息抜きに書いています。

 27日の兼題は「笹鳴」でした。鶯のホーホケキョという鳴き声は春になっての雄のさえずりで、秋から冬は雌雄ともにチャッ、チャッという舌打ちに似た地鳴きをします。それが「笹鳴」なんです。

  笹鳴の鳴き移るさま見ゆるかに         右城墓石

 鶯は、早春からホーホケキョと美しい声でよく鳴くので知られていますが、なかなかその姿は見ることができない鳥です。要するに〝声はすれども姿は見えず〟が多いんですよ。ところが、笹鳴きになると冬ですので、藪や林などは枯れて葉を落してしまいます。それで隙間が多くなって鳴きながら動いている鶯の姿が見えるようだと詠んだのでしょう。だからこれはきっと林の木立の中での景なんでしょうね。

 ところで、〝鳥〟を俳句に詠むときは、その鳥の生態をよく知った上で詠まないととんでもない恥を掻くことになりますよ。みなさん気を付けましょう。今回は兼題ですからその意味を説明してありますのでいいのですが、笹鳴きがうぐいすの地鳴きで、冬の季語だということを知らない初心の方は多いものです。

 以前にも〝岩雲雀〟(いわひばり)を、海岸の岩場で鳴いていたので詠んだという句があって、〝本当にいたの?〟と聞くと、〝確かに姿を見たし、鳴き声も聞いたんです〟と。もちろん岩雲雀は雲雀に似た鳴き声ですし、岩場に生息します。それで〝岩雲雀〟という名前がついているのですが、根本的なことが違っているんです。夏場はこの鳥は、日本では本州中部の高山で山頂近くの岩場に生息しますので、天地がひっくり返らない限り海辺では生きてはいけません。私が出会ったのも乗鞍へ行ったときでしたから。綺麗な声で鳴いていましたので双眼鏡で確認すると、姿も間違いありませんでした。その話をして、最後にもう一度〝本当に岩雲雀を知っているの?〟と聞くと、〝実は何か鳥の声がしたので、ある人に聞くとそうだと教えてくれたんです。だから詠んでもいいのかと…〟と。とんでもないことでしょう?もし海だと分からないような岩場だけの景を詠んだ句なら、この鳥を知っている人は誰だって高山を連想してしまいますものね。作者は海で詠んでいるというのに…

 こういう話よくあるんですよ。音数と響きがいいからこの鳥を季語に使ったのだとか、鳥でなくて花でもよく知らないのにかっこよさそうだからとかいう人が…。そんな時は、俳句ってそんなもんじゃないでしょ!と言いたいですよ。つまり、俳句をする以上は何でも知っているに越したことはないということ。だから、もっともっと勉強しましょう。さあ、みなさんもどうぞ! 知ってソンはしませんからね。

 写真は、先日実家へ行ったときの、庭の椿。きれいな色でしょ!亡くなった兄がとっても植物好きで、これも兄の植えたものなんでしょう。こんなに大きな木になって…。もう兄が亡くなって20年になりますものね。

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令和最初の〝早苗新年句会〟へ!

2020年01月26日 | 俳句

 今日は俳誌「早苗」の新年句会。10時から「ホテルセンチュリー21・広島」で、41名の参加でした。九州は大分県から関西の京都・大阪までと広範囲の出席者で、年に1回の俳句大会です。句会の後は、同人紹介や各賞の表彰式がありますし、懇親会もあります。宇部からは二人が同人に昇格、鍛錬会の人賞も受賞しますので、5名で参加しました。

 写真は、句会と懇親会の様子。懇親会のメニューは食べる方が先で、気が付いた時はデザートのケーキだけ…。

  先日の暖かさとは打って変わって、昨日からまた気温が下がりました。といってもこれが〝平年並み〟ということなんでしょうがね。

 実は今年になって始めたことがあるんですよ。もう半月以上続いていますから、そろそろここにも書いていいかなと…。今日の俳句大会でも〝夢〟というのを聞かれて、そんな大それたものではないのですが、私はこれを〝今年一年間続けること〟と言いました。それは、ラジオ体操に毎朝出席するということ。以前から行くといいとは思っていたのですが、なかなか踏み切れなくて…。普通ラジオ体操というと朝が早いでしょう。早起きが苦手な私には昔からムリ、ムリと諦めていたのですが、私の住んでいる地域のふれあいセンターで行うのは、8時20分から。それならできるかもと思ったのです。それでもなかなかやる気が起こらなくって…。それをやっと決心して、主人と行くことに…二人ならくじけそうになってもなんとか大丈夫かなと思って。

 ところが、初めて三日目のことです。主人がゴルフのため今日は参加できないと。エエッ、なら私も行くのは止めようかしら…。でも主人から〝行かなかったら三日坊主にもなれんぞ〟と言われて、それはクヤシイから一人で行きました。それからはもう大丈夫!ラジオ体操は土・日・祝日はありませんので、それ以外は休んでいませんものね。往復と体操でわずか30分余りの運動ですが、これは私にしては大きな進歩なんですよ。だからガンバロウ!

 昨日の午前中は義母と定例の通院。その帰りに文化会館に寄って、「西陣美術織若冲動植綵絵展」と「 炎の芸術萩焼の名品と浮世絵版画秀作展  ―萩焼400年その源流と周辺伝統から現代、未来へ― 」を観て、目の保養をして帰りました。撮影禁止でしたので写真はありません。若冲の絵も素晴らしいですが、それを西陣織で織り上げている、その緻密さに驚くばかりでした。萩焼でも有名な坂高麗左衛門さんや坂田泥華さんなど…私にはあまり分からないので、陶芸をしている主人が観たらいいのではと、帰って勧めておきました。

 その後は、美容院へ行き、夜は娘の誕生日のお祝いにボーリングと会食…エッ、なんで又ボーリングと思うでしょ!実は年末大売出しで無料券が当たったんですよ。それでやろうということになりましたが、娘夫婦も10年ぶり?いや20年かしらというし、私たちは30年以上も前よね~といいながら。でもさすが婿さんは昔取った杵柄とばかりスペアーやストライクが…娘や主人も段々昔の勘を取り戻して…。主人など昔はマイボールを持っていたのよなどと言うと、娘達は驚いていました。スコアーはまあ…分かるでしょう。そうは容易くありません。やっぱり何事も継続と練習ですよ!私なんかはもちろん溝掃除ばかり…

 でも、久し振りにボーリングやって楽しかったです。一時はすごいブームで、どこに行っても順番待ちでしたが、今では…。これも時代の移り変りなんですね。さあ、また明日から頑張らなくっちゃ!

