ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

久々の〝きらら俳句教室〟の報告で~す!

2025年01月19日 | 俳句

 晩冬に〝三寒四温〟という季語がありますが、今日は最高気温13度と、風もなく穏やかな…本当に「四温日和」でしたね。歳時記には〝三日ほど寒い日が続くと、その後四日ほどは暖かい日が続くという…(中略)…こうした寒暖の変化を繰り返しながら春の足音が聞こえてくる〟と。

  四温かなペン胼胝(たこ)一つ芽のかたち     成田千空

 歳時記に上のような例句がありました。私も教師の頃に長くガリ版を使っていましたので、確かに胼胝ができていました。でも…その頃は俳句をしていなかったから〝芽のかたち〟なんて全く思いもしませんでしたが、あの膨らみをそう思って眺めると…なんとも愛おしいですね。私が詠んだのは〈鉄筆の胼胝を未だにつづれさせ〉(平成18年)という句でしたが…。今はもうそれも分からないぐらいになりました。だってガリ版使ってたのは何十年前でしょう。あれ以後の印刷技術や筆記用具の進歩は目を見張るものがありますもの。この〝胼胝〟という字も今の若い人は読めないし意味も分からないでしょうからね。

 さて、昨日は第3土曜日でしたので「きらら俳句教室」でした。毎月実施していたのですが、夏からの体調の悪さに忙しさが加わって報告をしないまま、とうとう今回は第10回目になっていました。ゴメンナサイ!

 きらら浜自然観察公園にていつもの如く9時30分に開始。この日は最高気温10度と低くかったものの風はなく穏やかで…やはり〝四温晴〟でした。吟行に出る前に、今は「寒中」と言って、〝小寒〟すなわち〝寒の入り〟の1月5日から〝大寒〟の20日を経て、〝立春〟前日の〝節分〟(2月2日)をもって、〝寒明け〟ということになるのだということを説明。また、一年のうちで最も寒さが厳しい時期にあたるので、この〝寒〟という字を用いれば、寒中のものということになって多くのものが冬の季語になるのだということも。

 さて、それでは今回も湖畔巡りをしました。私は先日の雪の日にも吟行会で来ていますので、目新しいものは殆どありませんでしたが、皆さんは熱心に観察して…〈そこここに浮きつ沈みつ鴨の尻〉という句がトップでした。採った人はみな〝鴨の尻〟が良かったと。そうですね。あのまるで起上り小法師のようにクルリクルリとひっくり返るところはとても可愛らしくて、誰でも詠みたくなりますよね。最後にこの句の作者は?…と聞くと、ナントレンジャーのHさん!さすがでした。写真は私のスマホではとても撮れませんので、お借りしました。スミマセン! 

プリっとした、おしりがかわいい!」並んで潜るカモ夫婦…仲 ...

 吟行を終えて戻ってきた時、入口に〝足長蜂〟が一匹よたよたとして動けなくなっていました。Мさんが〝こんなとこにいたら踏みつぶされるわよ〟と言って、レンジャーさんを呼びに行こうとしたので、私が〝ここに入れてあげたらいいのよ〟と、計器盤の蓋を開けて返してあげました。実は先日の吟行会で、ここに足長蜂が冬眠しているのだと教えてもらっていたからなんですよ。いつの間に出たのかしら…ちょっと暖かかったからつい気の早いのが飛び出したのかも。でもまだ力がないから飛べなかったし、巣へも帰ることができなくなっていたのでしょう。ヨカッタ!だって〝一寸の虫にも五分の魂〟といいますものね。

冬の道路を這う女王蜂

 それにしても今年最初の句会…これを〝初句会〟というのですが、全員の句に点が入り、めでたしめでたしで幸先の良いスタートがきれました。皆様お疲れさまでした。

 予定通り12時過ぎに無事終わって、私は家に戻り、また午後からは宇部馬酔木句会へと…、忙しい一日でした。オシマイ。

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兼題は〝年賀状〟でした!

