ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝頭位めまい症〟という病気、知ってましたか?

2024年12月29日 | 俳句

 先日来のめまいについて、いろいろご心配やご助言をいただき、ありがとうございました。その後もう一度病院へも行き、血圧の薬も飲んで様子を見ていましたが、最終的には耳鼻科で「頭位めまい症」という診断。これは良性のものなのであまり心配しなくてもよいということでした。

 この「頭位めまい症」という病名、私は初めて聞いたんですが、皆さんはご存じでしたか?私は長いこと慢性中耳炎で、風邪をひいたり具合が悪くなったりするとすぐに耳に来ます。今まではてっきりメヌエール病からのめまいとばかり思っていましたから、そんな病気があることにびっくりです。

 実は先日弟からの話…、今月初め自転車に乗っていて接触事故に遭い頭を打ったので、脳外科で色々調べてもらったところ、どこも異常はなかった。ところがそれからめまいや吐き気、頭重などひどくて、また診てもらったところ、この病名を告げられたのだということ。聞けば私の症状と全く同じで…でも、私には頭を打ったという覚えはないんですけどね。

 そこで詳しく調べてみると、原因はいろいろあって、結局は耳石が動くことによって起こるのだとか。ほとんど良性の場合が多くて、石が動かなくなったら自然に良くなる、それも2,3週間から1ヶ月くらいでと。弟はその通りに何も治療しなかったが、今はもうよくなったそうです。

 病名が分かってホッとしました。血圧が高くなったのとこのめまいの関係は分からないが、私の場合はたまたま同時に起こったからで、どちらかが引き金になったとかは分からないということでした。

 そこで、もし私のような症状が出た人の参考にでもなればと、調べたことを書いておきましょう。

 概要 良性発作性頭位めまい症(BPPV)とは、特定の頭位をとることによってめまいが誘発される病気のことを指します。このめまいは長時間続くことはなく、多くは1分以内、長くても数分で完全におさまります。また、聞こえの悪化や耳鳴りといった症状が起こることもありません。この良性発作性頭位めまい症は、めまいが起こる原因としてもっとも多いといわれています。

 原因 平衡感覚に重要な役割を果たしているのが、内耳に存在する“半規管”と“耳石器”と呼ばれる器官。耳石は耳の奥にある重力を感知する前庭(耳石器)という場所にあって、小さな砂粒のようなカルシュウム結晶です。この耳石が外傷など何らかの理由で剥がれ落ち、それが半規管に入り込み動くことで、半規管を刺激してめまいが起きます。耳石がこぼれる明確な原因は不明ですが、更年期以後の女性に多いことから、加齢や女性ホルモンの低下により耳石がはがれやすくなると考えられています。また、外傷や長期の寝たきりも発症の原因となります。

 症状 良性発作性頭位めまい症では、特定の頭位を取ることで、めまいが誘発されます。たとえば、起床時にくらくらする、寝返りを打ったときにめまいが生じる、洗濯物を干すために頭を上げるとめまいがするなどです。このめまいは長時間続くことはなく、多くは1分以内、長くても数分で完全におさまります。また、吐き気を伴うことも少なくありません。難聴や耳鳴りなどを伴わないことが、メニエール病などほかの内耳疾患と異なります。また、発熱、手足の麻痺、感覚障害、視力低下、意識障害を伴うこともありません。

 治療 良性発作性頭位めまい症は自然軽快することも多いですが、耳石置換法(めまい体操)という理学療法が有効です。耳石置換法は半規管のどの部位が原因になっているかを確認し、半規管に入った耳石を半規管の外に導きだし、元の耳石器に戻し治癒させる方法です。耳石置換法を行うと治癒が早まります。また、吐き気などの症状が強いときには症状緩和を目的として抗めまい薬、制吐剤などの薬物治療を行います。ほかにも、半規管遮断術という術式があります。ただし、実際に適応になる方は少なく、1年以上再発を繰り返している、ずっと眼振が止まらないなど日常生活に強い支障をきたしている場合などに検討します。

 というわけで、私も薬は飲まなくていいから耳石置換法の体操をするようにと、指導されました。これはやればやるほど早く良くなるから、めまいがしても恐れずに朝夕しっかりとやりなさいと。そのお陰か、または精神的に安定したからか…徐々に収まってきて、これで何とか年を越せそう。やれ、やれです。

