ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

桜紀行 その2 五色沼の一つ「毘沙門沼」

2024年04月28日 | 日記

 一昨日はやっとのこと〝菜種梅雨〟の合間の快晴で、溜まっていた洗濯物を目一杯干しました。車に乗るとナント31度もあって、エアコンがガーガーと回りっぱなしだったんです。ところが、次の日はもう雨。するとまた今日は晴れなんですよ。でも明日がまた雨という…いやはやこのところお天気様に振り回されっぱなしで、この異常気象には体の方も悲鳴を上げています。

 さて、先日の〝桜紀行〟の続きを書かないといけませんね。それでは、〝三春の滝桜〟を観てからの以後の行程を…。

 この日の宿泊は、五色温泉の「メルキュール裏磐梯リゾート&スパ」。三春からここまで約1時間ほど。ホテルに近づくにつれ磐梯山がバスの窓からよく見えました。

 このホテルはあの有名な〝五色沼湖沼群〟の近くで、ホテルに着いてから時間がありましたので、その五色沼でも一番大きな「毘沙門沼」まで歩いて散策に出かけました。この沼は確か、コロナ流行の前年に友人と東北へのツアーに参加したときにも来たことがあります。あの時は11月でしたが、まだたくさんの観光客で賑わっていて、紅葉が美しかったのを覚えています。今回はまだこの辺りは雪がたくさん残っていて、大して見るべき物も無くとても寂れていてビックリしました。これもやっぱりコロナの影響なんでしょうか。

 以前にもすぐ気が付いて写真を撮りましたが、毘沙門堂と秋櫻子先生の句碑です。表に〈水漬(みづ)きつつ 新樹の楊(やなぎ)ましろなり〉、裏には「昭和十三季仲秋. 磐鏡園主人 秋山義次建」と。

 雪解け水で沼はとても冷たくて…見ると点々と若緑のものが…それは小さな蕗の薹でした。

 以前は気が付かなかったのですが、ここには磐梯山が噴火したときの日本赤十字社の記念碑もありました。平成元年に、噴火百周年記念の「日本赤十字社平時災害救護発祥の地」の碑として建立されたものです。

  

 このホテルは、以前は「アクティブリゾーツ裏磐梯」と言っていたのが外資系のホテルになったのだそうです。だからか夕食のバイキングにはその種類の多さと多彩さには驚かされましたし、お酒類は何でも飲み放題の無料でした。

 しかし、ホテルの何処へ行くにも広すぎて…お風呂から部屋へ戻るのにも歩いて歩いて…でしたから、歩数計が1万歩を超えていましたものね。

 では、続きはまた今度… 

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きらら浜自然観察公園の〝子どもレンジャー〟

2024年04月21日 | 俳句

 本当は今日は、桜紀行の続きを…と思っていたのですが、ちょっと先に書いておきたいことがありますので、それはまた次にします。よろしくね。 

 実は、令和6年度〝きらら俳句教室〟の第1回目が昨日あったんです。昨年度より2名増えての13名でのスタート。それにお世話して下さるレンジャーさんも交替して今年度はHさん。彼女は以前この教室が始まった令和2年に入会して2年ほど一緒に俳句を作りましたので、とても心強いです。

 考えてみればこの〝きらら俳句教室〟も今年で4年目に。何だかあっと言う間でした。毎年公園の同じような所を吟行しているのですが、季節季節で、またその時々で全く同じということがありませんし、だから同じような句にも出会ったことがないです。それだからいいのかも知れませんけどね。

 さて、その俳句教室のことは今回は置いといて、今日は「きらら浜自然観察公園の〝子どもレンジャー〟」のことを書きます。それはレンジャーのHさんが担当している5・6年生の〝子どもレンジャークラブ〟の今日のイベントに俳句教室をやってほしいと頼まれたからなんです。

 今日の活動目標は、「季節のうつりかわりなど小さな変化に気付く」ということで、公園を見て回って気付いたことを俳句に詠もうというものでした。

 参加者は宇部や山口からの子どもたち23名です…〝俳句作ったことある?〟と聞くと殆どが〝ハ~イ!〟と。〝じゃあどうやって作るのかしら〟と言うと、〝五七五で…〟〝季語がいる…〟と答えてくれます。以前子ども夢教室での3、4年生はたくさんやりましたが、やっぱり5、6年生は違いますね。

