今日は2月28日、明日からもう3月です。あっという間の2月でした。ところで、歳時記を見ると、利休忌が2月28日になっています。でもこれは、陰暦ですから陽暦で言えば1ヶ月半ほどのずれがありますので、今で言えば4月の初めから半ば頃まででしょうか。俳句では、「利休忌」という季語は、仲春になっています。
利休のことは、何度も映画やドラマになっているので、皆さんよくご存じでしょう。泉州堺で生れ、信長、秀吉に仕えた茶道の大成者。最後は秀吉の怒りに触れ、70歳で自刃した人。
以前お茶を習っていたときに、この利休忌にちなんだ茶事をしたことがありましたが、確か一月遅れの3月28日頃だったような気がします。利休の姿が描かれた軸を掛けて、それに「廻り花」といって、連客と亭主が代わる代わる花入れに花を供えていき、あとお茶を点てて飲むのです。その時、先生から花は何でもよく、野辺に咲いている名も無い花でいいのよと言われたのを思い出します。利休は〝佗茶〟を完成した人ですから、豪華なものや派手なものを避けたというのは当然のことでしょうね。ちなみに、私はその時畑に咲いていた芥子菜の花を持って行ったような気がします。芥子菜の花は菜の花に似た黄色い十字花です。この「芥子菜」も春の季語ですよ
強情の千の利休の忌なりけり 相生垣瓜人
この句の作者は、「馬醉木」の大先輩です。私が俳句を始めたときはもうお亡くなりになっていて、私は名前だけしか知りませんが、「瓜人仙境」という言葉が残っているぐらいですから、どんな方だったかということも少しは想像できるでしょう。飄逸味のある独特な句風であったとか…。この句、単純明快ですね。これだけすっきりと詠まれると何もいえません。しかし、この「強情」という語が、なかなか知っていても言えない言葉なのです。さらに、「千の」の語の効果も考えてみて下さい。意味から言えば、これは不必要な言葉ですよね。即ちこの語がなくても意味はしっかりと伝わるのです。なのにこの言わずもがなの語をなぜわざわざ使ったのでしょう。勿論そのままでは575のリズムになりませんから、何か3音の語を探して入れなくてはいけません。きっと瓜人さんはいろいろな語を考えてみたと思うんですよね。そして、最後に到達したのが、余分なものを入れるよりは、このまま利休の姓を使って、「せんのりきゅうの」とした方が、リズムもよく内容も崩さずに済むとしたのだと思います。また、この「千」が、名字というだけでなく、数字の「千」に通じるので、利休の強情が並大抵なものではなかったというイメージを呼び起し、利休の人柄を知っている者にはその姿を髣髴させるのです。そして、その強情故に切腹せざるを得なかった利休の人生をも顧みて感慨を覚えるのです。俳句を作ってみるとよく分かりますが、容易いようにみえる句ほど本当は難しいのだということが言えます。この句もその一例でしょう。
また、俳句とは、無駄や不必要なものを極力省く、いわゆる「省略の文学」と言われていますが、この句のように無駄も意味があるということになると、本当に難しくなりますね。いくらやっても本当に奥の深い文芸です。それはきっと、人の心や人生にこれだという正解がないようなもので、だからこそ〝詩〟の世界が、古今東西なくならないのだろうと私は思っています。これからも暇が出来たときには、いろいろ俳句にまつわるような話を書いてみたいと思っています。テーマの〝談義〟はちょっと重すぎたかな…〝俳句四方山話〟ぐらいにしておけばよかったなと今では後悔していますが…。これを読んで何かご意見でもあれば是非コメントして下さいね。
いつもは第4火曜日の教室ですが、今月は28日で終り、投句に間に合わないと言うことで、今日代替えの教室を行いました。でも休みの人が多くて、出席者は6人でしたが、その分時間がゆっくりあるので、内容の濃い句会ができました。
前も書きましたが、一語でがらりと場面が変わるという句について今回も書きましょうか。
原句は〈蓋とれば眼鏡のくもる蕪蒸〉です。この句の季語は「蕪蒸」。器に魚介や百合根、銀杏などを入れ、すり下ろした蕪に卵白を泡立てて加えたものをかけて蒸し、とろみをつけた出し汁をかけて熱いうちに食べるもの。茶碗蒸しのようなものですが、一味違った通の人に好まれる京料理です。この句、確かに分かりやすい句ですが、この分かりやすいと言う感想で終ってしまうには勿体ない句ですね。そこで考えてみましょう。
この蓋は何の蓋でしょうか?普通蕪蒸は蓋付きの茶碗で作りますので、もちろん「蓋とれば」は茶碗の蓋ですよね。その蓋を取って食べるときに眼鏡がくもると…本当でしょうか。余程のことがなければ、そこまではくもらないでしょう。ちょっと大げさです。するとこんな意見が出ました。「それは作っているときの蒸し器の湯気でくもるのでは…」と。それなら分かります。でもこのように表現したのではそれは分からないでしょう。「鍋の蓋とれば」と言わなくては。または、〈蓋とればくもる眼鏡や蕪蒸〉とでもすれば、下五が切れますので、作っている景ともなりえますが…。
だからこの句の欠点は、蓋の曖昧さ、「とれば…くもる」という因果的なところ、さらに湯気でくもるというあたりまえの内容にあります。
さあ、これをどう添削したでしょうか。この作者は一人暮らし、自分のためだけに蕪蒸を作ったと考えてもいいのですが、勿体ない。年末からお正月にかけて、子どもたちの家族が総勢9人も集まって賑やかだったという話を以前聞いていましたので、次のように直しました。
〈集ふ子に眼鏡くもらせ蕪蒸〉こうすると、集まって来る子どもたちのために作っている蕪蒸で、その鍋の湯気で眼鏡がくもっていることになりますね。決して食べている景ではありません。
さらにこれを、〈集ふ子と眼鏡くもら…〉と「に」を「と」に変えると、それだけで、子どもたちと一緒に食べている和やかな景になるのです。しかし、そうすると、季語の「蕪蒸」がしっくり来なくなりますので、例えば「おでん食う」とか「〇〇鍋」とかの、みんなで食べる冬の季語を考えてみるとよいでしょう。いかがでしたか?面白くありませんでしたか。俳句というものは、本当に知的な言葉の文芸なのです。
ではまた面白いテーマがあれば、次の機会にでも書きましょう。
始めてブログを立ち上げて書いたものの、あれからあっという間の十日間が過ぎてしまいました。〝俳句談義〟などと大仰なテーマを付けてしまい、このブログを訪問して下さった方には申し訳ないです。
毎日がとにかく駆け足で…いや最近はかなりスピードを上げて過ぎていきます。ちなみに、24日は私の〇〇歳の誕生日でした。主人の母も二月生れですので、一緒にお祝いで別府の杉の井ホテルへ連れて行ってもらいました。テレビなどで華やかに宣伝していますが、なかなか良かったです。
次の日は、〝いちご狩〟をして帰りました。8種類のいちごが食べ放題…そんなに食べられるものかしらと、半信半疑で行きましたが、いやーホントにこれでもかこれでもかと食べて、お昼抜きでOKでした。いろんなフルーツ狩がありますが、いちご狩だけは十分に満足感があっていいよと、勧められましたが、本当にお勧めです.