 このところこちらはとても気温の低い日が続き、天気も雨が降ったりどんよりとした曇りばかりでスカッとした晴天がありませんが、皆様どうぞ体調を整えられて新しい年を元気にお迎えくださいませね。

 写真の1枚目は26日の朝、2枚目が27日、3枚目は25日で、このような青空だと寒くても気持ちがいいんですけどね。今日も1枚目と同じで、大掃除でもしたいのに…その気になりません。イヤになります。

 先日の句会に〝猫団子〟という表現が出ていましたが、まさにこの猫ちゃんたち、団子になっていましたね。よく見ると、母猫の周りに子猫がかたまっていて…近づくと団子がほぐれていき、結局子猫が5匹もいたんですよ。それもみんな同じキジ柄で…。最初の写真見て、何匹いるか分かりますか?

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このめまいの原因は何?

2024年12月25日 | 俳句

 昨日の俳句教室が今年最後の行事でした。今まではこの後、俳誌「馬醉木」の「あしかび抄」の選評を書いて、すべてが終了していたのですが、この投句欄が今年度の12月号をもって閉じられました。なぜかというと、この欄は50歳未満だけが投句できるという若手育成欄なんです。ところがこのご時世、投句し始める若手はいないし、今いる人たちも50歳を超えてどんどん減ってしまったんです。

 このブログもこの欄を担当してから始めたもので、そのお陰で『目からウロコ』というエッセイ集も出版できました。丸8年間、私なりに一生懸命頑張ってきたつもりなんですが、なんせ相手のいること、残念ながら私一人の力ではどうしようもありませんでした。というわけで少しは暇になるのかなと思ったんですが…今度はこちらがくたびれていてやっぱりダメなんですね。

 では、昨日の話の続きをしますね。実は先週よりめまいと吐き気がして、耳鼻科へ行き薬を処方してもらい飲んでいました。ところが、少し良くなったかと思ったら、この日曜日にまたひどいめまいがして何もできなくなってしまいました。今度は吐き気だけでなく頭まで重苦しくて…起きていても寝ていても気分が悪い!年末だというのにこれでは何もできないと、もう一度耳鼻科へ行きました。

 そこで血圧を測ってみると、なんと180以上も…下も100以上です。びっくりして看護師さんが2,3回測りなおしてくれたんですが、同じ…。耳鼻科の先生はもう一度あれこれ調べてくださり、これはメヌエールではないから、すぐにかかりつけの内科へ行って相談しなさいと。

 こんな状態でしたから車の運転もやめて、主人に送ってもらっていましたので、すぐ電話して来てもらい、今度は内科へ。すると内科では更に190まで上がっていて…。今まではどんなに高くなっても160台で、このような数値が出たのは初めてです。しかし、内科の先生が仰るには、このめまいや吐き気,頭痛は血圧のせいではない。このめまいなどが原因で血圧が高くなったのだろうから、やっぱり耳のせいだと譲りません。だって、先月の血圧はそんなに高くなかったじゃないかと言われて…。

 さて、どちらが正しいのか私にはさっぱり分かりませんが、とにかくどうしたらいいのかと困ってしまいました。今年は年末年始の休診が長いので、このまま放置しているというのは不安でたまりませんし、それでは何もできませんものね。

 そこで、仕方なく内科の先生が降圧剤を処方してくださり、それを飲んで様子を見ようということに。もし、血圧が下がってもめまいがすれば、それはやはり耳鼻科か、さもなくば脳神経科かもしれないから、そうなったら紹介状を書いてあげるからということになりました。

 歯科も治療を中断してもらっていたのですが、年内にもう一度来てほしいということで、昨日の俳句教室の帰りに寄って治療してもらいました。

 それで月曜日の夜から血圧を測り記録しています。最初こそ高かったものの、次の日からは朝晩とも120台で下が70から80台と、正常になりました。でも、まだめまいと頭重は残っているし、気分はよくありません。ということは内科の先生が言うように血圧のせいではなかったということでしょうか。私はこの休みの間に何かあったらと不安が募るだけです。