 ところで、このところ書いたブログの文章が何度も消えてしまい、クヤシイ思いをしましたが、また、また今回も…。確かに下書きで保存しておいたのに…ですよ。一瞬その文章が出たので、あっ助かったと思ったのですが、写真を挿入しようとして画像フォルダにいき編集画面に戻るとまたおかしくなるんです。もう、今回は腹がたって、〝どうなってんの〟と、叫んでしまいました。ホントにクヤシイです。

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〝こいつぁ春から縁起がいいわえ~〟と…

2020年01月23日 | 俳句

 今日は朝からなんとも生暖かくて気持ちが悪いぐらいでした。最高気温を見ると15度…テレビでも今日の西日本は3月中旬の気候だと。どうなっているんでしょうか。明日も暖かいらしいのですが、東日本ではどうなんでしょうね。また、北国では雪が少ないと…嘆いている? いや喜んでいるのかしら…まあとにかく複雑な心境なんでしょう。こうなってくると〝平年並み〟ということばを聞くと何だかホッとさせられます。異常気象が深刻化しているということなんでしょうか。

 さて、今日は俳画教室。当番でしたので少し早めに行きました。もう今年度も残すところ今日を入れて3回。3月の初めには文化講座の発表会がありますので、そろそろその準備に…。今回の画題は〝山茶花〟(さざんか)で、初冬の季語です。

  山茶花や金箔(きんぱく)しづむ輪島塗(わじまぬり)        水原秋櫻子

 何とも豪華な感じの句ですね。輪島塗に金箔とは…それに〝山茶花〟。この山茶花はきっと白か薄い紅色の一重の花だと、私は思います。まるで光琳派の日本画を見るような感じがしませんか。〈金箔しづむ〉というのはきっと沈金の漆器だと思うのですが、何の漆器でしょう。例えば、お椀か重箱、文箱でもお盆でも…。もしかしたら金箔入りのお酒を輪島塗の盃でと考えてもおかしくないかも。または、花器だとすれば…それに山茶花が生けてあるとか…。でも、〈山茶花は咲く花よりも散つてゐる〉という細見綾子さんの句があるように、その散りざまや散り敷いたさまに人は心惹かれる花でもあります。ですから、室内の茶席か宴席での膳の漆器から庭の山茶花の様子に眼を移して詠んだ句とも考えられます。要するにこれは取り合せの俳句ですから、そこにどんな想像を働かせて鑑賞されてもいいのです。私にはその鮮やかな色彩とその場のピーンと張ったような空気が感じられて、とても美しい絵画的な句だと思いました。ちなみに、秋櫻子先生は絵画や焼物など、他のあらゆる美的なものへの造詣が非常に深い方でしたから当然なのかも知れませんが…。

 俳画の山茶花は一重で、花は臙脂(えんじ)を使い、枝と葉は墨で描きました。椿は何度も描いていますが、山茶花は滅多に描いていませんので、花びらの感じが結構難しかったですね。賛は〈帚目(ほうきめ)の庭塵(ちり)もなく冬に入る  積穂〉でした。

 写真は、先日の呉服店の初売に行って頂いたもの。金沢で70余年、伝統産業の「純金箔」の製造・販売を行っている「箔座」が作り上げた、金箔をまとった縁起の良い〝金餅〟と、同じく「箔座」と加賀生麩の製造メーカー「麩金」がコラボして作り上げた金箔入り〝本格おすまし〟のセットです。これを沈金の輪島塗のお椀(アハッ、私は持ってないんですが…)で食べたら…今年は〝こいつぁ春から縁起がいいわえ~〟と、金持ちになりそうでしょ!アハハッ(笑)

 

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〝タダより高いものはない〟

2020年01月22日 | 俳句

 今日はもう朝からどんよりとして、いつ雨が降り出してもおかしくない空模様でした。午後の健康体操へ出かける頃にはやっぱり降り出し、終わって外へ出ると結構な降りになっていました。体操の後は久し振りにリハビリへ。最後の帰る時はザーザー降り…。今日は本当に天気予報通りでした。

 先週は5回も句会があり、何が何やら…何か気が付いたことでも書こうと思っても、ごちゃごちゃになってさっぱりです。やっぱり感じたり思ったりしたことは、その時その時に書いておかないと…せめてメモのようなものでもいいから、書き残しておくべきですね。〝ああ、何かあったような…何だったっけ?〟と、それで終わりですもの。

 そうです。昨日は着付教室の呉服店の初売へ娘と行きました。〝お年玉プレゼント〟があって、特賞が年賀葉書の下4桁の番号が「2020」、カタログギフト10,000円相当が貰えるんです…ワアッ、「2021」がある~残念!また1等が同じく下4桁が「1111」、これも「1110」があったんですよ。クヤシイでしょ!一つ違いなんですから…。でも、2等の下3桁の「999」はありましたので、3,000円相当のカタログギフトを貰いました。ヤッターです。それでついつい口車に乗せられて、また着物を買う羽目に…実はこれにもいわくがあるんです。

 昨年末この着付教室でクリスマスパーティーがあって、娘と参加しました。そこで、恒例のビンゴゲームがあり、珍しいことに娘が一番乗り…でもそれはくじの順番ですからそれが良くなければナントいうことはないんです。ところが、運良く〝着尺〟が当たったんです。私は相変わらずビンゴどころかリーチにもならず…。もうくじが後2個しかないという段になってやっとビンゴになりました。さあ、どちらを選ぼうか……と、ひいたくじが〝絵羽の訪問着〟と、大当たりだったんです。もうビックリ!娘共々こんなことは滅多に無いことなんですから。でも、あんまり嬉しくなかったんです。どうして???と思うでしょ!

 昨年の大売り出しの時の双六で、〝帯と絵羽の訪問着〟が当たってしまって、それを娘に作ってやったばかりなんです。本店の方から賞品が送られてきましたが、私には少し派手でしたので…。それがまた絵羽の訪問着なら派手なもので、私が着られるようなものではないでしょうし、反物はタダでも、仕立代が掛かるんですからね。だから、困っていたときに帯が当たった人がほしいというので、交換したんです。それで、それを貰いに初売へ行ったんですが…、娘の着尺には帯を…私の帯には…と、結局買うことになってしまったんです。だから昔から言うでしょう。〝タダより高いものはない〟と。全くその通りになってしまいました。やっぱり商売人ですね~。負けました!でも、3月には仕上がって着られるというので楽しみ!また、娘とお出かけでもしましょうか。

 写真は、我が家の〝梅〟です。やっと咲きました。

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秋穂(あいお)吟行会の続きで~す!

2020年01月20日 | 俳句

 昨日から大分の実家の方へ、新年の挨拶と義姉の見舞を兼ねて出掛けていました。大分の方も今年は暖かくて、氷の張った日が無いとか…。今日の夕方帰って来ましたが、やっぱりそれまでの疲れが溜まっていたようで、することは山のようにあるのに最低限のことだけしてダウンでした。

 だからこれも夜中に起きて書いていますが、実は「大寒」だったんですね。二十四節気の一つで、陰暦十二月の中。一年で最も寒い時期と歳時記にはありますが、宇部でもまだ零下になったことがないので、氷の張った日はありません。この暖冬の影響が今年の天候にどう影響していくのでしょうか。このところの災害の多さを思うと怖いような気がします。

  大寒と敵(かたき)のごとく対(むか)ひたり         富安風生

 この句は昭和14年作とか。その頃の大寒は本当に寒かったのでしょうね。この日から15日間、立春までの防寒対策は、着るものにしても暖房器具にしても…今と比較して想像の及ばないところのものでしょう。ましてやこの年は、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発し、日本も戦時体制が色濃くなって、昭和16年の太平洋戦争へとただひたすら突き進んでいった頃なのです。ならばこの〈敵のごとく〉の気持ちの中には、ただたんなる寒さだけでなく戦争へ向っていく日本の状況に対する厳しい眼が隠されていたのかも知れません。風生の第一句集『草の花』の序に寄せて、高濱虚子は「中正・温雅」、「穏健・妥当な叙法」と、風生の句を評しているようですから、その人柄も推して分かりますよね。そんな人のこの仮借ない語調には何かただならぬものを感じざるをえません。

