ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

義母の一周忌でした!

2024年10月23日 | 俳句

 またまた、ご無沙汰しました。皆さまお久しぶりです。私はコロナからはすっかり復活したんですけどね、今度は頑張ってさあブログを書こうと思ったら間が空きすぎて何を書いていいやら…困ってしまいました。

 そこで、先日の20日の日曜日に行った、広島のお寺での義母の一周忌のことを書こうかと…。

 早いものですね。去年の今頃はまだお婆ちゃんは元気でリハビリに励んでいましたのに…10月29日の夜あっと言う間に旅立ってしまいました。まさに一瞬の出来事で、その日はまだ私も自宅に帰らずにいましたし、お婆ちゃんの傍には主人も居ましたから…今思えばきっと淋しくはなかったのではと思って、自分の心を慰めました。

 昔から私は生徒たちに、人の一生というものは差し引き〝0(ぜろ)〟なのよと、話していました。長い人生の間には誰にでも良いことや悪いことがいろいろとあるでしょう。ても、そのプラス(良いこと)とマイナス(悪いこと)を全部計算すると、最後には0になって終るのだということなんです。だから良い思いばかりをしてきた人は晩年にそのツケ(プラス分)をマイナスで払っていかないと天国へは行けないのではと思っています。その反対も然りかと。

 そう考えると、私は少々の苦労や病気などの苦しみはいくらでも耐えられました。なぜだか私は小さい頃からこの苦しみは報われるときが必ず来ると信じていましたもの。私の母も若い時は苦しいことの方が多かったような…でも晩年は倖せで、毎日が〝天国!天国!〟と言って、99歳で亡くなりました。義母も若い時には大変な苦労をしてきたんだと、いつも聞かされていましたが…やはり晩年は倖せで、102歳の天寿を全うしましたものね。

 できれば私も母たちのようにありたいといつも願っているのですが、まだまだ人間としての修養が足りないようです。愚痴など言わず何事にも感謝して生きられるように、もっともっと努力しないといけませんね。

 先日俳句教室を辞めるという方にその理由を聞くと、〝そろそろ自分でも痴呆の出始めているのが分るので、これ以上悪くなる前に辞めたい。皆さんにご迷惑を掛けたくないから〟と。それで〝みんな迷惑だなんてちっとも思っていないわよ。むしろ来られるのを楽しみにしているくらいですよ〟と説得したのです。すると、〝実は、今まで積み上げてきた自分にはプライドを持っています。だから、それを壊したくない。皆さんには醜態を晒したくないのです。今が自分にけじめを付ける潮時だと思うから…〟とも。詳しいことは知りませんが、現役時代はもちろんのこと退職されてからも地域などのお世話をされたりして、活躍して来られた83歳の男性の方なんですよ。確かにそれなりの兆候が時々は出ていましたが、それを十分に自覚されていたようで、でも俳句が好きで迷惑かと思いながらも今日まで参加させていただきました。有り難うございました…と言われると、もう何も返す言葉がありませんでした。

 〝終活〟という言葉が流行するようになって早何年になるでしょう。私も10年前はそんな言葉を聞いても自分には関係ないことと考えもしませんでした。でも、今この歳になると何かにつけて先のことが思いやられます。自分の人生にどうピリオドを打つたらいいものかと…こんなことで思い悩んだりするのもやはり秋だからでしょうか。

 さて、またお婆ちゃんの一周忌の話からつい横道に逸れてしまいましたね。スミマセン!今回は日帰りで、朝8時に宇部を出て広島へは10時半到着。11時から菩提寺・本照寺の本堂をお借りして法要を行いました。

 それが済んで、12時半からはお婆ちゃんの大好きだった広島江波山にある、創業1900年の老舗フレンチレストラン「シェ・ヤマライ」で会食。京都からの義弟夫婦や千葉の甥夫婦など、総勢9名でのささやかな法要でした。でも義母の大好きな人たちばかりなんだから、きっとあの世から嬉しくてニコニコして眺めていたんじゃないのかしら。ねえ、お婆ちゃん!    合掌

 「シェ・ヤマライ」のランチメニュー

  ステーキメインのお得でおすすめのフルコースです。

   ● オードヴルの盛り合わせ

  冬期はオイスターヴァリエ(殻付きカキのオーブン焼き5種) 

  • 季節の野菜のクリームスープ(この日は薩摩芋でした)

  • シェフの気まぐれの本日のお魚料理

  • お口直しにフルーツシャーベット

  • 国産牛フィレ肉のステーキ

  • 小さなサラダ(写真なし)
  • お楽しみデザート

  • コーヒー又は紅茶(写真なし)

 この度はみんなそれぞれ忙しいということで、15時にレストランを出て解散しました。ここには嘗て1934(昭和9)年に建築された広島県立広島測候所があります。現在は広島市江波山気象館といって、気象と科学をテーマとした博物館で、気象観測や天気予報の様子を見学や豪雨・暴風疑似体験ができる、子ども達にも親しまれている施設だそうです。またこれは被爆建物で、広島市指定重要有形文化財にもなっていますし、柳田邦男の小説「空白の天気図」の舞台にもなったところなんだそうです。その傍に大きな銀杏の木が2本あました。その1本にはびっしりとぎんなんが…こんなに生っているのを初めて見ました。今年は異常に暑かったので我家の柿などは全滅なんですけどね。暇があれば拾って帰りたいんだけど…なんせあの匂いがね、車の中に籠ったら大変ですもの。諦めました。ザンネン!

