ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

兼題は〝蟷螂〟、かまきりの事ですよ!

2022年10月27日 | 俳句

 今朝のナント寒かったこと!それもそのはず、最低気温が12度でしたもの。しかし、日当りの良いところにいるとポカポカして気持がいいですね。ラジオ体操が終ると、〝この前までは日陰ばかりを歩いていたのに、今は日当りの良い方を選んで…〟などと笑いながら帰りました。

 このところはちょっと気温の落差が急激でしたね。このままいけば今年は秋らしい秋を満喫しないで冬を迎えることになりそう。衣類の整理をしていたお婆ちゃんも、秋の服を一度も着ないままに毛糸を着なきゃいけなくなって、などと嘆いていましたもの。

 さて、一昨日の句会の兼題は〝蟷螂(とうろう)〟でした。秋の季語。〝かまきり〟や〝いぼむしり〟などともいう直翅目の昆虫で、青緑色と褐色の二種がいます。

  蟷螂が片手かけたりつり鐘に     一茶

 一茶の『七番日記』に所収の句。「七番日記」は、小林一茶(1763~1827)の48歳から56歳までの9年間にわたる句日記です。

  かりかりと蟷螂蜂の皃(かお)を食む  山口誓子

 山口誓子の第一句集『凍港』に所収の句。1924~32年(大正13~昭和7)の「ホトトギス」雑詠入選句より297句を収録。句集名は「凍港や旧露の街はありとのみ」ほかの幼少期を過ごした樺太(からふと)(サハリン)の回想句によるもの。この句集で、誓子は従来の写生句の観念を破った新鮮な作風と、緊密な構成による近代的な作品をみせました。また、意欲的に都会的題材を俳句化し、句内容の拡大を実現した俳句作家でもあります。

 上掲のどちらの句も蟷螂の姿がよく見えますね。一茶の句は、寺の大きな釣鐘に取りついた蟷螂、それも片手で…。大と小の取り合わせが絶妙です。これはきっと緑色の蟷螂でしょうね。だとすると梵鐘の鋼色に映じてとても鮮やかですもの。

 誓子の句は、即物非情(感情や主観を交えず、ものそのものをありのままに捉える)の句として有名です。自然界では避け得ない弱肉強食の世界を、蟷螂と蜂という小さな昆虫で鋭く描き出しています。私はこの句を初めて読んだとき、その凄惨な様子を想像して背筋が寒くなった記憶があります。

 ところが、…ですね、この蟷螂の雌が交尾の終った雄を食い殺すという習性があるということを知って、またまたビックリ!蜂とかなら生きていくための餌と考えれば納得がいきますが、これは同類の、それも自分の夫なんでしょう。何だか残酷すぎて…コワくなりました。

 でも、ある科学者によって発表された新たな研究では、蟷螂は交尾後に雄のパートナーを食べた雌のほうが、そうでないものよりも多くの卵を産むことを示していました。しかも、ちゃんと食べられた雄が子供の栄養源となって役に立っているんですって。ヘエッ!

 この研究をしたのはニューヨーク州立大学の科学者ですが、最終的には「交尾中に食べられるという愛のための自己犠牲は、雄にとっては子孫を残すための投資なのだ」というようにまとめていましたね。

 そんなときのある日、ウッドデッキに洗濯物を干そうと出てみると蟷螂が…それがどうも2匹のようで、エエッ、交尾中?と近づいて見ると…まさに雄が雌に食われているところでした。アッ、カメラ!と慌てて取りに行って撮りましたよ。そうだ、動画も…と思ったものの日頃撮ったことがなくて慌ててしまいましたが、一応は撮りました。雄は頭が食われているというのにまだ足が動いていたんですよ。私も話には聞いていても見るのは初めてです。また、こういうのは余り好きじゃありませんので見るに堪えなかったんですが、今度の句会で皆に見せなくてはと…頑張ったんですよ。だからまあ、見て下さい!でも、動画はブログにUpする仕方が分らず…できませんでした。ゴメンナサイ!

 しかし、句会でも見るに堪えないからとパスした人もいますので、そういう方はどうぞスルーして下さい。ある意味真実を見つめるのって、とても怖いものがありますが、誓子の句はまさにその真実を観察して詠んだものなんですね。あの〈かりかりと〉という音が今にも聞こえてきそうですもの。

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あなたは〝マスク〟が外せますか?