 せっかく冬至南瓜や小豆を食べて厄を払い、心機一転して「一陽来復」を願ったのですが、ダメだったということなんでしょう。悔しい!これはまだまだ私の精進が足りないよという神様のお告げなのかも…。

 考えてみれば、今年は能登の地震から始まって、他人事とは思えなかったし、自分自身にも考えられないようなことがあって人間不信に陥りました。その後もコロナに罹って酷い後遺症に悩まされましたし、親しくしていた人たちが次々と去っていきました。もちろん少しはいいことや楽しいことはありましたけど、プラスマイナスするとやはり負の方が多かったですね。

 どうぞ来年はプラスの方が多くなりますように…心から祈りましょう。

 昨夜はクリスマスイブ、今日がクリスマスです。いつも体操に行くとき教会の窓にこんなクリスマスツリーが…。なかなかいいアイデアだと思いませんか。場所も取らないし、片付けも簡単だし…。できればこの真ん中に茶色の幹を貼りつけると完全なのにね。また、日曜日にはサンタクロースの衣装でバイクに乗りツーリングしている集団に出会って…ああ、写真撮りたかったのに…あっという間に走り去って撮れませんでした。残念!

 また、昨夜は息子が出かけましたので、主人と二人でシャンパンならぬ大吟醸とケンタッキーのフライドチキンでクリスマスを祝いました。お婆ちゃんがいたときは、息子や娘夫婦も来て、毎年一緒にクリスマスの牡蠣パーティーをしていたっけ。ついこの前なのに…懐かしい!でも〈クリスマスとは静けさの中にこそ〉と詠んだのは稲畑汀氏でしたが、今年はまさにこの通り。静かな夜を…すきっ腹で飲みましたので酔いがよく回り、いやなことなど何もかも忘れてあっという間にダウンです。これもたまにはいいですよね。

 できれば来年は、この句のように〈結局は何も起らず寝正月 稲畑廣太郎〉という新年だといいのですがね。では、また…

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いまさら冬至のこと?でも聞いてください!

2024年12月24日 | 俳句

 12月21日は「冬至」でしたね。一年で最も昼が短いので、古代中国ではこの日から陽気が復するとして「一陽来復」とよび、宮中でも民間でも正月と同じくらい盛大な行事を行ったようです。その習慣が今でも残っていて、「冬至粥」や「冬至南瓜」を食べたり、柚子を浮かべて「冬至風呂」に入ったりするのです。

  一陽来復雑木林に射す薄日        棚山波朗

 なぜそのような習慣があるのかというと、この日は夜の暗闇が長いから運気が下がり、人の魂も弱まると考えられていました。そのためこの冬至を境に、これからは陽も長くなり、明るく良い方向へ向かっていきたいという願いを込めたのです。

 ゆず湯には血行促進効果があり、身体を温めて免疫力アップにつながりますから、それに入ると風邪を引かないといわれ、この習慣は、江戸時代ごろの銭湯から始まったようです。ゆずの皮にはビタミンCが豊富に含まれ美肌効果も、更に爽やかな香りでリラックス効果もあり、ストレス解消にも役立つという、一石二鳥どころか三鳥も四鳥もと…、とってもいいものなんですよね。

  柚子風呂に浸す五体の蝶番(てふつがひ)  川崎展宏

 また、かぼちゃは緑黄色野菜の一種で栄養価が高く、豊富に含まれているβーカロテンは、体内でビタミンAとしてはたらき、粘膜や皮膚の細胞を強くしてくれます。ビタミンEやビタミンCも多くて、高い抗酸化作用により免疫力を高め、食物繊維が豊富なので腸内環境も整えてくれます。

  ひときれの冬至南瓜に恙(つつが)あらじ  上村占魚     

 このように冬場の貴重な栄養源としてはもちろん、風邪を引きやすくなる季節に、免疫力を高める栄養たっぷりのかぼちゃを食べて柚子湯に入るということは、とっても理にかなったものなんですよね。昔はここまで詳しく理解されていたのかどうかは分かりませんけど、先人の知恵というのにはいつでも感心させられます。このような素晴らしい風習はぜひ残していきたいものですね。

