ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝天長節〟と〝天皇誕生日〟

2022年04月30日 | 俳句

 昨日は、4月29日、国民の祝日の「昭和の日」なんですが…、嘗て昭和前半では「天長節」(1927〜1947年)と言い、その後は「天皇誕生日」(1948〜1988年)となり、更に昭和天皇崩御後は自然の恩恵に感謝する「みどりの日」(1989〜2006年)に変わりました。ところが、その「みどりの日」が平成19年(2007)より5月4日に移行されて、とうとう現在の「昭和の日」(2007年〜)になったんですね。

 同じ日なのにこんなに名称がくるくると変るのも滅多にありませんが、みな季語となりますので、歳時記もその度に説明を変えたことでしょう。だから例句もよくよく考えて載せないと…。特に「天皇誕生日」という季語は天皇陛下が変られる度に日にちが動くのですからね。平成までは冬の季語だったのが、ほら今上天皇の「天皇誕生日」は2月23日ですから、春の季語になるんですよ。

  春こゝにをはる天皇誕生日   久保田万太郎

 これはやはり昭和天皇の「天皇誕生日」ですね。だって平成天皇は12月23日の冬、昭和天皇が4月29日で、まさに〈春こゝにをはる〉晩春なんですから。

 ちなみに、天皇の誕生日が祝日になったのは明治になってからだそうです。明治元年に、「9月22日」が当時の今上帝(明治天皇)の誕生日だから休日とするという布告を明治新政府が出したのです。ところが、明治5年末を以て旧暦が廃され、明治6年からは今と同じ太陽暦になって、9月22日を太陽暦に直すと「11月3日」となるので、明治6年以降は11月3日が「天長節」として国民に祝われ、明治44年まで続いたんですって。

 昔は天皇誕生日という名称ではなく、「天長節」として国民の祝日だったんですね。でも、今の歳時記には「天長節」は季語としては収録されていません。が、調べてみると、11月3日の「文化の日」の傍題に「明治節」というのが秋の季語として載っています。そもそも11月3日は、明治天皇の誕生日ですから御存命中は「天長節」と言っていたもの。それを、崩御後の昭和2年(1927)に国家によって「明治節」と定められたのです。ではそれがなぜ「文化の日」と改称されたのかというと、敗戦を境に軍国調が排除されることになって、その名称では祝日として通用しないと。それで平和憲法の公布を記念してということで、昭和23年に「文化の日」と改めて祝日となったのです。

 ところで、「増殖する俳句歳時記」に清水哲男氏が次のような句を鑑賞されていましたので、抜粋してみますね。

  父母の天長節の明治節   原岡昌女

屈の句だが、面白い。十一月三日は、もともとが明治天皇の誕生日で、明治時代には「天長節」と言った。国家によって「明治節」と定められたのは、昭和二年(1927)のことである。だから、作者の明治生まれの両親は今日を毎年「天長節」と呼ぶわけだが、昭和に物心のついた作者は、そのたびに「ああ明治節のことだ」と訂正しながら理解するという趣きだろう。その「明治節」も、昭和二十三年(1948)には「文化の日」と改められた。戦後の新憲法発布を記念して祝日とされたのである。

 ついでに面白い話を…。戦後の日本で一番短いのは大正時代で約15年。それでなのか一番話題にならないのが大正天皇。義母は大正10年生まれなんですが、殆ど話を聞いたことが…ああ、それはそうですよね。だって大正が終った時にまだ5歳ぐらいだったんですもの。覚えていないのが当たり前かな。

 その大正天皇ですが、誕生日は8月31日。ところが、陛下は7月に入ると葉山で過ごされ、8月に入ったらすぐに日光へ避暑に出向かれて、そのまま現地に9月半ばまで滞在されていたんだそうです。当然8月31日が「天長節」としての祝日なんですが、それを祝おうにも皇居に居られないのでできないということで、別に〝お誕生日祝いをする会の日〟を設けたんです。それが10月31日の「天長節祝日」。そのどちらもが祝日となり、国民も休みになったんですって。

 ヘエッ、こんなこと初めて知りました。早速明日行ってお婆ちゃんに聞いてみようっと!ネッ、面白いでしょう。この年になっても世の中には知らないことばかりですよ。だから…幾つになっても愉しい!

 写真は〝雲南黄梅(うんなんおうばい)〟。3月頃から4月頃まで咲いて、黄梅とよく似ていますので間違われやすい花です。でも黄梅は落葉樹ですが、この雲南黄梅は常緑樹ですので、葉のあるなしで見分けられます。どちらも梅とは違ってモクセイ科なんですが、香りはありません。黄梅の花言葉には〝恩恵〟というのがありますが、私たち日本人はいつもどこか分らないところで、天皇陛下や皇室の恩恵を受けているのではないかと思います。ウクライナのことを考えれば、何事に関しても平和に生きていることを感謝して過ごしていきたいものですね。

 さあ、明日からは5月ですよ…皆さま、どうぞ有意義なGWを…

 

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桜肉って何?