2022年10月23日 | 日記

 先日マスクのことを書きましたが、やはりこのあたりでは外に出るとマスクをしていない人は見かけません。お喋りするでもないし、密集したところへ行くわけでもないのに…これはもう人々の習慣になってしまったのでしょうか。確かにコロナでマスクをするようになって早3年、私も殆どマスクをして外出しますが、でも一番大きな変化はどんな時でもスッピンで過ごすようになってしまったということです。

 コロナ禍の大きな社会現象の一つが2年以上に及ぶマスク生活ですが、今年の夏厚生労働省が「屋外でマスク着用は不要」と呼びかけるようになったその以後でも、外で出会う人でマスクを着用しているのが7割以上もいるということが、あちらこちらの調査で分かっています。それによると、マスクを外すことに戸惑っているという人が多くて、その外さない理由の1位が何と「恥ずかしい」からということだったんですって。

 特に若い人では、「もう下着みたいなもので、人前で外すのが恥ずかしい」(30代女性)、「マスク着脱時の顔の印象が違うことに驚かれるのが嫌だから」(30代女性)、「ヒゲを剃らなくて良いから楽」(20代男性)など。

 また、ある所でアンケートを実施したところ、脱マスクに抵抗感があると答えたのは女性が多くて、その理由の大半を占めたのが「(肌トラブルや長いマスク生活で)マスクを外した姿を見せることへのためらい」。次いで「感染対策のため」「周囲が外していないから」となったそうです。

 確かに、私にも経験があります。ある日、声を掛けられて〝エッ、どなたかしら?〟と思ったら私が習っている先生でした。マスクの顔しか知らなかったから…別人のように感じたんです。また、体操でよく出会う人ですが、とても目元のキレイな方。マスクを外した瞬間の印象が、エエッ!…とビックリ。概ね良い印象が悪くなることが多いんですよね。このように顔の印象って目元と口元でこんなに違うんだということがマスクを掛けるようになって初めて分りました。もちろんよく知っている人は同じですけど。

 以前の私は、どんなに忙しいときでも化粧なしで外出するなんて考えられませんでした。しかし、コロナでいやでもマスクをしなければならなくなった時、ファンデーションや口紅、頬紅などですぐに汚れてしまいます。だから最初の頃は眉墨とアイシャドーだけをつけていましたが、だんだんそれも面倒くさくなって…また、してもしなくても大差ない顔なんだしと、本当に全くのスッピン!(笑) 朝の洗顔と入浴時の洗顔、洗った後に付ける化粧品もとうとう全部止めてしまいました。本当に洗いっぱなし…でもそれで、顔が引きつるわけでもなし、ガサガサして荒れることもありませんでした。

 私は大体が乾燥肌だと思っていたのですが、基本的にはずぼらな性格なので、化粧品もオールインワンジェルのものを定期的に購入して使っていました。しかし、この2年以上何もしないのに顔はスベスベ、また皺が増えたわけでもなし、乾燥して荒れることもありません。

 長年使ってきたあの化粧品のコマーシャルは何だったんでしょう。全く宣伝に踊らされていたんですね。今これだけ情報網が発達していて、その情報が瞬時に全世界へと広がり、猫も杓子も…まるで〝踊る阿呆に見る阿呆!同じ阿呆なら踊らにゃソンソン!〟というがごとく…

 そういえば、私の母は化粧を全くしない人でした。しかし、畑仕事をしていたので日焼はしていましたが、肌はいつもすべすべしていましたよ。だから亡くなった99歳の時の死化粧が一番キレイな顔でした。外国製の高価な化粧品で磨いたからといっても、そのモデルさんや女優さんのようになれるわけでもないんですからね。

 私が30歳を過ぎた頃、血清肝炎が一旦落ち着いたもののその後慢性肝炎へ。その頃2人目の子を出産した後、顔の両頬に染みがべったりと貼り付いたようになり、鏡を見るのがイヤでイヤでたまりませんでした。だからその染みを消すためにあれがいいと聞けばそれを、いやこうすればキレイになると言われて高いものでもあれこれ買って、化粧もその染みを隠すための厚化粧になっていきました。だから俳句を始めてどこかへ泊まりがけで行かねばならないという時など、お風呂に入ってスッピンになるのが一番怖かったですね。この顔を見られたくないという…それで湯上がりにまた化粧などしたりして…とても苦労していたんですよ。

