とうとう9月も最後になってしまいましたね。今日の午前中は日が差していて、これは洗濯日和かなと洗濯物を干したのですが、午後からはだんだん空模様が怪しくなり…う~ん、どうしようかと迷いましたが、そのままでリハビリへ。
もちろんその前に宇部新川駅へ切符を買いに行きました。新山口~新大阪の切符(乗車券・特急券)が往復で1500円も安く買えたんです。でも、新山口~豊橋への切符(乗車券・特急券)はたったの600円安かっただけですよ。ヘンでしょ!どうしてかしら?距離は当然豊橋の方が遠いですからね。まあとにかく消費税分得をしましたから、お弁当が買えます。ヤッター!
リハビリの帰りには当然ガソリンも満タンにして…、さて、できることは一応しましたが、どうなんでしょう。明日からの増税分がすぐに生活に響いてくるのでしょうか?
ところで、季語に「九月尽」(くがつじん)というのがあります。〝九月が終る〟ということですが、この季語は陰暦の九月末日をいうので、明日から冬に入るという九月晦日の、秋を惜しむ思いが強くこもるもの、春を惜しむ「三月尽」と並ぶ季語なんです。
要するに陰暦では、一月~三月を春、四月~六月を夏、七月~九月を秋、十月~十二月を冬としていますからそうなるんです。しかし、近来の作例には間違って陽暦の九月末日を詠んだものがあり、注意が必要だと歳時記にも解説してありました。
雨降れば暮るる速さよ九月尽 杉田久女
この句はまさに秋の終りを感じさせますね。〈暮るる速さよ〉で、冬の季語の「短日」や「暮早し」という感じを匂わせていますもの。まだ明るい夕方の陽暦九月ではこうは言えません。また、立冬までは1ヶ月以上もありますし…。
つまりは、俳句というものは事実を述べるだけのものではなく、詩情を詠いあげるものなんです。だからそこに詩が生まれる何かがなくては…、ここでいうなら〝秋を惜しむ心〟なんですね。ただ単に九月(陽暦)が終るというだけでは詩になりにくいでしょう。まだ陽暦の〝八月尽〟なら夏休みが終るという感慨もあります。例えば、子供たちからいえば〝もう終るというさみしさ〟、親の側からは、〝やっと終るから嬉しい〟という感情もあるかも。だから句が詠めると思うんですが、歳時記には「八月尽」はありません。その代わり「休暇果つ」や「夏季休暇果つ」という季語があります。使うときは心して詠みましょうね。
写真は、今日リハビリに行った時、受付に咲いていた花〝コルチカム〟です。この花には60種ほどの原種があって、欧州、中東、北アフリカの地中海沿岸地域に自生しています。ほとんどが秋咲きで、ピンクや藤色の花ですが、黄花で春咲きの種類などもあります。いくつもの園芸品種が育成され、秋の花壇を彩る花として多く利用されますが、また、土に植えなくても、机の上や窓辺に球根を置いておくだけでも花が咲く性質をもっているので、受け皿やコップなど、さまざまな容器を使って花が楽しめます。褐色の皮をかぶった大きな球根で直径は10cmほどになりますが、通常は5cm以上あれば開花します。球根の下部の片側に突起物があり、この部分と反対側の2か所から蕾が出て開花するんだそうです。毎年患者さんが花が咲く頃に持ってきてくれるんですって。撮るとき色が薄いので、後に濃い色の背景を作ってくれたんですけど。下の2枚は電気を付けたのとそうでないもの。花の色が違うようでしょう。でも、どれもイマイチで、ゴメンナサイ!