2025年01月14日 | 俳句

 今朝も寒かったですね。昨日と同じく最高気温は10度まで上がりましたが、何とも風の冷たいこと!朝のラジオ体操へ行くときは指先がジンジンしますもの。でも、明日からまた寒波が襲ってきて今日以上に寒くなるんですってよ。やっぱり私は寒いのは苦手…肩が凝り頭まで痛くなるんです。イヤですね。

 さて、今日も俳句教室で、兼題は「年賀状」。〈会いたいね友の賀状へ独り言〉が最高点句でした。他には年々賀状が減ってくるとか、アナログ時代の方が良かったなどという句も。その中に〈再開すと伯母より賀状三年ぶり〉というのがあって、作者に聞くと、伯母さんがもう年だから年賀状仕舞をしたものの、やっぱり新年に賀状が来ないと淋しかったのでまた出すことにしたのだということでした。なるほどね!

 ところで、皆様は今年の賀状はどうされましたか。近年、特にコロナの流行の影響が続いていて、それに加え昨秋の郵便料金の値上げが拍車をかけ、年賀状仕舞をする人が急激に増えたような気がします。私などは一昨年、昨年と続けて喪中でしたので、いつもより数が半分以下になっていましたから、それの延長でそのまま今年に繋がったような感じです。それでもまあまあの数が来ていましたから、それを元旦のお節をいただいた後に一枚一枚ゆっくり読んでいると…ああ、お正月だなあ~と、久しぶりの人たちの顔を思い浮かべながら…そう、上掲の句のように懐かしさがこみ上げてきて、〝会いたいな〟と思いますもの。これはもうお金の問題とかじゃあないわと…。だってこの気持ちはお金では絶対に買えませんからね。

 年末の慌ただしさの中での年賀状書きの煩わしさがなくなって、すっきりしたという方もいらっしゃるでしょうが、私はやっぱり日頃なかなか会えない人とはせめて元気だという証明の年賀状ぐらいは遣り取りしたいと思います。自分は出さず楽をして、他人からは貰いたいというのは虫が良すぎますものね。今日の投句の中にも…〈賀状のみの遣り取り卒後五十年〉という見習いたい句もありましたよ。

 最終的には〝やっぱり、賀状が来るのはうれしいものよね〟というのがみんなの偽らざる実感でした。それを〇〇歳になったからやめますなんてわざわざ宣言しなくてもいいのではと…

 実は元旦に年賀状を取りに出たとき、一緒に「日本郵政株式会社 社長 増田寛也」氏の挨拶状が届いていました。それを読むと、確かにそうだなあと思ったんです。それでは、その挨拶文を以下に書いておきましょうか。でも私は決して郵便局のまわし者ではありませんからね。念のため…(笑)

あけましておめでとうございます                                    本年も皆さまからの年賀状を心を込めてお届けします                          年賀状は平安時代から存在したといわれています                        先人たちも年に一度のあいさつで                               大切な人とのつながりを育んでいたのでしょう                        「年に一度。だけど、ずっとつながっている。」                         もし思いがけない方から届いていたら                              年明け年賀状いかがですか

 今確かにハガキは63円から85円になりました。以前の値上げ額と比べると今回は大幅に上がっています。しかし、考えてみれば、どんなに雪が降った日でも、またどんな山奥にある一軒家へでも、とにかく配達してくれるんですよ。そんな郵便配達夫さんのことを思えばちっとも高くはないんですよね。たとえばもし自分で持っていこうとしたら、どれほどの運賃がかかるかを考えてみてください。お分かりでしょう。一人暮らしの方や高齢で外に出かけられないような人への一枚の便りがもたらす喜びというものを。その価値はこれはもう測り知れないに違いありません。だったらみんなの幸せのためにみんなで少しずつ分担していると思えばいいのでは。要するに昔からある〝持ちつ持たれつ〟という精神で互いに助け合って生きていくことが大切なことではないのでしょうか。

 でも、今回はそれが一度に大きく値上げされてしまったからかも知れません。おまけに他の何もかもが。それでは庶民、いや年金暮らしの者や給料の低い若者たちにとっては生活そのものが脅かされて反発もしたくなるでしょう。しかし、昨年の夏の猛暑で野菜などが不作、また燃料の油や肥料の値上がりなどで悲鳴を上げている生産者さんの思いもよく分かります。生き残るためには物価を上げることしかできないという現実…だからと言って私たちも…ないものはないんですものね。

 昔〝こんな女に誰がした〟という歌が流行ったことがありましたが、まさに〝こんな社会に誰がした〟と言いたくもなりますよ。ところがこんな状況でも甘い汁を吸ってぬくぬくとしている一部の特権階級や詐欺師たち…と、、こんなこと言い出したらキリがなくなりますからやめますね。私はブログにはこのような話は書かないことに決めていますので…どうかお許しください。では、また…ネッ!

