ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

医大の定期検診

2019年03月28日 | 俳句

 今日は半年に一度の医大の定期検診日。朝8時には出かけて、先ず血液検査、その後エコー検査を済ませて、院内にあるドトールで朝食。久し振りなので何にしようかな?と迷った末、「ミラノサンドC 照り焼きチキンとタマゴサラダ」とカフェオレセットで、50円引きの620円。でも出て来たのは写真と随分違っていました。こんなことなら最初に看板で見た「あつあつハムチーズ」の方が安くてよかったかな。でも、これも〝看板に偽りあり〟かも…。

 

 

 ゆっくり食べてきたので診察室に呼ばれるまで…今日は30分と意外に早かったので、家に戻ったのが11時過ぎ。結果は異常なしということで、また半年後の9月に予約。まあ、ここまで続けているんですからこのままズーッと経過を見るのが正解でしょうね。もう大丈夫だからと検診をすっぽかしたりしていると、その間に…なんて考えると、〝後悔先に立たず〟にはなりたくないですものね。

 今日の最高気温は21度、医大の回りの桜が三分咲きでした。こんな陽気だと家に戻ってもとても気分がいい!全く手入れをしない庭でもいろんな花が咲いて…み~んな律儀ですね。でも、この家に来たとき2本あった馬醉木の、結構大きな木の1本はどうしたことか早くに枯れ、残っていた1本もこの度とうとう枯れてしまいました。肥後椿も途中から枝が枯れていて、花も満足なものがありませんでした。やはり植物は愛情を掛けて育てないと、キレイな花は咲かせてくれません。ああ、これは何にでも言えることかも…。

 最近は、どこかへ出かけて行かなくても我家で色々な鳥に出会えて嬉しい!先日はケーンという声が聞こえたかと思うと、庭をダダダダッと雄の雉子が駆けて行ったんですよ。我家に来たのは初めてですが、近くの畑にはよく見掛けます。そういえば引っ越して来た頃は狸がよく庭に来ていましたっけ。今は殆ど姿を見せませんから、狸の方が何処かへ引っ越したんでしょう。今年は他にも…シメ・アオジ・シロハラ・メジロ・ジョウビタキ・カワラヒワ・コゲラ…あとカラス・スズメ・ヒヨドリはもちろん…。そういえば我家のウグイスはまだ鳴きませんね~。毎年2羽ほどいい声で鳴き交していますが、あれはもっと遅かったのかしら。でもこういう鳥の写真を撮るのは難しいし、撮ったとしてもみなピンぼけばかりですもの。その点花は逃げないからいいのですが、それでも下手!ゴメンナサイ。

 写真は、〝水仙〟の花。これだって、冬のものから春の早くに咲くミニ、八重があったり、色も黄色や白など、ちょとずつ違っていろいろありました。忘れていても球根ですから次々に咲き出して目を楽しませてくれます。エエッ、こんなの植えていたっけ?なんて…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログの更新に四苦八苦しました!

2019年03月27日 | 俳句

 ああ、やっとブログが更新できます。スッタモンダした末で…ホッとしました。

 25日、午前6時~12時までメンテナンスのためgooブログ全ての通信サービスができなくなりますというお知らせ。それでその後、復元しようとしたのですが、〝新規ブログ開設〟の場面しか出ず、新規投稿場面に行き着かない!  主人に聞いてもワカランと言うし、こういうメカには全く弱くて、たとえ説明があったとしてもその横文字の用語が分からないときているので、私にはなすすべもなかったのです。ゴメンナサイ!

 そこで、〝ヘルプ〟を使って、やっとのことで昨夜この新規投稿場面にたどり着いたのですが、ナンとも使い勝手が悪い。今まで2年以上使っていた画面に馴れているので、さて、さて…。どう考えてもリニューアルしない前の方がいいよ!

 そもそも私にはブログのIDがナンだったのか?パスワードがどれだったのか?…??? あっちでもこっちでもパスワードですもの、それにこれは以前使われていたものなのでダメですとか…その度に変更していたらどれがどれだか分からなくなって、本当に困っています。全く頭の古い人間にはさっぱりです。〝エディター〟って?〝ダイアログ〟?〝セッションCookie〟って何?という状態でよくもまあブログを書いていたと、自分ながら呆れますけど…。主人に教えて貰いながら、また辞書を引いて日本語に訳しながら、やっとどうにかたどり着きました。皆さんはさすがですね~。すぐに対応できたんですよね。

 このブログがどこがどう新しくなって便利になったのかはよく分かりませんけど…いやいや、新しい機能を勝手にいじったりすると変になったりしますので、私は止めときます。だってこのPCは最近おかしくなることが多くて、もう壊れかけているんじゃないかなんて思うから、大事に使わないと…。

 とにかくブログ読んで下さっている方には申し訳ありませんでした。こういうことでしたのでご了解を。

 でも、これで気分がすっかり削がれてしまって、さてさて何を書くか?すぐには思いつきません。岡山への旅行はもう済みましたし、25日、26日は俳句教室、昨日はそれが済んで、18時からの着付教室へ行きましたが…疲れました。健康体操・フラダンスなどは休んでるし、俳画は今月と来月はなし。あと病院のリハビリへはこの1週間は全く行ってない有様で…また、膝が痛くなり、週末の近江八幡が気がかりなことです。でもお世話をしなくてはいけませんので、エ~イ、頑張らなくっちゃ! というわけで今日はこれでオシマイにします。

 ところで、山口県も2日前開花宣言がありました。昨年より2日遅く平年より2日早いと…。昨日は17度、今日は20度と暖かいので、この宇部でも蕾が今にも弾けそうに膨らんでいます。先日行った宇部市の図書館に桜が満開でしたので撮ってきました。これはもう赤みがかった葉があちらこちらに覗いていましたので、きっと山桜の一種でしょう。 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〝吹屋ふるさと村〟と〝広兼邸〟

2019年03月24日 | 俳句

 今日は一日中晴れていましたが、やはり気温は少し低いようで、特に夕方から夜にかけてはエアコンを入れないとゾクゾクします。このところ最低気温が4度とか5度ですからね。

 ところで、今日は一日どこにも行かず…一体何をしていたんでしょう?これといったものがありません。まあしいて言えば、俳句の添削をしたり、明日と明後日の俳句教室の資料を作成したり、片付けをしたり…、ああ、「あしかび会」が今週末の土・日ですので、その準備もあって落ち着かないんです。こんな時って気になって何もかもが中途半端なようで…これをしたという気がしないんでしょうね。

 昨日の続き…〝ドイツの森〟をやめて、一路高梁市成羽町の〝吹屋ふるさと村〟を目指しました。ところが、思ったより遠くて、到着したのはもう2時過ぎ。〝吹屋ふるさと村〟はかなり歩かないと行けないし、おばあちゃんも疲れているので、車で通るだけにして、〝広兼邸〟の見学に行きました。それで、〝吹屋ふるさと村〟の説明は、高梁市観光協会の「高梁市観光ガイド」をお借りしました。ゴメンナサ~イ!