 さて、さて、「秋穂吟行」の続きですが…このところブログが追いつかず、いつも遅くなって済みません。

 「正八幡宮」は、弘仁5年(814)から続く神社で、現在の社殿は元文元年(1740)に建立されたもの。本殿・拝殿・楼門及び庁屋(ちょうや)で構成されています。この庁屋というのは、山口県内に見られる近世神社建築の特徴で、楼門左右に「庁屋」という翼廊が接続する形式です。どの建物もその価値が認められて、平成元年(1989)に国の重要文化財に指定されています。

 一の鳥居から二の鳥居をくぐり楼門へ。その参道の左右に石灯籠が120基以上も並ぶ様は見事です。自然に森厳な気持ちになって参拝できますよ。さらに鐘楼や県下最古の庚申塔や室町時代の能面や古文書なども残されており、いろいろと見るべきもののあるところです。

 ここの二の鳥居は寛文2年(1662)の建立で、藩主毛利綱広の名も刻されているのですが、一の鳥居の方は最近倒れたらしくて新しいのに変わっていました。以前に来たときはこんな品のない鳥居ではありませんでしたのに…残念です。二の鳥居の写真は撮り忘れました。ゴメンナサイ!

 その境内の中に、文政10年(1827)の奉納とされる、〈春もやや景色ととのふ月と梅〉という芭蕉の句碑がありました。この芭蕉の句については面白い話が…〝これ、芭蕉の句だって…でも何なの? 季語ばっかりやん!〟〝ほんと!「春もや」に「月」に「梅」なんて…〟と。分かりました? 〝これ、「春」もややという意味で、「春もや」じゃないのよ〟と言うと、もうみんな大笑いでした。確かにそう読んでも季語は三つですよね。しかし、この句は芭蕉が好んで書いた自画賛の句で、この句碑が全国にはたくさんあるんだそうですよ。この句のメインの季語はやはり「梅」です。

 次に、やはり境内にある「大師堂」。秋穂八十八ヶ所の第一番札所です。ここはかつてこの神社の別当坊の僧侶の控所だったそうで、回りにはイノシシの掘った跡があちらこちらと…

 その後は、山口県セミナーパークへ移動して、そこの食堂で昼食。13持から17時まで借りた部屋で吟行句5句の句会をして、みっちり勉強しました。予定時間内に無事終了して、宇部に戻り解散しました。 オシマイ!

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秋穂(あいお)への吟行会です!

2020年01月19日 | 俳句

 このところ天気がイマイチの日が多くて、すっきりとした洗濯日和がありません。その中で先日の吟行会はまあまあの青空で、「寒晴」または「寒日和」といってもいいような日和でした。

  死は狎れを許さぬものぞ寒日和       飯田龍太

 この句はやはり一年中で一番厳しい「寒」が効いていますね。「寒日和」とは、大気が冴え冴えと澄みわたって、空は抜けるように青く、身がピリッと引き締まるような晴天の日なのです。また、ここで「狎れ」(なれ)という字を使ったのもさすがです。この「狎」の字は、〝犬などを自分の意のままにおさえこみ、飼いならす〟という意味なんですよ。「死」とは「慣れ」や「馴れ」のような生易しいものではないのだということ。さらに〈許さぬものぞ〉という断言の強さも一体となって、気魄の籠もった句になっていますが、この緩みのなさはその時の龍太の心境だったのでしょう。どんな状況で詠んだのか興味が湧く句ですね。

 今回の吟行地は、山口市の秋穂(あいお)八十八ヶ所のうち、83番札所「岩屋山地蔵院」と64番札所「阿弥陀寺」、さらに「正八幡宮」とそこに併設されている1番札所「大師堂」へと、盛りだくさんの吟行でした。

 この秋穂八十八ヶ所は、天明3年(1783)に遍明院第8世性海法印が弟子とともに四国八十八ヶ所を巡り、各霊場から御符と敷地のお砂を散布し御符を供えて札所としたのが始まりといわれています。弘法大師の命日にあたる旧暦の3月21日と前日20日に行われる「お大師まいり」では、巡礼の人々に対する地元の人たちの心のこもったお接待が各札所で毎年なされています。

 私もここは自宅から1時間以内で行けますので、何度もお参りに来ていますが、その度に地元の方々の暖かいもてなしにはいつも心が癒されます。菜の花の咲きみだれる田舎道をお遍路さんたちが列を成して歩く昔ながらの風景には郷愁をぐっとそそられますよ。

 私の両親はお大師様への信仰が厚く、幼い頃から朝夕の父の般若心経で成長しました。父が亡くなってからは母が繋いで一日たりとも欠かしませんでしたもの。だからこのお接待の日には、母はいろんな駄菓子を買っておき、孫たちや近所の子や大人たちにも配って、それが母の喜びであり生きがいでもあったような気がします。収入のなかった母は、野菜を売ったりどんぐりを拾ったりしてそのためのお金を貯めていましたね。本当に信心深い父と母に育てられて、何事にも「お陰様で…」という人生が送れているのだと感謝しています。

 さて、83番札所の「岩屋山」の本尊は延命地蔵菩薩で、境内に希有の大岩があります。高さ10m周囲40mもあり人面岩と名づけられ、その下に六地蔵が祀られています。さらにその岩の後ろが〝くぐり岩〟なっていて願を掛けて潜ります。他にもたくさんの地蔵や羅漢、懺悔塔など。また、境内には紅葉や桜、石楠花や牡丹と、それぞれの季節にはさぞ美しいことでしょうから、是非また来たい思うところでした。

 次に行ったのは、64番札所のある「阿弥陀寺」で、本尊は阿弥陀如来。ここには「四国八十八ヶ所御砂踏道場」もあって、ここにお参りすれば、四国八十八ヶ所を巡ったことになるんですよ。だから、お参りするときは土足厳禁!また、道場の横にお大師様が橋の下に横たわっている像がありました。昔四国を巡礼したときに、お遍路さんが橋の上では杖を突かないということを聞いたことがありましたが、その由来がこの「十夜ヶ橋」の説明を読んで分かりました。

 まだ「正八幡宮」と一番札所の「大師堂」がありますが、長くなりますので、それはまた次に…

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あのNくんの案内で横浜を散策しました! その2

2020年01月16日 | 俳句

 昨日は前日の雨の名残で朝はまだ地面が濡れていましたが、曇ったり晴れたりの天気予報…恒例の吟行会でしたので、やっぱり段々上向きになって日が差してきて、いい寒晴になりました。今回は秋穂(あいお)方面への吟行でしたが、それは後日に回して、まだ先日の〝横浜散策 その2〟が残っていますので、これから先に報告しますね。 

 さて、外国人墓地を後にした私たちは、大佛次郎記念館の庭園や港の見える丘公園のローズガーデンなどを散策し、さあ、これからはフランス山を下ってかの有名な〝元町〟へと。