 ところで、我が家ではこの日は小豆に南瓜と餅を入れて、粥ならぬぜんざいを作って食べました。だって、小豆の赤い色は魔除けの象徴とされ、古来から邪気払いに使われてきました。 それで昔から冬至に小豆粥を食べることで、厄を払い健康を祈るという意味が込められていたんですからね。

 考えてみると、今年私は本当にいいことがありませんでしたから、せめて冬至に南瓜と小豆を食べて厄払いをしたいと思ったんですよ。だというのに…最後の最後までよくないというのは一体どうしたことでしょう。

 実は、このところ病院通いばかりで、昨日も病院のはしごでした。内科と整形外科の通院はいつものこと、3か月に1回の医大への検査もですが、先月からは歯科治療も始まったんです。それが、更に先週からめまいと吐き気がして、今度は耳鼻科へ。耳は子供のころからの持病でしたから、てっきりメヌエール病がまた出たのかと…この続きはちょっと長くなりますので、また後で書きますからね。よろしく!今から俳句教室へ行ってきます。

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もう門松が立ちましたよ!

2024年12月13日 | 俳句

 今朝起きたら外が濡れていました。夜中に雨が降ったようで…全く気付かずに熟睡してたんですね。この頃は、イヤいつもですがよく眠れます。ただ、朝5時過ぎ頃になるとトイレへ行きたくなって目が覚めるんですが、まだ外は真っ暗だし寒いので、また布団に潜り込んでとろとろと…この時の気持の良いこと。でも時間が短いからか、良く夢を見るんですね。

 とてもイヤな夢だったり、時には懐かしい若い頃の夢だったり…意外に見ないのが父や母の夢。時には夢でいいから会いたいと思うのに…。ということは今はそんなに不幸ではないと言うことでしょうかね。病気などで辛くて泣きたくなるような時にはよく母の夢を見たりしていましたから。きっと母が心配して励ましに来てくれていたのでしょう。

 一昨日の朝ラジオ体操に行くと、ふれあいセンターの前に「門松」が飾られていました。今年も残すところ20日ほどになって、いよいよ新年に向けてのカウントダウンが始まったんですね。

  この「門松」は、新年を祝って戸口や門前に立てる松のことで、これはもう正月になった証ですので、新年の季語になります。門松を立てたり、飾ったりする時はまだ年内ですので、「門松立つ」とか「松飾る」とかいって、冬の季語になるんですよ。

  独り寝やはや門松も夜の雨     小林一茶

  門松の立ち初めしより夜の雨    小林一茶

 どちらも一茶の句でよく似ていますが、前句はすでに新年になった門松。後句が「門松立つ」というまだ年が明ける前にできたばかりの門松で、冬の季語になります。これらの句のように、このところこちらでも昼間は晴れていたかと思うと夕方や夜から雨になったりする日が多いんですよね。

 それはそうと一茶の時代はどんな気候だったのかしら。当然今のような地球温暖化などは夢にも考えられなかった時代でしょうからね。ちょっと興味が湧いて調べてみると、江戸時代は全体的に寒くて、今より気温は5度から7度ぐらいは低かったようですよ。暖房器具だって当時は火鉢や行火などで、田舎になると囲炉裏とかもあったでしょうが。でも昔の家は隙間だらけで…寒かったんでしょうから、目張りをしたりとか…何もかも懐かしいものばかり。こういう消えていくようなものは、せめて季語としてでも是非残していきたいものです。

 ところで、年末の季語にはたくさんあります。「十二月」「師走」「極月」などは一ヶ月間いつでも使えますが、中に「数へ日」というのがあります。さてこれはいつ頃からを言うのでしょうか。子供の頃の唱歌で〝もういくつ寝るとお正月…〟と、みんなでよく歌ったのも懐かしい想い出です。

  数へ日の数へるほどもなくなりぬ   鷹羽狩行

 この句などは〈数へるほどもなくなりぬ〉といっていますから「三十日」か「大晦日」ぐらいになってのことでしょう。しかし私が思うには、普通1週間を切った頃、即ち子どもたちが冬休みに入る頃からを「数へ日」というような気がするんですが、皆さんはどう思われますか。〈数へ日や昼の木立に子の遊び 岡本眸〉のような句は、やはり冬休みに入ってからの描写でしょうからね。

 このように年末から新年にかけての季語はたくさんあります。皆さんもこういう忙しい時こそ、一句詠んで気分転換されませんか。またお正月になったら新しい気分なども詠んだりして…楽しいですよ。

 では、また…

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今年最後の吟行会は鋳銭司(すぜんじ)でした!