 それからすぐに帰途に着き、18時前には無事宇部に戻りました。行きも帰りも運転してくれた息子が一番疲れたでしょうに…でも若いから元気。私は何もしなかったのに疲れました。やっぱり歳なんですね。悔しいけど。では、また…

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今月の吟行会は…ちょっといいところへ!

2024年10月06日 | 俳句

 あら今日はもう10月6日ですね。またまた前回から12日ぶりの更新で、ゴメンナサイ!でも今朝はちょっと曇ってはいましたが、秋風が爽やかで、あの暑さが嘘のようでしたよ。彼岸過ぎから秋の兆しが感じられるようになり、私の気分もやっと上向き。何をしてもイヤイヤというのでは成果も上がりませんものね。そろそろ気分を入れ替えて…またガンバロウっと!

 ということで、4日の第1金曜日に月例の吟行会を実施しました。今回は、山陽小野田市の厚狭地区にある山口ワイナリーの見学~寝太郎堰・沓古墳というコースです。

 実は今回の当番幹事Y子さんに、当日は大雨の予報ですが本当に来られますかという確認の電話がワイナリーから入ったと。それで、吟行会を延期しましょうかという打診を私にして来たのです。調べてみると、確かに台風の影響で前日から当日にかけては雨、それも西日本では大雨が降るかもと。しかし、私の天気アプリで見る限りは、前日は一日中雨だが、次の日は午前中が雨でも大したことがなさそうでした。ということで、俳句は雨でも決行(結構!)というのが私の信条ですからそのままと決定しました。

 さて、そういう訳で決行した当日の天気は…雲は少しありましたが、暑くもなくなんともいい気候ではありませんか。みんなから〝さすがは先生!〟と認識を新たにしましたと。自分ではそんなこと全く思ってもいなかったんですけど…やっぱりねと、ちょっと鼻が高くなりました。(笑)

 ワイナリーは厚狭の町からちょっと入った山手の方でしたから、途中の道々には彼岸花が今を盛りと咲いています。こちらではどこもかしこも例年に比べると約二週間遅れですね。

 見学を予約した10時に着くと、案内の人が待って居てくれました。実はこのワイナリーの営業日が土日と祝日のみ。その他での見学は事前に予約して下さいということ。それで、予約していても来られないことがあると職員の無駄足になるからということで、来られるかどうかの確認の連絡をするのだとか。そうとは知らず…でも、悪天候でも見学に来るというのは物好きな俳人ぐらいのものかもね。(笑)しかし、葡萄畑はこの雨の天気予報でその前に全てを収穫し終えたんだそうです。それは残念!

 知らなかったのですが、よいワインを作る葡萄には雨が一番禁物だとか。そのためここでは〝レインカット〟栽培法で育てているので、あのように全部ビニールが掛けてあるのですよとも。

 ところで、ここは永山酒造の創業者の嘗ての別荘だったとか。見事な自然美の景観を取り入れたところで、紅葉の頃はもっと美しくなっていることでしょう。案内された葡萄畑へ上っていく道の溝に蛇を見つけて…これは〝穴惑〟ならぬ〝溝惑〟やねなどと言いながら…途中には山栗も落ちていましたし、曼珠沙華や継子の尻ぬぐいオオオオオナモミのくっつき虫(実)や草の絮もこんなにたくさん…などなど、ここはまさに季語の宝庫でした。

 醸造場も見学させていただきました。中に入ると、途端に葡萄を搾っている香に酔いそう!その後ショップの方に行くと…勿論みんなお土産にワインを買って帰りましたよ。我家はYMGーWine「SOREINE」…これ山口弁の〝それいね〟(そうなのよという意味)からの命名なんですって。アハッ知りませんでした。そういえば、〝道の駅ソレーネ周南〟もそうだとか。

 家に帰り早速呑んでみると、とってもフルーティーで美味しかったですよ。

 さて次は、「寝太郎堰」。厚狭の里に伝えられている「寝太郎物語」によると、庄屋の息子のものぐさ太郎が三年三月寝て暮した後に草鞋を持って千石舟で佐渡島へ行き、その新しい草鞋と使い古された草鞋を交換して持って帰り、それで大もうけをしたんだと。そして、そのお金で厚狭川を堰き止め用水路を作って、湿地帯だった千町ヶ原を瑞々しい水田に変えたという伝説です。それをもとにした寝太郎祭が毎年4月29日に行われ、千石舟に乗った木像が厚狭駅前を練り歩くのだとか。ここ厚狭にはあちらこちら寝太郎にまつわるものがあって、この堰もその代表的なものの一つなんです。

 また、その堰近くの「沓(くつ)古墳」へも行きました。これは古墳時代後期の小さな古墳で横穴式石室があります。説明によると、厚狭川流域の沓の地一帯を治めていた村長(むらおさ)の墓で、彼の左の手には黄金色に輝く珍しい銅の腕輪がはめられていて、40本の弓矢と鉄の刀が収められていたそうです。

 その後、昼食まで少し時間がありましたので、傍にある厚狭の鎮守社「鴨神社」を見学。ここは嘗て私が勤めていた時の先輩の先生の家で、その「目(さっか)」という姓が官位の一つで由緒ある神職の位からきているのだということを初めて知ったところなんです。懐かしい!でも、悲しいけどその先生ももう神さまになってしまわれましたけどね。

 それから昼食、その後句会場へ移動して句会。3時間みっちりと俳句の勉強をしました。ここまで読んで下さった皆さまも大変お疲れ様でした。ありがとうございます。オシマイ!

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