 ここまでは彼の設計図通りであまり心配はしてなかったと思うんですが、これからが大変だったんです。田舎者の私たちがキョロキョロするのは当然のこと、そのうちワインの試飲に捕まってしまったんです。勧められるままに飲むわ飲むわですから…彼の開いた口がふさがらなかったのも当り前でしょう。結局買う羽目にも…でも、これで終わらないのがワタクシたち。今度は〝ペットショップ〟に捕まりました。ナント子猫の可愛らしいこと、三人ともメロメロになって…はあっと、Nくんはもうギブアップです。店に入ってしばらくは出てこないんですから…。やっと出て来たかと思ったら今度は、通りを行く犬に…〝わあ、カワイイ!写真撮らせて下さ~い〟とまた。今までこんな犬見たことがありませんでしたので、ゴールデンレトリバー? でも毛がチリチリして違うみたいと…。そこで聞いてみると、ゴールデンレトリーバーとスタンダードプードルのいいところどりをした犬種で、〝ゴールデンドゥードル〟なんですって。

 この時きっと彼はハラハラしていたんでしょうね。だから、この後の中華街への足取りが何となく今までとは違って…もうどこへも捕まらせんぞとばかりにスタスタと早かったですから。(笑) だって途中にあった「横濱媽祖廟」(よこはままそびょう)もやっと写真を撮るだけで精一杯でしたもの…。航海通商の安全や自然災害・疫病、安産の女神として多くの人々に信仰されているところですってよ。

 でも、この人の多さには…ビックリを通り越して唖然でした。元町も多かったのですが、比べものになりませんもの。ただはぐれないように必死に人波を掻き分けて…やっと予約しているレストランに到着。見れば13持30分、ぴったしカンカンでした。ガイドさんお見事!

 実は、このレストランの予約が13持30分、2時間の食べ放題だったんです。昼食に中華街へ行くことは知っていましたが、時間までは知らず、いやたとえ聞いていたとしても、そんなことは気にもせずと…。ここでは、予約がなければ到底入れないし、予約していても待たされるんですからね。彼は、私たちの気が済むまで楽しんでもらおうと、ひたすら辛抱して黙って待っていてくれたんですよ。レストランに着いてから、間に合うかどうかとヒヤヒヤしてたとやっと本音を聞かされ、本当に申し分けなくて、ゴメンナサイ! ほら、彼の優しさはなみだものでしょ!

 前に書いた彼のメールの最後には、次のように…

〝この間、旺盛な好奇心とバイタリティーあふれる皆さんには、感服し、圧倒されました。おかげで私も元気をもらいました。ありがとうございました。〟と。そして、トドメには〝宗匠に喜んでいただきホッとしている不肖の弟子N〟と、もう笑えるでしょ!

 この私たちの〝旺盛な好奇心とバイタリティー〟に、彼の無いはずの口(笑)が開きっぱなしになったのは当然のこと。でもこれをきっかけに、少しはおしゃべりになって、彼の人生がもっともっと豊かにシアワセになりますように。だって〝笑う門には福来る〟というでしょ!

 ちなみに、俳句も作りましたよ。せっかく4人とも俳句をしているんですから。2時間の食べ放題をしっかり使って、食べて食べて…満腹になったところで、〝ハイ、1句を〟と、何でもいいから即吟です。最初はしぶっていたNくんも…いざ出だすと次々に…。これでメデタシ、メデタシです。それから満腹のおなかをかかえて運動がてらに歩き、横浜公園の「横浜スタジアム」の側を通って関内駅へ。そこから桜木町駅、横浜駅へと行き、またの再会を約してNくんと別れました。ハイ、これでオシマイ。お疲れ様でした!

 

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あのNくんの案内で横浜を散策しました!

2020年01月14日 | 俳句

 今日は今にも雨が降りそうな気配でしたが、午前中はどうにか持って、午後になってからポツポツと降り出しました。今日・明日、1日置いて、金・土と連続で、おまけに土曜日は午後と夜とのダブル句会と、今週は俳句漬けなんですよ。やっぱり今年も息つく暇もなく句会に追われそうです。

 さて、待望のNくんに会える12日のことです。ホテルを朝8時半にスタートして3人で御徒町駅から横浜の桜木町駅へ向いました。東京の交通網の迷路に迷い込まなくて良いようにと、もちろん乗り換えなしの京浜東北線で行きました。

 混雑する横浜での待合せはきっと田舎者の私たちには大変だろうとのNくんの優しいはからいで、桜木町で合流することになったんです。降車したら最後尾の方で待っているからと…、言ったとおりに彼が手を振って…やあ、やあ、やあ…3ヶ月ぶりかしら? 娘は以前会っていますので友人を紹介。いよいよ横浜ワンデリングの始まりです。さて、さてどんな珍道中になることでしょうか。

 最初の写真は、桜木町駅。あとは横浜定番の景色、日本丸も見えましたし、よこはまコスモワールドのの観覧車も…

 ここで、帰宅後に届いたメールに、彼が今回のガイドについて次のように書いて送ってくれましたので、それをご紹介しますね。

今回の私の横浜ガイドのコンセプトは、「山登りの視線」でした。
山頂からは横浜全体を360度、鳥の目になって見渡す(ランドマークタワーから)、山腹からは港・横浜を眺める(港の見える丘公園)、平地では、虫の目になって赤レンガ倉庫、日本丸などの歴史物、バラ、樹木などの植物、元町などの観察でした。
なかんずく、ご希望の中華街では食を求める猥雑ともいえる人々の群れにもまれながら南(朱雀門)から北(玄武門)まで縦走、中華店では食べたこともないような料理を選択する でありました。

 如何ですか。これを読んだだけで彼の人柄が分かるでしょう。いい弟子を持ったもんです。本当に感謝、感謝です。

 この計画通りのコースを難なく…といいたいところですが、このズッコケ〝夏蜜柑三人娘〟(笑)のことですから何が起こるやら…なんですよ。ところで、この〝〇〇娘〟にはちょっといわくがあるんです。

 実は馬醉木の新年句会の懇親会で、現在の「馬醉木会報」を担当している山形県勢の紹介があり、そのキャッチフレーズが〝紅花五人娘で~す〟と、気勢を大いに上げて会場を沸かせたんです。そこで、山形よりも前に担当していたわが広島の「早苗」勢も負けてはならじと、今度は「瀬戸内レモン娘で~す」と名乗り出たんです。これにも拍手大喝采! その流れで私たち宇部組も〝夏蜜柑三人娘で~す〟にしたんです。だって山口県のシンボルは夏蜜柑ですから。Nくんはそんなこと全く知らないから…ムムムッと、笑うに笑えず…悪い冗談でした。ゴメンナサイ!