2022年04月28日 | 俳句

 昨日は天気予報通り朝から大雨です。このところ晴れと雨が一日おきの天気…これはもしかしたら〝走り梅雨〟?でもまだ春の終わりですものね。梅雨には早すぎるでしょう。

 さて、昨日の午前中はフォーユーで令和4年度定期文化講座の講師連絡会がありました。ここ2,3年はいつものことですが、検温、マスク、手の消毒と…おまけに会場は一つの机に一人ずつ、更にビニールのパーティションもあります。もう慣れましたが、講師の自己紹介があっても顔はよく見えないし、声はマスクで聞き取りにくいし…何ともイヤなものですね。早く以前のようにすっきりしたいものです。

 午後からは今月の最後の俳句教室。ここの教室も思わぬ病人が出たりして段々会員が少なくなりました。やはりみんな1年1年歳を取っていくのは当たり前のことですからね。何にしても仕方のないことですが…。

 ところで、今日は先日泊まった広島のホテルの会食での話。メニユーに〝桜肉の…〟とあって、出て来たのが???〝これ貝柱じゃない?〟〝そうよね。でも薄いピンクで桜色してるから…そういうのかしら?〟と。そこで仲居さんに聞いてみると、桜肉の入荷が出来なくて急遽貝柱になったんですって。

 〝なんだ、やっぱり!じゃあ桜肉って何の肉だったっけ?〟と聞くと、〝馬肉ですよ〟と甥っ子が…。それで今度はあれこれとみんなで肉談義になりました。〝猪の肉は牡丹よね〟〝紅葉は鹿の肉だから、じゃあ牛肉は?〟〝豚肉もあるけど何というの?〟〝あ、鶏肉もあるよ…柏(かしわ)と言うじゃん!〟と。話がどんどん発展して、そのうちには〝では、なぜ牛肉や豚肉には花とかの言い方がないのかしら?〟という疑問が湧いてきました。

 すると、やっぱり現代っ子ですね。若い人はすぐにスマホで検索して〝日本では昔、牛や豚は食べなかったからなんだって…〟と。そういえばそうですね。今では日本食の代表にもなって、普通に食べられている〝すき焼き〟は、明治の文明開化期に〝牛鍋〟として流行したんだという話、その頃のドラマなどには必ず出て来ますもの。

 余り気にもせずに食べていましたが、言われて見れば?何となく知ってる気になっていましたが、その根拠をきちんと説明してと言われたら…さて、自信がありません。こりゃあいけんと…早速家に帰って調べてみましたよ。皆さんはなぜなのかご存じですか。もしご存じなければ調べてみるのも面白いかも。

 ところで、先ほどの〝牛鍋〟、実を言うと冬の季語なんですよ。

  牛鍋や妻子の後のわれ独り   

 これは石田波郷の句ですが、一体いつ頃の作でしょうか。波郷は妻や子どもたちが食べた後に独りで牛鍋…即ちすき焼きを食べているんですね。何と寂しい景でしょう。これは牛鍋に限ったことではないと思うのですが、昔も今も同じで、〝〇〇鍋〟などと名の付くものは大抵ひとりで食べる物ではありませんよね。家族や友だちや同僚などとみんなでワイワイ言いながらつついて食べる。それが愉しくて、また美味しいんですから。これはもしかしたら波郷が自分の病気を気にして、特に子どもたちとは距離を置こうとして食事などは後から独りで食べていたんではないんでしょうか。それとも、この時は病状が悪化して食卓にも着くことができず、病床で妻の介助を受けながら後から食べるしかなかったとか。どっちにしても食卓を家族一緒に囲むことが出来なかった波郷…その哀しさ、淋しさは下五の〈われ独り〉に凝縮していますね。だってその頃はすき焼きは滅多に食べられないご馳走だったのでしょうから。いや、いや、我家では今でも何かあった時などに食べるご馳走なんですけど!(笑)

 写真は、先日吟行した今富ダムの〝しだれ桜〟です。ちなみに、馬肉の〝桜肉〟というのは、獣肉を食べることが禁止されていた時代に「隠語」として使われていたもので、その理由にはいろいろな説があるのですが、〝馬肉を切った時に切り口の赤身部分が僅かに桜色となるから〟というのが有力なようですよ。

 

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〝菜種梅雨〟じゃなく〝藤の雨〟かしら?

2022年04月24日 | 俳句

 今日も広島カープが10回延長戦のすえ逆転サヨナラで勝ちました。これでDeNAに負けなしの6連勝です。でも巨人には…弱いんですよね。クヤシイ!

