ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝金柑の花〟は今頃咲くの?

2020年09月30日 | 俳句

 とうとう9月は今日で終り。天気予報では朝のうちちょっと雨が降るようなことをいっていましたが、全くそんな気配はなく、しっかりと晴れていました。

 やっと月末締め切りの原稿も書き終えて、印刷所へ送りましたので、後は校正だけ…ホッとです。それで今日はNHKの朝ドラや大河ドラマの溜まったのを見て、少しリラックスして…。午後はリハビリへ行きました。

 去年のブログが届いていましたので、見てみますと、タイトルは「〝九月尽〟とは?」でした。だからここでは書くのをやめましょう。しかし、去年は10月1日から消費税が10%に値上げされるというので、JRの切符やガソリンなどをこの日に買っとかなくちゃと買いに行っていましたね。これは値上げに対するささやかな市民の抵抗です。もし興味があれば読んでみて下さい。

とうとう9月も最後になってしまいましたね。今日の午前中は日が差していて、これは洗濯日和かなと洗濯物を干したのですが、午後からはだんだん空模様が怪しくなり…う~ん、どうしようかと迷いましたが、そのままでリハビリへ。 もちろんその前に宇部新川駅へ切符を買いに行きました。新山口~新大阪の切符(乗車券・特急券)が......
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 先日の俳句教室を終えて外へ出ると、いい香りが幽かに…。どこからだろうと見ると、金木犀の花がたった一輪ほど。これでこんなに香るんですから、花がびっしり着いていたらこりゃあたまりませんね。

 ところが、今年は本当にわずかしか花が着いていないんですよ。これはきっと先日の台風のせいなんでしょう。我が家の金木犀も全く花がありませんもの。

 なのに…家に帰ると、ウ~ン、どこからか良い匂いがするんです。これは何?…その出所を探してみると、ナント〝金柑の花〟が咲いていたんですよ。エエッ、金柑は今頃咲くのかしら? 我が家には八朔と甘夏がありますので、その花が咲く5月頃に一緒に咲くものとばかり思っていました。

 歳時記を見ると、「金柑の花」は夏の季語。その説明を読んでみますと、〝ミカン科の常緑低木。中国原産。細い枝が密生し、白い五弁の小花をつける。細い花弁が反り返って咲くが、目立つ花ではない。七月と九、一〇月頃の二、三回花を開くが、季語としては夏とする〟ですって。全く知りませんでした。だから今二、三度目かの花が咲いているんですね。余りにも小さくて今まで気がつきませんでした。

 そういえば金柑の実は冬の始めぐらいから生りはじめ、7月頃までありますので、我が家の金柑は一年の半分は実の生る変種なんだわなんて…いい加減なことを思っていたんですよ。ナントも無知なこと!

 ところで、「蜜柑の花」の例句はたくさんありますが、「金柑の花」の例句は一つもなくて、秋の季語として「金柑」の実の例句がありました。でも、余りいいと思う句は…ね。

  一本の塀のきんかん数しらず        阿波野青畝

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〝蟷螂の斧〟を知ってますか?

2020年09月28日 | 俳句

 何だかあっと言う間に朝夕が涼しくなりすぎて、さて今日は何を着ましょうかと迷ってしまうようなこの頃。しかし、昼近くになるとやはりちょっと暑くなって、一枚脱いでと…今日もそんな日でした。最高気温が25~26度、これが平年並みの気候なんですよね。

 今日は午後から今月最後の俳句教室でした。兼題は〝蟷螂(かまきり)〟、もちろん秋の季語です。まあ、みなさん、この兼題は作りやすかったのか殆どそればっかりで、他の季語で詠まれたのはごくわずかでした。

 しかし、この季語は特徴がはっきりしているため詠み方をしっかり考えないと、みな似たり寄ったりになって、類想句ばかりになりますので気をつけましょう。暗に洩れずこの句会でも出ましたね。蟷螂と言えば〝鎌〟ですから、それを構えて威嚇するというような句…。〝蟷螂というのはそういうものでしょう。それを説明しても、みんな知っていることだし…〟というと、皆さん、うう~んと、ことばがありません。

 その中に蟷螂と目があったという発想の句がありましたね。蟷螂の習性は動くものを見つけるとすぐに鎌を振り上げて身構えます。相手が大きなものでも立ち向かおうとするので、昔から用いられた〝蟷螂の斧(とうろうのおの)〟ということわざがあります。〝力のない者が、自分の力量もかえりみずに強敵に立ち向かう〟ということのたとえですよ。

 名前の由来は、「鎌切」という表記があることからわかるように、「鎌で切る」から「鎌切り」となったという説と、「カマキリ」は、「鎌を持つキリギリス」の意味で、この「キリ」はヤブキリ、クサキリ、ササキリなどのキリギリスの仲間の名にふくまれる「キリ」と同じであるという説とがあるそうです。

 他に、左右の鎌を合わせる姿から祈り虫ともいわれ、それでいぼを擦るとそのいぼが取れるということから「いぼむしり」ともいわれています。また、交尾が終わると雌が雄を食い殺すという奇怪な習性を持っていますので、昔から俳人には好まれた句材だったみたい。

  かりかりと蟷螂蜂の皃(かお)を食(は)        山口誓子

 この句は高校の教科書に出てくる有名な句ですので、ご存じの方が多いでしょう。私も教えた事がありますが、まだ俳句を始めていないときですから、どんな風に教えたんでしょうか。今思えばきっと恥ずかしいようなことを言っていたのかも知れませんね。でも誰も覚えていないでしょうから…まあ、いいか…アハッ

 誓子が俳句の素材の拡大とともに即物非情・知的構成と言われる作風を確立してゆく中での代表作ですから、多くの人に鑑賞され分析もされているでしょう。だから今更何もいうことはありませんが…。

 ただこの句に描かれている世界は、生物界の根源である〝食べる〟ということ、即ちそれは〝生きる〟ということ。弱肉強食の世界です。人間もその一環で、例外ではないのです。しかし、人は今では何でも食うのが当り前になっていますので、食われることがあるということを考えたこともないかも知れませんね。でも、ほら今人類は目に見えないウイルスの攻撃を受けて…。ウイルスにとっては私たちが食われる立場なんですよ。だからコワイんです!

 あっ、また話がそれました。誓子の句に戻りましょう。この句の特色の上五〈かりかりと〉という擬音語は、蟷螂が蜂を食べている音。蟷螂は肉食で生きたものしか食べないし、顎が丈夫で囓って食べるという。だから蜂は生きたまま顔から囓られているのです。考えて見ればナント残酷なこと。それを知れば、この「カ」音の繰返しと、更に「カマキリ」「カオ」という頭韻の働きが、冷酷な乾いた音として読む人の心に非情に響いてくるのだと思います。

 なんの説明もせず、ただ描写する…蟷螂の生き様を写し出すという、即ち写生だということ。これが、誓子が創刊主宰した「天狼」の「生命の根源を掴む俳句」を詠むという合言葉になったのです。

 私たちの結社が目指している俳句も「生の証」を詠むことです。また、どこの結社であろうとも人間が詠む以上俳句は、根本的にはみな同じところに行き着くのではないかと思っています。そういう意味では、俳句は人間が生きている限りは決してなくならないのでは…。ということですから頑張りましょうよ。

 写真は、先日の台風10号の塩害で葉が落ちてしまった柿の木に新しい若葉が…これも必死で生きているんですね。ガンバレ!

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〝ビックリポン!〟のランキング!

2020年09月26日 | 俳句

 また、また〝ビックリポン!〟です。一体何事?それは私の方が聞きたいですよ。

 実は昨日の「日別ランキング」で、前代未聞のことが…なんとランキングが272位、閲覧数1284PV 訪問数1080UU (2951008ブログ中)ですって!最近のランキングでは、いいときは1000台、普通2000台から悪くて3000台なんですよ。それが突然100台になんて…とても考えられません。一体何が起ったんでしょうか?

 見てみると、「俳句の〝句またがり〟とは?」のアクセス数が確か500PV以上出ていたような気がします。最近は俳句のことより他の話題の方が多くなっていますのに、それなのに俳句で…???

 先ほど出た25日のランキングをみてみますと、1106位、閲覧数611PV 、訪問数469UU(2951175ブログ中)で、普通に戻っていました。なんだか気になって、考えてみました。すると…昨日は木曜日、ウウ~ン、もしかしたら〝プレバト〟のある日だし、それに関係があるのかしら…。早速YouTubeで昨夜のテレビを見てみました。ちなみに、私は殆どこのプレバトを見ることがありませんので…。 ああ、やっぱりそうでした。

〝9月24日放送の「プレバト!! 秋の3時間SP」で、俳人・夏井いつき先生から出された3つのお題を一発でクリアすれば俳句名人になれる番組初の企画「俳句最強の挑戦者! 名人認定査定!」 が開催され、最強の挑戦者として日曜よる10時から放送中「林先生の初耳学」でおなじみの林修先生が参戦する。〟と。