 それでは先ず横浜のシンボルタワー「ランドマークタワー」からの展望。これは朝日新聞などのニュースでも報道されていたように、この日は時ならぬ春霞(?)がかかってスカイツリーと筑波山がその霞の上に浮かんでいると…その撮影時間に同じ景色を私たちも見ていたんです。こういうニュースになる景色を見られるというのもラッキーです!最後の写真にスカイツリーは分かりませんが、筑波山は写っているでしょう。273mからの360度の展望。まさに鳥の目になりました。

 その後はタクシーで、〝みなとみらい21〟〝赤レンガ倉庫〟〝山下公園〟と廻って、最後に〝港の見える丘公園〟へ。そこからはブラブラと港を眺めつつ歩いて下る予定…ところが、少し小腹が空いてきたかしらと思ったところで、彼が〝ちょっとここでお茶にしましょうか〟と。なんと細やかな彼の気配りだこと!ホントに、ビックリです。

 そのカフェが「えの木てい」でした…パンフにも〝旧外国人居留地に今もその香りを漂わせて佇む純英国式の洋館〟ですって。中に入ると女性客で一杯。〝ここ、来たことあるの?〟と聞くと、〝ない〟と。〝じゃあ、わざわざ私たちのために下見に…〟もう、感激ですよ!パンフにある通りの〝地元山手でもファンの多い手づくりケーキと香り高い紅茶〟を注文していただきました。とっても美味しかったですよ。大きなえの木も…我が家の伐られたあのえの木を思い出してしまいました。グスン…

 この後、日本の道百選の「山下公園通り…山手本通り」をちょっと歩き、「横浜外国人墓地」を見て、「フランス山」を抜け元町から中華街へと。外国人墓地にはまるで墓地を見守る如くに鴉が枝に止まって逃げようとしませんでした。

 また長くなりましたので、続きは明日へ。

 

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飛んでいきました!東京の初句会へ。

2020年01月13日 | 俳句

 夕べ9時過ぎに無事我が家へ戻りました。ああ、毎度のことながら疲れました~。これはもちろん歳のせいもあるのでしょうが、若い娘でも〝特別なことは何もせんのに、どうしてこんなに疲れるんかね〟と言いますので、一概に歳のせいばかりではなさそう。特に東京へ行くとそうなんですから、きっと都会の喧噪に揉まれ日頃使わない神経を目いっぱい使うからかも知れません。

 さて、11日に7時45分発の羽田行始発便で、〝馬醉木新年俳句大会〟出席のため友人と娘、3人で上京しました。いつも一緒の東京に詳しい友人が今回は行かないので、3人ともが戦々恐々です。ここは一番年長の私がしっかりしないと…と、かなり緊張していました。羽田9時15分着の予定が遅れて30分過ぎに到着…句会場のホテルグランドパレスがある九段下へ11時までには行かなくっちゃ!同人総会に間に合わなくなると、慌てましたが、何とか迷わずに行けて無事セーフ。

 午後から新年俳句大会と懇親会です。スムーズに句会が進行し、次に新同人の紹介や各賞の授賞式でした。授賞式が段々近づいてくるので……エエッ、私が受賞するんじゃないんですよ。それならどんなに嬉しいことか…そういう晴れがましいことには縁のないワタクシなんです。今回はあげる方なんですよ。馬醉木の若手を育てるコーナーに〝あしかび抄〟という投句欄があるのですが、私が担当して3年。その選者として初めての「蘆雁(ろがん)賞」を授与するのです。貰う側は何度も見ていますので大体分かりますが、授与とは…。おまけに急遽受賞者が来られなくなり、何か受賞者について喋って欲しいと頼まれ……弱りましたよ。でもそれも無事にクリアーして、懇親会へ。

 ところで、その新年句会で、面白い句がありました。主宰が投句者全員の1句を鑑賞されましたが、その時にも次の句は面白いと…。それは、〈我きつね妻はたぬきぞ晦日蕎麦〉(われきつねつまはたぬきぞみそかそば)という句…お互いに化かし合いをしているんですかね、きっと仲の良いご夫婦なんでしょうと、主宰。もう1句、〈数へ日や手抜き上手の夫を誉め〉(かぞえびやてぬきじょうずのつまをほめ)…季語が「数へ日」ですから、きっとお正月の準備などで手抜きが年々上手になってきたと誉めたんでしょうが、もしかしたら「夫」は「妻」のマチガイでは? と主宰。

 本当に面白いですよね。後句は耳で聞けばどちらも〝つま〟と読みますから。句を見ずに聞いた人はきっと〝妻〟と思うでしょう。

 では、ここで考えてみましょうか。この漢字を換えると、それだけで大違いなんですが、分かりますか? それは、〝夫〟と書いたときはこの句の作者は女性、即ち妻です。〝妻〟と書けば夫が詠んだことになるのです。この作者の他の句を見ると、間違いなく女性ですから、「夫を」誉めたんですね。この作者はきっと正直な人で、夫になったつもりで詠むのは気がとがめたのかも。また本当に夫を素直に誉めたのかも知れません。が、……

 これを〈数へ日や手抜き上手を夫の誉め〉と、助詞の「の」と「を」を入れ替えてみるとどうでしょう。そうしたとしても作者は妻で変わりませんよ。〝自分の手抜き上手を夫が誉めてくれた〟と。でもそこには、無条件で誉めたのではなくて、ちょっと揶揄する気持ちが入ります。〝おまえさんも昔に比べると随分手抜きが上手になったのう〟〝まあ、それいやみ?〟なんてやりとりしている年季の入ったご夫婦が見えてきませんか。そこがユーモアなんですが…

 前句の方も、〈我たぬき妻はきつねぞ晦日蕎麦〉と入れ替えてみて下さい。どうですか? こちらの方は私はイヤですけどね。この句は当然夫が詠んだ句ですから、原句の方には妻への愛情が感じられます。もし反対にするとまるで妻を憎々しく思っていて、一年の鬱憤晴らしを詠んでいるように感じますもの。どうですか? 女性としては〝きつね〟には見られたくないでしょう。こんなこと考えて、他人様の句で遊ばせていただきまして楽しい新年句会でした。メデタシ、メデタシ!

 懇親会が終わって夜の東京をブラブラと…それよりも無事終わったという安堵感で、ホテルに早く戻ってゆっくりしましようと、地下鉄へ。これがまた、〇〇線の乗り場はどこかしらと、迷い迷い…。ああ、あまりにも入り組んでいますので、単細胞の私には本当に疲れるばかり。おまけによく分かるはずの駅の人や地元の友人に教えて貰ったのがみんな違っていて、うろうろと…だから余計に疲れるんですね。そういうわけで夜空を眺める余裕もなく……でも、お月さま見えたのかしら? 

 ああ、そうです。前のブログで11日が満月と書きましたが、「俳句カレンダー」に書いてあったのをそのまま書いてしまいました。ゴメンナサイ!それは11日の夜ではなくて、明け方の4時すぎが正真正銘の満月でした。だから11日の夜は十六夜なんですね。でも、曇っていて見えなかったとか…。だから、私が撮った月が〝ウルフムーン〟(1月の満月をいう)の少し前だったんですね。確かに牙を剝いて月に吠える狼の声が聞えてきそうな夜でした。

 次の12日は、かの〝Nくん〟の案内で、横浜見物をしました。その話はまた明日にでも…お楽しみに。

 写真は、①新年俳句大会の会場、ホテルグランドパレス玄関の花 ②懇親会での主催挨拶 ③懇親会の様子 ④懇親会の余興(三種類のハーモニカを使い分けての見事な演奏でした) ⑤宿泊するホテルのそばにあった箭弓(やきゅう)稲荷神社の三枚。神社には、奉納句や桂文楽、古今亭今輔ら古い芸人の名前のある額が掲げられていました。

 