 昨日から広島へ行って、今日の夕方帰ってきました。エッ…野球を観に行ったのかって…違いますよ。実は義弟の四十九日の法要はお寺にだけお願いしたので、その代りに百か日法要と納骨を一緒にするため皆で広島へ来たのです。日帰りでは疲れるし、京都の義弟一家は昨日のカープの試合を観てからというので、ちょっと変則的に会食を前日にして、今日の午前中に寺へ行き法要と納骨を済ませたんです。

 お婆ちゃんを初めとして一族郎党がカープフアンなんですから、そりゃあ皆が集まればその話で持ちきり。お婆ちゃんまで義弟の話はそっちのけなんですから…(笑) まあ、皆が愉しそうにしているので義弟もきっと許してくれるでしょう。法要と納骨をした午前中は小雨でしたから…これはもしかしたら〝涙雨〟かも?なら誰の?なんて思ったのは私だけみたい。だってみんな今日の午後の試合の方が心配だったようですから…(笑) まさに〝去る者は日日に疎し〟ですね。それにしても…まだ100日ですよ!ちょっと早すぎませんか。何だか寂しいことですが、これも義弟には家族がいなかったからかしら…

 ところで、雨というので思い出したのですが、俳句では花と雨がくっついて季語になっているものがありますよね。春だったら桜の頃に降るのを〝花の雨〟とか。ところが、菜の花の咲く頃のは〝菜の花雨〟や〝花菜雨〟とは言わずに、〝菜種梅雨〟だと言うんですね。なぜなのかしら?

 歳時記にもこれは、〝三月から四月頃菜の花が咲く頃降り続く長雨〟のことと解説しています。ということは、単なる雨ではなく〝長雨〟ということから〝梅雨〟のようなという意味で使われ出したのでしょう。

  幻に建つ都府楼や菜種梅雨    野村喜舟

 日本では冬の間高気圧に覆われるため晴れの日が続きますが、春になるとその高気圧が北上し、南側では前線が停滞しやすくなって、くもりや雨の続く日が多くなります。

 NHK放送文化研究所の説明にも次のようなのがありましたよ。

3月中ごろから4月にかけて高気圧が北に片寄ると、日本の南岸沿いに前線が停滞して、関東以西では梅雨どきのような雨が降り続きます。菜の花の咲くころにあたるため、「菜種梅雨(なたねづゆ)」と言われています。「春の長雨」「春霖(しゅんりん)」のほか、「催花雨(さいかう)」という言い方もあります。「催花雨」は、桜をはじめいろいろな花を催す(咲かせる)雨という意味です。「催花」が同音の「菜花」に通ずることから、「菜花雨」「菜種梅雨」になったという説もあります。「春雨(はるさめ)」も、このころの雨を指して言う場合が多く、月形半平太の名せりふ「春雨じゃ、濡(ぬ)れてゆこう」も、草木の芽を張らせ花を咲かせる柔らかい春の雨だからこそ、粋(いき)に聞こえます。

なお、放送で「菜種梅雨」を言うときには、「菜の花の咲くころに降る・・・」などと必ず説明を付けるようにしています〟と。

 しかし、もう桜も菜の花も終って10日余りで夏ですよ。じゃあ今時の雨は何と言ったらいいんでしょう。広島の街は今躑躅(つつじ)が見事に咲いていましたが、だからといって〝躑躅雨〟とかは言わないですよね。でも、高速道を走っているとそこここに藤の花が見えましたし、公園などの藤棚も満開でしたから、〝藤の雨〟と…ああ、これは言いますね。私も使って詠んだことがあります。写真は、撮ってなかったのでお借りしました。ゴメンナサイ!

藤(フジ)の花の育て方|種や苗の鉢植え、剪定の時期と方法は ...

  藤の雨墓に向かひてあたたかし  吉田鴻司

 結局、躑躅は雨が似合わないけど、藤は似合うと…そういう美的感覚から俳句に詠まれたり、多用されて一般的にも言われるようになったんでしょうか。ちなみに、12月上旬の山茶花が咲く季節になると、移動性高気圧が北へかたより前線が本州の南の海上に停滞して、この時期の梅雨のような天候が〝山茶花梅雨〟なんだそうです。〝菜種梅雨〟とは反対ですね。でもこれはまだ季語としては採用されていません。今後は分りませんが…。

 これらはみんな日本に四季の移り変わりがあるからで、古来そこから日本人の〝うたごころ〟も培われてきたんです。しかし、その日本の特色の詩情が、昨今の地球温暖化によって大きく乱れてきているということ。それに、私たちはもっと危機感を持たねばいけませんね。未来の子どもたちに美しい〝日本の四季〟を残してあげるためにも、もっともっと大人達は頑張らなくっちゃ!そのためにも…さあ、みなさん俳句を詠みましょう。ハイ、五七五…ですよ。(笑)

 写真は、我家の躑躅と先日のきらら浜自然観察公園での三つ葉躑躅。

 

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令和4年度第1回目の〝きらら俳句教室〟

2022年04月20日 | 俳句

 今日も最高気温は22度と暖かで気持ちの良い1日でした。しかし、明日からは天気が下り坂になるので気温も下がると。それで、今日のうちにお婆ちゃんといつもの病院へ診察と薬を貰いに行って来ました。

 ついでにもう一軒お婆ちゃんの通院している病院へも。帰ってきて疲れたので、今日は久し振りにお昼は素麺を食べようということになりました。外や車の中は暑いぐらいでしたので、さっぱりしたものが食べたくなって…今年初めての素麺です。でも氷では冷やさないで常温で…それがとっても喉ごしが良くて…美味しかったですよ。