 黒板に〝斑〟と書いて読める人と言うと〝まだら〟と。じゃあ〝斑猫〟と書いたらなんと…みんな首を傾げています。私がまだ俳句を始めたばかりの頃、この読み方や意味が分からずに〝まだらねこ〟と読んでヘンなの?と思った話をして、その読みを〝はんみょう〟…と言った途端、何人かの男の子たちが〝知ってる!〟と手を上げてくれました。〝とってもキレイな虫で、近づくと前の方へ飛んで…〟と説明する必要が無いくらい。さすがは〝子どもレンジャー〟だとビックリしました。幼い頃から自然に親しみいろんな生き物への洞察の眼を持った子どもたちがどんどん増えていけば、そしてこのような子らが成長して大人になったらきっと自然を大切にしてくれるのではと思うと、未来も明るくなって平和な日本になりそうで…と頼もしくなりました。

 10時から外へ出ていろんな物を見ながら…昨日も同じコースを歩きましたが、子どもたちが関心を持って見るのと大人たちとは全然違いますね。草や花よりも虫などの生き物が好きで、中にはカニを見つけて捕まえる子も居ました。

 私が出る前に…秋に実がなる〝グミの花〟と秋に花が咲いてもう〝グミの実〟になっているものが、今日は両方見られるのよと話したので、子どもたちはそれを一生懸命探していました。そして、やっと見つけると…みんなで取り合いこです。食べる子もいて…まだ酸っぱいんですけどね。

 11時前教室へ戻ってきて、早速俳句作り…できたらそれを短冊に書いて黒板に貼ります。それをみんなでいいと思う句を2句選びました。

 その結果、次の〈ダイサギのくちばし青し夏が来た〉〈ぐみの実はグミの味からほどとおい〉〈タンポポは太陽みたいにあざやかだ〉〈ウグイスのきれいな声はあそこから〉の4句が最高点になりました。

 どの句も今日のテーマの〝季節のうつりかわりに気付いて〟素直に感じたことを詠んでくれていますよね。他の句もそれぞれのいいところを鑑賞して、最後に私が〝みんな才能アリ!〟と言ったら大喜び!拍手で無事12時に終了しました。帰るときに子どもたちから〝楽しかった!〟とか〝ありがとうございます!〟と言ってもらい…とても気持ちよかったです。こちらこそありがとうございました。

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桜紀行 その1 三春の〝滝桜〟

2024年04月19日 | 日記

 今年はあっと言う間に桜前線が通過していきました。散々気を持たせていたかと思うと、突然暑くなって一気に開花でしたね。その挙げ句に今度は強風が吹き荒れてあっと言う間に散ってしまいました。まるでその時の私の〝こころ〟のように…

 皆様、ご無沙汰致しました。前回のブログからナント2週間以上も…、こんなに間が空いたのは始めてのことです!しかし、そんなブログにもかかわらず毎日閲覧して下さっている方々がいらっしゃったのをみると、本当に感謝、感謝です。

 この間が忙しかったという理由だけならいつものこと。どうってことないんですが、実を言うと強烈な精神的ダメージを受けて書けなかったんです。長い人生のうちには心が打ちのめされることって何度かはありますよね。が、今回は今までにないほどのダメージを受けてしまいました。ここにその詳しい内容は書けませんが、何十年も信じて付き合ってきた人に裏切られるという…まあ、考えてみればそれも昔からの〝仇も情けも我が身から〟ということかもと反省しています。しかし、それが見抜けなかったという自分にも腹が立って落ち込んでしまったのです。ちょっと大袈裟だったかしら。でもそれぐらいのパンチを、それもダブルで受けたんですから…やはり私には耐えられないことでした。だからこんな気持ちでは到底筆を執る気にもならず、全てが空しくって…哀しい!(; ;)…

 しかし、毎日こんな気持ちで鬱々と過ごしてもいいことは何ひとつありませんし、また、報告すると約束した記事を待っていて下さる方がいるのだと思えば…と気を取り直して重い腰を上げました。くどくどと泣き言など言って…ゴメンナサイ!