 ところが、また肝炎の再発、2度目のインターフェロンをしても今度は効かず。仕方がないので強力ミノファーゲンシーを毎日学校帰りに点滴していました。それをどのくらい続けたのでしょう。1年ぐらいかな…検査数値が余り変動しなくなったので、一応中止して様子を見ましょうということに。

 その点滴に含まれているビタミンCがお肌にいいとは聞いていましたが、気が付いてみるとあの恐ろしいような染みがいつの間にかキレイに消えていたんですよ。後で知ったのですが、あの染みは〝肝斑〟というもので、内臓からきているものだとか。だから顔にいくら美白水やクリームを塗っても取れるものではないんだと。油性のものをベタベタと塗って皮膚の新陳代謝を妨げてしまい、却ってよくないのだとも。

 それからは殆どオールインワンジェル1本でしたが、それさえも必要がなかったということです。ヘンな話ですが、これは今回のコロナのお陰だと言っていいのかも。

 特に日本人には、コマーシャルに扇動されてそれを鵜呑みにする、信じ込むという傾向が強いですよね。もちろん商社はそれを見越して、手を変え品を変えて宣伝しているのでしょう。その宣伝費は当然私たち購買者の品代に含まれているんですからね。

 このところ何もかも値上げしています。宣伝に踊らされないよう不要なものは買わずに賢く生きましょう。皆さまもどうぞ…。でも、そろそろキレイにお化粧でもして、大手を振ってマスクなしで出かけたいのも本音…かな。

 写真は、昨日の夕焼けの空。昨日も今日も快晴で気持の良い日でした。この夕焼けを見ると…やっぱり〝秋〟ですね。5時40分過ぎからの約5分間です。下の2枚はメタセコイアの並木がとてもキレイな所なんですよ。

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〝きらら俳句教室〟第7回目で~す!

2022年10月18日 | 俳句

 昨日は朝から曇り空で、でも最高気温は24度と。先週はラジオ体操に余り行かなかったので今週はマジメにと…行きました。でも、蒸し暑くってマスクが余計に煩わし!先頃「屋外では条件次第でマスクを外して過ごしても良い」という政府からの呼びかけがされていると思うのですが、こちらでは外す人を全く見かけません。やはり人の目を気にして…なんでしょうかね。私がついマスクなしで行ったりすると、何となくジロッという視線を感じてしまいますもの。自分ではそんなことなど気にしないで堂々と外して歩いてもと思いつつも、人と出会った時はすぐにマスクを取り出して掛けてしまいます。やはり永く生きてきたせいで、〝長いものには巻かれよ〟という根性が染みついてしまったのでしょうか。情けない!

 今日は昨日よりはちょっと寒くなるようですが、とってもいい天気です。でも私は午後からの予定がびっしり詰まっていて忙しい!お婆ちゃんの心配が減っても余裕は少しも生まれません。気が軽くなった分だけ今度は他の避けていたものが入り込んできて…心にすき間がないんでしょうね。でも、こういうのが私の人生なんですから走り続けるしかないんですよ。

 さて、10月15日(土)、恒例の〝きらら俳句教室〟第7回目がありました。今日の資料では、そろそろ公園にも鶫(つぐみ)や鶲(ひたき)などの小鳥たちが渡ってきているから観察出来るかもって。その中に鵯(ひよどり)もありました。この鳥は年中見かけるのですが、季語としては秋になっています。それについては、〝秋になると、北海道や東北の個体群が渡ってきて、10月がそのピークになる〟からでしょうというレンジャーのTさんからの説明でした。

 ついでに私からは、〝秋の季語に「小鳥」がありますが、初心者ではこれが季語とは知らずに季重ねで使うことが多いので注意しましょう。また、「子鳥」と書くと夏の季語になり、親鳥に対するもので巣立鳥などともいいますから、漢字にも気をつけて…〟などと補足説明を。