2024年12月09日 | 俳句

 では今日は一日遅れですけど、お約束しました通り12月の月例吟行会の報告をしますね。

 12月6日の金曜日、先ず最初の吟行地は山口市鋳銭司にある両足(りょうそく)寺です。ここは臨済宗の寺で、秋には紅葉が美しく、春には〝五色八重散り椿〟の大きな木がありますので、私は何度か来たことがあります。しかし、初めての人が多くて、こんな所にこんな寺があるなんてと感激していました。

 本来はもう少し早くに紅葉するのですが、今年は異常気象で、見ごろが遅くなっていました。今月の幹事・N子さんが、先週下見に来た時はまだ緑の葉が残っていたけど、今週はきっと最高ですよと言っていましたが、本当にその通り。京都の紅葉に負けぬ見事な紅葉でした。おまけに石蕗や杜鵑の花などもしっかりと咲き残っていて、それはそれは美しい!目を奪われるような〝錦織りなす〟というのはまさにこの紅葉のことかも。

 ではしばしこれらの写真で目の保養をして下さいね。少々ボケ写真もありますが、ご容赦を…

 この寺の近くに千体仏の地蔵堂があるというので、次はそれを見学に。見てビックリ!何と小さな仏様がびっしりと…後からパンフレットを見ると、10センチほどの木彫の地蔵が千体並んでいるのだと。かつては彩色されていたというのが微かに見えて、中世の頃の俤を残しています。

 この鋳銭司というのは、飛鳥・奈良・平安時代に、国家の銭貨を造っていた役所で、ここ周防には平安時代の天長2年(825)から約200年間鋳銭司が置かれ、銭貨を鋳造していました。この遺跡から鋳銭に使用した道具などが多く出土し、工場跡もはっきりわかるので、国指定の史跡となっています。それらは鋳銭司郷土館へ行けば見られますが、今日は時間がなく見学はせず、大村益次郎の墓所と大村神社を見るだけにしました。

 明治維新の功労者の一人、大村益次郎は、文政8年(1825)にこの鋳銭司の地に生れ、洋学・医学を学び、兵学をもって長州藩に仕えました。四境戦争や戊辰の戦いには参謀として参加し、明治新政府樹立のために尽しましたが、明治2年(1869)9月、京都で旧思想の武士達に斬られて重傷を負い、それがもとで11月5日に死去しました。益次郎の横には、妻のお琴さんのお墓が同じように並んでありました。

 嘗てはこの墓の裏に大村神社が建っていたとか。回りには黄葉した大きな木が何本もあって、アメリカ楓かと思ったのですが、グーグルレンズで調べてみると、〝ユリノキ〟だと。こんなにたくさんあるのなら、今度花の咲く頃にもう一度来て、本当か確かめてみたいもの。

 この林の中の大本に、〝ムササビ〟の穴?のような洞のある幹があり、皆に教えるとこれが格好の句材になりましたよ。もし違っていても、そう思って見れば…(笑)句は詠めますからね。

 最後に行った大村神社は、大村益次郎が祭神で、最初明治5年(1872)にお墓の傍に建てられましたが、昭和21年(1946)にこちらに移ったようです。

 この後昼食を済ませて、鋳銭司地域交流センターの部屋をお借りし、句会。無事に17時までに終って、宇部まで帰りました。ちなみにこの辺りは大村益次郎の生家があったところで、そのため鋳銭司地域交流センターの前庭には大村益次郎の銅像が建っています。帰り際に撮ろうとしたのですが暗すぎてダメでしたので、この写真はお借りしました。スミマセン!

 地球儀の傍らに立ち、手には「蘭語通 ABCD」と言うタイトルの本を持って蘭学の講義をする益次郎さんの像です。これを見て、これは等身大なのかしら? だとすると五頭身?などと、みんなでワイワイガヤガヤと…はい、これでオシマイ!どなた様もお疲れ様でした。

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昨日は月例吟行会…アレッ、先月の吟行会の報告は?