 それでは、先日行って来た〝上信越・南東北(福島・新潟・長野)ぐる~り3県7つの桜名所めぐり4日間〟の桜紀行を報告しますね。写真も沢山ありますし、長くなりますのでちょっとずつ分けて書きますから読んで下さい。

 先ず初日(4月7日)は、ANAの始発便で山口宇部空港から羽田へ。10時第1ターミナルに集合、一路バスで「三春の滝桜」へ。

 以前退職したら主人がキャンピングカーを買って、二人で全国の桜を観て回ろうという遠大な願いを持っていたんですが、いつの間にかその夢もどこかへ…。更に義母たちがこちらへ来てからは、旅行といっても一緒に近場のところへ行くだけでした。それが昨年102歳の義母を見送って、それなら念願の桜を今年は観に行こうという計画を立てたのでした。もちろん車で観て回る元気はもうありませんので、どこかのツアーを探してのことでした。最初は今年の桜は開花が早いという予想でしたので7日ではもう遅いかしらと思いつつ、7ヶ所も巡るんだから運が良ければどこかは満開かもと期待を膨らませながらの申込でした。ところが、ガイドさんの話では4月に入ってからの意外な寒さでこの滝桜はまだ咲いていないかもと…。

 東京では満開の桜とスカイツリーを横に観ながら高速を走って行きましたが、福島県の三春に近づくに従い、道々のシダレザクラは殆どが開花前…。ところが、この日が20度を超すというナントも暑い日でしたので、もしかしたらと思ったら…まさに今日開花宣言が出たという…ヤッター!です。もちろん2、3分咲きでしたがそれでも大感激でした。

 東京はやや曇り空、でも三春に近づくに従って快晴でしたよ。バンザイ!

 この「三春の滝桜」は、福島県の三春町に樹齢1000年を超える桜の巨樹で、三春ダム湖の東岸にあり、エドヒガン系のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)です。岐阜県の根尾谷薄墨桜、山梨県の山高神代桜とともに、日本三大桜の一つとされています。樹高13.5m、根回り11.3mの巨木には、四方に伸びた太い枝から薄紅色の小さな花が無数に咲き、その様子が滝が流れ落ちるかのように見えることから滝桜と呼ばれたといわれています。大正11年10月12日に、桜の木としては初めて国の天然記念物に指定された名木です。皇居宮殿の正殿松の間を杉戸絵「櫻」(橋本明治画伯)や、赤坂サカス赤坂Bizタワー壁画「四季樹木図」(千住博画伯)が、滝桜をモデルに描かれたことでも知られています。令和4年(2022)10月12日には国の天然記念物に指定されてから100年目を迎えました。

 それでは三春の「滝桜」をどうぞ…まだこの程度でもやはり迫力がありました。ぐるりと一周して色々な角度から写真を撮ってもどれもみな格好がいい!さすがは日本三大桜のひとつです。もしこれが満開だったらと思うと…でもこれぐらいで満開を想像して観るというのもまたいいかも。1時間ほどそこにいて最後に振り返って見ると、その間に最初より少しピンクが濃くなっているような…。するとこの2、3日後に行った人はきっと満開が観られたでしょうね。羨ましい!

 帰り道に満開の時の写真が売っていました。

 それでは、この続きをお楽しみに…

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今日はいづこも〝花の雨〟ですかね!

2024年04月03日 | 俳句

 今朝起きると天気予報通り…小雨ではなく結構降っていました。それに、ゴミ出しに行くと、今度は傘が吹き飛ばされるくらいの強風ですよ。

 一昨日、昨日と俳句教室へ行きましたが、やっと開き始めた桜を見ながら、この調子ならもう2、3日もしたら満開になるかも…などとウキウキしてたんですが。

 こちらではまだ2、3分ぐらいですからまだいいのですが、これが満開の所だとするといっぺんにダメになるかも知れませんね。桜の一番の見ごろをいい天気で目にするのはなかなか難しいこと!