 さて、先日の土曜日は今年度最初の〝きらら俳句教室〟でした。司会進行も昨年の女性レンジャーIさんに代わって、レンジャーのTさん、今度は男性です。会員は…新しい方が1名入られましたが、退会された方もいてちょっと減り12名…あれ、いつも熱心に受講してくれていた一番若いHさんの顔がない!と残念に思っていたところ…終ったときにHさんの顔が教室に…???どうしたのかと聞いてみると、このきらら浜自然観察公園に4月から勤め始めたんですって!わあ、それじゃ仕方ないわねと言うと、本人も〝続けたかったんですけど…〟と残念そう。こんなこともあるんですね。ビックリ!しました。

 さて、いつも通り9時30分より開講。今日は〱さまざまの事思ひ出す桜かな〉という芭蕉の句から始めました。つまるところ俳句というものは季語を通してそれぞれの〝思い〟を、定型の五七五のリズムに乗せて詠うものということ。そして、その思いが通じてこそ共感を得られるのだから、先ずは分って貰えるように伝えることが大事。自分だけが分る句というのは、結局〝ひとりよがり〟の句になって、人々の心には何も伝わらないのだということを話しました。

 昨年度はなぜかよく雨に降られましたが、今年度は出だしからいい天気。外へ出る10時頃にはもう暑いくらいに日が照って、キラキラ輝く湖を見ながらいつものコースを歩きました。

 今回の目玉は…そう、そう、春だけに見られるという鼈甲蜻蛉(べっこうとんぼ)。これは季語ではありませんが、全国的に数が少ない絶滅危惧種で、このきらら浜公園の葦原には生息しているんです。その観察会がちょうど今日の午後からあるんだそうで、でも、私たちは残念ながら見つけられませんでした。写真は、公園のホームページよりお借りしました。

 もうここも3度目になりますので、他には特別なものはなかったかな。鶯に春の鴨(鴨は冬、まだ北帰しないでいるので残る鴨ともいう)、大鷭(これは夏の季語)と燕…また去年と同じトイレの中の巣に来ているようでした。

 植物では、姥目樫(うばめがし)の花を初めて間近で見ました。他に赤芽柏(あかめがしわ)も、新芽の葉が下の写真のように形の違うものがあるということを知りました。他に茱萸(ぐみ)の実の赤くなっているものと花の咲いているものがあって、実の方は〝春茱萸〟とも呼ばれる〝苗代(なわしろ)茱萸〟です。花の方が普通に〝茱萸〟といわれて、その実が秋の季語になるものです。ちょっとややこしいですが、秋に成る茱萸は〝茱萸〟と詠んでもいいですが、春の実には必ず〝春茱萸〟とか〝苗代茱萸〟で詠みましょう。

 写真は、秋茱萸の花。(公園のホームページより)独特の甘い香りを放ち、遠くからでも風に乗って香るので、その存在はすぐにわかります。ラッパ状の形の花は白く、下向きに多数付き、遠くから見ると雪が積もったような感じで、沿岸部に多い樹木なので、園内では堤防沿いに多く見られるそうです。

 この度も咲いていたから…ということで、〝茱萸の花〟として詠んだ句がありました。確かに秋茱萸の花は春に咲きますが、もし春茱萸なら花は秋に咲きますのでどちらか紛らわしくなりますね。よくよく考えて詠むようにしましょう。

 このように季語として使う時には、必ず歳時記で確かめるようにするといいですよ。季語への知識が深まって勉強になりますし、知っている季語の数も増えていきますから。

 第1回目が予定通り無事に終りホッとしました。新人さんにいかがでしたか?と感想を聞くと、〝テレビのプレバトみたいで面白かったです!〟と…ああ、よかった!皆さまお疲れ様でした。

 写真は、ウバメガシの花、アカメガシワの新芽、ベニシジミ。最後は改築されて綺麗になった東屋です。

 

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吟行って何?

2022年04月17日 | 俳句

 あっと言う間の1週間でした。何やってたの?と聞かれても…エ~エッと、いつもの通りの俳句でしょ、それにリハビリのための通院と…他には…?

 そうだ、火曜日はM教室の吟行をしての句会。金曜日はK俳句教室、土曜日が午前のきらら教室と午後の馬酔木会のダブル句会と、これはいつものことなんですからね。ただ一つ違ったのは、そうだ、あれは確か木曜日の夜でしたが、夜から急にお腹の調子がおかしくなり何度もトイレへ行ったっけ。おまけに悪寒がして全身の倦怠感と、最後は吐き気まで…

 これはもしかしたらコロナ?と、一瞬ビビりましたよ。でも熱を測っても平熱だし、じゃあ何かに当ったのかしら…と、思いつつの翌朝のことです。

 夜が眠れなかったし、気分も悪かったので遅く起きてラジオ体操へは行きませんでした。すると、主人が帰りにこちらに寄ったので、体調が悪いことを言うと…ビックリです。実は主人も前夜下痢で何度も起きたんだと。じゃあお婆ちゃんは?と聞くと、何ともなくて元気だそうです。ウエッ!