 写真は、やっと出た水仙の蕾。それにこんな時期に高砂百合が一つ…この寒さの中で可哀そう!やはりこれも〝狂い咲き〟なんでしょうかね。

 

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早いもので…今日はもう12日ですよ!

2025年01月12日 | 俳句

 今日はもう12日、アッという間ですね。こちらでは今日が恒例の〝どんど焼〟で、主人は今年から手伝いをするとかで朝早く出かけました。いつもなら10時頃2人で行って、ぜんざいや豚汁などの接待をいただくのですが、1人なもんでつい出そびれて、さあ、今から行こうかと電話してみると、もう遅いから何もないで~と言われてしまい、残念!

  華やぎのうしろの寒さどんど焼き     山崎 聰

 今日も、日は差していたものの風は強いし最高気温は6度と、寒い一日でした。お正月からのんびりしたのも5日まで。6日(月)7日(火)は俳句教室。8日(水)は歯科、9日(木)今年初めてのリハビリへ、10日(金)月例吟行会。11日(土)がフォー・ユーの午後と夜のダブル句会で、おまけに夜の句会は場所を変えての新年句会でしたからね…というように、1週間があっという間に過ぎました。ああこれでまた忙しい日々が戻ってきたなあと実感した1週間でした。

 その今年初めての吟行会が、日本全国大雪に見舞われた日だったんですよね。だからこちらでも久々に雪で真っ白になりましたが、それよりも気温が低くかったのでカチンカチンに凍って、歩くのが危ない。ということで、中止…と思うでしょう。そこが俳句をする人は違うんですよ。誰もやめようとは言わない!見上げたものです。却ってこんな日は滅多にないチャンスだからと…でも集合を1時間遅らせての決行でした。

 今回の吟行地は、阿知須のきらら浜自然観察公園。集合場所が宇部山口空港の東駐車場でしたが、10時集合にしましたので、大通りはもうほとんど雪が溶けていました。

 きらら浜自然観察公園ではレンジャーさんに案内してもらって、午後からの句会場も貸していただくということで、ラッキーでした。ところが、昼食を頼んでいたレストランがこのような日なので臨時休業すると朝連絡が入っていましたので、急遽〝道の駅あじすきらら〟のレストランへ行ったのですが、そこも臨時休業と。でも、道の駅にお弁当を販売していましたので、みんなでお弁当を食べました。やっぱりこんな日はどうしても用のある人か物好きな人ぐらいしか出歩かないんですよね。(笑)

 公園ではしっかりと探鳥できましたが、私は毎月来ているから分かるのですが、今年はナントも鴨類の飛来が少ないです。ほとんどマガモかカルガモだけでそれも数が少ない。後は白鷺・青鷺で、大抵よくいるオオバンも姿が見えません。干潟の方ではチドリとダイゼン。散策路ではメジロ・シロハラ・ヒヨドリ・セッカ・ジョウビタキ・アオジ・キジなど。それにミサゴやトビが杭の上で餌を食べているのを望遠鏡で見ました。ハヤブサも二羽来て湖の上を旋回し獲物を狙っていましたが…レンジャーさんの話ではチドリを狙ったんだろうと言っていましたが、ダメでした。ヨカッタ!下の写真は館内にあるモニターですが、ミサゴがボケボケで…ゴメンナサイ!

 ビジターセンターへも殆ど訪問者がなく、まるで私たちの貸し切りみたいねと言いながら無事に午後4時半には終わって解散しました。聞くと、ここ阿知須や小郡では雪があまりなくて、宇部や山口市では結構降ったんですよね。同じ地域でもこんなに違うのかしらと不思議でしたが、全国のあちらこちらで豪雪のため難儀をされているというニュースを見ると本当にお気の毒です。だって私たちはこれっぽちの雪で悲鳴を上げているんですものね、何だか申し訳ない気持ちいっぱいです。 

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昨日は〝七種〟でしたが、〝七草〟とは違うのかしら?

