拝啓、世界の路上から 第10話「わくわく?密入国入門/パラグアイ・アルゼンチン・ブラジル」(前編)
ああ星がキレイだ。ん?……ハッと目を開けるとそこは長距離バスの車内。周りには灯り1つない為か、車窓に映るこぼれそうな星空がとびきり美しい。寝ぼけ眼をこすりながら時計を見るとまだ夜の11時ぐらい。今向かっている目的地パラグアイの首都アスンシオンに着くのは、翌日のお昼頃だからまだかなりある。
ペルーのクスコからチリの首都サンチアゴに戻った僕は、そのままアルゼンチンの首都ブエノスアイレスに向かう。そこでサッカーの試合などを観戦した後、この日の夕方6時にアスンシオン行きのバスに乗り込んだ。バス車内にはまばらに乗客が座り、皆一様に眠っている。僕も同様に眠っていたのだが、ふとこんな時間に目が覚めてしまった。窓を開けて外の景色を見ると、バスはパンパの大草原の中を走っている。
もう少し眠ろうと目を閉じると、またしばらくして僕は眠りの中に吸い込まれてゆく。
どれぐらいの時間がたったのだろう。急にザワザワと辺りが騒がしくなり何だろうと目を覚ますと、バスの中に物売りが大勢やってきていた。
ちょっとした規模の町にさしかかるとよく物売りがバスの中に入ってきて、どうだ兄ちゃん食い物はいらないか?ほら土産もあるぞなどとやるので、ああまたかと再び目を閉じ眠ろうとする。しかしいつもと少し様子が違う。というのはその中に両替屋のオヤジが混じっていて、替えるよ!ほらオイラがアンタのお金替えてやるよと札束をピラピラさせているのだ。もうすぐ国境が近いのかなと、最初大して気にもとめずそのまま様子を伺っていたが、彼達はしばらくしてゾロゾロと降りてゆきバスはまたパンパの草原の中を走り出す。そしてさらに少し走ると町が見えてきた。
だが町に入ると、道路沿いのいたるところで見覚えのある旗が靡いている。それはパラグアイの国旗。寝ぼけながら状況を確認する。うーんと、ええっと。やっちまったか?
どうやら寝ている間に、国境を通り過ぎてしまったらしい。イミグレーションを通っていないので入国スタンプは当然無く、いわば密入国の形でパラグアイに入ってしまったようだ。ヤバイ。
しかし不思議なもので、どうしようという不安より、ふうんこんなに簡単に密入国ってできるのだと、変に感心している自分に気付く。まあやっちまったものはしょうがない。きっとなんとかなるだろうとまた眠りにつく。随分と僕も神経が鈍く、イヤたくましくなったものだ。
正午頃、バスはアスンシオンのバスターミナルへ着く。ここまで約18時間。そこから1000グアラニ、約30円のローカルバスに乗り換え走ること30分、町の中心部であるセントロを目指す。
パラグアイは人口約483万人、総面積40万6752k㎡(日本の約1.1倍)の国土を持ち、南はアルゼンチン北のボリビア、そして東にブラジルとそれぞれ隣接している。またここは1811年にスペインから独立の海に面しない内陸部の国で、南米大陸で海に面しない内陸の国といえば、ボリビアとパラグアイだけ。その為国土を流れるパラグアイ川が重要な交通網となっており、国際貿易港として長年に渡り重要な拠点として栄えてきたのが、ここ首都アスンシオンである。
大きな観光資源を持たない為か南米指折りの田舎者と呼ばれており、それも頷ける程首都といってもかなりのどかで牧歌的。もう既に町の中心部あたりにきているはずなのだが、昨日までいた大都会ブエノスアイレスと比べると、どこか田舎の小さな地方都市に来ているようなそんな感じすらする。
ローカルバスを降りてブエノスアイレスで他の旅行者に貰った、古い日本のガイドブックの切れ端を頼りに、日系2世が経営するという町外れのペティロッシ通り沿いにあるホテル内山田へ向かう。内山田といえば教頭か?と僕などは思ってしまうのだが、GTOを知らない人にはなんのこっちゃかもしれない。もう少し上の世代には、むしろクールファイブなのだろう。哀愁漂うワワワワーというコーラスが懐かしい。
持っている情報は5~6年前のものなので、まだちゃんとあるかどうか少し不安だったが意外と簡単に見つかる。中に入ってすぐのフロントの横に置かれたTVでは、NHKが放送されていて、日本にいた時は民放ばかり見ていたクセになんだか嬉しくなる。
