今朝のナント寒かったこと!それもそのはず、最低気温が12度でしたもの。しかし、日当りの良いところにいるとポカポカして気持がいいですね。ラジオ体操が終ると、〝この前までは日陰ばかりを歩いていたのに、今は日当りの良い方を選んで…〟などと笑いながら帰りました。
このところはちょっと気温の落差が急激でしたね。このままいけば今年は秋らしい秋を満喫しないで冬を迎えることになりそう。衣類の整理をしていたお婆ちゃんも、秋の服を一度も着ないままに毛糸を着なきゃいけなくなって、などと嘆いていましたもの。
さて、一昨日の句会の兼題は〝蟷螂(とうろう)〟でした。秋の季語。〝かまきり〟や〝いぼむしり〟などともいう直翅目の昆虫で、青緑色と褐色の二種がいます。
蟷螂が片手かけたりつり鐘に 一茶
一茶の『七番日記』に所収の句。「七番日記」は、小林一茶(1763~1827)の48歳から56歳までの9年間にわたる句日記です。
かりかりと蟷螂蜂の皃(かお)を食む 山口誓子
山口誓子の第一句集『凍港』に所収の句。1924~32年(大正13~昭和7)の「ホトトギス」雑詠入選句より297句を収録。句集名は「凍港や旧露の街はありとのみ」ほかの幼少期を過ごした樺太(からふと)(サハリン)の回想句によるもの。この句集で、誓子は従来の写生句の観念を破った新鮮な作風と、緊密な構成による近代的な作品をみせました。また、意欲的に都会的題材を俳句化し、句内容の拡大を実現した俳句作家でもあります。
上掲のどちらの句も蟷螂の姿がよく見えますね。一茶の句は、寺の大きな釣鐘に取りついた蟷螂、それも片手で…。大と小の取り合わせが絶妙です。これはきっと緑色の蟷螂でしょうね。だとすると梵鐘の鋼色に映じてとても鮮やかですもの。
誓子の句は、即物非情(感情や主観を交えず、ものそのものをありのままに捉える)の句として有名です。自然界では避け得ない弱肉強食の世界を、蟷螂と蜂という小さな昆虫で鋭く描き出しています。私はこの句を初めて読んだとき、その凄惨な様子を想像して背筋が寒くなった記憶があります。
ところが、…ですね、この蟷螂の雌が交尾の終った雄を食い殺すという習性があるということを知って、またまたビックリ!蜂とかなら生きていくための餌と考えれば納得がいきますが、これは同類の、それも自分の夫なんでしょう。何だか残酷すぎて…コワくなりました。
でも、ある科学者によって発表された新たな研究では、蟷螂は交尾後に雄のパートナーを食べた雌のほうが、そうでないものよりも多くの卵を産むことを示していました。しかも、ちゃんと食べられた雄が子供の栄養源となって役に立っているんですって。ヘエッ!
この研究をしたのはニューヨーク州立大学の科学者ですが、最終的には「交尾中に食べられるという愛のための自己犠牲は、雄にとっては子孫を残すための投資なのだ」というようにまとめていましたね。
そんなときのある日、ウッドデッキに洗濯物を干そうと出てみると蟷螂が…それがどうも2匹のようで、エエッ、交尾中?と近づいて見ると…まさに雄が雌に食われているところでした。アッ、カメラ!と慌てて取りに行って撮りましたよ。そうだ、動画も…と思ったものの日頃撮ったことがなくて慌ててしまいましたが、一応は撮りました。雄は頭が食われているというのにまだ足が動いていたんですよ。私も話には聞いていても見るのは初めてです。また、こういうのは余り好きじゃありませんので見るに堪えなかったんですが、今度の句会で皆に見せなくてはと…頑張ったんですよ。だからまあ、見て下さい!でも、動画はブログにUpする仕方が分らず…できませんでした。ゴメンナサイ!
しかし、句会でも見るに堪えないからとパスした人もいますので、そういう方はどうぞスルーして下さい。ある意味真実を見つめるのって、とても怖いものがありますが、誓子の句はまさにその真実を観察して詠んだものなんですね。あの〈かりかりと〉という音が今にも聞こえてきそうですもの。