2025年01月08日 | 俳句

 今年のラジオ体操は6日から開始でしたが、明けてから初めての本格的な雨で中止になりました。それで7日が体操始めということで出かけると、昨年クリスマスツリーが飾ってあった教会の窓が、ナント富士山と初日に変わっていました。去年まではなかったような…でも気が付かなかっただけかも。

 それにしても寒い朝でした。体操から帰る頃には急に雪が降ってきて、予報通り今夜から明日にかけては積もるかもなどと心配しながら戻りました。

 そうです、この7日は「七種」の日でした。早いものであっという間の一週間が終わろうとしています。この七種の謂れや説明は皆さまもう十分にご存じでしょうから省きますけど、これを「七種」と、また「七草」とも書きますが、その違いは分かりますか。

  七種の日の額白(ぬかしろ)の馬とをり   友岡子郷

  あをあをと春七草の売れのこり      高野素十

 読みはどちらも〝ななくさ〟で同じなんですよ。でも「七種」と書くと〝七つの種類〟という意味が強くなりますし、「七草」は〝七つの草〟ですよね。とすると、〝セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ〟という七つの野草が浮かんできませんか。

 実は7日は五節句の一つで「人日」ともいうのですが、これはもともと陰暦正月七日のこと。この日に七種粥を食べるという風習が昔からあったのです。その謂れなどは長くなりますので、興味のある方は調べてみてくださいね。要するに、今では1月7日のことを〝ななくさ〟と言い、その日に食べる粥を〝ななくさがゆ〟と言って、文字は余り気にせずに使っていることが多いようです。

 しかし、俳句では違います。特にホトトギスの歳時記では「七草」というと〝秋の七草〟のことになり、春の場合を「七種」というように使い分けてあります。でも、普通の歳時記では「七種」や「七草」が春の季語で、秋は「秋の七草」や「秋七草」という風になっていますけどね。

 俳人には「七種」の方を用いる人が多いように思いますが、別に「七草」と書いたからといって間違いということはありません。

 ただ「七種」とすれば行事や生活の類として見られやすく、「七草」にすると植物の分野に入れるのがふさわしいような季語だということです。上掲の友岡子郷の句は草そのものというより〝人日〟の感じで詠まれていますし、素十の句は〝七つの草〟そのものが目の前に見えてきますでしょう。

 だから、俳句を詠まれる方には、ここでこの漢字を、いやここは平仮名にしようというように、よく考えて使い分けるといいでしょう。これも俳句の鑑賞を深めるための一つの技法だと考えてくださいね。

 ついでに申し上げますが、片仮名は我が結社では外来語のみに使用して、余程の効果・意義がなければ用いません。片仮名を使うと句が軽くなって俗っぽくなるからなんです。やはり俳句にはある程度の〝品格〟が必要だと、私は思います。でなければ、575で季語さえあればいいと…いや季語もなくていいというようにしてしまうのは、私は反対です。要するに何でもありということになれば、日本の伝統的文化を担う文芸の一分野としの俳句が恥ずかしいのでは。伝統とは守るべきところを守ること。そして、次代に伝えていかなくては…たとえ多少の変化は認めたとしても屋台骨を壊すようなことがあってはならないと思いますけどね。

 以前あった俳句大会の投句の中に、季語を片仮名で書かれたものがありました。今日では動植物の図鑑やいろいろな出版物、動植物園の立て看板などではほとんど片仮名表記になっていますよね。それでいいと思ってそのまま使われるのでしょうが、俳句はやはり日本語としての正しい言葉遣いを、また美しい日本語を残し伝えていくという役目も果たしたいものと、私は考えていますからね。

 さて、夕食はもちろん「七種粥」でした。ところが買ってきた七草がゆセットにはナントセリやゴギョウは小さな一かけらで、あとの草はほとんどハコベラでしたよ。聞けばどうも今年は品薄で値段も高騰していたようですね。

 

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劇団四季の〝キャッツ〟を観てきました!