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〝寒月〟と〝冬の月〟

2020年01月10日 | 俳句

 夜の9時過ぎに外に出てみると、ナント美しい月が皓々と…ああ、そうなんだ、明日が満月だったっけ! これぞまさに「寒月」!「冬の月」という言い方もありますが、やはり感じが違いますね。冬の月よりもいちだんと冷厳な凍てつくような月が寒月。季語としても「冬の月」は三冬で冬の間ならいつでも使えますが、「寒月」は寒中ですから晩冬になります。

  寒月や僧に行き合ふ橋の上

  のり合ひに渡唐の僧や冬の月

 どちらも蕪村の句ですが、前句は、皓々と寒月の照らす橋の上で偶然一人の僧に出合った場面。後句は、どこかの川の渡船でしょうか、乗り合わせた人の中に今から唐へ渡ろうという僧がいたのです。それに驚くと同時にその僧の高邁な精神にきっと感動したのでしょう。そんな人々を照らしている冬の月。どちらもしっかりと景の見える句です。しかし、感じが違うでしょう。入れ替えてみると分かると思いますが、内容的には後句の方が厳しいはずなのに、何となくやさしい月で人の温みも感じられませんか。それは〈のり合ひ〉という場と〈冬の月〉という取り合せだからなのです。もしこれが〈寒月〉だったら少し厳しすぎると蕪村は考えたんではないでしょうか。エエッ、聞いてみなくちゃ分からんって…まことに…(笑) 前句の方は橋の上ですから、ここはぴーんと張った緊張感があった方が面白い!…と蕪村は考えたのかも。エエッ、これも分からんって! まあ、作者の手を離れた作品はどう解釈されようとも自由なんですからね。ゴメンナサイ!

 ところで、昨日の〝寒菊〟の原句と添削句の違いが分かりましたか?

 原句の〈寒菊や売物件の字の太し〉では、〝字が太いんです〟と、字の様子の説明をしているのですが、添削句の〈寒菊や売物件の太き文字〉は、文字の有り様の描写なんです。

 俳句は韻文ですから、散文のように自由には表現できません。限られた字数の中で自分の感動を最大限に表現しなくてはならない。そのためには切字や表現法などを駆使して余白を活用するしか方法がないのです。だから、無駄を省き省略を利かせて、読者にインパクトを与えなければ、それがどうしたという駄句になってしまうのです。

 要するに、俳句は〝説明するな〟〝理屈を言うな〟と最初に学びます。〝ことがら〟で説明せずに〝もの〟で具象することによって語らせよということ。そのために〝見える俳句〟を詠めということになるのです。絵や写真と同じなんですよ。

 そうです。一瞬を切り取る……「今」「ここ」での感動をどう伝えるか、それを〝ことば〟でやるのが俳句だと思うのです。

 例えば、〝薔薇が美しい〟というより〝真っ赤な薔薇〟といった方が映像になるでしょう。そのように何がどうだと説明をせずに、見たままを描写する…すなわち写生するのです。つまり〝ことば〟で絵を描くのです。

 いかがですか?少しは分かりましたか。説明がどうも下手なもんで……ウウン、下手なのは当り前? だって俳句ばっかりしてるんだもの…アハハハ…

 写真は…これは本当に下手ですが、ごあいきょうに見て下さいね。殆ど満月と変わらないぐらいでした。では明日は?

 ああ、明日は「馬醉木」の新年俳句大会なんです。それで東京へ早朝から出かけますので休みます。また、帰ってから報告しますね。では、オヤスミナサイ。

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初句会の〝寒菊〟の句

2020年01月09日 | 俳句

 昨日は一日中ハッキリしない天気で、おまけに小雨と突風が…こうなると体感温度はグッと下がって今年一番の寒さかなあ~なんて。そういえば前日の夜中から宇部に強風注意報が発令されたとしきりに防災メールが入っていたっけ…

 しかし、今日は打って変わって雲一つない青空の洗濯日和!風ももう治まっていて…ヤッターと思ったのに、最高気温は11度だと。だから、午後の俳画教室からの帰りはまた曇り、やっぱり風の冷たいこと!なかなか一日中いいという日は少ないですね。

 ところで、先日の初リハビリ…こんなものに〝初〟はふさわしくないかしら…、でもまあとにかく病院は殆どが6日からの開業でした。それで年末年始の間は運動もしないで〝食っちゃ寝〟ばかりでしたので膝の調子も悪くなり、今年は真面目にリハビリしなくちゃと、早速行ったんです。すると、待っていたのは恒例のおみくじ、去年もいいものが当たったような気がしますが…今年は更によくて特賞でした。〝階段3往復(休憩なし・分割なし)〟と、いい運動になりましたが、膝の悪いものにはちょっとね~。

 毎年運試しに引く琴崎八幡宮のおみくじでは末等…要するにドベということです。ハズレなしなんですから。ところが、いつも末等ばかりだった義母が今年はナント6等が当たって、「宇部かま」のセットでしたので、私はお裾分けを貰いました。当たりたいところでは当たらず、当たって欲しくないところでは当たる…やっぱり今年の運も良くなさそうです。でも久し振りにリハビリの運動が出来て少し体が軽くなったような気がしました。やっぱり継続が一番ですね。

 さて、先日の初句会でのこと。とてもいい勉強になる句がありましたので、皆様にもご紹介しますね。

 〈寒菊や売物件の字の太し〉という句です。季語は「寒菊」。この季語には二通りの意味があって、一つはアブラギクを改良した黄花の園芸品種。もう一つは晩生のキクが冬まで咲き残っているのをいいますので、気を付けて使いましょう。前掲の句は前者の菊でしょう。冬の寒さの中にしっかりと咲いている菊。しかし、その傍には〈売物件〉の立札が立っているのです。

 写真は我が家の寒菊。この寒さにまだ咲いています。

 私たちの子供の成長期には、まだバブルが弾ける前なので、あちらにもこちらにも新築の家が…団地も次々と出来ていて、それは賑やかだったですね。それが、子供たちが成長してアッという間に大人ばかりの団地になり、子供の声を聞くこともなくなってしまいました。それが更に高齢化して、今ではじじばばばかり…。そのうちには一人暮らしが多くなり…更には、施設に入ったりして空家に、または子供と同居するために家を売りに出すという状況です。私の住んでいたところもそうでしたが、作者のところの団地も出来てから50年近くにもなれば、推して知るべしでしょう。

 そんな現実の中での寒菊の健気さには救われますが、それと引き替えにこれを育てていた人の行く末は…ひいては作者自身のこれからのことなども思えば、切ないものがありますね。それを代弁してくれるのが、太い文字で黒々と書かれている立札なんです。写生のよく利いた句で、これからの高齢化社会の先行きも暗示されて…〝花丸ですね〟と褒めると喜んでいました。

 なのに、この句を私は添削したのです。なぜって? そこなんです。ここで一つ考えて欲しくって!

 添削句は、〈寒菊や売物件の太き文字〉。〝原句と殆ど変わらないと思う人、手を挙げてみて〟と聞くと、あれ、誰も居ません。〝これが分かるなんて大したもんです!みなさん、成長しましたね~〟と新年早々褒めまくると、みんな気味悪がって。〝でも作る時は分からんけんねえ~〟と、一同顔を見合わせていました。そうでしょうね。これは言われて見て初めて分かることかも知れません。初心からある程度句ができるようになってくると、陥りやすい関門の一つなんです。

 このブログを訪問してくださった方々、分かりますか? それを書くと、また長くなりますので次にしますね。では、また。

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昨日は〝七草〟食べましたか?