 雲が少しありましたが、この日も秋晴れの気持のよい1日でした。さあ、10時になりましたので、これから吟行です。

 今回は何か掘り出し物があるかしら?などと言いながら外へ。先ず目に留まったのが〝萩の花〟。今が真っ盛りで、うら枯れ始めた公園のそこここの道に色を添えていました。〈ぽろぽろと零れてすがる萩の花〉なんていう句も出ましたよ。

 更に行くと、今度は芒(すすき)があちらこちらに。これは誰もが見知っていますので、気にも留めずにそのまま通り過ぎようとするところを、レンジャーのTさんから、〝これが芒の花なんですよ〟と言われ、改めてしげしげと見てなるほどと感心。こんな微細なものには殆どの人が気が付かずに、芒の穂としてしか認識していないでしょうしね。これは今回の収穫です。だから〈公園中今が盛りの花すすき〉などという句も出ました。写真は、ちょっとピンぼけですが、穂にブラブラさがっている黄色いものが芒の花ですよ。

 また、藤袴(ふじばかま)が咲き始めていましたので、浅黄斑(あさぎまだら)もそろそろやって来る頃だ…とはレンジャーのTさんの話。しかし、残念ながらこの日は一匹も見かけませんでした。

 他に秋の季語としては木の実など。特に海桐の実、樫の実、椎の実などが公園にはたくさんあります。その中でも椎の実、ここではスダジイなんですが、色よく熟れてぽろぽろと落ちていましたので、一人が拾うと我も我もと…。それで今日の句の半分以上は季語が〝椎の実〟。(笑) だから今回の最高点句も〈団栗で張るポケットを一たたき〉でした。

 写真は、上から順に海桐(とべら)の実、楪(ゆずりは)の実、犬枇杷(いぬびわ)の実、ハマビワの花(これ初めて見ました!)、椎の実(マテバシイの実)。

 12時過ぎに無事終了。その後例の如く急いで我家へ帰って猫ちゃん達に餌をやり、すぐに宇部馬酔木句会へ。それが終ったら今度はお婆ちゃんちへ行って夕飯の支度。ああ、この日も疲れました。

 では、今後は余りサボらないようにガンバリますから……また、よろしく!

 

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2週間以上も…ご無沙汰してました!

2022年10月16日 | 俳句

 何と何と、前回のブログを見ると日付が先月の29日。ということはずっと更新しないままで16日が過ぎてしまったんだ。ウワッ!こんなに更新しなかったことは今まで一度もなかったのに…。このままではみんなから忘れられそう!そろそろ何とかガンバラナクッチャ!

 実は義母の体調が良くなくてご飯が食べられないという…そんな日が何日も続くと、私もどうしたらいいのか、あれこれ考えて少しでも食べて貰おうと…苦心したんですよ。でもこればかりは…本人が食べたくないという物を無理矢理口に押し込むわけにもいきませんし、でもそうすると体力がみるみるなくなっていって…。高齢者はこれがコワイんです。だから口にヤサシイものや母の好物などを、でも少しでも栄養のあるものでないとなんて…、そんなことを考えるだけで頭がいっぱい!でした。しかし、俳句関係のことはサボるわけにはいかず…というわけで、ブログが後回しになって、そのうち書く時間も取れなくなってしまいました。また、お婆ちゃんの元気のない姿を見るたびに私まで気持ちが萎えてしまい、何にしてもやる気が出なくなり…ただひたすら最低限のことをこなす日々でした。

 今回つくづくと私はお婆ちゃんに元気を貰っていたんだなあと思い知らされました。確かにお世話をするということは肉体的には疲れます。が、反面相手の元気な笑顔を見ることでこちらも生かされていたんだと…。

 最近やっと以前の義母のようになり、食欲も出て来て美味しいと言って完食してくれますし、そうすると人間ってやる気も出て来るんですね。悪いときはベットに寝てばかりでしたが、今は台所へ来て何かと手伝ってもくれるようになりました。普通の人なら100歳を越えた人に何かやらせるなんて…と思うかも知れませんね。でも、やる気さえあれば何歳であっても何でもやって貰った方がいいと私は思うんです。それが元気の秘訣ですもの。