2025年01月06日 | 俳句
 今日は5日の日曜日。今年の長い年末年始の9連休が今日で終わりですね。年中休日の私にはあまり関係はないのですが、気分的には私も何となくの~んびり。きっと病院へ行くこともないし、俳句教室や句会もなかったからかも知れませんね。
 ところで、2日はサイバー攻撃でブログ閲覧者も非常に少なかったのですが、その影響なんでしょうか。昨日4日のブログ閲覧者数と訪問者数が急激に増えていて、ナント2568PV |1093UU |3196414ブログ中359位となっていて、ビックリですよ!
 今年は本当に何だかいいことばかりが続いて…ちょっと先が怖い気もしますが。ではそのいいことのついでに、今日は3日のことを書いておきますね。
 実は、昨年広島で劇団四季のミュージカル〝キャッツ〟が上演されるというニュースを見て、一度は観てみたいと思っていましたので、早々にチケットを入手していました。2024年11月11日(月)~2025年2月23日(日・祝)のロングランでしたから、できれば私と娘の誕生祝にその近くでと考えたのですが、どうせなら主人やお婿さんも誘って、今年の正月の楽しみにでもと、3日(金)に行くことにしたんです。

 娘夫婦は年末から高松へ行っていましたので、そこからの帰りに広島で途中下車。息子は他の予定で行かないと言っていましたので、私たち二人新山口から新幹線で広島へ。12時15分開場・13時開演でしたから、早めに広島へ着いてランチでも食べて行こうということにしました。

 会場は「上野学園ホール(広島県立文化芸術ホール)」。行ったことがない所ですので、少し早めに行き、そこの地下のレストランで食事をして開場まで待ちました。私は以前博多へ友人たちと「ライオンキング」を観に行ったことがありましたので、本物の感動を娘たちにも是非味わってほしいと考えての計画でした。

 入場すると先ず館内や舞台の装飾の豪華さに驚きます。まるでクリスマスか何かのパーティーが今から始まるかのような別世界…。全席指定でしたので自分の席へ着くと、その場での館内の撮影は開演まではOKだということで…ほら、下のようにとってもキラキラして鮮やかでしたよ。

 「いつか」じゃなく「今」。人生をゆるがす感動体験!人類必見。キャッツ

伝説のミュージカルが、新たな感動をひっさげて12年ぶりに広島へ!誰も見たことのない斬新な舞台と画期的な手法で、初演時には日本中に一大センセーションを巻き起こした「キャッツ」。日本の演劇界に革命をもたらし未来を切り開いた、まさに伝説の作品なのです。

 現在まで日本各地でロングランを続け、通算公演回数は10000回、総入場者数は1000万人を超える驚異の記録を更新しています。(パンフレットより)

 もしまだ観たことのない方は、是非一度くらいは体験されるといいかも。やはり演劇などの生の迫力というのはそれに触れてみないと分かりません。どんな分野であろうと終演後のアンコールの拍手が鳴りやまないというのはよくよく分かります。一度観たらこれは中毒になりそう…きっとまた観たくなりますもの。でも、昔はお金も時間もなく諦めていましたけど、今は時間はあってもお金の方が…。なんて言わずに、また機会があれば行きたいものです。だってもう後がないんですから…。(笑)

 大都会に住んでおられる方は観たければ何度でも観られるのではと思いますが、田舎に住んでいると余ほどのことがなければその機会がないんですよ。子供のころは音楽や芸能へは縁がなく、大人になってからは観たいと思ってもせいぜいテレビで鑑賞するぐらい。宇部に結婚して来て、ここには県下に誇る渡辺翁記念会館という立派なホールがありますので、本物が観られるよと聞いていましたが、他所にもっといいホールが次々とできたりして徐々に廃れていき、来なくなりましたから。そう言えば娘が思い出したように、小学生のころ「おやこ劇場」というのがあって、よく連れて行ったもらってたよねと…。

 そう言えばそうでしたね。田舎ではなかなか本物の芸術文化に触れる機会がないということで、毎月会費を積み立てて割安で結構有名な劇団や音楽家、バレー団などを呼んで年に何回かの公演を親子で観に行ってました。子供たちの情操教育のためにと言って…ずいぶん昔のことで、あれは今も続いているのかしら。あの頃は子供のためにと一生懸命で、私も会員になってお世話もしていましたけど…。

 あら、調べてみるとありましたよ!今は名前もシステムも変わって…でも、子どもたちのための文化や芸術の体験という根幹はまだ同じのようですね。よかった、よかった!