2020年01月08日 | 俳句

 昨日は最高気温が17度と、急に暖かくなって〝どうしたん?〟という感じでした。この日も初句会でしたので着物で出席。こうやってちょくちょく着ていると馴れてきて手早くなります。やはり着物も馴れなんですね。句会場には暖房も入っていて、〝暑いわ~〟というほど。今月は後2回ほどは着物で行こうかなと思っていますので、もっと上手に着れるようになるかしら。

 娘に〝今回は慌てずに1時間ぐらいで着れたのよ〟と言うと、〝何言ってんの。30分で着なくっちゃ!〟と…エエッ、そりゃあ無理よ!でも練習したら出来るようになるのかしら?

 ところで、昨日は「七種」(ななくさ)、正月七日に食べる粥のことで、新年の季語。芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・はこべら・仏の座・すずな(蕪)・すずしろ(大根)の七草を入れた粥を食べると、万病を防ぎ、一年の邪鬼を払うとされ、今でも広く世間で行われている行事です。

 もともとは七種の穀物(米・麦・小麦・粟・黍・大豆・小豆)を炊いた固粥で、十五日に食べていたらしいのですが、平安期以降、五節供の一つ人日(じんじつ・陰暦正月七日)に七種の若菜を粥にして食するという中国の風習に倣って、今日に到っているのだと。

 だから、季語として使うときは、行事的には「七種」が、若菜の意味なら「七草」がいいでしょう。まあ、今は厳密にということではありませんから、気にしなくてもいいかも。しかし、七草には「秋の七草」もありますので気を付けて用いましょう。あの『ホトトギス俳句季題便覧』では、「七種」は春で、「七草」は秋の季題になっていますからね。

  あをあをと春七草の売れのこり       高野素十

  七種の過ぎたる加賀に遊びけり       深見けん二

 以前母が健在の頃は、実家でいつも母と一緒に七草を探しに行っていました。が、大抵芹と仏の座が見つからず、その分は畑の野菜、例えばほうれん草やチンゲンサイなどで代用して、私が帰る時には七つ揃えて持たせてくれていました。

  やがて解く家なり母の薺打つ

 私の第1句集「風聲」(ふうせい)に載せている、平成12年の作です。父が亡くなって兄たちと同居するため古い家を解体して、建て替えるという、その年の七種です。七草は、その代表として〝薺〟がよく用いられ、「薺粥」や「薺打つ」だけでも季語になっています。こういう昔からの行事は父も母も大切にしていて絶対欠かしたことがありませんでしたね。ああ、懐かしい!

 もちろん、我が家でも作って食べましたよ。でも、スーパーで売っている七草で…。中身のナントやたらはこべらの多いこと。御形や芹などこれっぽっち!でしたが、一応揃っていましたので、我が家の蕪と大根と小松菜も足して緑一杯にして食べました.

 

 写真は下の方から、せり・なずな・ごぎょう・はきべら・ほとけのざ …すずな、すずしろがすずしろ、すずなと反対になっています。 

 

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ビックリポンの〝御調(みつき)八幡宮〟!

2020年01月06日 | 俳句

 昨夜はとても冷え込んでいたような気がしましたが、気温を見ればまだまだ…零下にはなっていなかったのですから…

 昨日(5日付)の讀賣新聞の「編集手帳」に、〝……差別的な表現だとして、今はほぼ消えた裏日本にこだわり、濱谷は3年を費やし歩く。半島の突端、崖にへばりつき、烈風と雪、かみつくような波に襲われる集落、〈白魔の底にのめり込んでしまいそうな雲〉が吹きまくる村、積雪した磯で海苔採りに励む女たち…。数十年前の日本に確かにあった日常の数々である。…〟とありました。これは写真家、濱谷浩の『裏日本』(1957年)収録の一枚の写真を思い出してのコラムニストのことば。ついでに、〝秋田で初めて見た冬の裏日本の印象を画家の岡本太郎が紀行に記している。〈凄まじく、峻厳〉。けれど、人々にはそれを超える逞しさと明るさがあるとも。変わらない風景もある。〟とも書かれていました。

 私が読者登録をしているブロガーさんたちにも、秋田の方や北海道の方々がおられます。その記事を見せて頂くたびに、〝わあ、スゴイ!〟とか〝わあ、キレイ!〟とか…。でもそんなこと言ってられない現実があるんですよね。ましてや、〝楽しそう!〟なんてもってのほかかも。被災された方々がニュースなどのインタビューに、〝…こんなにヒドい目に会っても、ここを離れることができない…〟とよく言っているのを聞きますが、それがやはり〝ふるさと〟というものでしょうか。〝ふるさと〟とは、単なる土地ではないのです…そこは父母の…、祖先たちの…、仲間たちの…、そして、自分の家族たちの汗や涙がしみ込んでいるところなんですもの。また、どこであろうとも、〝住めば都〟とは、昔からいうことばですからね。

 ところで、ちょっと遅くなりましたが、元日の〝初詣〟の三社参り…初めてのところばかりでしたが、なかなか!という神社もありましたので、ご紹介しますね。

 まず神石高原ホテルから一番近い神社は?と検索すると、何件か出ましたが、その中からとても神々しそうな名前の「甘南備(かんなび)神社」を選びました。ナビを頼りに車を走らせていると、途中に違う神社の幟が…。では、ここにも寄ってと行ったのが、「賀茂神社」。といっても、「郷社」となっていましたから、その郷村の産土神のようなところなんでしょう。元旦といっても混雑するほどではなくすぐに済みました。でも、境内に目立った大きな石が…〝天然記念碑〟と書いてありましたので何なのか聞いてみますと、この岩が神主の烏帽子の格好をしていてとても大きく珍しいものだから天然記念物に指定され、その記念の碑だと。

 次に見えたのは、「吉備津神社」の標識…あれ?〝あの鳴釜神事のある吉備津神社なの?あれは岡山じゃなかった?〟と思ったのですが、寄って行こうにも車の列が全く進まず…これはいけんと、引き返して、本来の目的「甘南備神社」へ。後から調べてみると、ここは「備後一宮吉備津神社」で、岡山の「備中国一宮」の吉備津神社を勧請した神社だったんです。でも一宮ですから備中では初詣の一番多いところだったんでしょうね。

 では、本命の「甘南備神社」はというと、ここは本当に由緒ある神社のようでした。しかし、見れば高いところにあって、ずっと階段が…。これはおばあちゃんには無理!…いや私にもと…迷っていましたら、息子がナビに参道があるというのでスタート。ところが、なんと怖ろしいような崖の細い道ではありませんか。おばあちゃんは〝もう行かんでいいから…やめんさい〟と、言うのを押し切って進むと、何とか本殿の横にたどり着きました。離合は全く出来ないのですから…本当に怖かった!