95歳の元気な主人の母
ところで、そろそろ俳句の話でもしなくては、このブログを立ち上げた意味がないですよね。
今日は、先日の句会に出た〈如月の肩に重たしランドセル〉の句について書きましょう。
この句には、いろいろな意見が出て、点もかなり入っていました。一番多かったのは、「入学前の子がランドセルを買って貰い、嬉しくて肩に掛けている様子で、まだ幼いから重いのだ」という鑑賞。確かにその感じはありますが、季語が「如月」なのは?という意見も出ました。
私は、この「如月」がいやで採りませんでしたが…。何故かというと、入学前の6才児の喜びを表すには、如月は古語なので重すぎるし、古くさいです。無邪気な喜びにはもっと明るい季語がふさわしいし、「重たし」とまで言わなくてもランドセルだけで十分だと思いましたね。
そこで季語を変えて、例えば〈三月の肩をはみだすランドセル〉としたとしても、十分子どもの様子は見えてくるでしょうし、また、言わなくてもその喜びは大きなランドセルが代弁してくれていると思いませんか。このように、「重い」とか「軽い」とかのような心情を秘めた表現は、気をつけて使わないと逆効果になることがあります。俳句が少し分かってくると、つい気軽に使ってしまいがちですので、作句時のポイントにしましょう。
更にもう一つ、〈三月の肩のはみだすランドセル〉としたらどうでしょうか。前句の助詞「を」が「の」に変わっただけですよね。でも内容は大きく変わります。後句は、子が成長して、その肩がランドセルをはみだしているということです。とすると、小学校も高学年、もしかしたら卒業ももう近いかもと…想像が膨らむでしょう。このように、一文字でも場面や世界がガラッと変わってしまうという、これが俳句の面白さ・魅力です。
興味を持たれたら一度自分で作ってみませんか。このところ、テレビの「プレバト」の人気が一段と高まって、あれを見て、入会を希望される方が私の教室にも増えてきました。有り難いことです。では次はいつになるか…お楽しみに。
メカ音痴のいい年のおばさんが、一念発起してブログを始めました。よろしくお願いします。
何から手を付けていいのやらさっぱり分からないのですが、とにかく手探りでも始めたからには何とか頑張らねばと、思っています。いろいろとアドバイスがあれば教えて下さい。
まずこのブログを始めようと思ったきっかけは、ある俳人のブログを読んでとても刺激を受けたからです。私が常日頃から思って指導している理念とよく似通っていて、私にもこのような情報が発信できればどんなにいいかなと考えたからです。
私が俳句を始めてからもう30年余り…今は開設した地域の俳句教室も10年過ぎました。どこの結社でも似たりよったりではないかと思うのですが、俳句人口が増えたとはいうものの、高齢化の波と細分化されていく流派の現状から、若い人たちの獲得が今必至の状況ではないかと思うのです。
私の所属する結社でも同様、いかにしてこの状況を乗り切っていくかが今後の課題でしょう。
私の住む田舎都市でもかっては俳句が盛んで、設立して50年にもなろうかという句会がありました。その伝統ある句会を私が引き継いだ時、かつて30人はいたものが10人を割ろうとしていました。そのうちまた一人二人と、歯が欠けるように減って、このままいったら二、三人しか残らない…これは大変だと、会員を増やすべく「俳句入門教室」を始めたのでした。おかげで今は20人を超すほどで、嬉しい悲鳴を上げているのですが。
その課題である若い人の獲得に一番効力を発揮するのは、やはりこのようなインターネットの世界ではないかと痛切に思ったのです。文章を書くのもワープロ時代の人間です。今時と笑われながら、しつこくワープロにしがみついていましたが、とうとう壊れてしまい、直すにも部品がないと…勿論パソコンは何年か前から使ってはいましたが、文章などは昔取った杵柄とやらで、楽に早く作成できるのが魅力でした。こんな状態なのだからホームページやブログなどとんでもないと思っていましたが、必要に迫られて急に思い切った次第です。徐々に慣れてうまくいけば、そのうち共鳴して下さる方も出てくるかと期待に胸をふくらまし、今日の所は終りましょう。