 NPO法人うべ★子ども21 (旧宇部おやこ劇場)
『子どもをみんなで育てよう』と願いを込めて1975年〜観る(鑑賞)遊ぶ(体験)を2本柱に活動し、2001年〜大人会費で子ども達に文化を届けています。宇部SDGsフレンズ・クールチョイス賛同登録。2021年ソロプチミスト日本財団「社会ボランティア賞」

 終わって混雑したホールから外へ出ると、側を流れている川の風が冷たいこと!しかし、ミュージカルの熱気がまだ冷めない頬には却って気持ちが良かったですね。信号を待っていると面白い犬が…ちょこんと座って餌を待っているのがカワイイ!でも見たことのない犬やわと言うと…娘が〝ブルテリアよ〟と教えてくれました。

 

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今年は〝三社参り〟をしましたよ!

2025年01月03日 | 俳句

 昨日2日は、もう皆さまご存じのように朝から一日中gooブログがアクセスできず、本当にあくせく…しました。(笑)だって私が珍しく真面目に書こうかなと思って、せっかくやる気になっていましたのに…。

 というわけで、今日のことは明日に回して、昨日書こうと思ったことを書きますね。

 実は今年は元旦からとても幸先の良いことがあったんです。義弟・義母と亡くなり、喪中が続いていましたので、このところ元旦はどこへも行かず、また誰も来ないという静かでのんびりとしたお正月でした。ところが、今年はナント〝〟が飛び込んできたんです。以前俳句教室に通っていて、東京やいろいろなところへも一緒に旅をしたMさんが、手作りのシホンケーキとレモングラス茶を持って訪ねて来てくれたんですよ。嬉しかったですね。私が〝今年は春から縁起がいいわあ~~〟と言ったら、〝そりゃ、私の名前には幸が付いていますもの!〟と、大笑い。ああ、こんなにいい天気に愉しい話ができて、おまけに美味しいものが食べられるなんて…ナント幸せなことでしょう。これで、今年は何でもうまくいきそうな気がしました。ありがとうございました。

  南縁の日に迎へたる賀客かな     室積徂春

 この句のように、この日は余りにもポカポカして気持ちよかったので、〈南縁〉ではありませんでしたが庭のテラスでお茶を飲んで話したんですよ。


 さて2日はというと、元旦と同じようにこの日もとてもいい天気で、風もなくポカポカしていましたので、今度は〝初詣〟へ主人と出かけることにしました。でも、一番近い産土神の琴崎八幡宮へは、きっとまだ人が多くて延々と並ばないといけないだろうと思って、他のところへ行くことに。

 そこで行ったのが「南方八幡宮」。ここは奈良時代の天平勝宝三年(751)、厚東氏四代の白松太夫武綱公が、豊前国宇佐八幡宮の御分霊を迎え、古尾(現在の東岐波区古尾)の地に社を建て、吉敷郡賀保荘の鎮守としたことに始まります。古尾八幡宮を氏神様として信仰していたのは、宇部市西岐波から山口市佐山と広範囲で不便だったため、1233年(天福元年)、宇部市西岐波・東岐波は南方八幡宮、山口市阿知須・佐山は北方八幡宮に分社したんです。

  広々と大石段や初詣         池内たけし

 そこで、南方へ行ったんなら「北方八幡宮」へもと、参拝に行きました。

 ところで、上の写真にもあるように、御手洗の水はなぜ龍の口から出るのか知っていますか?それは龍神が昔から水を司る神として崇められてきたからなんですよ。 水は全ての命の源、命を繋ぐ尊いものと云われ、穢れや邪気を祓うものです。 この水が「龍の口から出ている水」とすることで「神聖な水」という意味を含んでいます。 その神聖な水を出すこのような龍は「吐水龍」と呼ばれています。

  御手洗(みたらし)の杓の柄青し初詣  杉田久女

 この句のように新年には御手洗の柄杓やその置き場などは新しい竹でやり替えるので青々しているのですが、コロナが流行してからは少し変わってきて、花などを浮かべるようになりましたね。

 せっかくだからと最後にもう一つ、「出雲大社宇部教会」にもお参りし、これで「三社参り」ということにしました。ここに出雲大社が創建されたのは、1928年(昭和3年)のことで、かつては厚狭郡楠木町吉部にあった神社を、渡辺祐策氏が宇部市内に神社を遷してほしいとお願いをされたことが始まりなのだそうです。

