#とてもいい解説動画を見つけましたので早速、コメントさせてもらいました。よろしければお付き合いください(#^.^#)
【古代ミステリー解説】倭から日本へ!国号が変わる時【古代の歴史】古代ミステリー解説チャンネル@YouTube
旧唐書(945年完成)に大宝元年(701年)第8次遣唐使の粟田真人が倭国から日本に国号を変えてもらうように説明した記事がありますが、金印の倭の奴国のことを言わないので信用されず、倭国と日本は別とされています。新唐書(1060年完成)には日本という国号になり、「日本は古の倭の奴国」と理解されています。984年に宋に留学した東大寺の奝然(ちょうねん)が太宗に職員令とともに献上した「王年代紀」に、初代王天御中主から32代の王が筑紫城に居て、その王の4男神武天皇が大和州に遷都したとあります(宋史 王年代紀には23代の王名が全部書かれているのでこちらが正しい)。つまり、記紀神話の高天原は奴国王が支配する北部九州の倭国ということなのだと事実を述べたからです。詳しくは「王年代紀は記紀神話を正した!」ご参照ください。お邪魔しました(#^.^#)
倭の意味はおっしゃるような蔑称という説もありますが、「支配者に従順」という意味が正しいと思います。長江下流域に住んでいた倭人の支配者は、良渚文化の担い手で後に黄河中流域で夏王朝を建てた人々で、脳科学者中田力氏は「科学者が読み解く日本建国史」PHP新書の中で原始夏人と呼んでいます。穏やかな性格の縄文人との混血の現代日本人も「長いものには巻かれろ」ということわざ通りの人が多いですね。
最新の遺伝子解析から得られた日本列島への人々の流入模様が分かってきています。よろしければ「日本列島に集まった人々とは?」をご参照ください(#^.^#)
【関連記事】
【参考文献】
藤尾慎一郎「数値年代とDNAがもたらすこれからの弥生文化研究」
考古学雑誌Vol.105No.2、2023,pp.89-103
上図にある愛知県朝日遺跡の人骨は紀元前6世紀後半(弥生時代前期)のもので、「篠田(謙一)氏によれば、これまで分析した弥生時代人の中ではもっとも中国北部西遼河流域の新石器人に由来する遺伝的要素を多く持っている」とのことです(p.100)。2体について篠田氏らによるミトコンドリアDNAの解析結果はありましたが、「弥生時代以降に大陸からもたらされたものであると考えられる。」とありました。Y染色体DNAのハプログループの情報は分かりません。約5千年前の三内丸山遺跡の遼河人系(N1)の人々は、現代日本人男性の1%以下ですが、彼らの子孫との弥生時代の縄文人または倭人との混血が考えられます。
また上図の説明(最終段落)にある、現代日本人(ヤマト人)に近いDNA解析結果が出た獐項遺跡(約5,000年前)の人骨は韓国加徳島です。篠田氏らによって2019年に発表されています(「ゲノム配列を核としたヤポネシア人の起源と成立の解明」令和2年度科研費事業中間報告書)。その中に「縄文人のゲノムが現代ヤマト人と同程度(~10%)含まれていることを発見した。これは現代韓国人に含まれる縄文ゲノムの割合(ほとんど0%)と比べて明らかに異なっている。」とあります(p.10)。
上の図から分かるように、獐項遺跡の人骨は、翌2020年に同グループでDNA解析結果が報告されている青谷上寺地遺跡の人骨とほぼ同じ縄文人の人骨です(「鳥取県鳥取市青谷上寺地遺跡出土 弥生後期人骨のDNA分析」)。青谷上寺地遺跡の性別が明記された5体の男性人骨のY染色体DNAのうちC型縄文人系C1a1(C-M8)が2体あったのは分かりました。1体は不明ですが、DタイプとOタイプまでしか記載されていないものが各1体もありましたので、それぞれD型縄文人系D1a2a(D-M55)と倭人系O-47zではないかと推測しています。獐項遺跡の縄文人のものも含めて、これらの詳しいハプロタイプも知りたいところです。
(左クリックで拡大)
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
応援をしていただき、感謝します。
よろしければ、またポチ・ポチ・ポチっとお願いします( ^)o(^ )