この宿にはドミトリーが無く、1番安いシングルルームで1泊US15ドル。少し高い気がしたが、和食の朝食が付くという言葉に惹かれて1泊だけチェックインする。白いご飯と味噌汁の朝食なんて久々。これまた日本にいた時は朝はパン食だったのに、和朝食と聞いただけでワクワクしてくるから不思議だ。
とりあえず部屋に荷物を置いて町へと繰り出してみることに。しかし幾ら歩けど人の姿は無く、店もほとんどシャッターを下して閉まっている。もう町の中心部にきているはずなのだが、まるでゴーストタウンのような状態。
ええ?クーデターでも起きたのか?と恐ろしい考えが頭を過ぎる。政情不安な国が多い南米では、1ヶ月前に平和でのどかだった町でも、急に情勢が変わりある日突然銃声が鳴り響き戦車が行き交う、デンジャラスゾーンに豹変することはよくある。そして僕は今、イミグレーションを通らずいわば密入国の状態。もし捕まれば独房にぶち込まれ、イヤーヤメテエと泣き叫ぶ中、オラッおとなしく吐いちまいなぁと拷問にかけられるのは必須。吐けといわれてもろくなもの食べていないので、きっと胃液ぐらいしか出ないと思う。
どうしましょう、そうだったらキャーッどうしましょうと一人青い顔をして、同じ所を行ったり来たりするが、さあここは危険だ中に入って!と秘密アジトへ案内してくれる革命の同士は一向に現れない。辺りをキョロキョロと見回すと、繁華街のほぼ全部の店がシャッターを下している中、ふと見ると1軒だけレストランが開いていたので、今日はまだ何も食べていないしと匍匐前進しながら中に入ってみることにする。
何にいたしましょう?とウェイターが注文をとりにきたので、こんな戦時中なのにご苦労様ですとビシッと敬礼すると、は?といった奇妙な目を向けられる。とりあえずメニューに載っていた肉とニョッキのランチ、そしてコーラを注文する。これが約10000グアラニ、約300円。
戦時中といったら皆迷彩服に着替えヘルメットを被り、機関銃持って注文をとりにくるものだとばかり思っていたのだが、見たところいつもと変わらぬ普通の格好。スペイン語のよくわからない僕がオカシナ注文をして、ウチにはソンナモノ置いてませんズダダダダ!と銃を乱射されたらどうしようと思っていたのだが、とりあえずそれはなさそうだ。
TVなら爆弾がズトーンドカーン、イヤンバカーンなどという映像が流れていたりして、何かわかるのではないかと思い店内に置かれたTVに目を向ける。だがコメディアンが何やらしゃべっていて、店の客がゲラゲラと笑っている。これはおかしい、非常におかしい。いやギャグがおかしいという意味じゃなくてね。
ウェイターが食事を運んできたので、辞書をペラペラとめくり単語だけ繋いで、キョウ・オミセ・ゼンブシマッテイル、ヒトモ・イナイ・ナゼ?と聞いてみると、最初ナンダコイツハ?という怪訝そうな顔をしていたが、すぐにスィースィー(はいはい)と答え、続けてエル・ドミンゴといわれる。何だろうと辞書をめくると:::日曜日。
ああ今日は日曜日だったのねえと、ようやく状況を理解する。この旅に出てからというもの、すっかり曜日感覚を無くしてしまっていたのだが、なんだ日曜日ごときでワタシャ大騒ぎしたのかいと急に可笑しくなる。ホッと一安心。
食事を済ませて町をまたぶらつくがやはりどの店も閉まっており、しかもここは何も無いことで有名なパラグアイ、ハッキリいってすることが無い。パラグアイといって思い浮かぶのはチラベルト(フリーキックを蹴る事でも有名な、世界屈指のサッカーの名ゴールキーパー)くらいのもので、しかも彼は今海外でプレーしている。ああ暇だ。
ではパラグアイ川でも見に行こうとテクテク歩いてゆくが、行ってみると汚いただの川。仕方ない宿に戻るとするか。
夜になってお腹がすいたので宿を出て、ペティロッシ通りを今度は繁華街と逆の、南東の方角へと歩いてみることに。するとアジア人街らしき小さな一角がある。そのまましばらくその界隈を歩いていると、1件賑わいをみせている中華系のオジサンが経営する、食堂らしき店があったので中に入ってみる。ここでアサード(骨付き牛リブ肉のあぶり焼き)とコーラを頼む。これを口の中に放り込むと、肉汁がピューッとはじけてめちゃ美味い。アサードはアルゼンチンでも何度か食べたのだが、偶然知り合った現地在住の日本人のご自宅に招かれた時に食べた、炭火でじっくりとあぶったアサードは特に絶品で、肉料理の中ではダントツに、また旅中に食した物の中でもトップ3に入る程だった。しかしこれもその時のアサードに負けず劣らずウマイ。これが10000グアラニ、約300円。