 特に高齢者には自分の口で食べることがどんなに大切なことかということを、今回も実感。それも歯ごたえのあるものを自分で噛んで味わうことが…。以前入院していたときは殆どが流動食でした。それでどんどんと生気を失っていった義母、一週間ぶりに顔を見たときは本当に100歳相応の老人に見えてビックリしましたもの。これが例えば胃瘻とかになって、栄養は取れても自分の口で味わうことが無くなれば、確かに命は繋がるでしょうが、人間としての機能がどんどん失われてゆくような気がします。自分の舌で味わって〝美味しい!〟という感覚が脳に伝わり、その刺激で脳も活性化する…そうすると他の分野にも波及していっていろんな機能が相互的に目を覚ます。そして、活発な指令が脳から出るようになる…なんて、脳科学者のような難しいことは分りませんが、でも毎日お婆ちゃんを見ていると、〝噛む〟という動作がどんなに必要なことかということがよく分ります。元気なときのお婆ちゃんは実年齢より10歳、いや15歳は若い!やる気が顔にまで出るからなのでしょう。本当に若く見えますよ。食べずに何もする気の無かったときの顔とは雲泥の差です。

 一週間以上も37度から38度の熱が続いて、解熱剤を飲んでも余り効かず、掛かりつけの病院で診て貰っても何でそうなったのかハッキリした原因が分らないままでした。が、入院まではしたくないと。でもやっと平熱になり、そうすると少しずつ食べられるようになって、そうなったら今度は起きて何かをしようというやる気も出てくるんです。そして、お喋りも弾むようになります。

 まあ、高齢ということは本当にちょっとしたことで容態が急変することがありますので、気が抜けない日々だったんですよ。でも、昨日私が〝お婆ちゃんこれ飲んだら体にいいって…〟と言うと、〝生き過ぎたと思うちょる人間にもうこれ以上長生きをすすめんといてよね!〟なんて…、冗談まで出るようになりましたから、一安心。

 もちろんブログは何度か描きかけたんですよ。でも、途中で消えてしまったり、急な用事が発生して疲れ果てて家に帰るともう眠くってPCの画面が見えなくなったり、おまけにPCまでトラブルを起こしてしまって…!そんな繰り返しの日々でした。

 ブログを読んで下さっている方が、更新がないのを心配して下さっていればと思い…弁解がましいことを書いてしまいました。どうかお許し下さいませ。

 さて、10月に入ってからも俳句は相変わらずですので、5日には恒例の吟行会で美祢市の弁天池へ行きました。私が参加しなければ中止するしかないので、その時は主人が欠席して、お婆ちゃんの面倒を看ると。主人は久し振りの〝にじます定食〟を楽しみにしていたんですけど、そりゃあお婆ちゃんの方が大事ですものね。

 今回は詳しい説明は抜きにして、写真のみでお楽しみ下さい。

 透き通ったブルーの水が不思議なほどの美しさを見せる湧き水「別府弁天池」。この湧水は摂氏14度の透明度の高い水で、環境庁より昭和60年7月20日、日本名水百選に選定され、灌漑や養鱒にも利用されています。併設されている美祢市養鱒場釣り堀では、にじます釣りを楽しむことができます。
また、ここは別府厳島神社の境内でもあり、その昔、辺りを開墾したものの水不足に悩む長者が、夢のお告げ通りに弁財天を勧請すると水が湧きだしたという伝説があり、毎年秋にはこの神与の水に感謝の気持ちをこめ、念仏踊りが奉納されています。

 実はこの日も前日は大雨で、みんな心配していたんだそうですが、ご覧の通りの吟行日和。おまけに弁天池に着くと急に秋時雨が…それに日が差してきて…そうです、日照雨(そばえ)が降ったんです。俳句にとってはアリガタ~イ天からの贈り物で、句材にはことかかない1日でした。養鱒場のにじますを使った生きのいい〝にじます定食〟も美味しかったですね。コロナになってから行かなくなり…ホント、久し振りでしたから余計に!

 写真は、撮るのを忘れて…食べてから気が付きましたので、お借りしました。ゴメンナサイ!にじます定食は1,500円(昔は1,000円、その次は1,200円だったけど…)で、にじますの塩焼きやフライ、せごしが付いています。別途パック代を払えばお持ち帰りもできるんですって。早く気が付けば主人に持って帰ってあげたのに…残念!後の祭りでした。

ニジマス定食

 それで昨日15日の土曜日は〝きらら俳句教室〟の第7回目でした。これはまたこの次にでもご報告しますね。

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