吹屋ふるさと村

『ベンガラが語りかける、繁栄の歴史』

赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された、見事な町並みが整然と続く吹屋の町並み、この町並みこそ、江戸末期から明治にかけ、吹屋の長者達が後世に残した最大の文化遺産です。

豪商が財にあかせて建てた豪邸は、全国各地に見ることができます。しかし、吹屋の特異な点は、個々の屋敷が豪華さを纏うのではなく、旦那衆が相談の上で石州(今の島根県)から宮大工の棟梁たちを招いて、町全体が統一されたコンセプトの下に建てられたという当時としては驚くべき先進的な思想にあります。昭和49年には岡山県のふるさと村に認定され、昭和52年には文化庁から国の重要伝統的建造物群保存地区の認定を受けました。

 広兼邸へはかなり急な坂を上ってしか行けませんので、おばあちゃんは下の駐車場から見上げるだけにして、あとの6人は邸内を見学しました。入館料300円。以下は「高梁市観光ガイド」より。

映画のロケ地にもなった豪奢な雰囲気を味わって

享和、文化の頃(1800年ごろ)小泉銅山とローハ(硫酸鉄)の製造を営み、巨大な富を築いた大野呂の庄屋・広兼氏の邸宅です。江戸末期に建てられた、楼門づくりで城郭にも劣らない堂々たる石垣は、今もそのままに当時の富豪ぶりをたたえています。広兼氏は大野呂の庄屋で、同家2代元治が享和、文化の頃小泉銅山とローハ(ベンガラの原料)製造を営み巨大な富を築き、規模、構造とも雄大な城郭を思わせる構えで今もそのままに当時の富豪を偲ばせている。
映画「八つ墓村」のロケが昭和52年と平成8年の二度にわたりおこなわれ、全国に放映された。

写真は、①坂から見上げた広兼邸 ②武者返しのような石垣 ③広兼邸の説明板 ④楼門づくりの入口 ⑤~⑧邸宅

 

 時間もかなり遅くなっていましたので、見学者も私たち以外にあと二,三人…。とにかくこんなところによくもまあ建てたもんだと感心します。楼門の上は寝ずの番の門番部屋、水は岩から流れ出る山水を使っていたとか…小大名のお城のような暮らしをしていたんでしょう。

 この後ここから中国自動車道の新見インターへ出て、京都の義弟夫婦と別れ、一路宇部へ。結局お昼はいちごだけでしたので、途中のSAで食事をして、帰り着いたのが8時半頃でした。ああ、疲れた…のは、2日とも運転してくれた主人。どうもお疲れ様でした。オシマイ!                    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湯郷温泉

2019年03月23日 | 俳句

 彼岸が来たというのにまた寒さが戻ってきて、今日は風も強く一段と体感温度が下がりました。そろそろ薬が無くなるので、義母と病院へ。今日は土曜日ですので、午前中…すると、義母の血液検査をするというので、部屋を出ようとすると私にもするようにと先生…28日に医大へ行ってするんですけど~と言うと、それとは違うからと血液を採られました。ホントいうとイヤなんですけどね~。だって私血管が出にくくて、いつも採れるのは1本だけ…

 昔の入院中のことを思い出します。同じ血管ばかりでは固くなるので…と言って、看護師さんが探してしてくれるんですが、成功した試しがありませんでした。一発で入らずに血管を探られるのはイタイ!我慢してると、〝痛い?〟と聞く看護師さん。当り前でしょ!だから下手な看護婦さんが来ると…当然体が硬直して余計入らないので、何度も針を刺されて…

 だから血管注射にはトラウマがあって、できることなら避けたい…それも続けてはしたくないんです。先のことを考えるとコワイですよ。いつ入院して点滴などの暮らしでこの血管1本に頼るのかと思うと…。何度もしているとそのうち血管痛というものが起こって、でも止めるわけにはいかないし、思い出すとホントに辛い日々でした。でもこの先これは避けては通れないような気がします。先日〝私らしい〟死に方なんて書きましたが、全身に針を刺されまくっている姿は想像したくないですね。昔の人がよく言っていました。〝ぴんぴんコロリ〟が一番いいと。ホント!

 ヘンな話になりましたね。エンギデモナイ!午後からは行き付けの美容院へ行って髪をキレイにしてもらいましたので、気分も爽快になりました。でも折角の髪が強風で…でもいいわ、これぐらい!

 先日の旅行の続き…夕方湯郷温泉へ。宿のプランナーさんがとてもいい方で、白寿のお祝いということで親切にしてただきました。これで高ければ当り前…なんともリーズナブルで、義弟夫婦や娘もビックリしていました。本当に良心的ないい宿でした。サプライズなんかもあって…書けばきりが無いので止めますが。

 翌朝の食事、バイキングなんですが、和食系でまとめてあり、それも気配りが利いていて、おいしいとくれば言うことなし…イヤ、一つだけあった!食後のコーヒーがなかったのがザンネン!これにはそれなりのこだわりがあったのかしら?聞いてみればよかった。後の祭り!

 ロービーにはナンとまだお雛様が…??? ああそうか、旧暦ではまだなんだからいいんですね。それは、それは失礼しました。ところで、お雛様には〝関東雛〟と〝京雛〟があるって知っていました?私知りませんでした。いつもどっちに置くのかなと迷っていましたから。要するにどっちでもいいんですね。これで解決!

 

 宿を9時過ぎに出て、大山展望台へ向かいました。ここでは〝雲海〟が見られるということで。そういえば、朝目が覚めて外を見るともうビックリ。天気予報では快晴なのに真っ白に霧がかかっていて何も見えません。聞くとこの辺りはいつもこうなんですって。中国山地の中で温度差が激しいからなんでしょうね。とても幻想的でした。朝の露天風呂で下手な初音も聴きましたし…。この宿を選んだときちょっと不安でしたが、すべていいことづくめ。展望台はもう日がサンサンと照って、気持ちが良くここでは鶯もキレイに囀っていました。しかし、雲海はもう時間が遅くて…でもかすかにその名残が…。

 そこから車で30分ほどのところへ〝いちご狩り〟です。40分間の食べ放題!もちろんみんなで食べまくりましたよ。最後に娘がどれたけ食べたか数えて、〝50個よ!〟と言うものだから…私も数えてみると、ナンと52個!娘が負けた~と言うので、ついでに3つ追加して55個にしました。おばあちゃんでも40個以上は食べてるね~と。こういう時ってみんな食い意地が張ってますよ~。満足、満足、満腹、満腹!

