いいクルマだ。たしかに最近の電動自転車は性能がいい。静かで燃費もいい。
ただひとつに絞っていうと、2000ccのクラウンが電動で走る場合と、6000ccのクライスラーがターボだの電動アシストだの小細工なしに走るとき、両者には隔絶し、交流しない人生同士が乗っている。
4気筒のクラウンなんて歴史を50年さかのぼらせる反動的行為だ。貧乏人は触覚に関しても無神経だ。dealerは振動は6気筒のときよりないといったが、無神経な人がその日常の延長として乗るから感じないだけで、ブルブルした感じがわからないならバカだ。
映画のはじめに昔はライオンが吠えていた。その咆哮がある。Good Old Days に満足して何が悪い。
ところが、クライスラーも今は往年の輝きは無い。イタリアの芥子粒のような会社に吸収され消えた。クライスラーが全盛の頃、アメリカにある他の自動車会社と結託して、市内電車の会社のほとんどを買収した。
市内電車に客を盗られるのを嫌ったBigメーカー達は買収が終わるや否や市電を廃止した。所有権の或るものを売ろうと捨てようと買おうと勝手である。
こうして庶民は義務的に車を買うしかなくなった。
これには反論があるが、少なくとも市内電車に乗るという需要のある低所得者層にとっては、移動の自由が奪われたのは事実だ。(反論については、WIKI参照)
あこぎな商売だが、資本主義は弱者の泣き言を一顧だにしないことで成り立っている。それはもろにクライスラーにも降りかかった。
市内電車も、でっかいアメ車も僕は残念だ。
日本の若者はそれどころではない。三本の矢はまだか。何の変わりも無いぞ。