 しかし、次の日にお婆ちゃんも便が緩くなったと言い出し…でも他の症状は2人には出ていないというので、結局3人の食べた物が原因での食あたりだろうということで決着。でも何が悪かったのか思い当らないのですが、恐るべし101歳ですよ!私など一番若いのに…虚弱じゃあね~と言われてしまいました。だからこの体調不良で食べるものもおかゆとかの消化のいい物ばかり…力が出ませんよね。そんな状態が土曜日まで続いて、それで句会などをこなすのが精一杯…ブログには全く手が出ませんでした。スミマセン!

 さて、ここまでブランクができてしまうと、何を書こうかと迷ってしまいましたが、先日の吟行のことでも報告しましょうか。

 この2,3年どこの俳句教室でもコロナ禍で殆ど吟行をしなくなっていました。この吟行というのは、詩歌・俳句をつくるために、同好者が景色の良い所や名所旧跡などに出かけて行くことなんですが、M教室の新人さんはまだその吟行なるものを体験したことがないという。そこで、近いところへ行くことに。でもどんなところであれ、外に出て風や空気などを肌で感じ、目に見えるもの、聞えるものに集中して句を詠むというのはいいものですよ。

 今回は小さな漁港の漁師町、そこの寺や神社というごくありふれた場所でしたが、それなりに収穫はありましたね。短時間でしたので8人の1人3句と…。

 季語で多かったのは〝花曇・花びら・桜花・花の雲〟などと、まだ桜が残っていましたし、鳥なら〝揚雲雀・百千鳥〟など。他に〝木の芽・芽吹く〟や〝つちふる〟〝鰆東風〟なども。やはり兼題で詠むのとは違って、目の前に見えるものの実感を詠むのですから様々なものが出て来ます。みんな同じものを見ていたはずなんですが、やはり〝十人十色〟というごとく、全く同じという句はありませんでした。

 今回の最高点句は〈春昼や鱗の残る競市場〉。きれいに纏まって季語が効いている句です。特に魚市場と言わなかったのがよかった。でも競りが終った後の魚市場にこびりついた鱗が光ってよく見えるでしょう。実際に見ていない人にでも分りますよね。しかし、何もなく想像で詠めといわれても…〈鱗の残る〉という把握はすぐには出てこないでしょう。これが吟行の良さです。どんなに平凡なところにでも句材は転がっていますし、そこへ行かなければ、またはその時でなければ出会えなかったものというのはたくさんあるはず。例えばそれが自分の家で、庭であっても…なんですよ。

 俳句というものはどこかの観光名所へ行かないと出来ないものと思っておられる方はいませんか。もしそうなら、そういう有名な所へ行ったときの方が却って詠めないものなんです。まるで絵はがきのような報告の句ばかりができて…全く面白くないんですから。

 今回も見慣れた風景ばかりでしたが、それでも揚雲雀を間近で見たことがない人や魚市場に来たことがない人もいて、新人さんも、詠むのは難しかったけどとても愉しかったと。ヨカッタ!その新人さんの初めての吟行句は、〈弁当の隅にひとひら桜花〉でした。お昼は頼んでおいた弁当を、みんなで一緒に公園の桜の下で食べましたので、それを素直にこのように詠んだんですね。俳句はそれでいいんです。決して難しく構えないで…ね。でもせっかくだからと、これを〈弁当の蓋へひとひら桜花〉と添削しました。ほら、このほうが花びらがよく見えてくるでしょう…なんて言って…。はい、オシマイ!

 写真は、吟行した漁港の様子や風物。ここはかつてはお殿様も通ったという古くに栄えた漁港で、寺なども400年の歴史があるんですよ。

 

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〝鞦韆〟とか〝半仙戯〟というのは?

2022年04月10日 | 俳句

 今日も快晴、まこと洗濯日和です。デッキに干しに出るともう暑いくらい!だって山口は最高気温25度ですってよ。でも宇部市は19度…これホント?

 先日の8日は金曜日。こちらは午前に始業式、午後が入学式でしたから、そのすぐ後に土・日の休日があるというのは、教師にとってはホッとするんですよね。だって新学期の担任は生徒の顔もまだ分らないし、いろいろと年度初めの業務が輻輳しているので、軌道に乗るまではとっても忙しくて大変なんです。特に新入生を担当する時などは気も遣いますからね。

 季候の良くなった春休み中の公園には、小学校や幼稚園の子どもたちなどが結構遊んでいましたが、今日はガラーンとして…。やっぱり新学期でいろいろとすることや宿題とかももうあるのかな?

