要塞の城壁?(城ではないのでただの壁?)です。
この要塞の上にたって眺める対岸の町並みは、まるで蜃気楼を見ているかのような別世界に感じます。
しばらくここでぼっとしていたかったのですが、夏のバーレーンは気温40度を軽く超える激暑で、すぐにギブアップしました。
早朝か夕方が(そもそも夏じゃない方が)がよいと思います。
この要塞の上にたって眺める対岸の町並みは、まるで蜃気楼を見ているかのような別世界に感じます。
しばらくここでぼっとしていたかったのですが、夏のバーレーンは気温40度を軽く超える激暑で、すぐにギブアップしました。
早朝か夕方が(そもそも夏じゃない方が)がよいと思います。
紀元前3千年頃ともいわれる、ディルムン文明と呼ばれる、エジプト文明にも匹敵する文化の中心地であったといわれるバーレーン。
UAEのドバイと共に、イスラムなのに飲酒ができたり、女性が顔を隠す必要が無いなど比較的西洋化のされたイスラムの国であり、橋一本でサウジアラビアとつながっているという地理的条件の良さから、近年目覚しい発展を遂げているアラブの国です。
そんなバーレーンの世界遺産にも選ばれた名所が、このバーレーン・フォート(要塞)です。
時は16世紀の大航海時代、インド、アフリカ、ヨーロッパを中継する交易拠点として、当時世界のパイオニアとして海洋航路を開拓していたポルトガル人がバーレーンを占領し、この要塞を建設しました。
17世紀にペルシャ人(現在のイラン)に占領され、その後もペルシャとアラブの間でこの地を巡り抗争が続く中、この要塞は500年の歴史をずっと見つめてきました。
現在は廃墟と化したこの要塞の上に立つと、目覚しく発展を続ける対岸の町並みが、まるで蜃気楼のように見えます。
西洋文化へ開放を続ける現代のバーレーンの中で、この要塞はその役割を大きく担った中世の時代のまま、時が止まっているのかもしれません。
UAEのドバイと共に、イスラムなのに飲酒ができたり、女性が顔を隠す必要が無いなど比較的西洋化のされたイスラムの国であり、橋一本でサウジアラビアとつながっているという地理的条件の良さから、近年目覚しい発展を遂げているアラブの国です。
そんなバーレーンの世界遺産にも選ばれた名所が、このバーレーン・フォート(要塞)です。
時は16世紀の大航海時代、インド、アフリカ、ヨーロッパを中継する交易拠点として、当時世界のパイオニアとして海洋航路を開拓していたポルトガル人がバーレーンを占領し、この要塞を建設しました。
17世紀にペルシャ人(現在のイラン)に占領され、その後もペルシャとアラブの間でこの地を巡り抗争が続く中、この要塞は500年の歴史をずっと見つめてきました。
現在は廃墟と化したこの要塞の上に立つと、目覚しく発展を続ける対岸の町並みが、まるで蜃気楼のように見えます。
西洋文化へ開放を続ける現代のバーレーンの中で、この要塞はその役割を大きく担った中世の時代のまま、時が止まっているのかもしれません。