 テレビではあちらこちら満開の桜が映し出されています。が、今日は西日本から東日本にかけて全国的に雨のようですもの。これぞ〝花の雨〟でしょうか。

  手を引いてやる母は亡し花の雨   大木あまり

 確かに去年は義母の手を引いて花見をしましたのに…身に沁みますね。〝花の雨〟だからこそ余計に。あのふっくらとした手の温かさがまだ残っています。

 ところで、一昨日の兼題が〝四月馬鹿〟でしたが、面白い句が出ていました。〈腑に落ちぬことも飲み込み四月馬鹿〉という句。採った人は〝世の中には納得できないことがたくさんあるが、それを飲み込んでガマンするしかない…四月馬鹿ならいいが…〟という気持がよく解ると。〝これは作者のこと?なら何か手がかりになる具象が欲しいわね〟と言うと、作者が〝実はこれは大谷翔平のことを詠みました〟ですって!それは想像できなかったわと、みんなで大笑い。おまけに同じ作者のもう一句は〈とぼけても褒められてをり万愚節〉。〝今度は翔平の奥さんの真美子さんのこと…〟と。ホントにあの事件は青天の霹靂だったでしょうから、これがまさに〝四月馬鹿〟のニュースだったとしたらよかったのにね。

 今年になってからは余りいい話題がなくて…この一年が思いやられます。政治にしても経済にしても、このどんよりとした重い空気を吹き飛ばすような明るいニュースはないのでしょうか。そういえばパリ・オリンピックの開催までもう4ヶ月を切りましたよ。以前のように心がちっとも躍らないのはなぜでしょう?そりゃあ前回は東京での自国開催でしたから当然でしょうが、それ以外の時でも胸をワクワクさせて楽しみに待っていたんですけどね。皆さんはいかがですか?

 話が変わりますが、ネットを見ていたら次のような言葉が目に留まりました。〝自分が買ったワンピースの値段で、子どもが売られていた現実。(その値段はナント一万円ですって!)日本の大学生が設立した「かものはしプロジェクト」とは?〟

 このようなことが後進国で起っているということは今まで知らなかった訳ではありません。この「かものはしプロジェクト」という名もどこかで見かけたことがあるような気がします。今回詳しく読んでみて…次のような思いで応援をしてみようかと。その時のメッセージですので、読んでみて下さい。

「だまされて売られる子どもを守りたい。」かものはしプロジェクトの応援をはじめました。

私の大学時代の友人が生涯を掛けて、カンボジアの小学校設立のプロジェクトに携わり支援していましたが、昨年末亡くなりました。
私もカンボジアには観光で行きましたが、貧富の差が目に付きました。また、子どもたちの物売りが観光客に商いする姿を見ては、戦後の日本を見る思いでした。ましてや女の子が性商売の奴隷にされて売られるというのも、嘗ての封建時代の日本です。常に貧しいが故に…そういう環境に生れてきたが故に理不尽な生き方を強制的に…いや暴力的にさせられるという…そんな社会が許せません。しかし、それをしているのも同じ人間であると言うことにも腹が立ちます。弱い人たちを虐げて甘い汁を吸っている人間たちにも腹が立ちます。でも何も出来ない自分が悔しくもあります。そういう現実に立ち向かって闘っている若い人たちを少しでも応援したいという気持です。
子どもが売られる問題については、こちらから知ることができるので、よければ読んでみてください!
http://bit.ly/2wpnIwe

 関心のある方は是非読んであげて下さい。以前もユニセフや赤十字、東南アジアの子どもたちの学業を支援するという寄付をしてきましたが、ホントに本当に微々たるものです。でも、何かせずにはおられないという…そんな気持です。でも、またそんな善意の人々を騙す人もいるという…コワい世の中でもありますから、気をつけましょう。いや、気をつけますね。

 写真は、「かものはしプロジェクト」からです。

      

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『早苗のあゆみⅡ』が出来ました!エエッ、〝四月馬鹿〟?