 次はここからすぐのところにある〝ドイツの森〟で、昼食を…と考えていたのですが、入園料がナンと1000円と。これは高い!ということで、入園せずお土産だけ買って、さて次はどこに寄って帰ろうかということで、ベンガラの町〝吹屋ふるさと村〟へ行くことにしました。でも、これはまた次に…。

 ところで、〝イチゴ効果〟ってすごいですね。もちろん食べ過ぎてみんなお昼は食べれな~いと言って、食べませんでしたが、そのことではありません。娘がイチゴには利尿作用があるとは言っていましたが、それだけではなかったんですよ!みんな続けてトイレに行くわ、行くわ…疑う方は是非お試しアレ。ただしお腹いっぱい食べないとダメかもよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倉敷アイビースクエア

2019年03月22日 | 俳句

 今日は、俳誌「早苗」の運営委員会が広島でありましたので、朝早く新山口から新幹線で広島へ。天気予報は晴マークなのに一面ボーッとして薄曇り…いやこれが春の〝霞〟というものなんでしょうね。歳時記には、微細な水滴や塵などが空中に浮遊するため、空や遠景や事物がぼんやりする現象と。即ち春は大気中の水分が増えることによって空や遠くのものなどが霞んで見えるのです。

   沖へ出て霞むほかなき島の鐘      秋光泉児

 この句は、わが「早苗」の元主宰・秋光泉児(1909~1992)先生の句です。先生は、広島県豊田郡に生まれ、水原秋櫻子に師事、生涯を故郷の大崎上島・豊町の大長で医業を全うされて、83歳で亡くなられました。句集には『青芭蕉』『仕手鷗』。馬醉木同人として島の人々に、奥様の道女先生とともに俳句の手ほどきをされ、地域文化の興隆と発展に寄与されました。秋櫻子先生もこの島に三度も訪れておられます。その記念の師弟句碑が島にあり、私も何度か見に行きましたが、秋櫻子先生の句は〈冬紅葉海の十六夜照りにけり〉、泉次先生の句は〈仕手鷗声しては舞ふ初日の出〉です。懐かしいですね。

 さて、倉敷アイビースクエアは、江戸幕府の代官所跡に1889年(明治22年)に建設された倉敷紡績創業の旧工場で、1973年(昭和48年)に改修され、観光施設として再生されました。ここも倉敷美観地区に含まれており、建物は2007年(平成19年)経済産業省より「近代化産業遺産」に認定されています。では写真をどうぞ。

 ①倉敷アイビースクエアのアーチが象徴的な東正面玄関。

 ②倉敷アイビースクエアのトレードマークのアイビー(蔦)の名残。以前行った時はまさに青々とした蔦のお屋敷でした。

 ③アイビースクエアの名前の由来となった広場。その広場を囲むようにホテル、レストラン、多目的ホール、倉紡記念館、児島虎次郎記念館などの各種施設が配されています。

 ④~⑨ 倉紡記念館では、 倉敷紡績の史料を年代順に展示。また、当時の紡績に用いた器具なども展示。建物は旧原綿倉庫。「倉紡」の社章「二三のマーク」は、設立時に制定され、その意味は創業者の大原幸四郎が森田節斎に師事したときに伝授された「謙受説」の一節にある『謙受益、則富、富即驕、驕即衰。滿招損、即窮、窮即慎、愼即盛。盛衰相尋於無窮。』の思想を図表化したものです。

 ⑩代官所井戸遺構。

 ⑪⑫代官所内濠遺構。菖蒲の芽が伸びて鯉が泳いでいました

 ⑬~⑮倉敷美観地区。トレードマークの柳がほんの少し芽吹いていました。

⑯倉敷美観地区の桜。河津桜とは違うような…まだ小さいながらもしっかりと花を咲かせていました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は〝彼岸の中日〟

2019年03月21日 | 俳句

 今日は〝春分の日〟、そう〝彼岸の中日〟ですが、昨日のあの晴天もアッという間で今朝はもう雨です。気温は昨日に続いて20度超え…この陽気で桜の蕾もグッと膨らんだでしょうね。

   義仲寺の水のにごれる彼岸かな     深見けん二

 滋賀県大津市にあるこの義仲寺に1月末に行きましたが、思った以上に小さい寺で境内も狭くてビックリしました。もちろんこの寺には「木曽朝日将軍義仲公聴音院殿山大居士墓」と記す宝篋印塔と並んで松尾芭蕉の墓、傍には小さな巴御前の墓もありました。まさに弟子又玄の句〈木曽殿と背中合せの寒さかな〉そのままでした。寺内には芭蕉がよく逗留したという「無名庵」や「翁堂」などもあって、ホントに所狭しと…。翁堂には伊藤若冲が描いたという天井画〝四季花卉図〟がありますし、回りには池が…。他に〈行春をあふミの人とおしみける〉などの芭蕉の句碑、その傍に枯れ枯れの芭蕉の花もありました。

写真は、①芭蕉の墓 ②義仲の墓 ③巴塚 ④翁堂 ⑤翁堂の芭蕉坐像 ⑥翁堂の伊藤若冲の天井図 ⑦又玄の句碑 ⑧芭蕉の句碑 ⑨芭蕉の花

 上掲の句は、その義仲寺の水がにごっている…これはこの義仲寺にもお彼岸でお参りをする人が絶えないということを詠んだのでしょうか。そう言えば小さな池で私が行ったときはキレイな水がありましたものね…。

 今日は〝倉敷アイビースクエア〟のことを少し…。

 倉敷アイビースクエアは、明治時代の倉敷紡績所(現クラボウ)発祥工場の外観や立木を可能な限り保存し、再利用して生まれた、ホテル・文化施設をあわせもつ複合観光施設です。体験施設や倉敷の工芸品や民芸品、銘菓などのお土産を購入できるショップも営業しています。平成19年(2007年)には、旧倉敷紡績所が日本の産業の近代化に大きく貢献したとして、創業時の紡績工場の建物群が、国の「近代化産業遺産」に認定されました。
赤レンガを覆う蔦は、紡績工場であった頃、工場内部の温度調節のために植えられました。当時の社長の大原孫三郎が「自然と調和しながら健康的な労働環境を」という信念の元に、夏は赤煉瓦を覆って暑さをしのぎ、冬は落葉して太陽の暖かさを受けて温度調節が出来るようにと蔦を採用しました。倉敷アイビースクエアの名前の由来になった蔦(アイビー)のからまる赤レンガの敷地内には、倉敷紡績の史料を展示した「倉紡記念館」もあります。