 その林先生に出されたお題は3つ。「黒板」「白米」「鎌倉と月」でした。その句は次に…
 「黒板」…望月や無駄一つなき我が板書
 「白米」…おつかいの坂や新米二十キロ
 「鎌倉と月」…月煌々実朝のやぐらをぐらし
 ここで、2番目の白米の句が〝句またがり〟の句で、プレバトの人たちはこの句またがりが分らなかったじゃないのと、いつき先生が仰っていましたね。ああ、これでなんだ…と納得。 
 「句またがり」または「句割れ」というのは、短歌や俳句の表現技法の一つです。そもそも短詩型文学というのは、その1首、1句で独立した詩空間を創り出すもの。その短さ故の制約の中で大きな力を発揮するのが「切れ」ということなんです。
 俳句の場合は、主な切字として「や」「かな」「けり」がありますが、これが全てではありません。芭蕉は、「切字に用ふるときは四十八字皆切字なり」といい、石田波郷は、「霜柱俳句は切字響きけり」と詠んだように、この切字または切れというのは非常に難しい俳句の作句ポイントです。
 これをあれこれ解説しているといくら時間があっても足りませんので、今回は止めます、が、少しだけ…。
 まず句またがりで最も代表的な句は、中村草田男の〈万緑の中や吾子の歯生え初むる〉です。
 この句は〈万緑の中や/吾子の歯生え初むる〉というように、中七が3音と4音に分かれていますね。これがもし〈万緑や中の吾子の歯生え初むる〉と詠んだとしたら、上五で切れる初句切れの句になります。草田男はなぜそうしなかったのでしょうか?それは〈中の吾子の歯〉では何の中なのかが曖昧で分らなくなるでしょう。ここは大きな大自然に包まれた中…その緑一色の木々の中で見つけた我が子の生えたばかりの小さな白い歯…きっとまだ2本でしょうか。その喜びがこの切字「や」に詰まっているんですからね。
 だから課題2句目の「おつかい」の句も同じなんですよ。これを〈おつかいや坂を新米二十キロ〉と詠もうと思えば詠めるのですが、そこは林修氏の勉強の成果でしょうか。「おつかい」に感動しているのではなく、二十キロの米をフウフウいって運んだ坂のきつかった想い出が忘れられずに詠みたかったんでしょうから。だから坂を強調しなくては…また、上五で切ってしまうと、他の誰かのおつかいでも構わなくなって、他人のおつかいを見ていて気の毒がっているとも取られかねませんものね。まあ、ちょっと難しかったかしら。アハッ…
 それから考えれば、3句目もですよ。これは〈月煌々/実朝のやぐらをぐらし〉と初句切れなんですが、中七下五が8音と4音で句割れになっています。私は〝やぐら〟というのが鎌倉では〝墓所〟のことをいうのだと知りませんでしたので、〈実朝のやぐ/らをぐらし〉?〈実朝のやぐらを/ぐらし〉?かと思って迷いました。こういう初句の字余りは気になりませんが、中七下五での乱れは、初心者には混乱を起こします。だからもしここを〈小暗し〉という古語の漢字で書いてあれば少しは分りやすかったのでしょうが、〈をぐらし〉と歴史的仮名遣いで書いたばっかりに余計分りにくくなったのです。これも林氏の知識が上回ったからでしょうが、ちょっとやりすぎでしたね。だから、最後に、いつき先生が〈実朝のやぐらをぐらし月煌々〉と添削されたので、ホッとしました。あのままで〝才能あり〟更には〝名人〟昇格では、一生懸命頑張っている人に申し訳ないのではと思いましたもの。
 まあ、そういうわけで、私のランキングも一件落着!本当にテレビの力はオソロシイものですね。皆さん、洗脳されないように気をつけましょう!
 写真は我が家の曼珠沙華、やっと赤が咲きました。最初は20日、次が21日というように開いていって、もう最後に近いです。〝花の命は短くて…〟ですね。
 
 
 
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100歳バンザイ!

2020年09月23日 | 俳句

 今日はもう9月24日…、このシルバーウイークの4連休は何をしていたんでしょうか。ブログ書く気はあったのですが、なぜかすぐに眠たくなって…きっと疲れが溜まっていたのでしょう。

 体が要求することに逆らってまで無理をしたりすると碌な事はありませんもの。でも、しなくてはいけないことはひっきりなしにありましたので、のんびりといってもね…。結局最低限のことをこなすのに精一杯で、ブログまで手が回らなかったということ…何を言い訳してるんでしょう。これは自分の問題ですからね。

 だから、毎日欠かさずUpされていらっしゃるブロガーの皆さんには頭が下がるんです。けど、私は…うう~ん、まあ、いいか!という、自分のペースでいくしかないでしょ!読んでくださっている方々、ナントもわがままでスミマセン!

 ところで、書きたいことはサボった分だけ山ほど溜まっているんですよ。では、ボチボチいきましょうか。

 昨日も今日も朝から病院へ。このところひっきりなしの病院通いでも疲れています。今日は医大の半年定期検診でした。この前は3月中旬でしたが、こんなに厳重な感じではありませんでした。もちろんコロナは都会では逼迫した状況になりつつあったはずなのですが、この頃はまだこちらではコロナの感染者が下関に3名という状況だったんですね。

 それが今では山口県も200名近くになっていますもの。これ以上クラスターなどが発生したら大変と、万全の体制が取られているのでしょう。私の検診結果は異常なしということで、また半年後です。

 午後からは、絵画教室へ。これも久し振り…私の勘違いで8月は一度も行かず、9月は前回がコロナのために中止というわけで、とうとう二ヶ月ぶりの絵筆になったんです。

 でも今日の画題は「烏瓜(からすうり)」。これは以前にも何度か描いていますので、まあまあ上手く描けたかな。アハハハ…賛は〈紅葉照る一流水に人の棲む 積穂〉でした。

 昨日はリハビリへ、これも6日ぶり。一昨日は俳句教室でしたし、その前日はお彼岸でしょ。本当は秋のお彼岸で何もなければおばあちゃんを連れて広島へお墓参りが恒例でしたが、今年は何もかもダメ…。体調を崩していた私にはちょうど良かったんですけどね。

 そのおばあちゃん(義母)ですが、「敬老の日」に100歳のお祝いが届いたんですよ。本来なら私たちも〝敬老〟される身なのに、誰も何もしてくれません。アハッ…孫でもいると違うんでしょうが…。

 でも今回は自祝のつもりで、来週末に湯田温泉へみんなを私が招待するんですよ。いつものことですが、私がしなくっちゃ誰もしてくれないんですから~。悔しいけど仕方がありません。そのことはまたその時にでも書きますから読んで下さいね。

 今日は、敬老のお祝いに義母に届いた〝表彰状〟の話。

 今年は義母が100歳ということで、宇部市長や山口県知事から賞状が届きました。市長からは記念品として書類入れのようなものも。県知事は何もなしで、賞状も小さなものでした。きっと貧乏な県なんですかね。どこかの村(愛知県西南部の飛島村)?ではお祝に〝100万円〟配ったんですって…これウソのようなホントの話!ちなみにおばあちゃんは、自治会から100歳のお祝に5000円貰ったと。アハハハ…

 その中で一番大きくて立派な賞状が内閣総理大臣からでした。銀杯と一緒に送られてきたとか。その記念品「銀杯」は2017年までは「純銀製」でしたが、2018年から銀メッキに変更すると厚生省労働省の発表があり、単価は今までの半額の3800円ですって。対象者の増加によるらしいのですが…。アハッ、残念ですね。もし、私たちが100歳まで生きていたとしたら…メッキの銀杯もなくなるかも。まあ、私は絶対あり得ませんから…。でも、主人はおばあちゃんのDNAを貰っているから大いにあり得るかな。

 見れば「安倍晋三」の署名です。エエッ、もう菅義偉さんが総理大臣になっているのに…どうして?と主人と不思議がっていると、日付が9月15日になっていました。ああ、菅さんが首相に指名されたのが9月16日。そうだったんです。ということは安倍総理大臣としての最後の貴重な賞状を貰ったんですね。これはきっといい記念になることでしょう。

 去年は99歳で〝白寿〟のお祝をしましたが、今年は100歳で「百寿」のお祝。さて、その後のお祝はどうするのでしょうか。ちょっと気になりましたので、調べてみました。すると、100歳以降は毎年祝うんですって。「101歳:百一賀の祝い」、「102歳:百二賀の祝い」というふうに。その後は108歳を「茶寿」。「茶」を分解すると「十十の下に八十八」と書くことから。110歳が、古来珍しい長寿の意で、「珍寿」。111歳は「皇寿」。「皇」を分解すると「白(99)と十二」になることから。最後は120歳で、還暦の2倍だから「大還暦」と、それから先はもう書いてありませんでした。

 2020年9月1日時点の住民基本台帳に基づく100歳以上の高齢者の数が前年より9176人増加し、初めて8万人を突破、8万450人となったそうです。100歳以上人口の増加は50年連続。世界有数の長寿国日本ですが、100歳以上人口は圧倒的に女性が多く、全体の88.2%を占めているんですよ。

 現在の最高齢の女性は福岡市在住の田中カ子(かね)さん117歳。田中さんは19年3月に世界最高齢者としてギネスに公式認定されています。さらに、2020年9月19日には117歳261日を迎え、2018年に亡くなった鹿児島県喜界町の田島ナビさん(117歳260日)を抜いて、国内の歴代最高齢を更新しました。ちなみに最高齢男性は奈良市在住の上田幹蔵さん、110歳だそうです。

 1963年に老人福祉法が制定されたとき、100歳以上の高齢者は全国で153人でしたが、81年に1000人を、98年には1万人を突破し、その後も右肩上がりに増え続けているんです。前年比増加数が9000人超となるのは初めてで、1920年の出生数がそれまでの年と比べて多かったことが影響しているのではと。

 都道府県別で人口10万人あたりの100歳以上の高齢者の数が最も多いのが島根県の127.60人、最も少ないのは埼玉県の40.01人で約3倍以上の開きがあり、西高東低で、特に関東地方など都市圏は人口あたりの100歳以上が少ない傾向があるとも。

 そこで、人口10万人あたりの100歳以上人口の、多い県と少ない県の5位までを見てみました。山口県は5位で、その一翼を義母も担ったことになります。おばあちゃん、100歳、バンザイ!

 多い県

 1位島根県(127.6)2位高知県(119.8)3位鳥取県(109.9)4位鹿児島県(108.9)5位山口県(100.5)

 少ない県

 1位埼玉県(40.0)2位愛知県(41.8)3位千葉県(46.0)4位大阪府(46.7)5位神奈川県(47.4)

 以上は、厚生労働省発表のデータを基に編集作成されたものです。

 ※参考にしたのは、https://www.nippon.com/ja/japan-よりのオリジナルの記事で、2020年9月17日公開。アリガトウございました。

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驚き桃の木山椒の木!

2020年09月20日 | 俳句

 今日の朝のナント涼しいこと、最高気温も26度。昨日も気持よく晴れて、28度まで…。こんなに違うんですね。やっぱり〝暑さ寒さも彼岸まで〟は正解でした。

 あの連日の30度越の日々は忘れようにも忘れられないはずなのに…人間って御し易い生きものですよね。ちょっと美味しいものをしゃぶらせればコロッと変わる…ホントカワイイもんです。

 でもこの美味しいものがある集団には〝黄金〟だったりと…もういけません。たとえばそれが公僕だったり政治家だったりしたら…これはもってのほかですね。

 あら、〝もってのほか〟といえば、確か山形の食べられる菊の花でしたっけ!でも、あれは紫色でしたよね。ちなみに今私が食べたいのは、同じ〝黄金色〟でも、新米ですけどね~。

 そうだ、今日のテーマは〝驚き桃の木山椒の木〟の話でしたっけ!これは是非皆さん、参考にして…

 実は2度目の「帯状疱疹」になったんです。初めて罹った時のことは以前にもブログに書いたことがありますが、その時この病気は一度罹ればもう一生罹ることはないと聞いていましたので、すっかり安心していました。

 2,3日前、右腕の肘の内側に何だかポツポツと赤くなったところが、4,5個…何だろう?痒いから何かの虫に刺されたのかしらと、家にある薬を塗っていました。ところが、そのうち昨日は首筋にもポツポツと痒いところが…???エエッ、こんな所まで刺されたの。イヤだ!イヤだ!

 気になりながらも、昨日は朝から「きらら俳句教室」で阿知須へ。午後は「宇部馬酔木」の句会でしたから、どうしようもなかったのです。(これらの話はまた後日に)そのうち夜になると今度は顔が痒い…右側の頬から眉の辺りまでポツポツが…。何だ、何だ!これは?

 まさかホントに「帯状疱疹」???以前罹ったのは確か8年前だったからまた罹るはずはないし…。でも、おばあちゃんは2度罹ったとも言っていたっけ。特に目に出るとヤバいらしい!とも聞いたし…

 それで、迷わず今日一番に病院へ。ところが、今日は日曜日でしょ…それどころか明日も明後日も休み。でも、こういう時は迷っていてはいけませんよ。自分の体のことですから…ね。

 早速宇部市休日診療所へ、9時からですので行ってきました。しかし、行ってビックリ!

 診療所に着くと青い防護服の人が入口付近で右往左往と。患者らしき人もあちらこちらに。以前の時も日曜日でしたが、全く様子が違います。そうなんです、コロナ対策なんですね。

 受付だけ済ますと、後は車の中で問診表を書いて渡し、そのまま待機しているようにとのこと。しばらくすると白衣の医師が来て、外から診察…もちろん車の窓越しですよ。患部を眺めて…〝はい、薬を出しますからそれで様子を見て…〟と、そそくさと帰られました。辺りを見れば駐車場の車はみんなそのように…。だから何人のお医者様がいらっしゃったんでしょうか。ここには内科・小児科・外科・眼科・歯科・耳鼻咽喉科がありますが、全部外での対応のようでした。まるでこの駐車場が、どこかの被災地の臨時診療所のような…。

 ここには薬局もありますので、そこで3日分の薬をいただき、聞いてみました。〝帯状疱疹には以前罹ったのですが、また罹るのでしょうか?〟〝はい、免疫力が落ちていると罹りますよ。薬は早く飲むほどいいですから、今からすぐに飲んで、後は時間を空けて飲んで下さいね〟と。じゃあ、やっぱりすぐに来てよかったんだわ!納得、納得!

 私は、いつもこういう時は迷わず即行動です。大抵それが正解…また、外れていたとしてもそれはそれでいいんですよ。あれこれ悩んでもあまり役には立たないし、迷っている分だけイライラしてストレスも…それより早く決着をつけてすっきりした方がなんぼいいかも知れませんもの。

 よく〝時機を逸する〟とか〝手遅れ〟とか言いますが、私はそういうことだけにはなりたくないと思っています。〝あの時こうすればよかった〟という後悔が一番イヤですから。以前にも書きましたが、自分の体は自分で守りましょう。いいですか、皆さん!

 家に帰って、〝帯状疱疹〟についてゆっくり調べてみますと、どこを見ても、ウイルスの増殖は、皮膚症状の発症から72時間(3日)でピークに達するので、早期治療を行なうことということが書かれていました。ああ、よかった!

 また、2013年のものですが次の記事が…〝一度帯状疱疹にかかると、水ぼうそうのウイルスに対する強い免疫力がつくため、再発することはほとんどありません。2回以上帯状疱疹にかかる人は、全体の約4~6%です〟と。これは、東京慈恵会医科大学 葛飾医療センター 皮膚科教授・診療部長のことばですが、普通耳にしていたことがこれだったんですね。これが本当なら私は希少価値があるということなの?

 ところが、皮膚科のエキスパートとして帯状疱疹の合併症治療に精通した小西皮膚科クリニック(京都市下京区/丹波口駅)の小西院長に、その症状や対策について詳しく解説してもらったという記事がありました。(これは2020年3月10日に取材されたもの)それを見ると、「どのような方がかかりやすい疾患なのでしょうか」という問いに…

水ぼうそうにかかったことがある人ならば、誰にでも発症する可能性があります。過労やストレス、ケガや病気、手術、加齢などによって免疫力が低下するとかかりやすくなり、50代以降になると発症率が高くなるといわれている身近な病気です。一度帯状疱疹にかかっても、免疫は5年ほどしかありません。一定の年数がたつとウイルスに対する免疫が落ちてくるため、高齢化も伴って、一生のうちに何度もかかる人も珍しくなくなりました。また、ストレス社会が影響してか、若い世代の患者数も増えています。全体として昔よりも患者数が年々増加傾向にあることからも、日頃よりかからないようにするための心がけが必要であるといえます。

 では、帯状疱疹に罹る人と何度も再発する人の違いとは?ということを調べますと…

 〝2014年10月から水ぼうそうの予防のためのワクチンが定期接種となったのです。つまり、1歳~3歳の子どもは無料(公費)で受けられるようになりました。それまでは任意接種で有料だったため接種する人がそれほど多くありませんでしたが、定期接種になって接種する人が急増。その影響で2015年以降は日本では水ぼうそうの流行自体が起こっていません。水ぼうそうウイルスに接する機会がなくなれば、免疫ブースター効果が得られず水痘帯状疱疹ウイルスに対する免疫はどんどん低下してしまいます。近年では、中高年以降に帯状疱疹にかかっても「もう一生かからない」と考えることはできません。5~10年後の再発を覚悟する時代になっているのです。そして、それを予防するには、「水痘ワクチン(水ぼうそうワクチン)」の接種が必須だといえるでしょう〟と。これは宇野皮膚科医院(東京都世田谷区北沢)の漆畑修先生。

 以上、皆さん勉強になりましたか?医学も日々進歩していますが、私たちの生きている環境も変化してきているのです。昔はこうだったからというのはもう通用しませんから、その都度その都度、よく観察して、よく調べて対処していきましょう。

 ちなみに、帯状疱疹に気づくのはピリピリする痛みや違和感からとよく言われています。早期発見はその時期なのですが、赤い湿疹様の皮膚症状はその一週間後ぐらいから現われてきます。

 今回も医師に〝ピリピリしませんでしたか?〟と聞かれましたが、私はしなかったんですね。前回の時も蚊か虫に刺されたのかと思ったように、今回も。もしピリピリして痛かったら疑ったかもしれないのですが。だから症状も人それぞれですので、なんでも決めつけずに幅広く考えた方がいいようです。

 写真は、我が家の白の彼岸花。賢い!やっぱり時を違えませんね。まだ赤いのは咲いていないのですが、花芽は出ていましたので、22日の秋彼岸にはしっかり咲くことでしょう。

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兼題は〝秋の風〟

2020年09月18日 | 俳句

 新型コロナウイルスでしばらく中止していた俳句教室が、今週からは会場が3時間使えるということで、今日は久し振りの教室でした。

 このままいけば、明日も来週もと引き続いてあるんですが、本来なら今月はこんなものでは済まなかったんですよ。この連休にはあしかび会の一泊研修会で伊良湖崎へ行く予定でしたし、26日の土曜日は俳人協会県支部の俳句大会が防府であったはずなんですから。全てコロナで中止になりました。これ…私にとってはよかったことなのかしら? アハハハ…

 さて、今日の兼題は〝秋の風〟でした。一見容易そうな季語だと思うかもしれませんが、こういうのが意外と難しいんですよ。春や夏、冬の風とはしっかり区別しないといけませんから。そうしなければ、きっと〝季語が動く〟とか〝季語が効いていない〟とか言われるに違いありません。

 更に、〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる〉(『古今集』藤原敏行)のような、いまだ秋風とは気づかないような風に感じる秋意から、はっきりと気象現象としての秋風とわかるものまで、秋に吹く風いっさいをいうのですからね。

  あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風        

  石山のいしより白しあきの風

  物言へば唇寒し秋の風

 3句とも芭蕉の有名な句ですから、ご存じの方はたくさんいらっしゃるでしょうが…、説明します。

 最初の句は、 「もう秋になったというのに、日は知らぬげにきびしく、なおあかあかと照りつける。しかし、さすがに吹く風には秋の涼しさが感じられることだよ」という意味です。1689年の東北・北陸の旅の途中、加賀国金沢(現石川県金沢市)で7月17日(旧暦の7月は初秋)、俳人立花北枝の自宅で開かれた句会で詠まれたもの。 『おくのほそ道』にも収録されています。

 次の句も『おくのほそ道』です。「この寺の石は、風雨にさらされて白々としているが、今吹き渡っている秋風は、この石の山の石よりも、もっと白く感じられることだよ」という意味。1689年8月5日(陽暦9月18日)、芭蕉が山中温泉で曽良と別れ、北枝と共に那谷寺を訪れた時に詠まれた句です。石山を滋賀の石山寺とする説もありますが、本文中で「奇石さまざまに、(中略)殊勝の土地なり」と那谷寺の石のことを書いていますので、これは小松(石川県)の那谷寺の石と考えるのが妥当でしょう。
 中国では白秋や素風(白い風)と言われているように、秋の風が白いというのは芭蕉の新しい発想ではなく、句としても格別なものとは言えません。しかし、句の出来以上に広く知れ渡っているのは、「石山の石より白し」と「石」をたたみかけていることと、「いしやまのいしよりしろし」という「し」の頭韻が、独特のリズムと味わいをもたらしているからでしょうか。 

 また、秋の風のことを「色なき風」ともいい、秋全般に使う季語になっています。これは〈吹き来れば身にもしみける秋風を色なきものと思ひけるかな〉(『古今和歌六帖』紀友則)からといわれています。

 最後の句は、今ではもう辞書にも慣用語として掲載されていますから、よく耳にされる句でしょう。1684年ごろに成ったといわれる「座右の銘」、「人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ」の後に添えられているものです。句意は「人の短所を言ったあとには、秋風が吹いてくるように淋しい思いがすることよ」。それが〝なまじ余計なことを言えば、そのためにわざわいを招く〟ということに転用されるようになったものです。要するに〝口は禍の門〟というのと同じ。恐らく芭蕉は初めからそういう意味ではなく、純粋な秋風の実感を詠んだだけだったのではと思うのですが…。

 以上のことから考えれば、最初の句の秋風は初秋、2番目は仲秋から晩秋、最後の秋風も〝寒し〟といっていますから、晩秋に近い秋風といっていいでしょう。

 今回の句会では、2つの句に点が集まりました。ここではその句を発表することは出来ませんので、悪しからず。だだ一つ参考になることがあります。実は今日から入門された方がいて、ご自分の句を選句されていたということなんです。お分かりでしょうか?

 俳句の世界では、…いや、俳句だけではないかも知れませんが、どんなに自分の句が一番上手いと思っても(笑)…決してそれを採ってはいけません。他人様の句を差し置いて自分のを採るなんて!と、非常に嫌われます。また、これはその句会に参加された方にとても失礼なことなんですよ。なんせ俳句は品格を重んじる文学なんですからね。アハッ…

 写真は、今日の俳句教室が終って帰るときの夕空。午前中は雨がパラパラ降っていましたが、夕方には止んでこんな西空と反対側の空です。明日もこれぐらいなら…といいたいところですが、どうでしょうか。

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昨日は山口宇部空港へ吟行でした!

2020年09月17日 | 俳句

 このところ朝夕が随分と涼しくなりました。一昨日も雨が降ったり止んだり、昨日も、予報では一日中曇りでしたが、雨が時々パラパラと。でも、傘をさすほどでもなくてまあまあかな。

 実は、昨日は月例の吟行会でした。天気はイマイチでも吟行して句会が出来るというのは幸せです。

 だって、先週までまたコロナのせいで、通信句会ばかりでしたから。やっぱり直に風景を見て詠み、また、お互いの顔を見てその声を聞いての句会は楽しいもの。句の善し悪しということよりもそういう場を共有出来るという充実感でしょうか。いいものです。

 さて、今回の当番が選んだ吟行地は、山口宇部空港周辺。10時集合で、約1時間ほどは空港ロビーや送迎デッキなど、残りの1時間を空港周辺のふれあい公園の中を散策しました。

 このところ、コロナのお陰かしら(?)…遠くへ行かず宇部周辺ばかりなので、どこも見飽きて俳句が詠めるかしらねと、心配しつつも…みんなサスガ!午後の句会では全員5句投句していましたもの。

 コロナの影響で山口宇部空港も羽田行きの便数が減っていますし、自粛がまだ続いていますのでやはり出発ロビーはガラガラ…。でも一応飛行機の離着陸を観ることが出来て…よかった!

 ふれあい公園は、広々とした一面芝生の憩いの場として、朝からウォーキングや犬の散歩の人たちが次々と。しかし、周辺の木々が先日の台風10号の潮風をまともに受けて殆どが立ち枯れ状態。花も一つも無くて…見つけたのは露草ぐらい。ああ、句材がない!と…それでも俳句手帳を片手に何かを拾おうとみんな頑張りましたよ。

 その公園の中には調整池があって、秋になると鴨が渡って来るのですが、まだ早すぎてダメ…見掛けたのは白鷺1羽だけでした。その池には小さな人工島があります。

 かつて宇部市の亀浦海岸から沖合300mにあった唯一の島。それが鍋島(無人島)で、空港の滑走路延伸工事のため、1999年に埋め立てられて消滅してしまったんだそうです。その鍋島の岩や松を移植して1/2スケールで再現したのが、この人工島なんですって。
 実はこの鍋島は、昔の「周防国」と「長門国」の国境を示す、宇部市の人々にとってはとても大事な島だったようです。

 やがて12時を回りましたので、近くにある昼食と句会場の〝かめうら苑〟へ車で移動しました。

 私たちが案内されたのは、離れの〝椿山亭〟でした。

 このかめうら苑は、約150年前の明治時代の由緒ある建物を移築復元した純和風のレストランで、店内から離着陸する飛行機や瀬戸内海のほか、晴れた日は九州の由布岳、国東半島まで見渡せるという抜群のロケーションが特長です。地元の食材を使った、会席料理や膳、定食を用意していて、人気の「かめうら膳」は、車海老など新鮮な瀬戸内海の名産品を中心に、季節の味覚を味わえます。昼は通常メニューに加えおトクなランチメニューが楽しめ、なかでも「あさり定食」は、メディアなどで取材される時は必ず紹介されるというここの看板料理。瀬戸内の海の幸をふんだんに使用した瀬戸内定食も人気です。元安倍総理も山口に戻ってきたときはいつもここで食事をされていたとか。

 会計をして帰るとき、その元安倍総理がご来店の写真がありました。また、会場の椿山亭の入口に句碑があったので聞いてみると、先代(もしかしたら先々代かも)が俳句をされていたとか。なかなか良い会場でした。もちろん無料で16時まで使わせて頂いて…これもどうやらコロナのお陰のようで…(笑)

 私たちは、もちろん〝おトクなランチメニュー〟。もう予約していましたので、さあすぐに…あっ待って、その前に短冊を配って5句を…と言ったらみんなから総スカン。じゃあ、食べてからにしましょう…。アハハハ…

 今日の参加者は8人、しめて40句。季語で重なったのは、「秋曇」「昼の虫」「秋風」「鳥渡る」「秋高し」「台風」ぐらいで、後は様々…ちょっと変わった季語では、「雀蛤となる」や「屁糞葛」「獺祭忌」だったかしら。そうそう、「草雲雀」というのが出ていましたが、これをどうも鳥だと思って採った人がいるようで…。これはコオロギのような虫なんですよ。とにかく吟行に行くと季語をよく知っているかどうかがものをいいます。だから、季語をもっと勉強していろんなものが使いこなせるように、また、季語をよく知らないと選句にも影響しますからね。

 俳句をしていたらボケッとしている暇はないんですよ。ほら、季語だけじゃなく語彙も増やしていかないと…ねっ、ガンバリマっしょ!

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宇部ラーメンの〝一久〟さん、知ってる?

2020年09月14日 | 俳句

 先日主人と買い物へ出た帰り、ちょっと遅くなってしまったので何か食べて帰ろうかと…このところのコロナ自粛生活で久し振りの外食です。

 さて、〝何食べようか?久し振りだから超豪華に!〟なんて…、でも二人とも余り食べたいものが思い浮かびませんでした。なぜだか急に〝ラーメン〟が食べたい!と思って言うと、すぐに主人も同意して、何処に行くか?でもあまり遠くへは行かんぞと…。行ったのは〝宇部ラーメン〟の元祖?…昔ながらの「一久」さんの岬店、本当に久し振りでした。

 このラーメン店の「一久」は1970(昭和45)年、1号店を東新川(現在の東新川店にほど近い場所)に出し、来店客10人で満員になるような広さで1杯80円のラーメンからスタートしたんだそうです。だから今年で創業50周年の「一久」。今では、市内外に8店舗を展開し、宇部の街ではダントツの知名度を誇るラーメン店なんです。いや、いや、決して一久から宣伝料は貰っていませんので…(笑)

 そもそも私が一久を知ったのは、宇部に奉職してすぐでした。先輩のY先生が、〝美味しいラーメン屋に連れて行っちゃろうか〟といって連れてきてくださったのが、この東新川1号店。あのY先生も亡くなってから何十年経つかしら…。懐かしい話です。

 その時の〝こんなに美味しいラーメン食べたことない!〟という驚きは今でも残っています。そのうちこの店が口コミでどんどんと広まっていき、自宅用の「お土産ラーメン」の専用自動販売機があるということがテレビで紹介されて更に有名になりました。あれよ、あれよの急成長で、とうとう県内の主要スーパーでもその「お土産ラーメン」が販売されるようになったのには驚きましたもの。

 私もラーメンは嫌いではありませんので、中国地方はもちろん、九州から四国、関西方面まで…行く先々で美味しいと聞けば食べました。さらに息子が私たちに輪を掛けたラーメン好きなので…。今までにどれほど食べたでしょうか。覚えていませんが、でも不思議なことに〝もう一度あのラーメンを食べたい!〟と記憶に残るほどのものはないんですよね。ということは…私が余り通ではないということかも。

 大分の私の一族もみなラーメン大好き。それで宇部に来たとき初めて〝一久〟へ連れて行くと、すぐに大フアンになりました。それからは父も母も弟たちも、どこに行きたい?と聞くといつも一久ラーメンと。

 また、〝お土産ラーメン〟を一久が売り出してからは、それをお土産に買って行くととても喜ばれましたし、この前亡くなった義姉なんかは、〝何がほしい?〟と聞くと、答えはいつも一久さんのラーメンでしたものね。

 そもそも豚骨ラーメンの発祥は九州の久留米のようですが、ガイドブックに載っている行列の出来るというラーメンも食べに行きましたし、北海道では札幌ラーメンを食べに行きましたよ。そんな中でもやっぱり、〝一久〟の宇部ラーメンが一番食べやすいし、美味しいと思います。
 こってりとした独特の味と風味が特徴の一久ラーメン。宇部・山陽小野田では長年親しまれていて、「どの店がおいしいか」「どの店が好きか」といった店ごとの味の違いが話題になることも多いようです。また、「同じ店でも時間帯によって微妙に違う」ともいわれています。

 一久ラーメンでは「スープだし」を一切使わずに、豚骨を砕いて煮込んだ「豚骨100%のスープ」を各店で作っているために微妙な違いが生まれ、さらにこのスープを3割残して新しいスープを継ぎ足しながら運営しているのだと。「各店で味を統一させるためには『スープだし』を本部で作って全店で共通利用すれば良い。過去には味の統一を目指して動いたこともあったが、当ラーメンの独特の味は『スープだし』を一切使わずに豚骨だけを煮込んで作るスープだからこそできる味。その味を統一させるとこの独特の味は出せない。店舗ごとに微妙に違う味わいは、各々の店舗で豚骨スープを取っている証し」と、専務の紀ノ崎さんは話しておられます。

 同じ店でも時間帯によって味が微妙に違うことについては、「各店にはスープ鍋が2つあり、来店客が多い時間帯に合わせて4時間ごとに鍋を替えている。鍋を替えてすぐの時間はサラッとしているが、鍋にずっと火を入れ続けているため時間が経つと煮詰まってとろみがついていく。このために時間帯によっても微妙に違いが出るのだ」とも。

 ラーメンの歴史を見ると、1910年(明治43年)浅草に、日本人向けの中華料理店の「来々軒」が開店し、大人気となったので、ラーメン評論家の大崎裕史氏はこの年を「ラーメン元年」と命名しているそうです。 

 この店の成功を受けて、戦前の日本に続々と庶民的な中華料理店が開店し、ラーメンは餃子や焼売などとともに、定番メニューとして広まり、戦後は中国大陸からの引揚者によるラーメン屋台も多く出現しました。約100年の歴史の中で、様々なアレンジが加えられていき、中国やベトナムなどのアジアの麺料理とは異質な、日本独特の麺料理に発展・変化しています。素材の味だけで勝負する無化調ラーメンや、インパクト重視の家系ラーメンなど、ニーズに応じて様々な進化を遂げており、国民的料理として人気を博していると。(Wikipediaより)

 というわけで、ラーメンは今や日本の代表的な食べ物の一つになって、海外観光客の目的の一つにもなっていますから、大したものです。それぞれ日本全国には独自の趣向を凝らした有名なラーメン店があるでしょう。しかし、この我が宇部ラーメンの〝一久〟さんは、豚骨だけを煮出し、骨の粒子が溶け込んでいるため、少し暗めの色をした濃厚豚骨スープなんですが、それがやみつきになってしまう人も多いんですよ。…ハイ、ホント!

 と、書いて、つい〝宇部のラーメン今年人気のベスト10店〟を見てしまいました。エエッ、ナント…ビックリ!ランキング1位は〝一久〟じゃなくて、〝味の三平〟なんですって!主人に〝知ってる?〟と聞いたら、会社の近くだったので昔よく食べに行っていたんですって…。何と言うこと!私、まだ行ったことな~い。クヤシイ!これはナントしてでも食べに行かなくっちゃ…ムムムッ

 ちなみにこの岬店には、たくさんの色紙の中に、あの〝さかなクン〟のもありましたよ!写真撮るの忘れてました。ゴメンナサイ!ランキングは一久新川店が2位、この岬店は5位でした。この写真はお借りしました。

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フラダンスを再開しました!

2020年09月11日 | 俳句

 今日は…何と、何と!半年ぶりにフラダンスへ行きました。みんなからわあ珍しい!なんて言われつつ…

 2月の末に足を骨折したので、治るまでしばらく教室を欠席しますと連絡した途端、すぐにコロナで全ての講座が閉鎖されてしまいました。その後当分は緊急事態宣言で自粛生活。それが解除されたのが6月でしたから、その頃にはもう治っているものと…甘かったです。では仕方が無いのでもうしばらくと、思っているうちに日はどんどんと過ぎていき、ついに夏になり、今度は猛暑で…

 一旦くじけてしまうとなかなか元には戻れませんね。他人には休まない方がいいわよ…休み癖がつくと再会するのがシンドイから…なんてエラそうなこと言ってたのに。まさに自分がその落とし穴に嵌まってしまいました。

 宇部・山陽小野田市でコロナ感染のクラスターが出たので、再び8月25日から9月6日までの全ての市の関係会場が閉鎖されました。その後の7日からは貸し出しはするが、使用は1時間以内という制限付き。そのためにまた俳句教室や俳画教室も中止になりました。

 私はやっと9月からフラダンスに出る気になっていたんですよ。でももしかしたら中止かも…と心配して友人に聞くと〝1時間でもやるってよ!〟ですって。もしそれが中止だと言われていたら、また腰砕けになっていたかも知れない、よかった!よかった!…という次第。

 曲目がみんな新しくなっていて、サッパリ分らない…でも、そこは見よう見まねで、フラフラと…。(笑)ちょうどよかったです。これぐらいで…徐々に馴らしていけば、また以前のリズムに戻れるかしら。

 何にしても、今年は骨折とコロナで生活のリズムは狂いっぱなし…当分はこんな調子が続くんでしょうか。昨日はまた宇部から感染者が3名、今日も1名出ていますし、最近は医療従事者に感染が広まっているようですからそれも心配です。9日には山口県で初めての死者もでたと報じていましたし…。

 今日現在の県内の感染者は194人です。そのうちの半分以上が山陽小野田市(61人)と宇部市(50人)なんですよ。エエッ、いつの間に…という感じでしょ。

 ところで、今日はフラダンスの後リハビリにも行きましたが、そこでオソロシイ話を聞きました。この新型コロナウイルスのせいで自粛が続き、ステイホームで家に引きこもってばかりいて、外に出ないでいると、2週間で何年分の筋肉が減ってしまうでしょうかと聞かれて…皆さん分りますか?

 答えは…なんとビックリ! 3.7年分も減ってしまうんですって。聞いた途端、ホントに?どういうこと?と思いましたが、時間が無くて詳しく聞かずに帰ってきてしまいました。

 もちろん運動不足が続くと筋力が低下してしまうということは、誰でも知っていますよね。が、それがどのくらいの期間でどの程度低下するかということは?…私も知りません。そこでちょっと調べてみました。

 最新の研究結果によると、運動不足による筋肉の減少は、数ヶ月〜数年といった長期間ではなく、数日〜数週間という短期間のうちに進んでしまうことが判明したのだと。2週間片足だけ全く動かさない状態を作って実験してみたところ、筋肉量はなんと25〜30%も減少したのだそうです。体の4分の1の筋肉が落ちてしまたということなんです。これは私たちにとって大変なことですよね。たったの2週間ですよ。

 だから今回のような室内にこもりがちな生活習慣を続けると 筋肉はどんどん衰え、挙句の果てには 骨や関節を支える力をも失い、腰や膝の痛みを発症するようになるんですって。

 ああ、それで私はコロナと骨折で、2週間どころか3ヶ月ぐらいは殆ど出歩くことがなく、リハビリも電気治療だけで、以前のような筋トレは全く行わなかったので、膝が痛くて歩くのさえも困難な状態になったのね。そうなると痛いので更に動かなくなって、家の中でもトイレと台所と風呂場だけ…掃除もサボってたまにしかしなくなり…益々動かなくなるという悪循環。やっと骨折が治ってさあ元に戻そうと頑張ってみても…気持だけで体がついてきません。そうすると気持だけが…これではイケンと焦るばかり…却ってストレスが溜まって落ち込んでしまいました。人間って弱い!落ちだしたらどんどん落ちますから。

 やっぱりどこかでこの悪循環を断ち切らなくては…と、やっとその気になって頑張ろうというそのきっかけがフラダンスだったんです。まだ私はましな方で、これがヒドい骨折で寝たきりにでもなっていたらこんなもんでは済まなかったでしょう。年を取ってからは骨折が一番いけないというのがよく分りました。

 そういえば、私の母が亡くなったのは99歳、義母は今99歳ですが、2人とも骨折しなかったから元気なんですね。ということは、〝歩ける〟〝骨折しない〟ということが長生きの秘訣ね。じゃあ、もっともっと本気で筋トレしなくっちゃ…ガンバロウ!

 写真は、台風の塩害で葉が枯れてしまった銀杏並木(車の窓からなのでよく撮れていませんが、ほとんどの木がこんな様子でした)と我が家の木々です。カワイソウでしょ!家が影になっている木はみな青々していますが、風の通り道にあった木は殆どやられましたね。

 

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今日は〝重陽〟と詠んでもいいの?

2020年09月09日 | 俳句

 一年前の今日のブログが届いていました。それを見ると、台風15号が関東方面を襲った日だったんですね。「昨日の夜は一晩中テレビで台風15号の様子を観ていました。しきりに〝過去最強の台風15号〟とニュースで流すものですから…その名は「ファクサイ」(ラオスがつけた女性の名)なんですけど、そんなことより関東方面の知人や友人たちのことが心配で…」と、書いていました。

 この後また関東方面へ大きな台風が来たんでしたよね。今年は西日本が当たり年のよう…。気をつけなくっちゃ! 先日の台風10号では大きな被害が宇部には出ませんでしたが、潮風だったので木々の緑の葉が殆ど茶色っぽくなりちりちりになっています。これで今年の紅葉はダメですね。残念!以前にも高潮警報が出ている台風ではこんなことがありました。葉のなくなった木々が本当に哀れ。

 昨日も、今日も台風一過の爽やかさはどこにもなくて…蒸し暑い日が続いています。でも、空は確実に秋になっていました。これは昨日のリハビリから帰るときに撮った夕日といわし雲です。

 ところで、今日は9月9日ですよね。陰暦ならば、この日は五節句の一つで、最も重要なものとされていた〝重陽〟(ちょうよう)の節句です。陽の数(奇数)である九が重なることをめでたいとして、古くは菊の節句とも呼んでいました。中国では「登高」と称して、丘など高いところに登り、長寿を祈って菊花を浮かべた菊の酒を飲んだんだそうです。

  菊の香にくらがり登る節句かな       松尾芭蕉

  菊の酒醒めて高きに登りけり        高桑闌更

 日本では、奈良時代より宮中で観菊の宴を催し、菊酒をかわし、臣下に詩歌を作らせました。民間では農事に関連した祝いの行事として、九月の九日、一九日、二九日を「三九日」といい、「みくにち茄子」として茄子を食べる地方もあったんだとか。       

  菊の杯酌み重ねつゝ健康に          高浜年尾

 また、〝温め酒〟は、もともとは寒さに向かう境目頃にあたる重陽の日に、酒を温めて無病息災を祈ったものなんです。

  人肌といふはむづかし温め酒         瀧春一

 しかし、これらの句から見ても分るように、今日のような陽暦9月9日の残暑のまだ厳しい頃の感じではないでしょう。そうなんです。〝重陽〟も〝登高〟も〝菊の酒〟〝温め酒〟も、全て晩秋の季語なんですよ。実は今年の陰暦9月9日は、陽暦10月25日になりますから、その頃なら肌寒さも感じるでしょうし、菊の花も盛りになっていることでしょう。

 というわけで、今日のこのような日をもって、〝重陽〟や〝登高〟などの季語で詠むのは、やはり実感が籠りませんので気をつけたいものです。ほら、もう少し寒さが身に沁むようになったら、きっと〝温め酒〟も美味しいと思いますよ。それまで待ってくださいね!

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台風10号の大騒ぎは何?

2020年09月07日 | 俳句

 台風10号は7日朝に山口県に最接近するとみられていましたので、下関地方気象台は、暴風、うねりを伴う高波、土砂災害、低い土地の浸水、河川の増水や氾濫、高潮に警戒するよう呼び掛けていました。

 また、宇部市のホームページでも、「9月6日(日曜日)から7日(月曜日)にかけて、台風10号が宇部市に接近します。今回の台風は、気象庁から、今後特別警報級の勢力まで発達する可能性があり、甚大な被害が予想されると注意喚起されているところです。」と、市民に厳重な警戒を呼びかけていました。

 その10号も今日の午前11時半ごろには、速度を速めながら北に進み、中国地方から次第に遠ざかりました。しかし、下関の地方気象台によれば、7日午前11時までの山口県各地の最大瞬間風速は、防府市36・9メートル(7日午前5時50分)▽宇部市33・4メートル(同3時7分)▽山口市前町33・1メートル(同4時6分)などと発表しています。

 確かに宇部市も夜中の3時頃は最大瞬間風速33m以上の風が吹いていたんですね。全く知りませんでした。朝起きて見ても、そんなに風も吹いていないし、荒れ狂ったような痕跡もなかったし…。確かに柿の木の葉と実が殆ど散り落ちていましたが、これは台風の時はいつものこと。今回のが特別スゴイというほどではありませんでした。

 じゃああれほど恐れた超大型台風は一体どこへ???主人は夜中に起きていたようで、停電があったとは言っていましたが、それも短時間で大したことはなかったと。何だか大騒ぎしたわりには小さな台風だったという感じ。今までにはもっとスゴイ台風を何度も経験してますから、今回のは…まさに〝空騒ぎ〟してしまったという気がしますね。

 だって、昨日は朝早いうちに、前日買えなかったものをもう一度買い出しに行ったんですよ。スーパーもそれを見越して仕入れているようで、朝のうちは何でもしっかり揃っていました。

 お風呂だって早めにすまし、その後浴槽に水を一杯張っておきましたし、ご飯も釜一杯炊いて、おかずも明日でも食べられるようにと…、停電などに準備万端整えていたんですよ。

 ああ、そうでした、主人が雨戸も全部閉めていましたしね。以前この雨戸閉めたのいつだったのでしょう。覚えがないぐらいもう随分前のような…。

 この前の9号の時なんかは何も準備しませんでしたもの。今回のはやはりメディアのせいですよ。全く報道に踊らされてしまったようです。あんなにひっきりなしに特別警報が出る〝数十年に一度〟の超大型台風だと騒ぎ立てるものですからね。大した被害が出なかったんだから、何も文句をいう筋合いはないじゃあないかと、怒られそう…。もちろん大きな被害が出なかったというのはとても喜ばしいことですけどね。

 でもやっぱり最近の報道はちょっとおかしい!極端に加熱しすぎるようなところが、それも同じ所をどこもかしこも似たり寄ったりでニュースを流しますので、観た人はそれが全てだという気がしてくるのです。まるで洗脳されるように…コロナの時もそうでしたもの。特に不安材料があるとき、それで国民を煽るような報道だけはして欲しくありません。観る人が冷静に判断して対応できるような、そんな手助けとなるような記事を流して貰いたいと心から思います。

 まあ、今回は、私たちはよかった!よかった!で済みましたけど…。先ほどニュースを見ると、九州のほうでの台風10号の被害は(7日午後3時現在)、鹿児島県で1人が死亡。九州を中心に計76人が重軽傷を負い、宮崎県椎葉村の土砂崩れでは4人が安否不明となっていました。一夜明けた街には木の枝や家屋の破片が飛び散って、強力台風の威力を見せつけるような映像も流されていました。宇部では停電の被害が1万戸以上出ましたが、長時間ではありませんでしたから助かりました。それはきっと電力会社の事前の対応がよかったからかも。感謝しなくては…

 そんなこととはつゆ知らず、私は昨夜ぐっすりと…何だか申し分けなくて恥ずかしいぐらい。朝起きて風は吹いていましたが、大雨も降らず…どこに台風が来たの?という感じでしたもの。だから、気象庁は、接近するに従ってだんだん台風の規模が小さくなったので、台風の「特別警報」は出さなかったのだと、これ確かニュースで言っていたような…。フ~ン、そうなんだ…

 台風10号の被害に遭われた方々へ心からのお見舞いを申し上げます

 写真は…今日は遅くなったので何も撮っていません。ゴメンナサイ!

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台風の「特別警報」とは?

2020年09月05日 | 俳句

 だんだん近づいてきている…といってもニュースからで実感はまだありません。今日は一日中曇りでカラッとはしていなかったんですが、明日から明後日にかけては台風で洗濯も出来そうにないので、今日できる限りの洗濯をしました。

 それから、さしずめ必要なものを揃えておかなくては…まずは停電に備え、懐中電灯などの電池やガスコンロのボンベ…、我が家はオール電化のため停電になったりしたらお手上げなんです。それから食料品…、カップラーメン、パン、水、火を使わずに食べられるものなど、などと。買い出しには主人に行って貰いました。

 すると、カップラーメンやパン類、水 などみんなスーパーの棚には何もなかったと。ちくわ、かまぼこ、天ぷらなどの練り製品も品切れ…。早く行かないとなくなるらしいわよという私の言葉を信用していなかった主人もさすがにビックリして帰ってきました。まるであのコロナの影響でマスクや消毒薬などが何処へ行っても売り切れていたときのようです。

 いつも〝なんとかなるさ〟ののんびり夫婦も、さすがに今回はテレビで〝最大級の…〟とか〝巨大台風〟とかしきりにいうもので、本当に怖くなりました。

 また、「特別警報」という言葉も初めて聞いたような気がして…。調べると、台風の特別警報は「数十年に一度」の強度の台風によって、暴風・高潮・波浪になると予想されるときに発表するのだそうです。「数十年に一度」の強度とは、具体的には1959年の「伊勢湾台風」級(中心気圧930ヘクトパスカル以下または最大風速50メートル以上となる。ただし、勢力の強い台風の襲来頻度が高い沖縄・奄美地方および小笠原諸島は中心気圧910ヘクトパスカル以下または最大風速60メートル以上)とか。

 台風10号は930ヘクトパスカルで鹿児島県に接近、上陸するおそれがあるとして、あらかじめ予想される場合、気象庁は24時間程度前に記者会見を開催し、台風接近時の暴風や大雨などによる災害に対して極めて厳重な警戒が必要であることを呼び掛けることにしていると。台風の特別警報そのものは、実際に発表基準を満たした台風がやってくる12時間前をめどに発表され(予想できない場合もある)、今回の10号は「大雨、暴風、高波、高潮。すべての要素で記録的なことが起こる。十分に注意してほしい」と呼びかけているのです。国土交通省の担当者は5日、気象庁との合同会見で「経験したことのないような大雨が予想され、河川の越水が十分考えられる」と危機感まで示しています。

 特に7月の豪雨で氾濫(はんらん)した熊本・球磨(くま)川や、九州南部の川内(せんだい)川や肝属(きもつき)川などは、その想定を超える雨になる予想だとか。エエッ、またあ~と、このところの熊本県の被害続きには気の毒でたまりません。また、2018年に高潮などで関西空港が冠水した台風21号よりも強い勢力で九州に近づくとみられると言うし、気象庁の担当者は「高潮は水が陸に入り続け、津波にたとえられることもある」などとも言っていますから、ますます海の近くの人たちは恐怖に駆られるでしょう。

 そんなニュースを聞く度に、この10号の凄さは十分に分かりますけど、じゃあどうすればいいの? こんな時に私たちに出来ることといったら何?

 結局早めに安全なところに避難することしかないんですよね。どんなに科学が、どんなに情報が発達しようとも、出来ることはただ一つ、一番原始的な〝逃げる〟ということだけなんですから。人間ってやっぱり動物と一緒!でも動物の方が逃げることに関しては敏感ですよ。頭ではなく本能ですから。人間は却って頭でっかちなばっかりに逃げ遅れるという…、あの東北大震災の時のように。コワイ!

 このところの台風は来る来るといってもこちらでは大したこと無く過ぎて…、その分関西や関東が大変でした。今年は予定のコースが多いみたい。だとすれば、昔から九州、山口、四国が台風銀座と言われていましたものね。覚悟しておかなくちゃ。そろそろと足音が聞こえてくるのでは…

  先んじて風はらむ草颱風圏  遠藤若狭男

 ああ、〝クワバラ、クワバラ!〟あっ、このイヤなことを避けるときに使うことば、どういう意味かみなさん知っていましたか?

 これは、〝雷神があやまって農家の井戸に落ちた時、農夫が蓋をして天に帰らせなかった。雷神は、自分は桑樹を嫌うから、桑原桑原と唱えるならば再び落ちまいと答えたとの伝説に基づく〟、落雷を避ける呪文なんですよ。また、〝死して雷となったと伝える官公(菅原道真)の領地桑原には古来落雷した例がないのに因む〟とも言われています。それが、一般の忌まわしいことを避けるときにも唱えるようになったのです。

 とにかく〝備えあれば憂いなし〟、それがダメなら〝逃げるが勝ち〟ですよ。皆さん、お互いに気をつけましょう。

 写真は、〝野萱草〟(のかんぞう)。晩夏の季語ですが、我が家ではやっと咲きました。これは一重で、八重のものは藪萱草といいます。季語として使うときは〝萱草〟だけでいいですからね・

 

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〝紅屋の娘〟知ってますか?

2020年09月03日 | 俳句

 昨日は午後からリハビリへ行きましたが、台風9号の風が恐ろしいほどに吹き荒れていました。しかし、殆ど雨も降らずに暴風ばかりで、それも夜の内に通り過ぎたのでしょう。今朝は風も収まっていて…エエッ、台風は?雨は?というふうでした。どうも台風9号は、沖縄を経て九州の西の海上を北上した後、昨夜3時頃朝鮮半島に上陸し、今日15時には中国東北区で温帯低気圧に変わったようです。

 ところが、その後に続く台風10号は、今後猛烈な勢力に発達し特別警報級の勢力で、5日(土)には沖縄に、6日(日)から7日(月)にかけては奄美地方から九州に接近、または上陸する恐れがあるとの予報。それで気象庁は、記録的な暴風や大雨、高潮、高波に警戒が必要だと呼びかけています。その台風進路予報を見ると、山口県には7日(月)の朝9時頃に一番接近するようです。じゃあ慌てなくてもいいようにその準備をしておかなくっちゃ…。だって一番コワイのは停電ですものね。

 例年からすると9月に来る台風は大抵20号前後が多かったような。今年は台風が少ないということでしょうか。それとも梅雨明けがずれ込んだ分だけ遅くなって、これからどんどん発生し、10月…いや、去年だって最期は11月になって発生していましたから、遅くまで来るということなのかも。

 調べてみると、2019年の台風の発生個数は29個で、日本への上陸数は5個、いずれも2018年と同数なんですって。特に台風被害が大きかったのは、15号の関東地方の暴風と19号。その19号は記録的な大雨、暴風のために、被害が関東から東北までの東日本全域に広がり、東日本大震災以来の広域災害となったのです。千葉県の方々は両方の台風からダブルパンチを受け、停電なども長期間に渡るという、非常に気の毒な目に遭われたんでしたよね。今後台風がどこに来ようとも、今年は大きな被害が出ませんようにとただ祈るばかりです。

 では、コロナの方はどうなっているのでしょうか。宇部市はまた昨日2名、今日1名と感染者が出て、合計43名になりました。山口県も178名と、急激ではありませんが相変わらず徐々に増えています。

 しかし、東京都での感染者の発生状況グラフを見ると、8月のお盆前後をピークにして徐々に下降線を辿っているようでしたので、このまま下火になってくれることを願ってやみませんが…。でも、冬場にさしかかると今度は第3波といって再び押し寄せてくるかも知れませんね。いつになったら終りが来るのでしょうか。

 昨日のニュースでは、新型コロナウイルスの影響で全国の学校が一斉休校したあと、本格的に再開が始まった6月以降から8月末までの間に、1,166人の児童生徒に感染が確認されていたことがわかったと報道していました。 このうち、症状があったのは48%(557人)でしたが、重症者はいず、 児童生徒の感染経路については、「家庭内感染」が655人と、56%を占め、特に小学生では75%にのぼったようです。いつの間にこんなにという感じですね。恐らく感染者が出た学校は休校などの措置でまたいろいろと大変だったでしょう。

 宇部市でも8月お盆過ぎに初めて小学生の感染者が出ましたので、すぐに臨時休校などの措置が執られました。が、他には感染した者はいませんでしたので、現在は平常授業に戻っているようです。

 しかし、こんな状態で落ち着いて勉学に励みなさいと子どもたちにいうのもカワイソウ。きっと子どもたちだってストレスが溜まっていることでしょうから。今後の成長に影響しないといいのですけどね。子どもたちは日本の宝ですもの。

 ところで、先日から〝口紅〟の話をしていましたが、考えて見れば、この半年以上私は口紅を差したことがありません。もう忘れたかな…アハハ…ファンディーションや頬紅なども…。もともと外出しないときはノーメークでしたし、コロナになってからは滅多に外出しないし、今は買い物や通院などに出かけるにしてもいつもマスクです。だからお化粧するとマスクが汚れるでしょう。

 せいぜいアイシャドウや眉墨ぐらいをちょっと着けてと…、本当にお化粧をすることが無くなりました。だから化粧品も減らないので買わないし…女性はみんな同じでしょうから、きっと業界は大きなダメージを受けているでしょうね。

 それだけではありませんよ。女性がおしゃれをしなくなれば化粧品だけでなく、服もバックも靴も…いろんなものが売れなくなって…、大丈夫でしょうか?

 このようにいろんな業界がコロナの影響を受けていることでしょうから、今後の日本の経済がどうなっていくのかというのが心配。だから直接タッチしている方々の不安やストレスなどは計り知れませんよね。

 ところで、先日ブロ友のころころ様のコメントに〝紅屋の娘〟をお祖母様がよく歌っていらっしゃったというのがありました。どんな歌なのか聞こうと探していましたら、「二木紘三うた物語」様のブログに出会いました。「東京行進曲」はよく聞きましたし歌ったこともありますが、この歌は?

 今年のNHKの朝ドラ「エール」が同時代の歌謡界をテーマにしていますので、古関裕而氏の作曲かなと思ったのですが、中山晋平氏の曲でした。大ヒットした「船頭可愛や」が1935年(昭和10年)で彼が25歳の頃というのですから、『紅屋の娘』も『東京行進曲』もよく知っていたでしょう。ところで、あの中断していた「エール」が、9月14日(月)から再開されるそうですよ。大河ドラマ「麒麟がくる」もこの前再開しましたから、これでまた楽しみが増えますね。よかった!

作詞:野口雨情、作曲:中山晋平、唄:佐藤千夜子

1 紅屋で娘の いうことにゃ サノ いうことにゃ 春のお月様 薄曇り トサイサイ 薄曇り
2   お顔に薄紅 つけたとさ サノ つけたとさ 私も薄紅 つけよかな トサイサイ つけよかな
3   今宵もお月様 空の上 サノ 空の上 
一はけさらりと 染めたとさ トサイサイ 染めたとさ   
4    私も一はけ 染めるから サノ 染めるから たもとの薄紅 下さいな トサイサイ 下さいな

 大正13年(1924)、『令女界』の3月号に『春の月』という題名で曲と詞が発表されました。
 『令女界』は、今の'an.an'、'non.no'等に相当する女性誌で、二十歳前後の女性を対象としていました。上の写真は、左が昭和3年(1928)3月号、右が昭和4年(1929)4月号の表紙。

 昭和4年(1929)5月、日活映画『東京行進曲』の主題歌として同名のレコードが発売されましたが、そのB面に入っていたのがこの曲でした。ただし、タイトルは『紅屋の娘』に変えられました。

 『東京行進曲』は日本における映画主題歌の第1号で、大ヒットとなりました。それにつられるかのように『紅屋の娘』もヒットしたので、日活と東亜キネマが競作で映画化しました。

 紅屋は要するに化粧品屋で、紅花から取った頬紅や口紅を貝殻の皿に入れて売っていたことから、一般には紅屋と呼ばれていました。

 「春の目覚め」を迎えた娘たちは、情緒の揺れが大きくなり、何か物思いにふけっていたかと思うと、意味もなくソワソワし、つまらないことに笑い転げ、すぐメソメソし、あらぬ事を口走ったりします。一見支離滅裂な歌詞には、そうした年頃の娘の心情がよく表されています。  (二木紘三)

  写真は、我が家の〝ジンジャーの花〟、秋の季語です。今年は花がたくさん付いている割りには小振りですし、雨が降らないので、すぐしぼんで余りキレイではありません。


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〝玉虫色の口紅〟についての追補で~す!

2020年09月01日 | 俳句

 今日は晴れのち曇り…台風の影響があるのか、風はあるのですが、蒸し暑く最高気温も33度と、少しも快適な日ではありませんでした。このところ夏の疲れが出てきたのかしら、今ひとつ気分も低調! 

 いよいよ今日から9月ですね。大正12年(1923年)の関東南部を襲った〝関東大震災〟が、この9月1日ですので、この日を「防災の日」といい、俳句では「震災記念日」や「震災忌」ともいって秋の季語になっています。

  わが知れる阿鼻叫喚(あびきょうかん)や震災忌         

 この句の作者は京極杞陽(きょうごく きよう・1908年~1981年)。東京市の出身で高浜虚子に師事し、「木兎」(もくと)を主宰しました。本名は高光(たかみつ)、豊岡京極家13代当主で少年期から壮年期までは子爵の爵位を持つ華族でした。

 15歳の時、杞陽はこの関東大震災に遭遇し、姉1人を除くすべての肉親を失いました。人も羨む恵まれた環境から一瞬にして姉と二人っきりの悲惨な境涯となったのですから、それはとても私などの想像の及ぶところではないでしょう。〈阿鼻叫喚〉とは、八大地獄の阿鼻地獄と叫喚地獄のことで、その地獄に陥った者のように泣き叫んで救いを求めることです。震災の惨状を目の当たりにした作者にとっては、これ以上の表現は思い浮かばなかったのかも知れませんね。

 そういえば、今日の昼過ぎ北海道の十勝地方に地震があったとニュースで告げていました。しかし、震度3ぐらいではもう誰も驚かなくなって…、慣れって本当にコワイですね。

 新型コロナウイルスの感染に対しても最近は余り大騒ぎをしなくなっています。それで、ちょっと目を放したすきに、宇部市から毎日感染者が何人か出ていて、あっと言う間に40人にもなっていたんですよ。盆前は14人でしたのに。山口県も倍以上に増えて168人にも。だから〝また出たんだって〟と聞いても、みんな〝ふうん、そうなの〟ぐらいの反応なんです。知人や身内から出ない限りは驚くこともなくなったようです。

 さて、さて、皆さん聞いて下さ~い!前回のブログ「〝玉虫色に残暑〟って?」に、ブロ友のKUMIさんからコメントを頂きましたので、再掲させていただきます。(KUMIさん、ゴメンナサイ!) 

…でも、玉虫色に見える口紅は知っています。
子供のころ、家に貝に入った乾びた「紅」がありました。光線の具合で玉虫色に光って、綺麗なものでした。母はお化粧なんかしない田舎のオバサンでしたが、もらったという口紅を大事にしていました(母、明治32年生)。京都の土産に、従妹からもらった、と言っていました。
多分、山形の紅花で作った紅を、当時はまだ使っていたのだと思います。というような昔のことを思い出しました。昭和24.5年頃のことです。
京紅は今もあるみたいですから、やはり玉虫色になるのでしょうね。…

 そうなんです。私もブログUpした後に他のことを調べていて見つけたんですよ。「艶紅」としてウィキペディアに載っていましたので、今度はそれをちょっとお借りして…

 艶紅(ひかりべに・つやべに)とは、紅花の色素を梅酢で分離した色素。本紅ともいう。古くは口紅としても使われ、特に上質のものは京都でで精製されたため「京紅」とも呼ぶ。

紅花から分離した色素の溶液を、紅が退色しないように蓋が付いた白色の陶器の椀や猪口(伏せておけば光が入らないため)、あるいは貝殻に何度も塗り重ねて乾燥させた状態で販売されており、上質のものは非常に高価で、『金一匁(もんめ)紅一匁』という言葉通り、同じ重量の金に匹敵する価値があるとも言われた。なお、容器は再び紅を買う時に紅屋に持っていって紅を塗ってもらう事があったようだ。

純度が高い赤い色素故に赤い光を吸収してしまい、反対色である緑色の輝きを放つため、乾燥した状態では玉虫色に見える。江戸時代には、玉虫色の輝きを放つ紅は良質なものとされ「小町紅」という名で販売された。水を含ませると赤色になるが、唇などに塗り重ねると、やはり、玉虫色がかった色になる。

 浮世絵の美人画などの口元で下唇が緑色に見えるのがあります。純度が高く、精製の密度が細かい小町紅を何度も塗り重ねると、唇が玉虫色に輝くのだそうです。「笹紅」と呼ばれるこの斬新なメイク法は、新しいもの好きの江戸っ子たちの間で、たちまち大流行したんですって。

 このようなメイクがなぜ流行したのか、それを解くヒントが谷崎潤一郎の随筆『陰影礼賛』(いんえいらいさん)の中に見つけることができるんだそうです。ではその部分を…

 私が何よりも感心するのは、あの玉虫色に光る青い口紅である。(中略)あの紅こそはほのぐらい蝋燭のはためきを想像しなければ、その魅力を解し得ない。古人は女の紅い唇をわざと青黒く塗りつぶして、それに螺鈿(らでん)を鏤(ちりば)めたのだ。豊艶な顔から一切の血の気を奪ったのだ。私は、蘭燈(らんとう)のゆらめく蔭で若い女があの鬼火のような青い唇の間からときどき黒漆黒の歯を光らせてほほ笑んでいるさまを想うと、それ以上の白い顔を考えることが出来ない

 当時の小町紅は、現在の金額で1つ6~7万円という高級品。庶民の女性たちにはとても手が届きませんので、一般の女性たちは、下唇を墨で塗りつぶした上から、精製の粗い廉価な紅を塗り、流行の「笹紅」を再現したんだそうです。そんな謎めいた小町紅を唇に塗り重ねることで起こるある「変化」をいち早くファッションに取り入れたのは、当時大人気だった歌舞伎役者や、太夫や花魁など、身分の高い遊女たちだったのです。

 …と、いろいろ調べてくると、蛇笏の詠んだ「口紅の玉虫色に残暑かな」は、本当に玉虫色の口紅だったのだと思いました。若い頃は小説家を目指した蛇笏ですから、当然谷崎潤一郎も読んでいたでしょう。単純に赤い口紅が光線の加減でそう見えたのではないと…。エエッ、だったら遊女?いやいや、歌舞伎か何かを観に行ったとも…。赤線が廃止されたのは昭和21年らしいですからそれまでは東京にも吉原などたくさんの遊郭があったのですね。昭和31年売春防止法が公布され、それが実施された翌年にやっと遊郭も完全に姿を消したんですから。だから、孤高の俳人と言われる蛇笏サマだって…やっぱし男なんだし…なんて考えてたら…ああ、もうこんな話止めましょうね。せっかくの私の蛇笏像が…きっと小説的フィクションなんでしょう…アハハハ…。

 実はこの玉虫色に光る「小町紅」は、江戸時代から続く「日本最後の紅屋」といわれる「伊勢半本店」で、今も作って販売されており、さらにそこには「紅ミュージアム」(東京都港区南青山)というのがあって、口紅の歴史と「紅」の秘密が展示されているのだそうです。機会があったら是非行ってみたいですが…、今はダメですね。その紅ミュージアムの説明には…

 紅ミュージアムは、江戸時代から続く最後の紅屋「伊勢半本店」が運営する資料館です。文政8年(1825)の創業時から今日まで受け継いできた紅づくりの技と、化粧の歴史・文化を数々の資料と共に公開しています。併設する体験ゾーンでは、紅のお試しづけに加え、科学的なアプローチから紅ならではの色の不思議にせまります。「紅」を知り、学び、その美しさを体感できる空間、それが紅ミュージアムです。

紅のイメージ
 

 ちなみに「小町紅」のお値段は、普通のが14,000円~16,000円(税抜き)でした。高い!でも魅力的ですね。写真は、伊勢半本店様のをお借りしました。スミマセン。

 

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