 ところで、公園といえば遊具…特にぶらんこや滑り台などが定番ですよね。そのぶらんこが春の季語だということ、皆さん知っていましたか?俳句初心者の方は殆ど知りませんし、少し嗜んでいる方でも知らない方がいらっしゃいます。

 それじゃあ滑り台や遊動円木、ジャングルジムなどは?と聞かれると…季語ではありませんと答えるしかないんです。きっとなぜ?と思われるでしょうね。私も最初は不思議でしたから。

 同じように子供の遊びで季語になっているものは、〝シャボン玉〟(春)〝風船〟(春)〝縄飛び〟(冬)〝おしくらまんじゅう〟(冬)など。新年の季語には〝羽子つき〟〝独楽〟〝歌留多〟なども。他にももっとたくさんありますが、それはまたの機会にして、今回は〝ぶらんこ〟だけについて書いてみましょう。

 先日「春愁」の句で、三橋鷹女のことを少し書きましたよね。その時、彼女の句でもう一つすぐに思い浮かぶ句があったんです。それは…

  鞦韆(しゅうせん)は漕ぐべし愛は奪ふべし

という有名な句です。この「鞦韆」という季語が〝ぶらんこ〟のことなんですよ。中国北方の異民族から中国に、紀元前7世紀ごろに輸入されたものとか。歳時記の説明を見ると〝異民族の間では寒食の節(冬至の後105日目の日)に鞦韆に乗って遊ぶ風習があった。唐代には玄宗皇帝が鞦韆の羽化登仙の感にちなんで、半仙戯(はんせんぎ)と名づけた…ふらここやゆさはりはブランコの古語〟だとも。

 Wikipediaによると、〝「鞦」「韆」はそれぞれ1文字でもブランコの意味を持つ。「鞦韆」は今でこそブランコの意味を持つが、古くは中国で宮女が使った遊び道具をさす。現代のブランコとは少し違い、飾りがたくさんついており、遊戯中、裾から足が見えて、皇帝が見ていて運よく夜伽に呼ばれる可能性から艶かしいイメージを持たれていた。北宋の文人、蘇軾の漢詩「春夜」にも鞦韆が出てくる。唐の玄宗は、鞦韆に「半仙戯」の名を与えたという。〟と。

 ちなみに、「春夜」の漢詩(七言絶句)は「春宵一刻値千金 花有清香月有陰 歌管樓臺聲細細 鞦韆院落夜沈沈」です。読みや意味は調べて下さいね。

 更に〝日本へは古く中国から伝わったとされ、樹木や梁から吊り下げたものであった。嵯峨天皇の詩に詠まれ、『倭名類聚抄』にも記述がみられる。「ぶらんこ」と呼ばれるようになったのは江戸時代になってからとされる〟とも。

 さて、その〝ぶらんこ〟も言い方で詠み方も様々でしょうが、春の季語ということを忘れずに作句しましょう。ある時はあたたかくのどかに、また時には物憂く春愁などを感じて、更には天にも登るような愉快さや朗らかさなども必要でしょうか。さあ、挑戦して詠んでみましょう。傑作が出来れば是非ご披露を!

 次の句は全部そのぶらんこの句です。参考までに…

  ふらんどや桜の花をもちながら    一茶

  鞦韆に腰かけて読む手紙かな     星野立子

  ぶらんこの三つあれば母真ん中に   森田垰

  ふらここを降りて翼を失へり     神蔵器

  昼の月蹴り上げて来よ半仙戯     加古宗也

 写真は、ウイキぺディよりお借りしました。スミマセン!

ブランコ - Wikipedia

夕日と海とブランコと/下関・福江の海岸に新スポット / 山口新聞 ...

 

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〝褻〟という漢字読めますか?

2022年04月09日 | 俳句

  今日も宇部は快晴で、最高気温は21度。当分はこのような状態が続くそうですが、このまま行けば真夏にはどうなるのでしょう。コロナのこともニュースでは見ていますが、もう慣れっこになって、感染者数は決して減っているわけではないのに、みんな少しも気にならなくなったようす…ちょっと心配です。要するに慣れたということでしょうか。

 でも、この〝慣れる〟ということの怖ろしさはいろんなところで実感します。先日もつい慣れた道なので…と油断して、あわや事故になりかかりましたし、習慣になってしまったことは深く考えもせずについ行動して、大失敗することも。まさに一種の〝麻痺〟状態になるんでしょうかね。

 ところで、〝慣れる〟という漢字には、他に〝馴れる〟〝狎れる〟〝熟れる〟というのがあるということ、ご存じですか?

 〝慣れる〟には、〝長くその状態にあるうちに当たり前のこととして受け止めるようになる〟とか〝親しくなる〟などという意味があり、〝馴れる〟も似たような意味なんですが、特にこちらは〝野生の動物が人間に対し、またペットが新しい飼い主に親しみを表すようになる〟ときに使うことが多いですね。また、〝熟れる〟は、〝作って、また使い始めてから、時間が経って、状態が変わる〟ことで、〝すしがなれた〟などと用います。更に〝狎れる〟は〝親しみのあまり、守るべき礼儀をつい忘れた態度を取る〟ことで、〝なれなれしい〟などと用いたりしています。

 コロナ禍でマスクや消毒や検温、更に三密を避けるなどということが今では〝当たり前〟になって気にしなくなったのは、やはり〝慣れた〟んですよね。ということはこの状態がこれからもズ~ウッと続くということにもなる…本当かしら?

 以前のようにマスクなしで集まって、好きなように食べたり、飲んだり、お喋りしたりはもうできないの?ああ、ナンと悲しいこと!