 今日は入館無料…さすがに広い!余りゆっくりもできませんでしたので駆け足で回りました。写真でもどうぞと思ったのですが、長くなりますのでそれはまた明日にでも。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倉敷の河津桜

2019年03月20日 | 俳句

 昨日より一泊で義母の白寿のお祝いに、岡山の方へ出掛けていて、先ほど帰ってきました。やっと一息ついて、昨日はブログを書いていませんので、今これを書いています。

 息子は仕事なので留守番、主人と義母・義弟それに娘を加えて5人で出かけました。宿泊は美作三湯の一つ、湯郷温泉。そこで京都の義弟夫婦と落ち合ってのお祝いです。

 宇部を朝の7時過ぎに出発。天気予報では午前中曇りで昼からは晴マークでしたのに、ナント朝から雨でした。心配するおばあちゃんにだんだんよくなってきっと大丈夫よと、いつもの如くに気楽な返事で、高速を一路最初の目的地倉敷へ。ところが、止むどころかどんどんヒドくなる。これはヤバイと…でも12時ごろには小降りになって、倉敷に近づくとホラ止みました。(笑)しっとりと濡れた雨上りの倉敷美観地区。お決まりの柳はやっと芽吹き始めたところです。しかし、ここに来た一番の目当ては、その美観地区を流れている倉敷川の入船橋(美観地区の南端)から粒栄橋まで約3kmの川沿いに、約1000本の河津桜が咲いているというのを見るためなんです。これは倉敷川沿いを桜の名所にしようと取り組む市民団体「倉敷川千本桜の会」によって植えられたもの。着いてすぐ店の人にその場所を尋ねると〝もうちょっと遅いかも…それにこの雨で散ってるでしょうね。〟と。おばあちゃんに桜を見せてあげたい…と思ったのに。でも折角来たんだし雨も止んだし…と行ってみることにしました。

 ああ、ありましたよ。ちょっと散っているようですが、まだ残っているのもあって、よかった!よかった!おばあちゃんも喜んでくれましたし、その後もう少し時間があるので、次は倉敷アイビースクエアを見学に行きました。しかし、今日は疲れていますので、この話はまたしましょう。

 写真は、倉敷川の〝河津桜〟です。雨の雫がまだ残っていて…やっぱりボケていますね。ゴメンナサイ!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〝着物でランチ〟

2019年03月18日 | 俳句

 今日は比較的暖かな一日で、お天気も上々でした。着付教室のイベント、〝着物でランチ〟のお出かけの日でしたので、天気が悪いと困りますから、心配していましたが…良かった!

 11時30分現地集合で、今日のランチは山陽小野田市にあるRegal(レガル)でした。食べログなどで結構人気のお店のようです。特にここのハンバーグが絶品とか…

 お昼前でしたが店内はもう一杯でしたし、かなり余裕のある駐車場も空きが少ししかなくなっていたのに、まだ次々と客が来ていました。

 私たちは予約していたので奥の仕切られた部屋でいただきました。参加者は先生入れて七名。もちろんみんなオススメのハンバーグを注文。ソースがいろいろあって、私はポリネシアンソースだったかしら?ちょっと甘めの味でした。なかなか美味!殆どの人が☆5つか☆4つというのも頷けました。1280円という値段もそんなに高くはありませんし…、でも出るときの会計は2160円?確かスープ・ライス・ドリンク付きのセットだと思ったのに。ああ、デザートは付いていませんでしたので、?それにしたら少し高いかな~。デザートがたっぷりありすぎて、チョコケーキのようなのが食べられずに…残してしまいました。ザンネン!もうお腹いっぱいになっているので、アイスクリームぐらいで良かったのにと思いました。

 

 食後はまた教室へ戻ってお勉強…といっても今日は「きもののマナー」で、〝招かれたときの作法〟〝お迎えをする際の作法〟〝和食のマナー〟を学びました。これを見ると今までいい加減な作法でしていたことがたくさんありました。昔の〝武士の娘〟や〝いいとこのお嬢様〟はこういうことをきちんと教え込まれていたんでしょうね。昔よく〝箸の上げ下ろし〟までうるさく言われ…というようなことを聞いたことがありますが、〝マナーの悪い箸の使い方・所作〟が、ナント25もあるんですよ。ビックリです。幾つになってもすべて勉強ですね。がんばらなくっちゃ!

 写真は、ハンバーグとデザート・コーヒー・

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〝彼女らしい〟死に方???

2019年03月17日 | 俳句

 今日は何となくゆったりとした日曜日…朝は雨で少し濡れていましたが、昼前からお天気が良くなり、日がサンサンと差してきて気持も明るい方へ向いた分そう感じたのかも。

 先日の親友の旦那さんに、昨日やっと電話してみました。こういう電話は勇気のいることです。どちらも同級生なんだから掛けてみたらと主人に言っても、ナント言っていいか分からないからかなかなか腰を上げません。私はきっと取り込んでいるだろうから迷惑になるかも…とか、いや、こういう時はあまり人と話したくないのでは…などと考えたり、反対に、当然もう伝わっているはずなのに二人とも何も言ってこんなんて…なんと薄情な!と思われているかもと考えたりして、とても悩みました。S君の時も、考えた末、私の気持はブログに書いたのですぐに読んで貰おうと、電話しました。やっぱりこんな時はメールより肉声の方がお互いの心が伝わります。そこで、彼女のことも書きましたので、昨日思い切ってブログを読んで貰おうと彼に電話したんです。

