か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

特牛(こっとい)

2018年11月03日 | あそび

古賀のPAは満車だった 今日は土曜日だ 忘れていた

 

 

走りながら撮ったのではなく助手席から。運転は子供がした。なぜトトロ関連で車を飾るのか。それを見てみんながかわいいという。僕にはわからない。

特牛(こっとい)という駅に行った。ここはとても良い田舎である。美祢市に行った時も感じたが、何が来ても自分の生活を微動だにさせない日本人の強さにあふれた家々だった。

ここにあるようなお城のような家に住むと、きっと小さい妬み、、ひがみ、劣等感は、なくなるだろう。誰が来ても誰も来なくても大地に足をつけ百姓をする。時は過ぎて自分は灰になるそして子供や孫が後を継ぐ。同じ事が続いていくのは人の本質的喜びである。

町ではどうでもいいことで殺しあっているじゃないか。

 

僕らはみんな百姓だった。だから百姓としてして生きていけるはずだ。僕らは町の喧騒の中に逃げていないか。アカの他人と同じものを持つことで、同じ服を着ることで、同じ芸能人の情報を知ることで、自分が何かに認定されると錯覚してないか。

特牛では便利な街の暮らしはできない。しかし、それがなんだ。目を血走らせて街に出ることと人間であることは無関係だ。

住んでいるところにJRの駅がある。なんという贅沢だ。Park and Rideなんてタダで可能だし,そのうちFlag Stopも可能になる。

僕が言いたいのは、田舎に住むべきだということではない。病院もない、歯医者もない、学校もない、スーパーは30分かかり値段も野菜以外は安くない。

つまり生活が困難である。だが豊かな農村であった時代が確かにあった。何が欠けたから荒れて人が街に逃げたのか。苦しい農村にしたのはだれか。

「日本を取り戻す」には、百姓の生活を返せ。じっと両足で自分の田に立つ男は何も失策をしていない。

 

意外と海が近くイカ釣り船がいた。

岸壁には小魚が泳ぎ透明度の高い海だ。寒くなったせいもあるが。

僕の車には、ナビがない。だからいいのだ。人と話をして街の様子を聞き世間話をしいろんな考えに触れることができる。長く生きた人の言葉には重みがある。劣等感アレルギーがないと怒りっぽくならない。

すぐイライラしてくるくせに、それを隠そうと焦る人。都会に多い年寄りそこない。いやだ。空威張りするあほ。自分では気づかない。どこにもいるが田舎の豪邸にはいない。

昭和の喫茶店はちゃんと成り立っている。道を聞いた。角島大橋。泊りもありだな。

 

 

 

 

 

 


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