気分転換にとたまに出掛ける東浦市の於大公園の福寿草は既に咲いていると思われる。
知人から貰い受けて3年目を迎えた鉢植えの我が家の福寿草は蕾の頭をもたげて来たのが微かに見られるもその後一向に進行していない。
25数年前松本市に居住して居た頃には3月になれば毎年必ず自生地である四賀地区の福寿草の大群落を観賞に出掛けたものだ。
時には辺り一面の雪のなかからある年には雪解けのぬかるんだ土手で黄色の花が野を一面に埋め尽くし太陽光線を花弁いっぱいに受け一片の雲の無い快晴の日には反射した黄金色の群落花で眩しい程の輝きを福寿草の名を耳にする度いまだにハッキリとその風景を想い出す。
調べてみると50数万株にも殖え3月には福寿草まつりが開催されて多くの観光客で賑わっているそうだ。
福寿草は元旦花とも言われ福を招き長寿を意味し新年を飾るに尊ばれている花である。
松本市に住んでいた頃、春寒さが緩む暖かい休日には郊外に散歩を兼ねて山沿いの農村巡りをしたものだ。
庭先の陽だまりで福寿草を見つけては妻と歓声を上げた記憶も懐かしい。
その頃はまだ若く近くの低山にも度々妻と登り谷合で見掛けた幾つもの自生の福寿草も忘れがたいものだ。
毒性ある草ではあるが口にしなければ心配無し。
我が家の狭い庭では地植えでひと群落を期待するのは不可能
せめてしっかり管理手入れし株数を殖やして行こうと考える。
想い出の花のひとつでもある福寿草だ。
写真はここ数年の於大公園の花及び4年前員弁市のさる農家の庭先での福寿草
知人から貰い受けて3年目を迎えた鉢植えの我が家の福寿草は蕾の頭をもたげて来たのが微かに見られるもその後一向に進行していない。
25数年前松本市に居住して居た頃には3月になれば毎年必ず自生地である四賀地区の福寿草の大群落を観賞に出掛けたものだ。
時には辺り一面の雪のなかからある年には雪解けのぬかるんだ土手で黄色の花が野を一面に埋め尽くし太陽光線を花弁いっぱいに受け一片の雲の無い快晴の日には反射した黄金色の群落花で眩しい程の輝きを福寿草の名を耳にする度いまだにハッキリとその風景を想い出す。
調べてみると50数万株にも殖え3月には福寿草まつりが開催されて多くの観光客で賑わっているそうだ。
福寿草は元旦花とも言われ福を招き長寿を意味し新年を飾るに尊ばれている花である。
松本市に住んでいた頃、春寒さが緩む暖かい休日には郊外に散歩を兼ねて山沿いの農村巡りをしたものだ。
庭先の陽だまりで福寿草を見つけては妻と歓声を上げた記憶も懐かしい。
その頃はまだ若く近くの低山にも度々妻と登り谷合で見掛けた幾つもの自生の福寿草も忘れがたいものだ。
毒性ある草ではあるが口にしなければ心配無し。
我が家の狭い庭では地植えでひと群落を期待するのは不可能
せめてしっかり管理手入れし株数を殖やして行こうと考える。
想い出の花のひとつでもある福寿草だ。
写真はここ数年の於大公園の花及び4年前員弁市のさる農家の庭先での福寿草