 意外と明るい声でしたので…〝もうショックで!なんで知らせてくれなかったの?〟などと言うと、〝ゴメン、ゴメン!そこまで手が回らんかったんで…〟〝でも、元気そうな声でちょっと安心したわ〟と言うと、〝葬儀が済んでもう三日経ったから、少し落ち着いたよ〟と、彼女の状況を詳しく話してくれました。もともと医者嫌いで、自分のことは後回しの彼女でしたが、1年前ぐらいから食べられなくなって、歩くのも辛そうだったが、頑として病院には行かなかったと。娘さんが看護師さんでしたので、2月の末やっと説得して精密検査に連れて行くと、即入院と言われ、そこでいろいろと検査をしてもらったのにどこも異常なしという診断結果。でも食べられないから力が出なくてトイレまで歩くのもやっとで…体重も32,3キロになっていたとか。学生の時はぽっちゃり顔でふっくらとしていましたが、結婚後(出産後?)徐々に痩せていったようで…以前私が見かねて〝ごはんちゃんと食べてるの?〟と聞くと、〝食べても太れんのよ~〟と、例の調子で笑って羨ましいことを言っていました。医者が言うには、胃がもう正常に機能しなくなって、口に入れたものを胃が受け付けないので吐いてしまうんだと。そういう状態をどうすることもできず彼は見守ってきたんでしょう。だからある程度覚悟はしていたような口ぶりでした。彼女が家に帰ると言って聞かないので、11日に退院。その夜疲れたのか早めに寝て、でも気になって夜中に覗くとすやすやと寝ていたので安心して、翌朝起こしてやろうと部屋に行くとすでに冷たくなっていたと…その顔はまさに眠っているようだったと聞いて、本当に悲しいんだけど、悔しいんだけど…でも最後に苦しまなくってよかったと思ってしまいました。合掌。

 千葉に居る彼女のたったひとりのお姉さんに朝一番に知らせると…〝彼女らしい死に方やね〟と言われたとか。〝彼女らしい〟???ウ~ン、そう言われると…そうかも…なんでか説明はできないけど何となく分かります。その時ふと考えましたよ。じゃあ〝私らしい〟死に方ってどんな??? 先のことは誰にも分かりませんが、さてどんなことが待っているのでしょうか。まあ、これは考えても仕方がないことですから、生かされている私たちは今を精一杯生きることしかないですよね。お互いにがんばりましょう。

 昨日も句会でした。この頃特に皆さんの句にケチ(笑)を付けることが多くなって、〝何だかワタシ意地悪ばあさんになってるみたい!決してあら探ししてるんじゃないんですよ。家に帰るといつも自己嫌悪に陥るの、この気持分かってよね~〟と言うとみんな大笑い!でもこれ冗談じゃないんですからね。これからもよろしく!

 写真は〝木瓜の花〟で、晩春の季語。我家の玄関横の木瓜がアッという間に満開に…

   木瓜の朱は匂ひ石棺の朱は失せぬ     水原秋櫻子 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〝へ〟があるとないとでは…!

2019年03月15日 | 俳句

 このところまた最低気温3度と、ちょっと寒くなりました。雨も降ったり止んだりと…大気の状態が不安定で、よい天気は二日と続かないようです。

 さて、火曜日の句会の兼題は「雛」でした。今日の句会は、「日永」。なんだかこのごろ俳句の話が疎かになっているようで、スミマセ~ン。そろそろ俳句のことを書かなくちゃあ…とは思ったのですが、どうも気が乗りません。書きたいことがなく無理して書くと、きっと面白くないでしょうから、訪問して下さった方には申し訳ない…と困っているんです。(笑)

 ああ、これは兼題ではないのですが、面白い句がありました。〈節分や病床の友邪気飛ばす〉です。 この句について、私が〝こりゃあ大変よ!みんな早く逃げなくちゃ~〟と言うと、???ポカ~ンとしています。もちろん作者も…〝先生何言ってんですか?病気の友人が節分で…〟〝そう、豆撒きしたんでしょ!でも自分だけがよくなればいいのかしら?〟〝???〟この調子では分かりそうもないので、〝自分の病気の邪気をみんなに飛ばして移したらいけんでしょ!〟と言うと、やっとハハ~ンという顔。そうなんです、ここは「邪気飛ばす」でなく「邪気払う」とかにすべきでしょう。それにここは「節分」という時候の季語を、「豆撒き」という具体的な季語にすれば、「邪気払う」も不要になりますよ。そこで〈豆撒くや病床の友力込め〉としました。

 もう一句〈お供にと菓子に添へられ豆雛〉これはさすがに私にも分かりませんでした。みんな口々に…〝どこか旅行でも行くのかしら?〟〝豆雛って小さいお雛様のこと?〟〝いや、お雛様の格好をした豆菓子があるんじゃないの?〟とか、みんな好き勝手に言う。まあ、作品は一旦外に出てしまえば、どう取ろうとそれは読者の勝手でしょうから、文句は言えません。作者はじっと我慢の子です。でも不思議だったようで、〝なんで~そんな~〟と思いながら聞いていたようです。その原因が分かったらきっとビックリしますよ。

 作者が、〝母の仏壇にお参りに来られた方がお菓子に添えて小さな焼き物の雛を供えられたんですよ〟と言うと、みんな〝エエッ〟です。即ち「お供」ではなく「お供へ」のつもりで詠んだと言うこと。要するに単なる送り仮名の書き忘れなのに、誰も疑わずに「おとも」と読んでいたんですね。ほら、コワイでしょ!言葉って…そこで〈お供への菓子に添へら紙雛〉としましたが、類想の良くある句ですので、どこかに少し変化をつけるといいかも。

 写真は、〝蕗の薹〟で、初春の季語。去年は結構出ていたんですが、今年は目を皿のようにして探し、やっとこれ一つでした。それにしてもこれはちょっと遅いですよね。どうなっているんでしょ?

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またもや訃報!〝嘘でしょ…〟

2019年03月14日 | 俳句

 今日は14日…2日もブログサボってしまいました。訪問して下さった方ゴメンナサイ!別に書くことが無かったわけではないのです…。だって12日は句会でしたし、その報告を書かなくちゃとは思っていたんですから。ちょっと気がかりなことがあって、つい時間をとってしまい、書こうと思った時はもう眠たくって、気がつくと朝になっていたんです。スミマセン。

 今日は15日締の投句も済んだし、さあ書こうかと思っていたところに電話。〝Oさんが亡くなったので、今葬儀に行って来たんだが…〟と、ワンゲルの同級生Nさんから聞かされ、エエッと絶句です。〈嘘でしよと訃報に胸の冱てつきぬ〉と詠んで、ブログに載せたのは昨年の12月20日…あれからまだ3ヶ月足らずなのに。先月はこの句を〈嘘でしよとつぶやく訃報冱てつきぬ〉と推敲して投句したばかりで、どうにもやるせない心境です。