 ところで、これを書いていてもう一つ〝なれる〟という漢字を思い出しました。〝褻れる〟という字なんですが、ご存じですか?音読みはセツです。

 〈唐衣きつつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ〉という古今和歌集にある在原業平の和歌。この歌は『伊勢物語』の九段「東下り」にも出て来ますので、それを教えていたときに初めて出会った漢字でした。

 ちなみに、この歌は〝着つづけて衣が身になじむように、長年なれ親しんだ妻が都にいるので、遠くはるばるとやって来た旅を、しみじみと思うことよ〟という意味。(旺文社古語辞典)。これは、「枕詞」「序詞」「掛詞」「縁語」という和歌の修辞法が駆使された技巧的な歌で、更に「かきつばた」の五文字を五・七・五・七・七の頭に置いた「折句(おりく)」という技法をも使っています。

 高校時代の古文では、この『伊勢物語』の「東下り」の段は必ず教えますので、きっと習われたことでしょう。ほら、思い出されましたか?懐かしいでしょう。その和歌の中の〈なれにし〉という掛詞を、確か〈馴れ〉と〈褻れ〉で教えたと思うんですね。でも、今の辞書を見てみるとどれも〈馴れ〉と〈萎れ〉として説明してあります。これは恐らく〈褻〉という漢字が難しいから?…使われなくなって、同じ意味の〈萎〉になったのではないでしょうか。しかし、〈萎〉には、〝なれ(る)〟という読みはないんですよ。意味としては〝着なれて柔らかくなっている〟というのがありますから、〈褻〉の〝ふだんぎのようないつも着なれた衣〟という意味とは通じますので、そうなったのかも。そこのところはちょっと???

 さて、その時はこのような未知の漢字に出会ったのが嬉しくて、それでしっかりと記憶していたのでしょう。さらに、それに関連して〝槌で布を打って柔らかくしたり、つやを出す道具〟としての「砧(きぬた)」などという語にも出会ったような気が…。

 そうなんですね。昔は国語といっても、現代文の他に古文、漢文とありましたから、そのあたりで言葉や漢字などの面白さに目覚めたのかも?(*^ー゜)

 今にして思えば、この「砧」という語が秋の季語だということなど全く気が付かず…。こんなことならもっと早く俳句に目覚めていたらどんなに良かったでしょう。きっと愉しく教えられたでしょうに…なんて!もう手遅れですね!いや、いや、まだ大丈夫…今でも新しい言葉に出会っていますもの。

 こんな毎日だと充実していて愉しいですよ。みなさんもいかがですか?さあ、〝生涯現役〟ということでいきましょうよ!

 写真は、〝芝桜〟、晩春の季語です。今が一番とあちらこちらに咲いています。先日の吟行会で…まさに〝好天あますところなし〟でした。

  芝桜好天あますところなし    石原舟月

 下の写真は、桜色の花びらのようなマスクと桜もちチョコ。 チョコは頂いてすぐに食べてしまいました。(笑) マスクは…余りにも綺麗で使うのが勿体なくって!だって不織布は何度も使えませんものね。

 

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〝花冷え〟から〝春愁〟?

2022年04月06日 | 俳句

 一昨日から昨日と引き続き雲一つない快晴。でも、朝夕などはまだ肌寒くて再びエアコンのお世話なっています。要するに今度は〝花冷え〟なんですね。しかし、今日はまた温かくなってラジオ体操へ行くと汗ばむぐらい…最高気温も20度以上になるとか…。こんなに目まぐるしく変わる気温にはとても身体が付いていきません。そう、気持ちまでが何となく気怠くて…だとするとこれも〝春愁〟なの?

 次のは、懐かしい春郎先生の代表句の一つ。

  花冷や吾に象牙の聴診器    水原春郎

 先生は、1922年水原秋櫻子の長男として東京に生まれ、1946年慶應義塾大学医学部を卒業。1947年同小児科助手を手始めに、1957年講師となり、川崎市立川崎病院小児科勤務。1975年聖マリアンナ医科大学教授、1984年同医科大学病院長、1986年医学部長、1987年名誉教授を歴任。1984年父の俳誌「馬酔木」主宰を継承、2011年主宰を長女・德田千鶴子(1949- )に譲り名誉主宰となる。2016年死去、94歳。

 この経歴を見ても分かるように、馬酔木の主宰になられるまでは医業一筋でした。その医師業の始まりがこの〈象牙の聴診器〉なんです。確か父・秋櫻子先生より卒業?(入学だったかも)記念に頂かれたものだと聞いたことがあります。

 象牙は、ワシントン条約の締結により、1989年より輸入禁止措置がとられ、日本では「絶滅のおそれのある野生動物の種の保存に関する法律」により厳しく規制されて、今ではなかなか手に入らないものとなっています。しかし、これはそれ以前のものですからきっと貴重なものでしょうが、この色といい感触といい柔らかな手触りの聴診器。更にそれが使い込まれてまるで先生そのもののよう…。季語の「花冷」によって一層の優しい輝きを放っているように感じます。

 写真は、今日吟行へ行った今富ダムの桜です。この吟行のことはまた次に…

 では今度は「春愁」の一句です。

  髪おほければ春愁の深きかな  三橋鷹女

 この句を見ればすぐに鷹女も髪の多い人だったのだろうと思うでしょう。私も昔は髪が多くて、おまけに癖毛ときていますから、若いときはその始末に随分困りましたもの。今でこそそれ故に髪のことで悩むことがなく、有り難いと思うのですが。だからこの句もきっと彼女の若い頃の作なのでは…?