 この神社は、和銅元年(七〇八)、備後国に悪疫流行の際、時の国司佐伯宿祢麻呂が平素崇敬の出雲国美保の大神を三室山に勧請し、御祈祷申し上げた処、悪疫退散し、それを喜び 大国主神と少彦名神を合せ祀ったところ。以来、霊験 顕著にして、天平宝字四年(七六〇)の悪疫流行の際には国司甘南備真人伊香が大神 に祈請し霊験あり、従五位上に叙せられたという。本殿は創建以来 度々改築され、現在のものは宝永三年(一七〇六)の造営。大正十三年に拝殿 再建、その後社殿の整備が進み、昭和三十三年には御鎮座千二百五十年大祭記念事業 として宝物館、三室会館を新築したと。なお、永禄元年(一五五八)の旱魃の時にも霊 験があり、毛利元就は田一町余を寄進したが、福島正則により没収されたということです。

 確かに「御鎮座千二百五十年大祭記念」の碑がありました。帰りは〝登ってくる車がありませんように〟と祈りながら無事そこを後にしました。これで一応二社はお参りしたので、もう宇部に戻って琴崎八幡宮に行けばいいわよねと、帰るつもりだったんですよ。

 ところが、高速道のインターを探して行く途中、また、また「御調八幡宮」という標識が…。〝ここ、尾道に来たときに通ったことがあるわ。たしかこう書いて「みつき」と読むので覚えてる〟というと、ではまだ昼ご飯には早いので寄って行こうかということに。駐車場も広いし、ここならおばあちゃんもいいかも…でも、やっぱり階段が…。それで私たちだけでお参りしました。

 何も期待せずに来た神社でしたが、ナント、ナント、ここは一見の価値ありの立派な由緒ある神社でした。

 この備後の国総鎮護でもある御調八幡宮は、三原市の竜王山を水源とする八幡川(やはたがわ)が流れる仏通寺・御調八幡宮県立自然公園に属しています。

 この八幡宮のある広島県三原市は、小早川隆景の開いた城下町三原として有名ですが、古代より栄えた場所でもありました。その証拠に古代の遺跡等も多く発掘されていますし、小早川隆景の時代よりさらに昔、天平時代に古代史を揺るがした「道鏡事件」という政変があって、それに関係したことがあったのです。実は神護景雲3(769)年、臣下の身で帝位を望んだ道鏡の野心を、宇佐八幡宮の神託を得て退けた和気清麻呂公が直諌の罪により大隅国へ流されたとき、姉法均尼(和気広虫姫)は備後国に配流されこの地に流謫(るたく)の身を留め、斉戒沐浴、円鏡を御神体として、宇佐八幡大神を勧請して清麻呂の雪寃を祈願したことが創祀であると社伝に残されているそうです。(古代史に興味のある方は詳しく調べられるととても面白いですよ。私もヘエ~ッと思いましたから。)

 また、ここは古くから「西の吉野」とも言われ、桜の名所としても知られていて、境内には戦国武将ゆかりの桜もあったのです。 特に豊臣秀吉が、朝鮮出兵に際し三原城に滞在したことがあり、その際参拝して手植えをしたと伝えられる桜の切株(第2次世界大戦時に枯死)がそれ。現在楼門横の説明の立札があるあたりに、株を残すのみでしたが。写真撮り忘れました。

 参拝が済んだ後、もてなしの桜湯をいただきました。キレイでしょ! また、横にある絵馬堂の中には古い絵馬が所狭しと…。狛犬もさすが貫禄がありました。

 また、秋は紅葉の名所でもあるらしくて、ざっと見回しただけでもそれぞれの見頃の頃はどんなにか美しいだろうと想像出来ました。特に桜は枝垂れ桜がたくさんあって…。機会があればその時期に是非来てみたいものです。

 

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早もう〝五日〟ですね!

2020年01月05日 | 俳句

 今日は、午前中曇りで午後からは晴れ、日も差してきて穏やかな一日でした。

 令和二年、早くも五日ですが、この「五日(いつか)」も新年の季語なんですよ。宮中では叙位の日、木造始め(こづくりはじめ)の日だったそうです。この〝木造始め〟とは、建築に携わる人が、新年に初めて仕事をする時に行う儀式で、「手斧始」(ちょうなはじめ)ともいって、これも新年の季語。

 実は山口県防府市の防府天満宮では、「手斧始」とは言い方が少し違いますが、同じような「釿始式」(ちょうのはじめしき)という神事が毎年1月5日に行なわれています。いつもテレビや新聞で観るだけで、私は実際には観たことがないのですが、大工の棟梁が神前で古例に基づいて行われるとか。烏帽子・直垂装束の棟梁6人が宮司らの見守る中で、立派なヒノキ材に古式通りの所作・伝法を奉納するのだそうです。今日の15時からでしたが、今年は日曜日ですのできっとたくさんの人が見物に押しかけたことでしょう。私も行ってみたかったなあ!きっと次の句のようだったのでは…。

  手斧始烏帽子の大工真顔して      松木呂子

 ところで、歳時記の「五日」の項で、「馬醉木」・「沖」の、今は亡き林翔先生の〈黒燦々正月五日の護美袋〉(くろさんさんしょうがついつかのごみぶくろ)という面白い句が載っていました。

 こちらでは今年のゴミ出しは明日の6日からですが、この句のときはきっと5日からだったんではと思います。年の初めのゴミ袋、それを〝護美袋〟と、美しさを護るためのものと表現して、更に〈黒燦々〉とは…。やはりゴミといっても新年を迎えたものですから、いつもとは違って目出度さがつまっているように見えたのかしら。そういえば昔は中の汚いゴミが見えないようにと、黒いビニール袋を使っていたような。それがゴミの仕分けが始まって段々と厳しくなり、中に何が入っているのか見えないと仕分けが出来ているかどうかが分からないので、宇部では透明の袋になりました。多少の違いはあっても、今では黒い袋だけはどこも使っていないのではと思いますが…。この句は年末からお正月に溜まったゴミで袋がぱんぱんに膨らんでいて、それに朝日が燦々と当たっている景なんでしょうね。こんな風に詠まれたら〝護美袋〟も本望かな?

 確か翔先生は千葉の市川市に住んでいらしゃったので、きっとどこかの団地のゴミステーションがゴミの山だったのを見られて…、もしかしたら先生もゴミ出しをやっていらっしゃたのかも…、なんて考えると面白い。この句を知ってたら聞いてみたのに…ザンネン!

 明日は仕事始めの方が多いことでしょうね。学校はいつも7日が職員会議で、8日が始業式でした…もう縁のない世界になってしまいましたが。でも、考えてみればあの忙しさを乗り越えられたのも若かったからで、今の方が…ああ、今もやっぱり忙しいんだった。これはきっと母譲りの貧乏性なんですよ。明日からまたガンバロウ。

 写真は、護美袋ならぬ〝ぽち袋〟です。この〝ぽち〟というのは、広辞苑によると、「点」と書いて、〝心づけ。、祝儀。チップ〟をいう京阪方言なんですって。お年玉を入れて子供たちにあげていましたが、それももう昔のこと。いや、孫でもいれば別なんでしょうが…。ちなみに、お年玉は季語ですが、これは違いますからね。年末の高速道のSAで、ご自由にどうぞと言われて、可愛いので記念にいただきました。ホラ、カワイイでしょ!女の子が喜びそう…

 

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