 昨年は同級生の奥さんで、ワンゲルの後輩でしたが、この度は同級生そのもの。それも私の親友。そう言えば最近はちょっとご無沙汰でした。一年に2,3度は電話などで近況を話していたのに…。彼女は非常に面倒くさがりで年賀状を出しても音沙汰なし。自分から電話を掛けてくることもしない。いつも一方通行の友達でした。でも、大学1年の時ワンゲルに入部して以来の友人で、一緒に山にも行きましたし、四年生の時、私が寮を出て彼女と同じアパートの部屋に引っ越し、そこで一年間はいつも一緒でした。その時、私の彼氏(今の主人)と彼女の彼氏(今のご主人)と彼女は同じ建築科でしたので、意気投合して食べたり遊んだり…そうそうよく四人でギターを弾いて唄ったりして…まるでドラマのような大学生活を謳歌していました。本当に懐かしい話です。卒業後それぞれで結婚し、たまには一緒に会うことも何度かありましたし、我家で同級生が集まったときは、夫婦で来てくれましたもんね。

 彼女は不思議な存在でした。同級生の中でも独特な雰囲気を持ち、どこか俗世間を超越したおっとりした人柄から、あだ名は〝皇后陛下〟。もう一人同級生で〝天皇陛下〟のあだ名を持つT君と並んで、いつも同級生のマスコット的存在でした。聞けばご両親はすでになくて、お姉さんと二人きりだと。どんなことにも動じず穏やかに笑っている彼女に…また、男性ばかりの建築家に紅一点で入学したという勇気…そんな彼女の魅力に私は憧れていました。彼女からすれば迷惑だったのかも…でも何も言わないのをいいことに勝手に私が好きで親友になっていました。今思えば全てを包み込んでくれる彼女の寛大さに甘えていたのかも知れません。でも誰にたいしてもオープンな彼女でしたが、しかし、誰も入れない、誰にも見せない…そんな部屋を心の奥に隠し持っていたような気がします。私もあえてそこには踏み込まないようにして付き合ったので、ず~っと友人でいられたのかも。それだったら…ちょっとヒドいんじゃない!黙って逝くなんて。

 昨年のあの時の句がそのまま彼女にも当てはまりそう…〈断りもなく逝くなよ冬の流れ星〉は〈断りもなく逝くなよまたも冴え返る〉、〈冬山へ親しみし名を呼んでみん〉は〈残雪の峰に親しみし名を呼ばん〉とかで…気持は全く同じですもの。

 以前からご主人の病気のことはいろいろと話して心配していましたが、自分のことは余り話しませんでしたので、ホントにびっくりです。先日奥さんを亡くしたSさんを慰める会を同級生でするからと電話がかかってきました。でも私は用事と重なって参加できないというと、他の人の様子を教えてくれたんです。その時、彼女のことは〝ご主人が電話に出られて、体調が悪いので出られないかも…〟と聞かされ、気になってすぐに電話をしたのですが誰も出ない…。もしかしたら二人で何処かへ出かけてるのかしら?などと簡単に考えて、また次の日にも電話???…もしかしたら入院でもしてるのかもと思って、夜にでもまた掛けようと思っていた矢先の訃報でした。

 家族葬だったので、誰にも言わず…でも仲の良かった私には知らせてほしいと旦那さんに頼まれて…と、電話してきてくれたNさん、アリガトウ!詳しいことは分からないけど…どうぞ安らかに…こんなことならもう一度会っとくンだったよ!もうイヤ…〝二度あることは三度ある〟とよく言うでしょ、どうぞ悪い事が起こりませんように。合掌。

 写真は〝黄梅〟で、春の季語。〝迎春花〟とも。黄梅といっても梅の仲間ではなく、黄色い花が梅に似ているから命名されました。

   黄梅の衰へ見ゆる日向かな      高木晴子

 

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

船木宿吟行(その二)

2019年03月11日 | 俳句

 今日は一日中テレビも東日本大震災関連の報道ばかりでした。何度見ても、何度聞いても…なにもいう言葉が見つかりません。もう8年になるというのに復興は追いつかない…そんな現状を被災者の方々はどんな気持で過ごされているのでしょう。本当にお気の毒です。見ているだけで何も出来ないのが悔やしい! 

 昨日の〝船木宿吟行〟の続きです。

 「大木森住吉宮」には、海上航路安全の神を祀っていたので「灯台」を模した高灯籠があったのですが、台座の石しか残っていませんでした。台座から想像するとかなり大きいもののようです。また、説明には境内に松尾芭蕉の句塚「春立つてまだ九日の野山かな」があるというのですが、これも今一つはっきりしませんでした。この住吉社の傍に大きな「お地蔵様」がいます。1723年に建立されたもので、最初は「岡崎八幡宮」の境内にあったものが、1868年(明治元年)の神仏分離令の際、ここに移されたもの。1871年(明治4年)奇兵隊をはじめ諸隊の一部の脱退兵が船木に集結し、物情騒然となるなか、諸隊の兵達がこのお地蔵様の背に鉄砲弾を撃ち込んで、その数発の弾痕が残っています。以前見たときはそのままだったと思うのですが、この度見るとその弾痕にはセメントが埋め込んでありました。ナントも味気な~い!そのままの状態で保存して欲しかったですね。

 その後、「玉重琴製作所」の見学をさせてもらいました。外には琴板が干してありましたが、この板には〝会津桐〟が一番と聞いて、会津出身のMさんがビックリしていました。工作するのに一年は雨ざらしにして干すんですって。何事も勉強ですね。以下はこの「たましげ琴製作所」のネットでの紹介です。

 「まじめに正直に取り組むこと」が信念です。「有限会社たましげ」は、明治27年、初代・玉重信太郎が和楽器販売を営んだのが 始まりです。当時の山口県山陽道に位置する楠村(現宇部市)は宿場町として栄え、三味線・琴・琵琶・太鼓など日本古来の和楽器の需要が多くありました。琴製造は、三代目の美博が研鑽を重ねて開始しました。琴製造への新規参入は厳しい道のりとなりましたが長い精進が報われ、人間国宝の宮城喜代子師に自作を演奏してもらう縁をいただき、高く評価されました。後に明治神宮から依頼を受け、身を清めて専心して奉納をさせていただきました。

 現在は四代目となる彰彦が三代目の技を受け継ぎ、日々、琴制作に励んでおります。伝統技術の結晶といえるたましげの琴は各流派の先生方にご愛用いただいております。四代目は、伝統技術を継承する貴重な人材として学校にもお招きいただいたり、「全国小 ・中学生箏曲コンクールin宇部」は23回を数え、四代目が中心的な役割を果たしています。今では文字通り、全国でも有数のコンクールとして定着し、次世代への継承を託しています。

