昨日は、4月29日、国民の祝日の「昭和の日」なんですが…、嘗て昭和前半では「天長節」(1927〜1947年)と言い、その後は「天皇誕生日」(1948〜1988年)となり、更に昭和天皇崩御後は自然の恩恵に感謝する「みどりの日」(1989〜2006年)に変わりました。ところが、その「みどりの日」が平成19年(2007)より5月4日に移行されて、とうとう現在の「昭和の日」(2007年〜)になったんですね。
同じ日なのにこんなに名称がくるくると変るのも滅多にありませんが、みな季語となりますので、歳時記もその度に説明を変えたことでしょう。だから例句もよくよく考えて載せないと…。特に「天皇誕生日」という季語は天皇陛下が変られる度に日にちが動くのですからね。平成までは冬の季語だったのが、ほら今上天皇の「天皇誕生日」は2月23日ですから、春の季語になるんですよ。
春こゝにをはる天皇誕生日 久保田万太郎
これはやはり昭和天皇の「天皇誕生日」ですね。だって平成天皇は12月23日の冬、昭和天皇が4月29日で、まさに〈春こゝにをはる〉晩春なんですから。
ちなみに、天皇の誕生日が祝日になったのは明治になってからだそうです。明治元年に、「9月22日」が当時の今上帝(明治天皇)の誕生日だから休日とするという布告を明治新政府が出したのです。ところが、明治5年末を以て旧暦が廃され、明治6年からは今と同じ太陽暦になって、9月22日を太陽暦に直すと「11月3日」となるので、明治6年以降は11月3日が「天長節」として国民に祝われ、明治44年まで続いたんですって。
昔は天皇誕生日という名称ではなく、「天長節」として国民の祝日だったんですね。でも、今の歳時記には「天長節」は季語としては収録されていません。が、調べてみると、11月3日の「文化の日」の傍題に「明治節」というのが秋の季語として載っています。そもそも11月3日は、明治天皇の誕生日ですから御存命中は「天長節」と言っていたもの。それを、崩御後の昭和2年(1927)に国家によって「明治節」と定められたのです。ではそれがなぜ「文化の日」と改称されたのかというと、敗戦を境に軍国調が排除されることになって、その名称では祝日として通用しないと。それで平和憲法の公布を記念してということで、昭和23年に「文化の日」と改めて祝日となったのです。
ところで、「増殖する俳句歳時記」に清水哲男氏が次のような句を鑑賞されていましたので、抜粋してみますね。
父母の天長節の明治節 原岡昌女
理屈の句だが、面白い。十一月三日は、もともとが明治天皇の誕生日で、明治時代には「天長節」と言った。国家によって「明治節」と定められたのは、昭和二年(1927)のことである。だから、作者の明治生まれの両親は今日を毎年「天長節」と呼ぶわけだが、昭和に物心のついた作者は、そのたびに「ああ明治節のことだ」と訂正しながら理解するという趣きだろう。その「明治節」も、昭和二十三年(1948)には「文化の日」と改められた。戦後の新憲法発布を記念して祝日とされたのである。
ついでに面白い話を…。戦後の日本で一番短いのは大正時代で約15年。それでなのか一番話題にならないのが大正天皇。義母は大正10年生まれなんですが、殆ど話を聞いたことが…ああ、それはそうですよね。だって大正が終った時にまだ5歳ぐらいだったんですもの。覚えていないのが当たり前かな。
その大正天皇ですが、誕生日は8月31日。ところが、陛下は7月に入ると葉山で過ごされ、8月に入ったらすぐに日光へ避暑に出向かれて、そのまま現地に9月半ばまで滞在されていたんだそうです。当然8月31日が「天長節」としての祝日なんですが、それを祝おうにも皇居に居られないのでできないということで、別に〝お誕生日祝いをする会の日〟を設けたんです。それが10月31日の「天長節祝日」。そのどちらもが祝日となり、国民も休みになったんですって。
ヘエッ、こんなこと初めて知りました。早速明日行ってお婆ちゃんに聞いてみようっと!ネッ、面白いでしょう。この年になっても世の中には知らないことばかりですよ。だから…幾つになっても愉しい!
写真は〝雲南黄梅(うんなんおうばい)〟。3月頃から4月頃まで咲いて、黄梅とよく似ていますので間違われやすい花です。でも黄梅は落葉樹ですが、この雲南黄梅は常緑樹ですので、葉のあるなしで見分けられます。どちらも梅とは違ってモクセイ科なんですが、香りはありません。黄梅の花言葉には〝恩恵〟というのがありますが、私たち日本人はいつもどこか分らないところで、天皇陛下や皇室の恩恵を受けているのではないかと思います。ウクライナのことを考えれば、何事に関しても平和に生きていることを感謝して過ごしていきたいものですね。
さあ、明日からは5月ですよ…皆さま、どうぞ有意義なGWを…