先日、日本のバラエティ番組で、アフリカで医師を続ける人がゲスト出演している映像を目にしました。
その方は外務省付きの医師でしたが、国交が無い為、病気で苦しみ死んでいく現地の人達を治療できない現実に憤りを感じ、当時の年収約1700万円から、収入が10~20分の1になること覚悟で、妻子ある身ながらその地位を捨て、NGOの医師として現地で医療活動等を始め現在に至るといったエピソードが語られていました。
その番組の中でその方の言葉として紹介されていたのが、世界が平和になる為には貧困を無くすこと、そしてサッカーだというフレーズでした。
21世紀はテロとの戦いだという言葉を時折耳にします。
頑張って抜け出せるのは本当の貧乏ではなく、真の貧しさというものはそこから絶対に抜け出せない状態の事を言うのだと聞いたことがあります。
テロリストはどん底の生活を強いられる人達に、捻じ曲がった思想と価値観を植えつけ、武器を持たすことで作られるいう一説を目にしたことがあります。
話は変わりますが、ドイツで生活しているとあまり感じませんが、イギリスやフランス、一部の国等を旅していると、肌の色が黄色い、見た目が中国人に似ているといった理由で、差別的な対応を受けることが時々あります。
自分は何も悪くないのに、見ず知らずの相手に突然、非常に不愉快な扱いを受けると、どうしようも無い怒りが込み上げてきます。
でも冷静になって、「彼達は小さな世界で捻じ曲がった価値観しか持ち合わせない、時代遅れの可愛そうな人達だ」と自分に言い聞かせると、その怒りはおさまっていきます。
しかしもし自分が毎日ずっと「絶対に抜け出せない不当な扱い」を受け続け、「人間らしい生活とは程遠い日常」をおくり、「広い世界を知らず」に、自分達にこんな生活を強いる悪者の存在を聞かせ続けられたら、チェ・ゲバラではありませんが、自分もひょっとすると革命家の道を選んでいるかもしれないと、ふと考えたりします。
逆に言えば、「人間らしい最低限の生活」がおくれる環境で、世界の広さや多様な価値観に触れられる、「ある程度のバランス感のある教育」を受け、スポーツや特技を生かした分野等、頑張ればもっと自分達の生活が良くなる可能性が見える、そんな「希望の光」があれば、世界は今よりももっとずっと平和で住みやすくなるのではないかと、その番組を見ながらふと思いました。
アフリカやアジアを旅すると、貧困の中で日々恐ろしい病気等に怯え、一部だけが潤う汚職にまみれた政権の下、まっとうな仕事につくことが出来ない人達の姿を目にします。
また同じ欧州でも、一部の旧東欧諸国の中には、これが同じ欧州かと疑いたくなるような国・地域が今もあります。
過去の人類の歴史から見て、武力による争いがゼロになることは容易ではないかもしれません。
最低限の生活や教育の支援といっても、現実的には内政干渉等の問題で、それが容易で無い国もあります。
でも1つの方向性として、今より世界がもっと住みやすくなる為のヒントが、ほんの少し垣間見えた気がした、そんな一日でした。
※写真:移動の為、車の荷台に荷物やヤギを積む人々(マリ/アフリカ)
ちなみにマリでは地元の路線バスでも、移動の為「荷物」として、ヤギをバスの荷物置き場に沢山入れたりします。
長時間のバス移動では荷物置き場が高温で空気の循環もよくない為、到着時に絶命しているヤギもいます。