2024年12月07日 | 俳句

 今朝起きて…〝中山美穂さん急逝!〟のニュースを見てビックリ。エエッ、そんな年齢だったっけ?まだ若かったはずじゃと思って見るとやはり54歳、…これは若すぎますよね。そんなに病気だったという情報も流れていなかったから、まさか…と、韓国でよく芸能人が自殺するという話と一瞬重なったんですが、そんな様子は全くなく浴槽で倒れていて発見されたんだとか。

 前の夜も遅くまで仕事の打ち合わせをしていたというから、その後好きなお酒でも飲んで夜中か早朝かに入浴したのでしょう。すぐに3年前に亡くなった義弟のことが浮かびました。あの時も義弟はお酒を飲んだ後で気持ちよさそうに入浴していたんです。しかし、検死の結果水は飲んでいなかったということで入浴中の心臓マヒだろうということになりました。でも美穂さんは溺死だという情報が流れているということは…かなり酔っていてついウトウトと風呂の中で眠ってしまったのではと…そういうことも考えられるかも。また心臓が悪くなくても心筋梗塞はありえます。義弟だってそれまで一度も心臓が悪いと医者に言われたことはなかったんですものね。

 ありきたりですけど、私にはただ美穂さんのご冥福をお祈りすることしかできません。安らかにお眠り下さい。   合掌

 とにかくこのところ、エエッと驚かされるニュースが多すぎます。その度に私の心臓がドキドキして…心臓の悪い私の身体にはよくないですよ。このところ血圧も高めだし、何をするのもシンドイんですもの。ああ、気持が暗くなります。何か気持が上向くような出来事やニュースはないのかしら…

 ところで、この前からブログを頑張って書きますから読んで下さいねなんて言っておいて、10月は2回、11月は3回のUpでした。ナントも不甲斐ない!申し訳ありません。では、今日は、昨日行った月例吟行会の美しい写真がたくさんありますので、それでもUpして、せめて気分だけでも明るくしましょうか。しかし、考えたら先月の報告もまだしないままでしたよね。ゴメンナサイ!では、先ずそれを簡単に仕上げて…。

 11月1日の金曜日、山陽小野田市の本山岬~きららビーチ焼野海岸・竜王山へ。このところめったになかった小雨の中での吟行会だったんですよ。

 本山岬公園は、周防灘に突き出るように海に面して、自然の作りだした奇岩、特に〝くぐり岩〟が有名です。この日は満潮でその岩へは行けませんでしたが、代わりに大陸へ帰る秋燕でしょう、次から次と岬の上空に集結してきて、空を旋回する姿が見られましたからよかったです。

 浜辺には今年の暑さで、〝ハマゴウ〟や〝ハマエンドウ〟などの夏の花がまだ少し咲き残っていました。もうすぐ立冬だというのに…。

 また、岬にある神社の境内の藤袴にはアサギマダラが何頭か来ていて、初めて見たという人はとても感激していました。写真を撮ろうとすると、じっとしていなくてなかなかいいのが撮れなかったのですが、この一枚はまあまあかしら。

 次に行った〝きららビーチ〟は、「日本の夕日百選」にも認定されていて、お天気がいいと瀬戸内海に沈む美しい夕日が眺められるところ。この日は周防灘も雨で煙っていて、ビーチの尖端にある日時計も全く役に立たずに辛そう…。でもたまにはこんな海岸を歩いて、一句詠むのも一興かなと思いますけどね。

 その後、竜王山の登り口にアサギマダラの好きなヒヨドリバナの群生地があるというのでそこへ…でもここまで来ると急に雨脚が強くなり、残念ながら全く発見できませんでした。その代りノラ猫ちゃんが雨宿りをしていて、それが結構いい句材になってくれました。最後の花はヨメナかな?俳句では普通野菊と詠んだりしてますけどね。

 さて、〝簡単に…〟などと言いながら、ここまで書いたらまた長くなってしまいました。スミマセン!写真などまだまだあるんですが、一応ここで終りにして…。昨日の吟行会の報告は明日に廻します。今度は絶対書きますので、よろしく。

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