 私は以前何度も見学させてもらっていますので、珍しくはなかったのですが、今回初めて五代目の息子さんに出逢い、琴の演奏を聴かせてもらいました。余りにも若くて可愛らしい(笑)ので、年を聞くと25歳という…みんな一斉にエエッ!と。 小学六年生より筑紫会小林歌翠氏に師事して、同年「熊本箏曲ジュニアコンクール 金賞 一位」を受賞。 その他、様々なコンクールに出場を果たし、数々の賞を受賞。 国内だけにとどまらず、文化交流団の一員として海外でも演奏し、 現在は、水野箏曲学院福岡支部所属。 「今後も趣味として、箏の演奏で人に感動を与えられるようなボランティア活動を行なっていきたい。」と…(これはネットでの紹介)

 とにかく心に沁みるような美しい琴の音が誰もいない作業場(今日は土曜で休日ですから)に響き渡って、とてもいい時間が持てました。アリガトウございました。

 お昼は近くの〝楠こもれびの郷〟の農家レストランで…ここはセルフサービスの店で、どれも美味しそうな料理が並んでいて目移りしてしまい、つい食べ過ぎになってしまいます。オーコワッ!

 食後少し時間があったので、地元野菜などの売り場を覗こうと入口に来ると、〝ゆうれい出てます〟と。一瞬ナニッ!と思いましたが、これはこの地域の郷土料理〝ゆうれい寿司〟のことでした。この楠町吉部地区に古くから伝わる「ゆうれい寿司」のおこりは、正確なところは不明ですが、江戸時代中期ではないかといわれています。ここは海から遠く鮮魚類の入手が困難だったので、具を入れなくてもおいしい「白シャリ(すし飯)」が出来たんだと。それに、加え酢はゆずを使い、秋祭り、盆・正月にはお客や親戚の人にご馳走して喜ばれていましたが、この具の入っていない「白ずし」を人々は「ゆうれい寿司」と名付けたんだそうです。なお、季節によっては「ゆうれい寿司」の上にさんしょうの葉や、しそ、柳などの葉を添えていました。今では下の方にいろいろと具が入っていてとても美味しいです。岩国に似たような〝岩国寿司〟というのがありますが、それに比べるとこちらはさっぱりとした…ゆうれいだから当然かも(笑)…寿司飯そのものを味わうという感じ。これはお米の旨さが決め手ですね。もちろん買って帰りましたよ。

 この〝楠こもれびの郷〟は、楠地域の農林業振興と地域の活性化、都市と農村の交流などを、宇部市北部との連携を踏まえながら推進する拠点として設置されました。施設は、くすのき温泉「くすくすの湯」、農産物直売所「楠四季菜市」、農家レストラン「つつじ」、農業研修交流施設「万農塾(ばんのうじゅく)」の4つからなり、駐車場も完備しています。宇部市からはちょっと外れていますが、温泉に入り、美味しいものを食べて、新鮮な野菜を買って帰るという…ゆっくり過ごすところにはとてもいいところですよ。田園地帯で空気もいいし…。

 今日の出句は三句。近くの万倉ふれあいセンターで16時まで句会。無事終了で宇部に戻って解散しました。お疲れ様でした。  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

船木宿吟行

2019年03月10日 | 俳句

 案の定今日は朝から雨です。娘夫婦は、今日下関で行われる広島対DeNAのオープン戦を観に行くと楽しみにしていましたが、試合中止。とても残念がっていました。やっぱり天気予報は当たりますね。

 それに引き替え昨日はいい天気でした。これはしめたと思いましたが、外に出ると意外と風があって気温は冷たかったですね。新聞を見ると最高気温は16度ですが、最低気温0度とありましたから。

 9時集合。今回は欠席者が多く、総勢11人での吟行。車で宇部市楠総合支所ふれあいセンターまでは30分。ここから船木界隈の道、今から約二千年前頃につくられた都と西国(九州の太宰府)を結ぶ旧山陽道の一部の道を歩きます。今は本当に寂れていて、かつての賑わいを知らない私たちはへエッと思うのですが、今回参加の宇部に生れ宇部で今日まで暮らしているという85歳のNさんの話に納得。〝そりゃあ昔は賑やかで、宇部なんてホントに田舎の漁村だったと、小さい頃よく聞かされていましたから…〟と。石炭も宇部が本家本元かと思いきや、ナントここ船木が発祥地なんですって。知りませんでした。そう言えば宇部市は、大正期の炭田開発によって人口が急増し、1921年(大正10年)村から一躍市になったんでしたね。2004年(平成16年)にこの船木宿のある楠町と合併したんですよ。

 ところで、この「船木宿」の街並みが整うのは、1570年頃(天正期)と推定されています。1635年(寛永12年)、参勤交代の制定により船木は「本宿」となり、1650年(慶安3年)、長州藩の宰判制度が確立すると、藩の政治組織が整備され、船木市村に船木宰判として代官所及び勘場を置き、政治、経済、教育の中心としての形態が次第に整っていったようです。その後、船木宰判に御茶屋を建設するため、1686年(貞享3年)、正円寺を柿ノ木田に移転するなど、往還や宿、駅の整備が進められ、船木は、東の関戸・御荘から西の長府・赤間関と続く本往還の宿駅として位置づけられたようです。それが今では…という感じですが、でも静かで落ち着いた、田舎の好きな人ならホッとするような町なんですよ。では、写真をどうぞ。

 ① 石炭と船木の説明板(ここは船木宰判跡でもある) ② 石炭発祥の地碑 ③ 旅人荷付場跡 ④ 漆喰の商家 ⑤ 原田火薬店の「うだつ」 ⑥ 道路にあるマンホールの蓋 ⑦ 不二醤油の店先 ⑧ 不二醤油店の丁場 ⑨ 不二醤油の「むくり屋根」(ふくらんだ形の屋根のことで金持ちの象徴だったとか…) ※⑤⑨の二軒は山口県の住家100選に選ばれています。

 まだありますが、続きはまた明日にでも。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ついに腰にも〝老化現象〟

2019年03月08日 | 俳句

 今日はまた朝からいい天気になりました。ホントに〝二晴二雨〟のようです。ならば、明日は吟行会なんですが、天気は良いはず…ですよね。だったら、もう私が〝晴れ女〟だからなんて決して言いませんから。(笑)