2024年04月01日 | 俳句

 昨日は3月31日…〝三月尽〟でした。以前にも書きましたが、これは陽暦の三月の最後の日ということで、陰暦の三月最後は〝弥生尽〟。三月と書いても〝やよい〟と詠めば陰暦の三月のこと。

 結局どちらかをはっきりして詠まないと、詩情が違いますので混乱しますからね。だって、〝やよいじん〟ということなら、これは春という季節が終わるということですから〝惜春〟の情が中心になります。しかし、〝さんがつじん〟といえば、これは年度の終わり。学校では新学期がすぐで、進級やクラス替え、先生の異動なども、今から春たけなにという雰囲気でガラリと変わりますもの。役所や会社などでも退職者と新入社員などと、人事異動もありますから。その辺のところをよく見極めて季語を選んで欲しいですね。

 以前この季語で詠んだ人に聞いてみると、字数がちょうど良かったからとか〝やよい〟と言った方がかっこいいからという。内容がそぐわないものだったら却って違和感が生じて、その句をダメにしてしまいます。俳句を始められる方が、古語が魅力的だと思われるのは嬉しいことですが…。

 確かに俳句は短詩型文学ですので文語(古語)が似合います…が、使い慣れない分十分に意味を吟味して使ってほしいものです。生半可な耳学問でよく聞くからなどと安易に使用しないこと。後で〝これ、歳時記で調べましたか?〟と聞くと、殆どいいえということが多いんです。

 特に初心者の方は、古語であろうと歳時記であろうと、言うなら今無意識に使っている言葉であっても確かめてみること。これが上達するための先ず一歩でしょうか。

 今時の季語に〝百千鳥〟と言うのがありますが、それを以前〝たくさんの千鳥〟と思って使われた方がいてビックリしました。こんなことは初心者教室ではざらにあって笑い話で済むんですが、ある程度やっておられる人には恥になりますからね。

 ところで、昨日昨年のブログが送られて来ていましたが、それを見ると…懐かしいことが…。私がフォローしています〝徒然さやか日記〟のさやかさんに初めてお目に掛かった日でした。その時(2023・3・31)の「〝ブロ縁〟と言っていいのでしょうか?」の記事を見て頂くと分かりますが、家族みんなで蟹料理を食べに行った…それもこの日をもって店仕舞いをされるという叔父様の店へ。そこでさやかさんともお会いできたんです。

 でも、その時はまだ義母が元気で…おいしいね!と言ってモリモリ食べていました。まさかその7ヶ月後に亡くなるなんて…思えばもう随分昔のことのように思えて、〝去る者日々に疎し〟なんでしょうが、淋しいですね。でもいい想い出です。また、その時に書いていましたが、「早苗」の終刊に向けての運営委員会でその日広島へも行っていたんです。

 昨日もそう、「早苗」のために広島へ行って来ました。でも違うのは、今回が最後ということ。その「早苗」のお別れ会で、やっと出来上った『早苗のあゆみⅡ』を皆さんにお披露目することができたんです。

 以前の『早苗のあゆみ』は、創刊号から700号までの約60年近くを纏めたものですから、その膨大な資料の量でそれはそれは大変でした。その時のことを思えば、今回は701号から900号までの17年足らずですから…。でも以前は若かったし、やる気満々だったからでしょうか。それ程苦にはならなくて、忙しくも却って充実した日々の中で出来上るのが楽しみな程でした。今回は年を取ったから何するのものろくて時間が掛かってしまいますし、お婆ちゃんの介護とも重なっていて、とてもしんどかったんです。おまけに今度は終刊に因んでの座談会を行い、それを編集して載せましたので、益々大変でした。なんせ一日がかりの座談会でしたからテープ起しをしてくれた人も大変だったでしょうが、そのボリュームを、30頁に纏めるという気の遠くなる作業で…でもまあ、皆さんに読んでもらって面白いと言っていただけましたから本望です。やった甲斐もあるというもの。

 私が40年近く「早苗」でお世話になり、今日まで育てていただいた、そのご恩へのお返しが少しでもできればと思ってしたことですもの。思い残すことはありません。

 ところで、今日は4月1日。俳句では〝四月馬鹿〟とか〝万愚節〟などと詠みますが、実は今日の午後からの教室の兼題がまさにこれ。他の教室でも確かこれが兼題になっていたような。さて、さて、どんな面白い句にお目にかかれるか、楽しみです。それはまた書きますね。できれば今月はUp回数を増やしたいと思っていますので、よろしく。さあ、ガンバロウ!

 

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