 また、西日本各地の風習としてある三社参りは、正月の初詣として、三つの神社に詣でることを指します。特に福岡県を中心として九州地方・中国地方の一部で根付いた風習で、私の実家ではそれが当たり前になっていましたね。

 ついでに、普通神社では二礼二拍手一礼という参拝が一般的ですが、出雲大社では二礼(二回おじぎ)四拍手(四回手を打つ)、最後にもう一度おじぎをしますので、ここでも同じようにします。

 このように今年はお天気も良くて、悲惨なニュースもなく穏やかに年が明けましたから、どこの神社でもこのような平安無事な日がこれからもずっと続きますようにと…こころからお祈りしました。

 ちなみにお神籤を引いたら、ナント〝大吉〟でした。〝辛い思いも祈れば神の、強い力で生き返る。七転び八起きという。……〟とは神の教えです。星野立子の〈よきみくじ四つに畳んで単(ひとへ)〉というのがありましたが、私はポケットに入れて持ち帰りました。しかし、念のために申しますが…この句は残念ながら〝初神籤〟ではなく、〝単帯〟が季語の夏の句なんですからね。 

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新年明けましておめでとうございます。今年もよろしく!

2025年01月01日 | 俳句

    新年明けましておめでとうございます!

           今年もよろしくお願いいたします。 

                    かわいい手描きのヘビイラスト(線画)イラスト - No: 22495535 ...の画像

 今日は、上の写真のように本当に雲一つない青空のいい天気です。こんな元日の空を「初晴」という季語で表しますが、これはこの日が晴れると、農家では五穀豊穣の兆しとしてとても喜んだことから生まれた季語なんですよ。

  初晴や近くはるかに母なる山          上田五千石

 先日届いた俳句雑誌「馬醉木」の12月号に、拙句〈送水管巡らす地下も初日差〉を広渡敬雄氏(「沖」同人)が取り上げて、鑑賞文を書いて下さっていました。〝新年も休むことのない浄水場。その地下には、各地への送水管がびっしり巡らされており、初日も差し込んできた。一年中休むことなく水を供給する人へのエールの句でもあるが、地震と大水で水道不通の能登の人達を思うと胸が痛む。〟と。これを読んだ時とってもありがたかったですね。この句は昨年の新年吟行会で行った浄水場で詠んだものでしたが、まさに能登半島地震の起こった後でしたものね。

 確か昨年の元旦もお天気が良くてのんびりと過ごし、その後のそろそろ夕食のことでもと考えていた頃だったと思います。今まで大きな地震にはしばしば驚かされていますが、何もこんな一年中で一番お目出たいという日に発生しなくても…と、自然災害のむごさにはとても心が痛みました。さらに次の日は羽田空港の事故と続き、おまけに今度は能登半島は豪雨災害まで…。いろいろな事件や事故なども多くて、この一年で亡くなられた方がどれほどいることでしょう。これは日本だけのことじゃないでしょうけどね。世界中いたるところで自然災害が発生していますし、また、いまだに収まらない戦争や紛争とかでも…とどのつまりが先日の韓国の航空機事故では179人もの方が亡くなるという大惨事で締めくくられた一年でしたもの。

 どうか今年こそはそんな大きな災害に見舞われることがない良い年でありますよう…心から祈りたいと思います。しかし、私個人的には今年はどうも〝八方塞り〟という大凶のようですので、またまたどんな一年になるかは疑問ですけど。

 あら、今年の初詣はまだですので、明日にでも行ってお御籤でも引いてこようかしら。どんなに運勢が悪くても…頑張りますよ。こうなったら神仏の力にすがるしかありませんので。皆様も是非初詣に行って、それぞれの平安無事を祈ってくださいね。

 我が家のおせちは、今年も一日早く大晦日の昼に娘夫婦と一緒に食べました。二人はそれから婿殿の実家へ行きましたので、今朝は息子と三人でもう一度おせちを…。今年のおせちは、板前魂の飛翔 特大八.五寸 和洋中 中華風三段重おせち 5人前でした。ところが、みんなの感想は、これもおいしいけど去年の方がもっとおいしかったと…。はて?去年はどこだったのかしら…てっきり同じところだと思っていたのですが、私もそろそろボケてきたのかな…気を付けなくっちゃ!では、また…

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