 調べると、この句が所収されている第一句集『向日葵』は1940年(昭和15年)の出版。そうするとこの時鷹女は41歳ですから、この句は30代での作品でしょう。一番働き盛りの時ですもの。髪の手入れもきっと入念に…。そういえば二十歳前後の鷹女は、当時〝夢二の女〟(竹久夢二が描いた和服姿のなよやかな娘)が通る、と人々からささやかれ、また、そう言われるような蒲柳質の娘さんだったそうですよ。

 しかし、私の思う鷹女は、〈この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉〉などの句から想像して、かなり個性的で激しい感情の持ち主だったのではと思うのですが…いかがでしょう。

 しかし、後年〈木の葉髪うたひ歎くやをとこらも〉というような句も詠んでいますので、多いのが愁いの種だった髪も年相応に抜け毛で嘆くときが来たのでしょう。ほら、〈をとこ(男)らも〉といっていますから当然〝自分も〟ということです。。ちなみに「木の葉髪」は、〝冬の抜け毛を落葉にたとえていう〟冬の季語です。

 写真は、三橋鷹女、お借りしました。これを見ると、もしかすると鷹女さんも癖毛だったのかも……?(*^ー゜)

日乘 三橋鷹女 讃 - 美島奏城 豊饒の海へ

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〝はるこま〟と〝はるごま〟?

2022年04月02日 | 俳句

 今日は、最高気温13度とまあまあの天気でしたが曇り空。しかし、桜もほぼ満開で…まさにこれこそが〝花曇〟でしょう!

  そのままに暮れすすみたる花曇  深見けん二

 先日大学時代の先輩から突然の電話があって、女房も会いたがっているから遊びに来ないかと…。そういえば近くに住んでいるというのにお互いにご無沙汰してるし、息子のことで相談したいこともあるので久し振りに会おうかと…午前中に息子と一緒にお宅を訪問しました。 

 家はときわ公園の近くでしたので、今日、明日は花見の人がきっと多いわね、明日ぐらいにはお婆ちゃんを連れてどこかへ花見に行かなくっちゃ散ってしまうかもねなどと、息子と話しながら10時過ぎ到着。

 コロナ前のOB合宿で、奥様共々ご一緒してからもう二年半も経ったのよねと、時の流れの速さに感慨も一入です。でもこんなに会わなかったというのはコロナのせい…本当に憎いコロナですよね。

 ところで、その時に出た話…先輩も午年、息子も午年…わあ、だからウマが合うんですねと言うと、今度は〝だから話もウマいのね〟と奥様。それでは〝奥様のこの手料理とってもウマいわ!〟などと…ダジャレの弾むこと。でも、思いがけず本当に美味しいお昼をご馳走になりました。

 実は息子の誕生日は3月なんです。亡くなった私の母が出産の時来てくれていて、生まれたのが男の子だったので、〝この子は春駒だから縁起がいいわよ!〟と言ってくれたことを思い出しました。

  春駒のたてがみすでに風と和す  小澤克己

  春駒や染分け手綱紫に      松根東洋城

 その頃は俳句のハの字も知らなかった頃ですから、単純に〝午年の春〟に生まれたからそう言ったのだと思って忘れていました。

 実は調べてみると、この「春駒」には二つの季語があったんです。一つは〝春の野にいる馬。仔馬や若い馬をもいう〟。もう一つは〝馬の頭の作り物を持ち、歌ったり舞ったりした新年の門付の一種〟だと。

 だから前者の「春駒」は春の季語ですが、後者は新年なんです。おまけに読み方も前者は〝はるごま〟後者は〝はるこま〟と。もちろんこれは『角川俳句大歳時記』での話ですよ。『日本国語大辞典』や『広辞苑』で見てみると、〝はるごま〟で統一してどちらの意味も載っていました。

 その頃は私の母も俳句などはしていませんでしたので、季語など知らなかったでしょう。だから単純に言っただけだと思うんですが、新年の「春駒」にはそれを見ると年中の邪気を払うという信仰があったらしく、そういうことを知っていて言ったのかも知れません。そういう意味なら確かに縁起の良いことだったのでしょう。さて、さて我家の春駒は果たして縁起が良かったのかしら?でも、この子のお陰で私の肝炎もしばらくは鳴りを潜めて、C型肝炎と分るまでは平穏な日々が送れたんですもの。やっぱり良かったんですよ。アリガトウ!

 さて、上に掲げた二句ですが…どちらが〝はるこま〟でどちらが〝はるごま〟でしょうか?すぐに分かるとは思いますが、当ててみて下さい。

 今日の写真は…ウイキペディアにお借りしました。スミマセン!

繁殖牝馬 - Wikipedia

 

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