 午後はフラダンスへ、その後リハビリへ行きました。このところ時々腰に痛みが走るので、ちょっと不安な気持で筋トレをしていますと、やっぱり腰に力を入れるとき痛みが走ります。そこで、先生に診てもらいました。股関節と背骨のレントゲンを撮り、改めて説明を聞くと、なるほどと…。股関節には異常が見られないが、脊椎の軟骨がすり減って骨と骨との隙間がなくなっているところがあると。〝ホラ、正常な人の背骨と見比べてごらん。自分のがオカシイというのが…〟と、まるで証拠を突きつけられた犯人のように、返す言葉はありません。〝じゃあ、どうしたらいいんですか?〟と聞くと、〝湿布や注射をしたり、痛み止めの薬を飲むか…、まあ我慢が出来れば、このままリハビリを続けるとか…〟要するに対症療法しかないということなんです。膝にしても同じ、最終的には手術ということなんですね。注射も痛み止めも嫌いですので湿布だけもらって帰りました。

 これは全て老化ということ、重々分かっていますけど…悲しいですね。こうやって自分の体がだんだんと毀れていってるんだと思うと。

 ところで、もうすぐ3月11日の東日本大震災8年目が巡ってきますので、ひっきりなしにテレビで報道しています。先ほども福島原発の周辺の街の災害当時と現在のようすを比べて放映しているのを見ると、全くの手つかずなんですね。8年経った今では完全なる荒野になっていました。ここまで毀れてしまったものは…特に放射能汚染というものはどうすることもできないんですね。元の状態に戻すことができないとなれば、当然人は住めないでしょうから…廃墟になるしか仕方がないのでしょうか。原発が出来たときはこんなことになるなんて街の人たちは誰も想像しなかったでしょうから。もしかしたら喜んでいたのかも…。そう思うとコワイです。人間の開発したものが一番厄介だということ。何でも毀れてしまってから気がつくんですね。元に戻すことが大変なことだっていうこと!だから自分の体ももっと大事にしなくっちゃいけないとつくづく思いました。

 帰る時車に乗ると、温度が23度。エンジンを掛けるとエアコンから涼しい風が出てきて…エエッという感じでした。

 写真は、整形外科の待合室にあった蘭で、先日行ったときと今日の様子。暖房が入っていますのでもうこんなに開いていました。ちなみに〝蘭〟は秋の季語ですが、温室で栽培した蘭などは〝室の花〟として冬の季語です。

   紫の淡しと言はず蘭の花      後藤夜半

   室咲の花淡くして日も薄し     水原秋櫻子

 

 

 

  ああ、そうそう今日は息子の誕生日でしたので、ささやかなプチケーキを買ってきて三人で食べました。オメデトウ!(コレを三人で分けたんじゃないんですよ。念のため…)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〝怒濤の税〟

2019年03月07日 | 俳句

 今朝はまだ昨夜の雨が残っていて、しっとりと地面が濡れていました。ひどくはないのですが、時々春時雨のようにさっと降っては止んだりと、でも午後からはずっと曇でした。気温もやや低め。

  昨日やっと今年の確定申告を書いて提出しました。これは毎年のことなんですが、しかし、一年に一回だけのことですので、書き方をすっかり忘れています。また一からという感じで、何度書いても分かりませんし、今年は控除などに変更があったりしてホントにややこしいです。勤めていたときは言われるままに書類を出して、その年末調整の還付金が3月にあったりすると喜んでいたような気がしますが…。退職後いつ頃から確定申告をするようになったのかしら。年金をもらうようになって…でも額が少なければ所得税も大したことはないので確定申告なんて…と思っていました。ところが、講師料や原稿料をもらうようになってから、それにしても大した額ではないんですよ…それなのに毎回なんで~と、腹が立ってきます。収入の10.21%が源泉徴収されるのですから。100万を超える人は超えた額に20.42%…らしい。そんなにもらったことないので、よく分かりませんけど…。(笑)

 ところで、この確定申告を書く時期になると、すぐ次の加藤楸邨の句を思い出してしまいます。

   春寒くわが本名へ怒濤の税

 もちろん私の微々たる額と大作家の収入とは比べられるわけもありませんが、多額であればあるほど痛切にこの税の重さを感じたのではないかと思います。この句については、清水哲男氏の懇切丁寧な鑑賞文が『増殖する俳句歳時記』にありましたので転載させていただきましょう。

 季語は「春寒(はるさむ)」だが、句意には「春にして、いよいよ寒し」の感がある。「怒濤の税」をかけられて怒り心頭に発し、寒さなど吹っ飛ぶかと思いきや、あまりの予想外の重税にかえって冷静になってしまい、何度も数字を確認しているうちに、ますます寒さが身に沁みている図だ。上手な句ではないけれど、「本名に」が効いていて、当人の困惑狼狽ぶりがよく伝わってくる。ちなみに、作者の本名は「加藤健雄」という。私は筆名を使わないのでわからないのだが、使う人にしてみれば、筆名で得た収入の税金を、稼ぎの少ない本名に課されるのは、それだけで理不尽な感じがするのだろう。同じ人間が二つの名前を使っているにせよ、それぞれ「加藤楸邨」と「加藤健雄」と名乗るときの人格は、多少とも区別されているに違いないからだ。大袈裟に言えば、当人にもほとんど別人のように思えるときもありそうである。それがお役所の手にかかると、にべもなく同一人物とされてしまうのだから、とりわけて収入の少ない「健雄」には納得し難いというわけだ。税金の季節、今年も申告用紙が送られてきた。収入からして私に「怒濤の税」は無縁だが、つらつら項目を仔細に眺めてみるに、いろいろな控除額が激減している。広く薄く、取れるところからは少しでも取ろうという魂胆が見え透いていて不快である。掲句とはまた別の「春寒」を感じている納税者が、今年はずいぶんと増えているのではあるまいか。                    『俳句歳時記・春の部』(1955・角川書店)所載。

 ちなみに楸邨は、1954年から青山学院女子短期大学国文科教授に就任して給料をもらうようになっていますので、給与所得と著作や原稿料などの雑所得にかかる税の違いは余計に感じられたことでしょう。いや、昔は…昭和30年頃の税率は今と比べてどうだったのかな~、特に雑所得に対しては?ホントに税金のことはさっぱり分かりません。こちらはいつも取られるばっかしだから。ほら消費税だってすぐに10%に上がるでしょう…。そんなに無駄遣いをしようとは思っていませんけど、でも1,000円が1,080円にはもう馴らされてしまって、今度1,100円払ってもそれほど気にならないかもしれませんね。けれど、これが100万円だったら税金が10万だ!と考えると、ムカッと頭にきませんか?

 写真は〝シクラメン〟。てっきり冬の季語だと思っていましたが、春の季語なんですよ。そういえば、毎年買うのに今年は一つも買いませんでした。忙しくて花を眺める余裕もなかったのかしら。この花はいつもリハビリに行く整形で。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする