ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝あり得るウソ〟はいいですか?

2019年08月31日 | 俳句

 久し振りにブログを2日間も休んでしまいました。何やかやと忙しさに追われ…書こうかなと思った時にはもう12時を回っていて、眠くって仕方がなかったりで、まあいいかと…。訪問して下さった方には、ゴメンナサイ!

 ところで、どうしたことか、あれほど降っていた雨がやんで、昨日今日と続けての、快晴とまではいきませんが、しっかりお日様マークでしたよ。早速溜まった洗濯物をこの2日で全部解消しました。ヤッター、すっきり!

 昨日は美容院にも行って、髪をキレイにして貰ったし、午後からのリハビリにも行って運動もしてきたし…もう、リフレッシュ完璧。というわけで、今日は主人を誘って、9月の吟行会の下見に山口市へ出掛けました。紹介は吟行会の時にしたいので、ここでは止めておきます。後日をお楽しみに! まあ、ちょっと言うなら、山口市は観光地ですので、それぞれ瑠璃光寺やサビエル記念聖堂、雪舟庭、一ノ坂川周辺、中原中也記念館など見所はたくさんあります。しかし、殆どどこも何度か行ったことがありますので、始めての人ならいいのでしょうが、私にはちょっと飽きたかな…。そこで今まで行ったことのない穴場を探しに行ったんです。

 もちろん有名な所ではありませんので、ナビにも出てこないし、立て看板もなし…。主人と、〝これは3流クラスの名所(?)旧跡なので、なかなか見つからんわね~〟と言いながら、でも何とか見つけました。下見に来てよかったです。ホント!当日探しながら行ったんでは時間ばかり掛かって、吟行が中途半端になるか、句会ができなくなるかで、お手上げでしたよ。よかった!

 さて、さて、先日の兼題〝朝顔〟の句に、〈朝顔の観察日記見つけたり〉というのがありました。昔我が家の子供たちも小学校の時、夏休みの宿題が朝顔の観察日記でしたから、今でもそうなのでしょうか?この句、よく分かりますが、〈見つけたり〉とあるので、〝作者のお子さんのを?〟と聞くと、〝いや、僕のです〟と。〝じゃあ、あなたのをお母さんがどこかに仕舞っていたのを見つけたのね。それは遺品か何かから出て来たの?〟〝いや、母はぴんぴんしていますよ〟と。(大笑)〝エエッ、それはゴメンナサイ!〟〝じゃあお母さんが保管していたのは何?〟〝ああ、段ボール箱です〟と。ウウ~ン、それは困りました。じゃあ〝行李〟とでも…いや、古くさいわね。なら〈母の函より朝顔の観察記〉とでもしますか?エヘッ…

 よくあるんですよ。生きているのにまるで亡くなったかのように詠んである句が…。俳句は〝あり得るウソ〟はいいと言われていますが、私はこれだけはウソをついてはいけませんと言うんです。そう、生きている人を俳句の上であっても〝殺す〟のは!イケンよ!

 ところがまた、次のような句、〈朝顔や老犬の亡き庭広し〉がありました。確か先月添削した句に〈老犬の歩みに合はす青田風〉というのがありましたので、作者に〝あの老犬とうとう死んだの?カワイソウね〟と言うと、〝いや、まだ死んでいないのですが、そう詠んだ方がいいかなと思って…〟と。もう、ビックリ!これもいけませんよ。なんぼ犬だからといっても殺すのは…。本当は近所の犬で姿が見えなかったので死んだのかと思ってですって。だったら〈老犬の今朝は見えざり牽牛花〉ぐらいで、どう?そうすると〝いつもの姿が今朝は見えず、もしかしたら死んだのかも…〟という意味になり、作者の心配する気持が伝わるのではと。ちなみに、〝牽牛花〟(けんぎゅうか)とは、朝顔の別称です。

 かつて秋櫻子が唱えた〝文芸上の真〟ということばが確かにありますので、〝あり得るウソ〟も創り出す場合があるとは思います。しかし、小説や戯曲などのようなストーリー性のある創作ならまだしも、俳句は小説とは違うような気がします。上手くは言えませんが、やはり俳句というものは、〝今〟を〝生〟を〝真〟を詠むものだと、私は思っています。だからわざわざ生きているものを殺してまで、詠まなくても…ある意味それは人の気を引くためなのではとつい私は思ってしまうのです。みなさん、どう思われます?

 難しいことは抜きにして、自分の眼でしっかりとこの世の〝真実〟を見詰めて、自然とともに〝生きる〟、人を含めてあらゆるものの姿を十七文字のことばで表現できたらいいと、私は考えます。ウ~ウン、イヤイヤそんなこと考えてたら俳句なんかとても詠めませんよね。どうぞ全部忘れて下さい。いいんですよ、詠みさえすれば。アッハッハ…(笑)

 写真は、〝藪蘭の花〟。〝蘭〟は秋の季語になっていますから、これもいいかしら?

 

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今はまさに〝秋黴雨〟

2019年08月28日 | 俳句

 昨日も今日も雨、雨、雨…何が困るかって、もちろんそれは洗濯ですよ!部屋干しは余り好きではありませんので、最低限の薄手のものを洗って、浴室乾燥器を回しています。もちろん深夜料金で…ね。

 まあ、夏ですから厚手のものは少ないのですが、でもジーパンなどになると…ああ、太陽がほしい!

 今日は午後から健康体操へ行って来ました。ちょうど雨が小降りになって、これだったらもしかすると止むかしらと思ったのですが、帰る時にはまたザアザアと降り出してしまいました。

 今朝の主人との会話…〝よう降るの~。梅雨にはあまり降らなかったのに…〟〝そうやね。まるで今頃梅雨がやってきたみたいね~〟と。そうなんです。季語にも〝秋黴雨(あきついり)〟や〝秋霖(しゅうりん)〟というのがあるんですよ。どちらも秋の長雨で、梅雨時に似た気圧配置によって生ずる雨季のこと。

  泥連れの水おそろしや秋ついり         三橋敏雄

  秋霖に濡れて文字なき手紙かな         折笠美秋

 後句の、濡れて文字が消えてしまった手紙というのはある意味汚いですよね。私も経験がありますが、特に水性ボールペンで書くと水滴が付いただけですぐ汚れてしまいますもの。この句はきっと昔ながらの万年筆の文字ではと思うのですが…。でも、語感からすると〝秋霖〟は軽くてサラッとしていますから、汚いというよりもなんだか謎めいた美しい手紙のようで、一体誰からかしら?と、開けるまで胸をときめかせたりしたのかも。

 それに引き替え、前句の方は今時の実感ですね。二,三日前から佐賀県・福岡県・長崎県では記録的な大雨の特別警報が出されていましたが、先程テレビを見ると佐賀県武雄の浸水被害の様子が報道されていました。まだまだあちらこちらでも被害が出ているようすで、全く油断はできません。こちら宇部でも携帯にしきりと大雨注意報が入ってきているんですよ。去年の広島や倉敷のことがすぐに蘇ってきます。もう祈るしかありませんね。

 さて、梅雨のことを〝黴雨〟と書いて、〝ばいう〟と読みますが、まさに字の通り黴(かび)だらけになる雨なんです。だから、〝秋黴雨〟も気が滅入るような字面と語感を持った季語ですから、この句にぴったりですよね。でも、どうして漢字を用いなかったんでしょう。私だったら迷わずに漢字を書いたと思うんですが…

 ところで、昨日は8月最後の句会でした。兼題は〝朝顔〟で、これは秋の季語なんです。以前ブログにも書きましたが、有名な千代女の〈朝顔に釣瓶とられてもらひ水〉の句がありますよね。

 この句会のことはまた書くとして、実はとても嬉しかったことがあったんです。一つは、去年もでしたが、Hさんが自宅の農園で育てた巨峰をみんなに下さったこと。そう言えばこれで去年は兼題を〝葡萄(ぶどう)〟としたんでしたっけ。それから、この写真の袋。これは私のブログの〝かまわぬ手拭〟を読んで作ったので先生に差しあげますと…Kさん。〝わあ、カワイイ!これ、かまわぬ手拭なの?〟と聞くと、〝いいえ、これは百均で~す〟だって。でも、ほら〝金魚〟、これも夏の季語よ。手拭を〝汗拭き〟にするとこれも夏の季語…見渡せば私たちの身の回りには季語が溢れています。そんな季語だらけの中で私たち日本人は暮らしているんですよ。だからみなさ~ん、やっぱり〝俳句〟しなくっちゃ、ネッ!ほら…

 

 

 

 

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俳句は、〝叙述〟ではなく〝描写〟

2019年08月26日 | 俳句

 今日は何となく朝夕の風が涼しいような気がしましたが、やっぱり宇部の最高気温は26度ですって。でも、一日中曇りで明日はまた雨が降ると…だから湿度が高くてあまり快適ではありません。

 午後からは句会。今日の兼題は「残暑」でした。他の教室でも同じものをしましたので余り目新しく感じたものはありあせんでした。中に〈おとなひに上着を羽織る残暑かな〉と〈子ら去にて残る暑さにまどろみぬ〉という句がでましたので、それにについて少し述べてみましょう。

 どちらとも同じ作者の句。前句の「おとなひ」は〝訪問〟、後句の「去にて」は〝いにて〟と読み、〝去って〟という意味です。二句とも内容のよく分かる句ですし、後句は孫の居る方などはそうだそうだと頷いていましたから、結構点も入っていました。ある程度俳句をしている人ならこの程度の句はもう十分に詠めるようになっているでしょう。ならばこれで満足しないで、折角ですから更に上のレベルを目指してもっと頑張ってほしいと思うんですよ。これでできたと満足しないで…、そう、もう一歩なんです。それが出来るようになれば句が見違えるように引き締まって、更に奥行きもでますからね。

 つまるところ俳句は散文とは違いますので叙述的に説明しないということなんです。これらの句で言えば〈おとなひに〉と〈子ら去にて〉のところ。それぞれが〈上着を羽織る〉と〈まどろみぬ〉の理由付になっていますよね。要するに因果的なんです。俳句では「××したから〇〇になった」というような原因・理由と結果を述べることを嫌います。俳句は〝叙述〟ではなくて〝描写〟するということ。ここをしっかり身に着けることが大切なんです。

 例えば、〈おとなひに〉と言わず〈チャイム鳴り上着を羽織る残暑かな〉と、〈子ら去にて〉を〈子の部屋の残る暑さにまどろみぬ〉とでもするとどうでしょうか。ぐっと具象的になって音が聞えてきたり、子らの居た部屋での居眠りが安堵感を、でもちょっと淋しいという気持を代弁してくれていませんか。このようにことばで説明するのではなく、〝もの〟を提示して具象的に描写することです。

 水原秋桜子先生に『俳句のつくり方』(出版・実業之日本社)という本があります。この本の中に、俳句を作る時に注意すべき六ヶ条と、避けるべき八ヶ条が記されていますので、参考までに書いておきますね。

  注意すべき六ヶ条とは「詩因を大切にすべきこと」「一句に詠み得べき分量をきめること」「省略を巧みにすること」「配合に注意すること」「用語は現代語」「丁寧に詠むこと」ということ。避けるべきこと八ヶ条とは、「無季の句を詠まぬこと」「無意味の季語重複をせぬこと」「空想句を詠まぬこと」「や、かなを併用せぬこと」「字あまりにせぬこと」「感動を露骨に現わさぬこと」「感動を誇張せぬこと」「模倣をせぬこと」です。

 これらを一遍に全部マスターすることなど到底できないと思いますので、一つ一つ確実に積み上げていけばいいのではないかと思っています。写真は、〝灸花〟(やいとばな)で、晩夏の季語。この花の可憐さに対し、別名〝屁糞葛〟(へくそかずら)なんてのはカワイソウ!またまたピンぼけになりました。ゴメンナサイ!

 

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〝かまわぬ〟手拭

2019年08月25日 | 俳句

 今日は一日中家に籠って片付けることをやってしまわねば…とは思っていたのですが、結局まだ済んでいません。一つ片付いたかと思うとまた次のことが湧いてくるんですもの。ということは、私が早くに済ましておくことをせずに溜めていたからなんですが…エヘッ

 月末の忙しさはいつものことで、大体頭の中に私なりのスケジュールは立てているんですよ。ところがここに突発的なことが入るともういけません。いつになったらこの状態から開放されるのか…ということはまあ今の私の暮しではあり得ないでしょうが。

 先日、宇部興産の株主総会へ行ったとき、お土産の中に〝手拭〟が入っていました。今まで無かったものですが、なんで今さら手拭なんかと思いました。もちろんタオルとは違う、要するに日本手拭ですよ。主人が面白がって、東北旅行のおまつりに行くとき、これを頭に巻いて、そう、捻り鉢巻きで見に行こうと持っていったのですが…その手拭が〝かまわぬ〟の手拭だったんです。

 東京の手拭専門店が〝かまわぬ〟という面白い名前だとは聞いたことがあったのですが…詳しくは知りませんでした。

 〝かまわぬ〟の意味由来は、鎌と輪の絵に「ぬ」の文字を合わせて「かまわぬ」と読む判じ絵で、 江戸時代元禄の頃、町奴(まちやっこ)達が好んで身につけていたんですと。その後歌舞伎役者の七代目市川団十郎(1791~1859)が舞台衣装に用いて、当時の庶民の間で大流行したと言われているそうです。その手拭専門店「かまわぬ」は「特別に何のお構いも出来ませんが 気軽にお立ち寄り下さい」という意味も込めていて、「手拭を売ること」だけが目的ではなく、手拭など古き良きものを新しい感覚で取り入れ提案していき、 また手拭や晒を使った和雑貨、遊びのある雑貨を展開し、人々が心地よく楽しい生活をおくるためのお手伝いをしていきたいと考えていますと、説明に書いてありました。

 確かに日本にはよき伝統の一つとして、手拭や風呂敷という便利な物がありましたが、それが廃れてもう久しいことですよね。でもこれらはホントに便利なものだと思います。コンパクトでかさばらないし、いろいろと応用が利くというものはそうそうはありませんもの。このかまわぬの手拭に付いていたチラシにも、その用法が絵入りで書いてありました。①拭く ②掛ける ③被る ④包む ⑤飾る ⑥おしぼりやランチョンマット ⑦贈り物 ⑧汗拭き などなど…

 そこで、ちょっと興味が湧いて、手拭や風呂敷などが詠まれている俳句を探してみましたら…ありました。『増殖する俳句歳時記』に次のような句が…。鑑賞もそのまま引用させてもらいましたので、どうぞ。なかなか意味深いものがありますよ。

  夏近き吊手拭のそよぎかな        内藤鳴雪

夏近しは夏隣りとともに、そのとおりの晩春の季語です。吊手拭(つりてぬぐい)は今は見かけられなくなりましたが、それでも地方の古い民宿などに泊まると、突き当たりの手洗い横に竹や木製のハンガーにつるされている日本手ぬぐいを見かけます。内藤鳴雪は正岡子規と同郷松山の先輩であり、俳句は子規に教わりました。明治時代は、戸締りも通気もゆるやかで、外の風や香りや虫を拒 むことなく家のなかにとり入れていたのでしょう。「吊手拭のそよぎ」が、外の自然をゆるやかに受けとめていて、現代住宅の洗面所のタオルには全くない風情を伝えています。タオルはタオルという名詞ですが、吊手拭は、「吊り、手を拭う」で、動詞を二つふくめた名詞です。手拭、鉢巻き、風呂敷、前掛けなど、かつて生活の場で使われていた名詞には具体的な行為が示されていて、それが人の体とつながりのある言葉としてやわらかくなじみます。木村伊兵衛の昭和の写真にノスタルジーを感じるのに似て、「吊手拭のそよぎ」という言葉は、明治という時代のゆるやかな風を今に運んでくれています。『日本文学大系95 現代句集』(1973)所載。(小笠原高志)

  師走妻風呂敷にある稜と丸み       香西照雄

稜は「かど」と読ませる。句意は明瞭。師走の町から、妻が風呂敷包みを抱えるようにして帰ってきた。正月のためのこまごました物を買ってきたので、包みのあちこちに角張っているところと丸みを帯びているところが見える。師走の買い物の中身のあれこれを言わずに、風呂敷包みの形状から想像させる手法が面白い。ところで「師走妻」とは年越しの用意に忙しい妻のことだろうと、誰にも見当はつくのであるが、いかにも「腸詰俳句」といわれる草田男門らしい独特の表現方法だ。「萬緑」系の句は内容先行型で、このように、いささか描写的な優美さには欠ける場合があるのである。それこそ、この句の風呂敷包みさながらに、ゴツゴツしてしまう。それを好まない人もいるけれど、少なくとも若年の私には、それゆえに草田男一門の句に夢中になれたのだった。(清水哲男)

 明日明後日と句会が続きますし、原稿も溜まっていますので、まだまだのんびりとはできません。写真は、我が家の〝ジンジャーの花〟です。やっと咲きました。でも、これは初秋の季語ですから、今時咲くのが当り前なんですよね。

 

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一体なんの話してんの???

2019年08月24日 | 俳句

 昨日は午後からフラダンスの日なのに…気の重いことがあって、それを仕上げなくてはとやっているうちに時間が足りなくなって休んでしまいました。フラダンスは2週間おきですから、休むと1ヶ月空いてしまいます。だからなかなか覚えられなくて…でも、いいんです。踊っているときは楽しいから。音楽に乗せて体を動かすのは…いや自然に動くんですよね、人の体は…全ての踊はそれが原点かも。

 フラダンスは、もとはハワイの宗教儀式の一部でした。いわゆる手や足や腰の動きで波や鳥や花、太陽や月、星などを表現しますが、当然音楽もそれに適ったリズムを奏でます。だから覚えていなくても何となく人に付いて踊れるんですよ。要するに〝フラ、フラ〟していれば踊っているような気になりますから…(笑)先生、ゴメンナサイ!

 でも、このフラダンスも俳句にはなりません。なぜでしょう?ヨガとか太極拳などは時々見かけますが…。ある意味日本の盆踊と違わないのではと思うのですがね。やはり四季のない常夏の国と四季のある国との違いでしょうか。私がハワイへ行った時、一句も詠めませんでしたもの。海外詠は本当に難しいです。絵葉書のような報告の句しかできなくて…まあ、それだけの力がないということでもありますが。エヘッ…

 こちらではこのところ夜になると雨が降っています。昨夜もその前も…その分だけ湿度が高くなり昼間は30度を超えますので、不快指数の高いこと、高いこと!今こちらは秋雨前線が居座っているそうな。いつになったらさっぱりとした爽やかな秋が来るのでしょうか。

  爽やかやたてがみを振り尾をさばき       山口誓子

 この句は馬が疾走する景を詠んだものでしょうか。きっと競馬場とかでしょう。そういえば先日からニュースで〝ディープインパクト〟の話が取上げられていましたが、スゴイですね。競馬音痴の私でも名前ぐらいは知っていますもの。今朝のニュースは一回の種付けに7000万円とか…エエッ、と私がビックリすると主人が年商80億だぞと…ホントに別世界の話ですね。ネットで見てみてみましたけど…眼が回りそうなので、止めました。でもこんな名馬はそうそう滅多に出るものではありませんよね。

 つい私が、〝三位一体〟でないとね~と主人に言うと、??? 使い方が間違ったかしら…

 要するに、名馬を見抜ける「伯楽」とそれを育てる「厩舎と調教師」、それにその能力を最大限に生かせる「騎手」が揃わなくっちゃあという話ですよ。この馬の生まれた牧場長は、生まれたばかりの同馬を見て、体のバランスは良いと思ったが、ほかの馬と比較して目立って良い点があるとは感じなかったと語っていますし、0歳時にセレクトセールに上場されたディープインパクトは、馬主に7000万円で落札されたそうです。馬体が薄かったことから上場されたサンデーサイレンスの産駒14頭のうち9番目の落札価格だったと。担当する厩舎の調教師も初めてディープインパクトを見たとき、同馬が小柄でかわいらしい顔をしていたため牝馬ではないかと思い、本当に牡馬かどうか股を覗きこみ確認したという話も。しかし馬主は、購入したとき「瞳の中に吸い込まれそうな感覚に襲われた」と証言するほどこのときの瞳の輝きに衝撃を受け、また多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しいという思いから「ディープインパクト」と名付けたんだそうですが、まさに正解でしたね。(ウィキペディア参考)

 昔漢文で教えた、「 世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。…  」という中国(唐)を代表する文人であった韓愈の「雑説」を思い出しました。懐かしい!それはそうと、今時漢文って学校で教えているのかしらん?

 あっ、思い出しました。亡くなった母がとても馬が好きで、競馬を見に行きたいといつも言っていましたね。もちろん賭け事ではなくあの馬の走る姿がたまらなくいいんだと。だからテレビでもよく見ていました。以前兄に一度中津の競馬場へ連れて行ってもらったと大喜びをしていましたもの。私はまだ一度も見たことがありませんので、一生に一度くらいは競馬も見てみたいものです。お母さ~ん、あの世でも競馬を見てる?

 話がまたまた飛んでしまいました。私の悪いクセです。ゴメンナサイ!

 写真は、我が家の〝夏水仙〟。去年も書きましたので、説明は抜き、残念ながら季語にはなっていません。でも〝夏〟があるから夏の季語としてもいいと思いますが、ヒガンバナ科なので秋に入るかも。要するに8月ごろ咲くということは立秋過ぎていますから、そういう意味では秋、でも夏休み中なんですから夏、とややこしい!まあ、どっちでもよしとしましょうよ。美しい花なんですから…

 

 

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常盤公園夜の吟行会

2019年08月22日 | 俳句

 昨日の午後は健康体操でした。先週はお盆休み、その前は東北旅行から帰った次の日でしたから、その疲れで休みました。すると、みんなから〝お久しぶり!生きてたの?〟などと心配されて…アリガタイコトです。俳句だけの仲間ではなく、いろんな分野にも仲間がいるということは楽しいこと…人生愉しまなくっちゃ、ネッ!

 この夏は忙しかったから疲れがとれていないのか、どうも体が重たいです。体操が年々しんどくなるのも老化現象なので仕方がありません。でも膝が曲がらなくなって一番困るのはトイレなんですよ。もう和式しかないような古い施設などに行くと、死にもの狂いですもの…(笑)

 夕方の6時からは、先月から始めた月一回の吟行会。先月は秋吉台でした。今月は近場の常盤公園で、それも夜の吟行を…これは初めてです。

 今常盤公園では、アートコレクティブのチームラボが、世界を旅する植物館で〝水の道 光の道〟を、イベントホールでは〝世界はこんなにもやさしく、うつくしい〟のタイトルでアート展を開催しています。このような夜の光のアート展が始まってもう三回目になるのかしら、私は初めてなんです。

 今回の作品は、光で描かれた魚の群れが自由に泳ぎ、来館者が手で触れると魚が色を変化させる演出や、光り輝く珍しい植物が色を変化させ、色特有の音色を響かせる空間を植物館に作り出し、来館者を光と音の幻想的な世界へ導きます。 あわせて、今回初めて、日中から開催するイベントホールでは、壁面に映し出された文字に近づくと、その文字が持つ世界が現れ、一つ一つの文字を通して創り出されたそれぞれの世界が互いに影響を受け合いながら、様々な自然の世界を描いていきます。

 一応吟行会ですので、これを俳句に詠み込まねばならないのですが、なんとも難しい!そもそも美術館や博物館などで展示物などを見て俳句に詠むのは並大抵ではありません。詠んでも報告の、どうでもいいようなものばかり…本当に難しいです。それも吟行という即吟に近いものですから碌なものしかできませんよ。ウヘッ…

 光のアート展ですので暗くならないと効果が出ませんから、入館は7時半から。それまで公園内を散策して句材を拾っていてよかったです。夕方の公園はさすがに湖があるだけ、涼しい風が吹き渡ってとても気持がよかったなあ~。後の句会でこの植物館などの句が出たのは一つだけ、他はみんな公園内の風物ばかりでしたもの。やっぱりね。

 ところで、8時ごろ館を出ようと入口へ行くと…何だか騒がしい。見ると、8月9日から始まったこのアート展への入場者数1万人達成の記念品授与ですって!エエッ、どうかしたら私たちにも可能性があったんです、わあ、ザンネン!だって8人の団体で来たんですからね~。

 その後会場を変えて句会をしました。当日句3句、計24句の互選と選評。でも、食べたり飲んだりの中ですから、終るのが11時近くになってしまいました。みなさま大変お疲れ様でした。では、また来月ね。

 写真は、植物館の〝光の魚〟を撮りたかったのですが、暗いのでうまくいきませんでした。バオバオの木やサボテンなどは光の色を変えると、また違って見えます。イベントホールでは、〝螢〟と〝花〟の文字を触ったときの映像です。他に雨や、雷、山、海、水、虹、鳥などたくさんあって、子供たちが喜んで触るので次から次に絵が変化して四方の壁に映し出されます。なんだかまるで夢の国に迷い込んだような…。ではどうぞ。スマホでは上手く撮れません。いや、下手だからでしょ。ゴメンナサイ!

  

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ひとりよがりの句

2019年08月20日 | 俳句

 昨日は朝から俳誌「早苗」の臨時運営委員会で、広島へ行って夕方帰ってきました。山口を出るときは曇りでとても蒸し暑かったのが、広島に着くとポツリポツリと…天気予報で山口も広島も午後から雨ということで、それが少し早まったのかも知れません。しかし、ちょっと涼しくなったようで、やはり秋の気配が感じられますね。

 駅で友人と落ち合い、会場の八丁堀の近くの幟町集会所へ。10時30分開始。議題は〝早苗の今後について〟でした。これはどこの結社でも同じではと思うのですが、押し寄せる高齢化の波で会員の減少に歯止めが掛けられず、資金が底をつくのはもう時間の問題ではということ。資料を見ながらいろいろと検討しましたが、なかなか難しい問題です。それで、どうしてもダメな時は…せめて〝有終の美〟が飾れるようにみんなで努力していこうということになりました。クヤシイですが、何年もつでしょうか。ウ~ン…

 解散後、小降りの雨の中を広島駅へ行き、18時前の新幹線で新山口へ。宇部もそれほどヒドくはないですが、雨が降っていました。

 今日の午後は句会で、兼題は〝秋の声〟でした。秋になるとさまざまな物音の響きが敏感に、しみじみと感じられますが、風雨や葉擦れ、虫などの具体的な音だけでなく、心耳でとらえた秋の気配をいいます。

  (きぬ)を裂く琵琶の流れや秋の声        

 蕪村の句です。上五の〈帛を裂く〉の表現からは、「帛を裂くような」という慣用句がすぐに思い浮かびますが、それは、絹布を裂くとき、高く鋭い音が出ることから〝女性の悲鳴など、かん高く鋭い叫び声の形容〟という意味で用いられる語なのです。ここでは噎び泣くような琵琶の音が悲しくもだえ苦しむ女性の悲鳴のように聞えたのかも。琵琶といえばまず『平家物語』を連想してしまいますが、その琵琶の奏でるもの悲しい音色はまさにしみじみとした〝秋の声〟そのものだと感じたのでしょう。

  幹に声かけ幹からも秋の声   鷹羽狩行

 この句は、作者の心耳がとらえた「秋の声」。どこか高原の林でしょうか、大きな木の幹に声をかけると、木もそれに応えて…きっと幹に触れたのでしょう。すると全身に秋らしい爽やかさが伝わってきたのです。つまりあたり一面の木々の葉擦れや風など、あらゆるものから発信される秋の気配を、この一つの幹を通して感じ取っているのだと思います。作者の鋭い感性ならではの作品ですね。

 今回の句会では、特に〝ひとりよがりの句〟について勉強しました。作者にしか分からない句…それがひとりよがりなんです。こんな句がありました。〈辣韮掘る一夜を貸さず五十粒〉 みなさんこの句分かります?私はさっぱり…。季語は「辣韮」で夏、ほらあのカレーなどのとき食べるらっきょうですよ。でも、〈一夜を貸さず〉が全く分かりませんでした。作者に聞くと、〝辣韮は掘るとまたすぐに次の収穫のために植えるんですよ。それが五十粒、一晩も置いたらダメだと昔から言われていて…〟と。へエッ、ビックリです。辣韮など作ったことがありませんので、分かるはずがありません。それなら〈辣韮掘り一夜を置かず植ゑにけり〉とか〈五十粒はすぐに植ゑたり辣韮掘り〉とか言ってもらえば、知らなくても何となく分かりますよね。最後は〝この辺では一晩置くことを「一夜貸す」と言うんですよ。これ方言ですかね~〟と作者。どうでしょうか。私は宇部人ではありませんので、他の人に聞いても???

 とにかく自分が使うからとか知っているからといって、正しい言い方とは限りませんので、言葉はよく調べて使いたいものです。もう一つありましたよ。〝鍵〟を〝鍵穴〟の意味で使っていた句。これは調べるとその意味があったからと作者は言うんですが…ホント?ではそう書いてあるものを見せて貰わなくっちゃね~。信じられな~い!

 写真は、我が家の〝酔芙蓉〟、初秋の季語です。この花が咲き出すと、ああ秋になったなあ~と思いますね。普通の紅芙蓉はどうしたことか、今年は葉がみなやられて全くダメです。クヤシイ!酔芙蓉は朝は真っ白ですが、これは最初のが句会に行くときの1時頃、後のが帰ってきた5時半ごろの花です。いい色に酔っているでしょ!

 

 

 

 

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もひとつおまけ!〝みちのくの旅〟

2019年08月18日 | 俳句

 今日は久し振りに朝からのんびりしていました。室内にいる限りはエアコンを掛けていますので、快適ですが、一歩外へ出るとやはりまだまだ暑い!まあ、もうしばらくの辛抱かしら。

 今日の午後はお盆に集まっていなかったので、みんなで集まってランチでもしようと出掛けました。義母たちが広島に居た頃は、みんなが帰省してとても賑やかなお盆を迎えていましたが、京都の弟夫婦たちが遠いので帰ってきません。この頃の盆正月はいつも宇部だけになってしまいました。私の実家へも行くことはありますが、母が居たときのようにはのんびりとできません。だんだん〝ふるさとは遠くにありて思うもの〟になってきました。ああ、淋しいこと!

 それでは最後に、もうちょっとだけ東北旅行にお付き合い下さいね。

 二日目の平泉中尊寺の後は〝厳美渓〟で昼食、次にみちのくの小京都といわれている〝角館武屋敷群〟の散策でした。その後竿燈まつりの見物だったんです。

 厳美渓(げんびけい)は、岩手県一関市にある磐井川中流の渓谷で、栗駒山を水源とする全長2キロメートルの渓谷です。1927年(昭和2年)に国の名勝及び天然記念物に指定されました。

 角館(かくのだて)は、佐竹藩の城下町として有名な国の重要伝統的建造物群保存地区で、「みちのくの小京都」とも呼ばれています。町内には約400本のシダレザクラが咲き、そのうち162本が国の天然記念物に指定されていて、武家屋敷の黒板塀に映えるピンク色の花々が可愛らしく、毎年多くの花見客を魅了しているそうな。私も一度はこの頃に来てみたいと思っていましたが…。なおこの桜は、佐竹北家二代目佐竹義明の妻が京都から嫁いでくる際に、嫁入り道具の中に入っていたシダレザクラの苗木3本が始まりですって。

 三日目は、最上川舟下りをしてその船内で弁当、その後大正ロマンの雰囲気が漂う木造旅館の経ち並ぶ〝銀山温泉〟を散策。将棋むら天童タワーでは将棋の駒製作の実演見学して花笠まつりの会場へ行ったんです。まあ、何とも盛りだくさんのツアーでしたし、暑かったので本当に疲れましたが、滅多にない経験で…いや、もうこんな強行軍の旅は最後かもしれません。

 最上川舟下りは、川の流れに身をまかせ雄大な自然の中を船頭の舟唄を聞きながらゆっくりと船上からの景色が楽しめました。四季を通じていつでも楽しめるそうですが、今年の夏は雨や雪が少なかったので、川も水量が非常に少ないということ。舟唄も最近では英語版や中国語版などが多くて…といって、唄ってみせてくれましたので、拍手喝采です。

 では、写真を見て、楽しんで下さい。まあ、大した写真ではありませんが…いつもゴメンナサイ!

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兼題は〝残暑〟

2019年08月17日 | 俳句

 昨日は、本来なら〝台風一過〟の見事な青空が見えてもいいのに、なんとも雲の多いどんよりした天気。僅かに青空があるものの、なんと心許ない色だこと!湿度も高くって…台風後のさっぱり感が大好きなのに、ザンネン!

 〝台風〟は秋の季語。その昔は〝野分〟(のわき)といって、やはり秋の季語になっています。

  颱風の波まのあたり室戸岬          高浜年尾

  丹波路やまだ夜を翔ける野分雲        飯田蛇笏

 「室戸岬」は高知県、「丹波路」は兵庫県から京都府への道…とすれば今回の台風10号の進路に当たりますので、さしづめこのような感じだったのでしょうね。

 私は、午後から俳句教室でしたので会場へ。兼題は「残暑」、立秋が過ぎてもなお残る暑さをいいますから、初秋の季語です。

  伶人のやどりにのこる暑さかな        与謝蕪村

 ちょっときわどい句だと、私は思いました。なぜって?それは〈のこる暑さ〉が、〈のこる〉と〈暑さ〉を切り離しても考えられるからです。分けて考えれば、これは「暑さ」が季語となって、夏の句になりますからね。そこで気になるのは「伶人」の意味でしょう。これが分らなければ解釈も鑑賞もないのですから。伶人とは、〝音楽を奏する人〟のこと、特に雅楽を奏する人です。だとするとこの蕪村の時代ですから、神道などに携わっている人で、ある意味宮廷官吏などの教養人であると思われます。

 そう考えると、品位ある礼儀正しい人が泊ったと思えば、その人が泊っているというだけで涼しげに感じるはず…それなのにやっぱりまだまだ残暑が厳しいことだなあと、蕪村は思ったのでは?

 夏だったら単純に人がいるだけで暑苦しいですよね。もしそれが髭が生えたようなむさ苦しい人でなく、伶人のような涼やかな人であっても。だからここはやはり秋になっての〈のこる暑さ〉だったのでしょう。

 今日は、また今から句会です…あ、そうだ、その前に義母を連れて病院へも行かなくっちゃ。わあ、忙しい!では今日はこれぐらいで。

 写真は我が家の〝野萱草〟、やっと咲きました。晩夏の季語ですが…もう季節なんかどうでも、という感じですよね。この先どうなっていくんでしょうか。

 

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おまけの平泉〝中尊寺〟ですよ。

2019年08月15日 | 俳句

 今日私は一日中息を潜めて…(笑)台風10号が過ぎるのを今か今かと(笑)待っていました。と書いて考えてみると、何だかキツネに化かされたみたい!雨は降るもののそんなにヒドくはなく、風などどこに?という無風状態でしたもの。別に怒る筋合いはないんですけどね~。ヘンなの~という感じです。ネットのニュースなどで見ると次のように…

〝お盆の15日、西日本を直撃した台風10号。各地では強風によるけが人が相次ぎ、看板落下などの被害も出た。山陽新幹線が「計画運休」で終日運転を取りやめるなど、交通機関も大きく乱れた。台風の進路にあたる地域では、住民らが不安な時間を過ごした。…〟

 確かに電車や飛行機などの交通機関には運休とか欠航などが出ていましたが、どこにも出掛ける予定のない私には〝フウ~ン〟と、まったくの他人事です。お盆の帰省で困っていらっしゃる方もたくさんおられるでしょうのに…いけませんね。ゴメンナサイ!

 この度の東北旅行は〝まつり〟がメインでしたが、途中いろいろなところを観光しながらの移動でしたので、その写真が残っています。ご紹介しますね。

 二日目の午前中は、世界遺産・中尊寺の金色堂をガイドさんに案内されて参拝しました。その時の写真です。

 中尊寺は天台宗東北大本山で、850年、慈覚大師円仁の開山。12世紀初め奥州藤原氏初代清衡公を供養するために建立されました。14世紀に堂塔の多くが焼失しましたが、金色堂や三千余点の国宝・重要文化財である仏像などは平安仏教美術の宝庫とみなされ、世界文化遺産として登録されました。以前来たときは修復中とかいうことで金色堂の中が見られませんでしたが、久し振りに拝見しました。やっぱり今でも豪華絢爛ですね。最後の2枚の写真は、私も今回が初めてで、〝弁慶の墓〟ということでした。

 

  

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最後は〝仙台七夕まつり〟だよ!

2019年08月14日 | 俳句

 今日は台風10号の影響で、天気予報通り午後から雨になりましたが、まだ風は殆どありませんでした。それででしょうか、蒸し暑くて最高気温は33度とか。台風は明日の昼過ぎ宇部に最接近する見込みという。

 また、明日に予定されていた甲子園の宇部鴻城と明石商との対戦が16日に順延されました。さて、これは、幸か?不幸か?

 それでは東北四大祭りの最後、〝仙台七夕まつり〟にいきましょうか。

 三日目の夜はこの旅初めてのホテルでの夕食でした。いつも同じような会席料理だと飽きてしまうのですが、前2日間が弁当や自由食でまともな食事ではありませんでしたので、刺身や酢のもの、茶碗蒸しなど、会席の定番料理が美味しいねとみなで言いながら食べました。翌朝ホテルから30分ほどの〝仙台七夕まつり〟会場へバスで行って、2時間の自由行動です。

 〝七夕〟は、もちろん秋の季語、もともとは旧暦7月7日の行事で、五節句の一つです。現在は新暦の7月7日や月遅れの8月7日に行う所が多いですね。この行事は中国の牽牛・織女の伝説とそこから派生した乞巧奠(きこうでん)の行事が伝わり、日本の棚機(たなばた)つ女(め)の信仰と習合したものとされています。笹竹に詩や歌を書いた短冊形の色紙を吊るし、軒先や窓辺に立てて文字や裁縫の上達を祈ったり、その昔は願いの糸(五色の糸)を竹竿にかけて願いごとをしたといわれています。

  うれしさや七夕竹の中を行く       正岡子規

 ではここで仙台七夕まつりの歴史を少し…

 江戸時代の仙台藩主伊達政宗公が子女の技芸上達を願い七夕を奨励したといわれ、その頃から仙台城下には七夕が飾られました。約200年前の『参詣記』には、7月6日の夜に七夕が飾られ、翌朝広瀬川に流した様子が描かれているそうです。明治になり、新暦が採用された後も仙台七夕は旧暦の7月6日・7日に行われ、一月遅れの8月6日・7日に行われるようになったのは約100年前のこと。その後、関東大震災の不景気を乗り切るため商店街が連合で大売り出しを企画し、昭和3年「第1回全市七夕飾り付けコンクール」を開催すると、以後いろいろな工夫を凝らした豪華な装飾で見物人を楽しませるような観光化に移行していったんだそうです。しかし、戦時下での七夕は自粛され、昭和14年にとうとう「仙台七夕まつり」は中断されましたが、昭和21年に復興します。今ではいろいろな趣向を凝らした豪華絢爛の七夕飾りとなり、有名な東北三大まつりの一つとして、〝仙台七夕まつり〟は8月6日~8日まで開催されています。

 仙台の七夕飾りには、明治時代に完成したと言われる仙台固有の「七つ飾り」というのがあって、〝短冊・吹き流し・折鶴・投網・屑篭・巾着・紙衣〟が今も飾られているそうです…が、私ちっとも知りませんでした。紙衣は分かりましたよ。投網・屑篭・巾着には気がつかなかったなあ~ザンネン!

 では、写真をどうぞ。たくさんありすぎて大変でした。最後は、バスで仙台駅へ行き、12時44分発東北新幹線〝やまびこ〟で東京へ。

 

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山形の〝花笠まつり〟ですよ!

2019年08月13日 | 俳句

 今日の暑かったこと!宇部でも最高気温32度でした。俳句教室が終って帰ろうと車に乗ると車内温度は42度まで上がっていましたから、もうグッタリです。やっとクーラーの部屋で涼んで、一息ついてからでないと何も始められませんでした。

 では、お待たせしました。そろそろ山形の〝花笠まつり〟にいきましょうか。

 この祭は、スゲ笠に赤い花飾りをつけた花笠を手にし、「花笠音頭」にあわせて街を踊り練りあるく祭です。山形県内など数か所で開催されていますが、例年8月5・6・7日に山形市で行なわれる「山形花笠まつり」が一番広く知られていて、戦前から行われている東北三大祭りに戦後から始まり広まった「山形花笠まつり」と「盛岡さんさ踊り」を加えた5つの祭りを東北五大祭りと呼んだりしています。

 この山形花笠まつりは、昭和38年の「蔵王夏まつり」が始まりで、その祭のメインである「花笠踊り」で唄われる「花笠音頭」は、明治・大正の頃、山形県村山地方で唄われていた「土突き唄」が元唄だそうです。

 踊りには、「女踊り」といわれる〝正調花笠・薫風最上川〟と「男踊り」の〝正調花笠・蔵王暁光〟、「笠回し系花笠」「創作花笠」の四つがあります。「女踊り」は、最上川を渡る爽やかな風と稲穂の揺れをイメージした伝統的な優雅で華麗な踊り。「男踊り」は、蔵王連峰の夜明けと大地をしっかり踏みしめ、自然の恵みへの感謝をイメージした勇壮な踊り。「笠回し系花笠」というのは、花笠踊り発祥の地・尾花沢系のダイナミックな踊りで、「創作花笠」は、参加者それぞれの趣向を凝らした花笠、衣装、振り付けでの踊りです。

 現在パレードで歌われている「花笠音頭」の歌詞は、従来からあった2歌詞に加え、県内外から公募した13歌詞を加えた15歌詞で構成されており、最上川の流れに沿った各地の名所名物を歌い込んだもの。「ヤッショ、マカショ。」の囃子ことばは、その土(どん)突(つ)きの掛け声から出たといわれ、また一説には、同じ囃子ことばが、最上川河口の港町酒田市の民謡「酒田舟方節」にもあり、それを取り入れたともいわれています。

 まあ、とにかくこの手の祭りは特別珍しいものではありません。全国あちらこちらに規模は小さくてもさまざまな祭や踊りがあるでしょうし、もちろん宇部にも「宇部まつり」に踊る〝南蛮(なんば)音頭〟というのがありますよ。

 ところで、俳句では「踊」が秋の季語、盆踊のことを意味します。だから〝阿波おどり〟や〝おけさ踊〟〝さんさ踊〟など、すべて季語になります。高知の〝よさこい踊〟などは、今ではもう全国的な規模になり、イベント化して季節感がなくなっていますので、そのままでは季語になりにくいかも。使うときは気を付けて詠みましょう。

  四五人に月落ちかかるをどりかな       与謝蕪村

  てのひらをかへせばすゝむ踊かな       阿波野青畝

  いくたびも月にのけぞる踊かな        加藤三七子

 私たちは花笠まつりの会場に17時頃到着しました。今回は桟敷席ではありませんので、2時間余りの自由行動です。しかし、この暑さの中で2時間も立ちっぱなしの見物はたまりません。だから、添乗員さんから郵便局周辺が踊の先頭スタート地点なのでいいですよと聞いて、そこへ行きました。すると、ちょうどいい具合に郵便局の入口の階段が空いていましたので、そこを6人が確保して…もう私などは疲れていますから、そこに陣取ったら全く動く気がなく、こんなズボラな写真しか撮れませんでした。ゴメンナサイ!でも、助かったんですよ。ここは郵便局の中に入って涼むこともできますし、トイレも使っていいということで…ラッキーでした。ほら、見て下さい。外の人たちは歩き回ったり、地面に座り込んだりと…、大変だったみたいで、早めに切り上げてバスで待っている人もたくさんいました。踊は9時半頃まであるようでしたが、ただ衣装が違うだけですから、⒈時間も見ればもう充分。申し分けないんですが、飽きてしまいました。

 

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大分へ〝墓参〟

2019年08月12日 | 俳句

 昨日から大分の実家へ墓参をかねて兄のお見舞いに行って来ました。母が居るときは盆と正月の帰省は欠かしたことがなかったのに…用がなければだんだんと故郷が遠ざかります。悲しい!

  家はみな杖に白髪の墓参り     

 これは芭蕉の句ですが、我が家もまさにその通りになりつつあります。

 父は85才で亡くなりました。80才を過ぎた頃から足が痛いと…今思えば膝だったのでしょうが、痛い、痛いと言いながらやっと歩いていました。最後の方はトイレと風呂に行くのがやっとで、殆ど椅子に座って過ごしていましたが、旅行は大好きでしたから、兄や弟たちが車椅子で連れて行ったりしてましたね。今でいえば〝変形性膝関節症〟。これはどうも我が家の遺伝のよう。だから、会えば兄も弟も膝の話ばかり…とうとう一番ひどくなっている下の弟が来年は手術をすると言いだしました。次は…もしかすると私かも。でも誰になってもそれはもう時間の問題のようです。

 現在もう兄と義姉、弟が杖をついての墓参り、だとすればそのうち〝みな〟になるでしょうし、〝白髪〟は当然でしょうから、芭蕉の言うとおり。納得ですよ。

 ところで、この連休の帰省でしたから、行きの高速道はあちらこちらで渋滞、普通3時間で行っていたところを5時間以上も掛かってしまいました。今日の帰りはスムーズに流れましたが、どっちにしろ暑かった!夕立でも来ると少しは違うのにと思うのですが、宇部でも大分でも降りませんね。やっぱり30度以上ありましたもの。でも大型台風10号が近づいてきていますから、お盆はどうなるかしら。被害が出ないといいのですが…

 〝墓参〟は秋の季語ですが、故郷や実家に帰る〝帰省〟は、夏の季語なんですよ。殆ど同じ時期になるんですけど。ヘンでしょ!でも、学生などの帰省を考えると、それは夏休みにしますから、夏。墓参は主にお盆にするものですから秋になるのです。

  帰省して母亡き家の広さかな     斉藤君子

 私の実家は、母が居たときは、義姉とその長男夫婦にその子供たち3人と、合せて7人の賑やかな家でしたのに、今回は義姉は入院し、4月から子供3人が同時に進学してこの家を出たので、今なんと長男夫婦の2人だけになってしまい、広い家がますます広くなっていました。

 しかし、この句の〈広さ〉というのは、そういう人数的な単純な広さではなく、拠所とする母がいないという心の空虚さからくる広さ、それをしみじみと実感しての感慨なんです。それが〝かな〟の切字に籠められているんですね。

 話は変りますが、今日の甲子園の第1試合は宇部鴻城と宇和島東。随分待たされましたが、無事一勝を挙げてホッとしました。よかったね、オメデトウ!

 写真は、〝縷紅草〟(るこうそう)で、晩夏の季語。南アメリカ原産のヒルガオ科の蔓性一年草。 

 明日は俳句教室ですので、東北旅行の続きはちょっとお休み…ゴメンナサイ!

 

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秋田の〝竿燈まつり〟だよ!(その二)

2019年08月10日 | 俳句

 今日は午後からと夜の部の俳句教室ですので、大変です。でも、昨日の続き書いておかなくちゃ!夜帰ってからではもう疲れて書く気がしないでしょうから。ではお待たせしました。続きをどうぞ…

 竿燈の妙技には①流し(最も握力を必要とする片手操作の基本となる技) ②平手(利き腕の手の平に竿燈を乗せて高々とかざし上げて見せる、力強く豪快な基本技) ③額(頸の根っこが据わった重量感あふれる技) ④肩(竿燈を上げやすく、最も覚えやすい技) ⑤腰(かなりの修練が必要な派手な技) の五つの技があり、昼間には妙技会などもあるようです。(写真はパンフ)

 竿燈の種類は、①大若(長さ12m・重さ50㎏・提灯の高さ64㎝・提灯の数46個) ②中若(9m・30㎏・48㎝・46個) ③小若(7m・15㎏・48㎝・24個) ④幼若(5m・5㎏・30㎝・24個) の四つあります。人気があるのは小若かな?拍手喝采ですもの。

 一番ビックリしたのは竿燈がドンドン長くなって、まるで弓のように撓って、今にも折れんばかり…見ている方がハラハラします。その妙技は当然大若で行われるのですが、聞いてみると継竹を次々と足すんですって。今のところ9本が最高とか。それが出来るようになるのに20年は掛かるんですってよ!だからみんな小さな子供の時からやっているんですね。終ってから〝ふれあいの時間〟というのがあって、竿燈を持たせて貰ったり、記念写真を撮ったりするんです。私も持たせて貰いましたが…いや~大若も中若も当然無理、幼若でさえも持つのに精一杯。バランスがとれずにすぐ倒れてしまいました。こんなのを幼稚園頃からやっているんですよね。本当にスゴいです。小学校の低学年ではもう額や肩などにやっていましたから。上手な子はこれぞとばかり得意げに…できない子はできないなりに挑戦して…。それを大人たちが支えて…。これぞまさしく代々受け継がれていく伝統技というものなんでしょう。感動です!

 ところで、竿燈は目の前で何本も倒れるんですよ。私たちのいる所へも倒れかかって〝ワア~ッ!キャ~ッ!〟の連続。でも、ワイヤーが張ってあってそれに引っかかり大丈夫なんですけどね。倒れると何本も蠟燭が消えますが、それをすぐにチャッカマンが着ける…要するに連係プレーですよ。そして、みんなで〝ドッコイショ、ドッコイショ!〟と掛け声をかけるんです。だから私たちも一緒に〝ドッコイショ、ドッコイショ〟です。いや、いや、これは立ち上がる時かしら…アハッ

 青森〝ねぶた〟の豪華絢爛というのとはまた違って、秋田の〝竿燈〟は、ある意味静かで整然としていながら見ている方にも生きる力を貰えるようなそんな底力を感じました。それはきっと280本余りの提灯約10000個という蠟燭の〝灯り〟からくるものでしょうね。聞けばねぶたの灯は発光ダイオードなんですって…。だから写真も秋田の竿燈の方が暗い感じになりましたが、でもこの方がグッとあたたかいでしょ!みなさん、そう思いませんか?

  以上で〝竿燈まつり〟は終り。次は山形の〝花笠まつり〟です。では、また…お楽しみに。今から句会へ出掛けま~す。

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秋田の〝竿燈まつり〟だよ!

2019年08月09日 | 俳句

 東北旅行から帰って疲れがでたからでしょうか、喉が痛い!今朝は頭痛まで…どうも夏風邪をひいたような感じなんですが、これ以上悪くなると今後のスケジュールに影響がでてしまいます。それで一生懸命うがいをして、今日のフラダンスとリハビリを休みました。

 明日はダブル句会の日だし、日曜日からは墓参りを兼ねて大分へ。次は俳句教室と…今月もやることが目白押しなんですから寝ちゃ~おられないんですよ。更に、ブログも書かなくてはね。訪問して下さる方に申し分けないも~ん。(笑)

 それでは今日は、秋田の〝竿燈まつり〟にいきましょうか。

 これも秋の季語です。歳時記の説明には〝秋田市に伝わる伝統行事。ねぶり流し、ねぷたの一形態である。陽暦の8月3日から6日、先端に厄払いの御幣をつけた稲穂を形どった太竹にたくさんの横竹をつけて、それに俵に見立てた48個または46個の提灯を提げ、太鼓や笛の音、囃言葉に合せて、額・肩・腰・手・指先などで操って見せるのである。1本50㎏の重さにも及ぶ。18世紀後半から蠟燭の普及などによって始まった。もともとは体の穢れや睡魔を祓うための行事だが、豊穣祈願の念も籠めて現在に受け継がれている。〟と、何とも事細かく書いてあって、これに付け足すことはもう何もありません。

  竿燈や光の大河さながらに       宇都木水晶花

  竿灯が揺れ止み天地ゆれはじむ     鷹羽狩行

 でも、これで分かるのは知識だけですよね。もちろん写真やテレビなどで見れば、ある程度はどのようなものかは分かるでしょうが。ところが、やっぱりじかにこの目で見なくては分からないことがあるんです。そう、まさに〝百聞は一見にしかず〟です。

 それでは、上の説明以外で知ったことを…

  ① 竿燈の提灯に使った蠟燭は安産のお守り…蠟燭の長さが短ければ短いほどお産の時間が短くなり、安産に御利益がある。

  ② 倒れたり激しく揺れたりする提灯に蝋燭の火が燃え移らないのは、提灯の底に透き間があって、そこから風が入り火が消えるようになっているから。

  ③ 竿燈が立ち上がるとき、全て同じ方向を向いていのは、藩主の庇護の元で続いてきたことへの感謝を表わすために、久保田城址のある千秋公園へ向けているから。

  ④ 竿燈の紋様は、表面にはそれぞれの町内の町紋、裏面は多くの町内で竿燈に携わる若者の意から「若」と描かれている。

  ⑤ 竿燈の町紋には、武者絵のような荒々しい戦に関連したものはなく、久保田城下町の平和と繁栄、豊かな実り、長寿への願いが込められ、これらの紋様は、久保田城九代藩主佐竹義和が贈り与えたものだと言われている。その民の幸福を願っていた藩主の想いが込められている町紋は各町内の誇りとなって、現代に脈々と受け継がれているのだという。

 ちなみに、秋田市は、関ヶ原の戦いで佐竹義宣が常陸から出羽に転封され、窪田(のちに久保田)に築城して、1633年に旧秋田市街の輪郭ができたといわれています。その久保田が、明治に至るまで秋田藩佐竹氏の城下として繁栄し、その城跡は今では千秋公園とよばれて市民の憩いの場所となっているようです。

 私たちは17時半頃竿燈まつり会場へ到着し、また桟敷席での観覧になるのですが、今度は椅子席でした。それも中央分離帯のところですので、21時頃の終了まではそこからでることができません。途中休憩があってその時だけ道路を横断してトイレなどへ行くことが出来るんです。この日の夕食は自由食でしたので、始まる前に沿道の屋台などで買って食べました。人が多くて大変!フウッ…

 18時50分に竿燈入場、笛の合図で一斉に竿燈を起します。それから〝力四分に、技六分〟といわれる妙技が始まります。

 写真は、竿燈の入場、これは〝小若〟かしら、それとも〝幼若〟? 次は囃子方の行列、太鼓車を引く人だけ男性で他は殆ど女性です。さあ笛が鳴りました。一斉に竿燈を起しています。ほら最後はみんな真っ直ぐに立ったでしょう。妙技はこれからですが…

 まだまだ長くなりますので、続きはまた明日にでも…。ゴメンナサイ!

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