そういえば言い忘れていたが、何もないああ暇だというような所へ、いったい何しに来たのだと思われているかもしれないが、ここパラグアイのアスンシオンに寄ったのには理由がある。実はアルゼンチンのブエノスアイレスで、サッカーのリーグ戦の試合を観戦していた時に1つ賭けをしていたのだ。
その時僕はブエノスアイレスの後バスで移動するルートを、どうするか決めかねていた。最終的にはブラジルのリオデジャネイロまでバスで行きたいと思っていたが、進むルートが複数あり結論を出せずにいたので、もしホームチームが勝ったらドコソコ、引き分けならコウ、負けたらナニと決めて、その試合に旅の行き先を賭けてみたのだった。だが下馬評で圧倒的有利だったホームチームが、まさかの逆転負けを喫し一番可能性の低かった、パラグアイ経由のルートを選択することになったのだ。
そんなことでルートを決めるなよと思われるかもしれないが、風まかせの旅というのも案外楽しいもので、一度その味をしめるとなかなか止められないものなのだ。
非科学的だと思われるかもしれないが、時運という類のモノはどこか風に似ていて、風の吹いていないところでいくら羽をバタツカセテも、疲れるだけで何処にも飛んでいけない。でも風の吹いている方角に羽を広げると何の苦労もなく、パーッと空高く飛べるように物事が順調に進む。だからどこへ向かって風が吹いているのか、試してみようとそんな賭けをしてみたのだ。
何も無いパラグアイで、しかも密入国状態でどうなってしまうのだろうと一時は思ったが、このアサードを食べられただけでもツイテいる。何だか風が吹いているような気がする。きっと密入国の件だって何とかなるような、そんな気持ちにすらなるのだから不思議だ。
ひょっとしたら人生にも同じことがいえるのかもなあと、そんなことを思いながら宿のベッドの上で物思いに耽っていた。
翌日7時に起きて待望の和朝食をいただく。白いご飯に味噌汁、味付けのりに焼き魚。ああ幸せ。お代わりは納豆と生卵のぶっかけご飯。うーん日本人でよかったと、熱い日本茶をズズズッと啜りながらしみじみ思う。ああ極楽、極楽。
宿をチェックアウトし、すぐ前にあるペティロッシ通りのバス停から10番のローカルバスに乗って、郊外にある長距離バスターミナルへ向かう。そして9時半発のバスで、アルゼンチンとブラジルとの3国間の国境の町、シウダーデルエステへ向かう。料金が35000グアラニ、約1000円。
何もない田舎道をガタゴト揺られること約6時間、僕を乗せたバスはシウダーデルエステの長距離バスターミナルに到着する。そして近くを通り掛かった係員に教わり、少し離れたローカルバス乗り場へ移動する。
シウダ―デルエステは、僅かここ40年の間に急速に発展したパラナ川沿いの町で、この川は世界一といわれるイグアスの滝へと続いている。隣接する町はそのイグアスの滝の観光拠点である、アルゼンチン側のプエルトイグアスとブラジル側のフォスドイグアスで、そのブラジル側とを繋ぐ国境の橋辺りには、闇マーケットが広がっていることでも有名だ。なんでもこの界隈ではこの町が1番物価が安いとかで、アルゼンチンやブラジルからここの闇マーケットに、皆日帰りで買い物に来るらしい。
またこのパラナ川の膨大な水量を利用した、1991年竣工のイタイプーダムは世界最大とかで、全長8km高さ最大196mもあるとか。密入国状態でなければ行ってみたい気もするのだが、今はまずこの状況を脱することを優先しようと思う。
さっきからずっとバス停の前で待っているが、なかなかお目当てのバスが来ない。バス自体は15分おきぐらいにやってくるので、バス停のすぐ前にある売店のおばちゃんにこれか?これなのか?と聞いてみるが、違うといって首を横に振る。どうやらこれらのバスはフォスドイグアス行きらしい。ブラジルのビザはブエノスアイレスで取得してきているが、僕の持っているのはシングルビザなので、一度入国して外に出てしまうと再入国するにはビザを取り直さなくてはいけない。
僕のパスポートには今だアルゼンチンの出国スタンプが押されていない為、とりあえずはアルゼンチン側へ戻る為、プエルトイグアス行きのバスを待っているのだ。
バス停でそのままボーッと突っ立っていると、パラグアイ人のオッサンが僕のギターを指差し、ドスのきいた声であんさんソイツをお弾きなさるのかい?と聞いてきた。そうだと答えると、ぜひあっしに一度お聞かせ願えますかい?といわれる。そうまでいわれて引いたとあっちゃあ武士の名折れ。ウチの先祖は純度100パーセントの農民らしいのだが、とにかく武士の名折れだからとリクエストに答えギターを取り出し、日本のうたを歌い始める。すると物珍しいのか、子供連れのおばさんやら暇そうな物売りやらナニやらが、ごっそりと集まってきてしまった。
歌い終わるとヤンヤヤンヤの大拍手で、もっと歌ってくれと言い出す。しかしここでプエルトイグアス行きのバスがやって来てしまう。さっきまで無表情で首を横にしか振らなかった、ゼンマイ仕掛けみたいな売店のおばちゃんが、アンタが乗るのはコレよ早くお行きなさいとバスを指差し、僕の背中をポンポンと叩く。皆に別れを告げバスに乗り込むと、皆笑顔で手を振ってくれた。バス代6000グアラニ、約190円。
さてここで問題の国境だ。バスはまずブラジルとの国境、友情の橋を通過する。しかしパラグアイの出国のイミグレーションは素通り。どうやらイミグレ―ションを通るのは入国のみで良いようだ。
それから続いてブラジル側のイミグレ―ションの前を通る。しかしこのバスはアルゼンチン行きなので、これまた素通り。第一関門に続いて第二関門も突破。よしうまくいった。
フォスドイグアスのビルが立ち並ぶ近代的な町の中を抜けて、さらに郊外に向け走ること30分。今度はアルゼンチンとの国境タンクレードネベス橋を通って、プエルトイグアスへ入る。
ここでアルゼンチン側のイミグレ―ションの前でバスは止まり、入国スタンプの必要な人は降りてイミグレ―ションへといわれる。しかし僕はパラグアイの宿で、この3都市間は日帰りの観光目的なら、出入国のスタンプがいらないことを聞いて知っていたので、日帰りでーすといった顔をしてそのままバスの座席に座っていることに。
しかしさすがはアルゼンチン、国境の係員が2人さっそうとバスに乗り込んできて、全員のパスポートをチェックし始めた。
僕の番になり、スペイン語で入国のスタンプは?というようなことを聞かれたので、今朝プエルトイグアスからパラグアイのマーケットに行き、日帰りで帰ってきたところですと英語で言うと、この係員は英語が分らないのか、顰め面をしてそのままパスポートを返してくれ次の人へ行ってしまった。もっともこれは、南米ではほとんど英語が通じないことを分っていての計画的犯行。イイカゲンな南米人のことなので、アルゼンチンの出国スタンプがまだ押されていない僕のパスポートを見せれば、なんとかなると思ったのだ。そして全員のチェックを終えると、係員はサッサと降りて行き再びバスは走り出す。
僕は大きなバックパックとデイバック、そしてギターといった大掛かりな荷物を抱えていて、どう見ても日帰りのはずはない。だがやはりそこはイイカゲンな南米、なんとかなってしまった。これで無事アルゼンチンへ帰還。密入国状態解除。ホッと胸を撫で下ろす。
都会的なブラジル側と違い、こじんまりしたアルゼンチン側のセントロ(町の中心)でバスを降りる。そこからブエノスアイレスの宿で教わった町外れの安宿へ行くが、1000円ぐらいと聞いていたのにもかかわらず違う値段をいわれる。
主人曰く素泊まりのシングルルームで1泊15ドル。アルゼンチンドルはUSドルと1対1のレートなので随分高い。
値引きを試みるが改装したばかりだとかで、宿帳を見せられホラ他のお客も15ドル払っているだろうといわれる。今から他の宿を当ても無く探し回るのも嫌だったので、しかたなく明日は荷物を預けて観光することにし、1泊だけチェックインした。2~3泊予定していただけに残念だ。きっとブラジルが早く僕に来て欲しいのだろうと、そう解釈することにする。
部屋に荷物を降ろしベッドに横になる。突然思いがけず密入国状態になってしまい、一時はどうなることかと思ったがなんとかなってしまった。旅はなるようにしかならないが、それなりになんとかなるものである。アルゼンチンへ戻りほっとしたのか、あっという間に眠ってしまった。
ああ星がキレイだ。ん?……ハッと目を開けるとそこは長距離バスの車内。周りには灯り1つない為か、車窓に映るこぼれそうな星空がとびきり美しい。寝ぼけ眼をこすりながら時計を見るとまだ夜の11時ぐらい。今向かっている目的地パラグアイの首都アスンシオンに着くのは、翌日のお昼頃だからまだかなりある。
ペルーのクスコからチリの首都サンチアゴに戻った僕は、そのままアルゼンチンの首都ブエノスアイレスに向かう。そこでサッカーの試合などを観戦した後、この日の夕方6時にアスンシオン行きのバスに乗り込んだ。バス車内にはまばらに乗客が座り、皆一様に眠っている。僕も同様に眠っていたのだが、ふとこんな時間に目が覚めてしまった。窓を開けて外の景色を見ると、バスはパンパの大草原の中を走っている。
もう少し眠ろうと目を閉じると、またしばらくして僕は眠りの中に吸い込まれてゆく。
どれぐらいの時間がたったのだろう。急にザワザワと辺りが騒がしくなり何だろうと目を覚ますと、バスの中に物売りが大勢やってきていた。
ちょっとした規模の町にさしかかるとよく物売りがバスの中に入ってきて、どうだ兄ちゃん食い物はいらないか?ほら土産もあるぞなどとやるので、ああまたかと再び目を閉じ眠ろうとする。しかしいつもと少し様子が違う。というのはその中に両替屋のオヤジが混じっていて、替えるよ!ほらオイラがアンタのお金替えてやるよと札束をピラピラさせているのだ。もうすぐ国境が近いのかなと、最初大して気にもとめずそのまま様子を伺っていたが、彼達はしばらくしてゾロゾロと降りてゆきバスはまたパンパの草原の中を走り出す。そしてさらに少し走ると町が見えてきた。
だが町に入ると、道路沿いのいたるところで見覚えのある旗が靡いている。それはパラグアイの国旗。寝ぼけながら状況を確認する。うーんと、ええっと。やっちまったか?
どうやら寝ている間に、国境を通り過ぎてしまったらしい。イミグレーションを通っていないので入国スタンプは当然無く、いわば密入国の形でパラグアイに入ってしまったようだ。ヤバイ。
しかし不思議なもので、どうしようという不安より、ふうんこんなに簡単に密入国ってできるのだと、変に感心している自分に気付く。まあやっちまったものはしょうがない。きっとなんとかなるだろうとまた眠りにつく。随分と僕も神経が鈍く、イヤたくましくなったものだ。
正午頃、バスはアスンシオンのバスターミナルへ着く。ここまで約18時間。そこから1000グアラニ、約30円のローカルバスに乗り換え走ること30分、町の中心部であるセントロを目指す。
パラグアイは人口約483万人、総面積40万6752k㎡(日本の約1.1倍)の国土を持ち、南はアルゼンチン北のボリビア、そして東にブラジルとそれぞれ隣接している。またここは1811年にスペインから独立の海に面しない内陸部の国で、南米大陸で海に面しない内陸の国といえば、ボリビアとパラグアイだけ。その為国土を流れるパラグアイ川が重要な交通網となっており、国際貿易港として長年に渡り重要な拠点として栄えてきたのが、ここ首都アスンシオンである。
大きな観光資源を持たない為か南米指折りの田舎者と呼ばれており、それも頷ける程首都といってもかなりのどかで牧歌的。もう既に町の中心部あたりにきているはずなのだが、昨日までいた大都会ブエノスアイレスと比べると、どこか田舎の小さな地方都市に来ているようなそんな感じすらする。
ローカルバスを降りてブエノスアイレスで他の旅行者に貰った、古い日本のガイドブックの切れ端を頼りに、日系2世が経営するという町外れのペティロッシ通り沿いにあるホテル内山田へ向かう。内山田といえば教頭か?と僕などは思ってしまうのだが、GTOを知らない人にはなんのこっちゃかもしれない。もう少し上の世代には、むしろクールファイブなのだろう。哀愁漂うワワワワーというコーラスが懐かしい。
持っている情報は5~6年前のものなので、まだちゃんとあるかどうか少し不安だったが意外と簡単に見つかる。中に入ってすぐのフロントの横に置かれたTVでは、NHKが放送されていて、日本にいた時は民放ばかり見ていたクセになんだか嬉しくなる。
この宿にはドミトリーが無く、1番安いシングルルームで1泊US15ドル。少し高い気がしたが、和食の朝食が付くという言葉に惹かれて1泊だけチェックインする。白いご飯と味噌汁の朝食なんて久々。これまた日本にいた時は朝はパン食だったのに、和朝食と聞いただけでワクワクしてくるから不思議だ。
とりあえず部屋に荷物を置いて町へと繰り出してみることに。しかし幾ら歩けど人の姿は無く、店もほとんどシャッターを下して閉まっている。もう町の中心部にきているはずなのだが、まるでゴーストタウンのような状態。
ええ?クーデターでも起きたのか?と恐ろしい考えが頭を過ぎる。政情不安な国が多い南米では、1ヶ月前に平和でのどかだった町でも、急に情勢が変わりある日突然銃声が鳴り響き戦車が行き交う、デンジャラスゾーンに豹変することはよくある。そして僕は今、イミグレーションを通らずいわば密入国の状態。もし捕まれば独房にぶち込まれ、イヤーヤメテエと泣き叫ぶ中、オラッおとなしく吐いちまいなぁと拷問にかけられるのは必須。吐けといわれてもろくなもの食べていないので、きっと胃液ぐらいしか出ないと思う。
どうしましょう、そうだったらキャーッどうしましょうと一人青い顔をして、同じ所を行ったり来たりするが、さあここは危険だ中に入って!と秘密アジトへ案内してくれる革命の同士は一向に現れない。辺りをキョロキョロと見回すと、繁華街のほぼ全部の店がシャッターを下している中、ふと見ると1軒だけレストランが開いていたので、今日はまだ何も食べていないしと匍匐前進しながら中に入ってみることにする。
何にいたしましょう?とウェイターが注文をとりにきたので、こんな戦時中なのにご苦労様ですとビシッと敬礼すると、は?といった奇妙な目を向けられる。とりあえずメニューに載っていた肉とニョッキのランチ、そしてコーラを注文する。これが約10000グアラニ、約300円。
戦時中といったら皆迷彩服に着替えヘルメットを被り、機関銃持って注文をとりにくるものだとばかり思っていたのだが、見たところいつもと変わらぬ普通の格好。スペイン語のよくわからない僕がオカシナ注文をして、ウチにはソンナモノ置いてませんズダダダダ!と銃を乱射されたらどうしようと思っていたのだが、とりあえずそれはなさそうだ。
TVなら爆弾がズトーンドカーン、イヤンバカーンなどという映像が流れていたりして、何かわかるのではないかと思い店内に置かれたTVに目を向ける。だがコメディアンが何やらしゃべっていて、店の客がゲラゲラと笑っている。これはおかしい、非常におかしい。いやギャグがおかしいという意味じゃなくてね。
ウェイターが食事を運んできたので、辞書をペラペラとめくり単語だけ繋いで、キョウ・オミセ・ゼンブシマッテイル、ヒトモ・イナイ・ナゼ?と聞いてみると、最初ナンダコイツハ?という怪訝そうな顔をしていたが、すぐにスィースィー(はいはい)と答え、続けてエル・ドミンゴといわれる。何だろうと辞書をめくると:::日曜日。
ああ今日は日曜日だったのねえと、ようやく状況を理解する。この旅に出てからというもの、すっかり曜日感覚を無くしてしまっていたのだが、なんだ日曜日ごときでワタシャ大騒ぎしたのかいと急に可笑しくなる。ホッと一安心。
食事を済ませて町をまたぶらつくがやはりどの店も閉まっており、しかもここは何も無いことで有名なパラグアイ、ハッキリいってすることが無い。パラグアイといって思い浮かぶのはチラベルト(フリーキックを蹴る事でも有名な、世界屈指のサッカーの名ゴールキーパー)くらいのもので、しかも彼は今海外でプレーしている。ああ暇だ。
ではパラグアイ川でも見に行こうとテクテク歩いてゆくが、行ってみると汚いただの川。仕方ない宿に戻るとするか。
夜になってお腹がすいたので宿を出て、ペティロッシ通りを今度は繁華街と逆の、南東の方角へと歩いてみることに。するとアジア人街らしき小さな一角がある。そのまましばらくその界隈を歩いていると、1件賑わいをみせている中華系のオジサンが経営する、食堂らしき店があったので中に入ってみる。ここでアサード(骨付き牛リブ肉のあぶり焼き)とコーラを頼む。これを口の中に放り込むと、肉汁がピューッとはじけてめちゃ美味い。アサードはアルゼンチンでも何度か食べたのだが、偶然知り合った現地在住の日本人のご自宅に招かれた時に食べた、炭火でじっくりとあぶったアサードは特に絶品で、肉料理の中ではダントツに、また旅中に食した物の中でもトップ3に入る程だった。しかしこれもその時のアサードに負けず劣らずウマイ。これが10000グアラニ、約300円。
そういえば言い忘れていたが、何もないああ暇だというような所へ、いったい何しに来たのだと思われているかもしれないが、ここパラグアイのアスンシオンに寄ったのには理由がある。実はアルゼンチンのブエノスアイレスで、サッカーのリーグ戦の試合を観戦していた時に1つ賭けをしていたのだ。
その時僕はブエノスアイレスの後バスで移動するルートを、どうするか決めかねていた。最終的にはブラジルのリオデジャネイロまでバスで行きたいと思っていたが、進むルートが複数あり結論を出せずにいたので、もしホームチームが勝ったらドコソコ、引き分けならコウ、負けたらナニと決めて、その試合に旅の行き先を賭けてみたのだった。だが下馬評で圧倒的有利だったホームチームが、まさかの逆転負けを喫し一番可能性の低かった、パラグアイ経由のルートを選択することになったのだ。
そんなことでルートを決めるなよと思われるかもしれないが、風まかせの旅というのも案外楽しいもので、一度その味をしめるとなかなか止められないものなのだ。
非科学的だと思われるかもしれないが、時運という類のモノはどこか風に似ていて、風の吹いていないところでいくら羽をバタツカセテも、疲れるだけで何処にも飛んでいけない。でも風の吹いている方角に羽を広げると何の苦労もなく、パーッと空高く飛べるように物事が順調に進む。だからどこへ向かって風が吹いているのか、試してみようとそんな賭けをしてみたのだ。
何も無いパラグアイで、しかも密入国状態でどうなってしまうのだろうと一時は思ったが、このアサードを食べられただけでもツイテいる。何だか風が吹いているような気がする。きっと密入国の件だって何とかなるような、そんな気持ちにすらなるのだから不思議だ。
ひょっとしたら人生にも同じことがいえるのかもなあと、そんなことを思いながら宿のベッドの上で物思いに耽っていた。
翌日7時に起きて待望の和朝食をいただく。白いご飯に味噌汁、味付けのりに焼き魚。ああ幸せ。お代わりは納豆と生卵のぶっかけご飯。うーん日本人でよかったと、熱い日本茶をズズズッと啜りながらしみじみ思う。ああ極楽、極楽。
宿をチェックアウトし、すぐ前にあるペティロッシ通りのバス停から10番のローカルバスに乗って、郊外にある長距離バスターミナルへ向かう。そして9時半発のバスで、アルゼンチンとブラジルとの3国間の国境の町、シウダーデルエステへ向かう。料金が35000グアラニ、約1000円。
何もない田舎道をガタゴト揺られること約6時間、僕を乗せたバスはシウダーデルエステの長距離バスターミナルに到着する。そして近くを通り掛かった係員に教わり、少し離れたローカルバス乗り場へ移動する。
シウダ―デルエステは、僅かここ40年の間に急速に発展したパラナ川沿いの町で、この川は世界一といわれるイグアスの滝へと続いている。隣接する町はそのイグアスの滝の観光拠点である、アルゼンチン側のプエルトイグアスとブラジル側のフォスドイグアスで、そのブラジル側とを繋ぐ国境の橋辺りには、闇マーケットが広がっていることでも有名だ。なんでもこの界隈ではこの町が1番物価が安いとかで、アルゼンチンやブラジルからここの闇マーケットに、皆日帰りで買い物に来るらしい。
またこのパラナ川の膨大な水量を利用した、1991年竣工のイタイプーダムは世界最大とかで、全長8km高さ最大196mもあるとか。密入国状態でなければ行ってみたい気もするのだが、今はまずこの状況を脱することを優先しようと思う。
さっきからずっとバス停の前で待っているが、なかなかお目当てのバスが来ない。バス自体は15分おきぐらいにやってくるので、バス停のすぐ前にある売店のおばちゃんにこれか?これなのか?と聞いてみるが、違うといって首を横に振る。どうやらこれらのバスはフォスドイグアス行きらしい。ブラジルのビザはブエノスアイレスで取得してきているが、僕の持っているのはシングルビザなので、一度入国して外に出てしまうと再入国するにはビザを取り直さなくてはいけない。
僕のパスポートには今だアルゼンチンの出国スタンプが押されていない為、とりあえずはアルゼンチン側へ戻る為、プエルトイグアス行きのバスを待っているのだ。
バス停でそのままボーッと突っ立っていると、パラグアイ人のオッサンが僕のギターを指差し、ドスのきいた声であんさんソイツをお弾きなさるのかい?と聞いてきた。そうだと答えると、ぜひあっしに一度お聞かせ願えますかい?といわれる。そうまでいわれて引いたとあっちゃあ武士の名折れ。ウチの先祖は純度100パーセントの農民らしいのだが、とにかく武士の名折れだからとリクエストに答えギターを取り出し、日本のうたを歌い始める。すると物珍しいのか、子供連れのおばさんやら暇そうな物売りやらナニやらが、ごっそりと集まってきてしまった。
歌い終わるとヤンヤヤンヤの大拍手で、もっと歌ってくれと言い出す。しかしここでプエルトイグアス行きのバスがやって来てしまう。さっきまで無表情で首を横にしか振らなかった、ゼンマイ仕掛けみたいな売店のおばちゃんが、アンタが乗るのはコレよ早くお行きなさいとバスを指差し、僕の背中をポンポンと叩く。皆に別れを告げバスに乗り込むと、皆笑顔で手を振ってくれた。バス代6000グアラニ、約190円。
さてここで問題の国境だ。バスはまずブラジルとの国境、友情の橋を通過する。しかしパラグアイの出国のイミグレーションは素通り。どうやらイミグレ―ションを通るのは入国のみで良いようだ。
それから続いてブラジル側のイミグレ―ションの前を通る。しかしこのバスはアルゼンチン行きなので、これまた素通り。第一関門に続いて第二関門も突破。よしうまくいった。
フォスドイグアスのビルが立ち並ぶ近代的な町の中を抜けて、さらに郊外に向け走ること30分。今度はアルゼンチンとの国境タンクレードネベス橋を通って、プエルトイグアスへ入る。
ここでアルゼンチン側のイミグレ―ションの前でバスは止まり、入国スタンプの必要な人は降りてイミグレ―ションへといわれる。しかし僕はパラグアイの宿で、この3都市間は日帰りの観光目的なら、出入国のスタンプがいらないことを聞いて知っていたので、日帰りでーすといった顔をしてそのままバスの座席に座っていることに。
しかしさすがはアルゼンチン、国境の係員が2人さっそうとバスに乗り込んできて、全員のパスポートをチェックし始めた。
僕の番になり、スペイン語で入国のスタンプは?というようなことを聞かれたので、今朝プエルトイグアスからパラグアイのマーケットに行き、日帰りで帰ってきたところですと英語で言うと、この係員は英語が分らないのか、顰め面をしてそのままパスポートを返してくれ次の人へ行ってしまった。もっともこれは、南米ではほとんど英語が通じないことを分っていての計画的犯行。イイカゲンな南米人のことなので、アルゼンチンの出国スタンプがまだ押されていない僕のパスポートを見せれば、なんとかなると思ったのだ。そして全員のチェックを終えると、係員はサッサと降りて行き再びバスは走り出す。
僕は大きなバックパックとデイバック、そしてギターといった大掛かりな荷物を抱えていて、どう見ても日帰りのはずはない。だがやはりそこはイイカゲンな南米、なんとかなってしまった。これで無事アルゼンチンへ帰還。密入国状態解除。ホッと胸を撫で下ろす。
都会的なブラジル側と違い、こじんまりしたアルゼンチン側のセントロ(町の中心)でバスを降りる。そこからブエノスアイレスの宿で教わった町外れの安宿へ行くが、1000円ぐらいと聞いていたのにもかかわらず違う値段をいわれる。
主人曰く素泊まりのシングルルームで1泊15ドル。アルゼンチンドルはUSドルと1対1のレートなので随分高い。
値引きを試みるが改装したばかりだとかで、宿帳を見せられホラ他のお客も15ドル払っているだろうといわれる。今から他の宿を当ても無く探し回るのも嫌だったので、しかたなく明日は荷物を預けて観光することにし、1泊だけチェックインした。2~3泊予定していただけに残念だ。きっとブラジルが早く僕に来て欲しいのだろうと、そう解釈することにする。
部屋に荷物を降ろしベッドに横になる。突然思いがけず密入国状態になってしまい、一時はどうなることかと思ったがなんとかなってしまった。旅はなるようにしかならないが、それなりになんとかなるものである。アルゼンチンへ戻りほっとしたのか、あっという間に眠ってしまった。