夜:バンドの練習に行った。
大震災後の初の練習。集まったのは9名のみ。
バンドメンバーの一人の親戚が津波に巻き込まれて行方不明になっており、しばらくバンドを休むとのこと。
池袋の芸術劇場に、野田秀樹の「南へ」を観に行きました。今の日本の現状と重なり合って、とっても重い気持ちで観ていました。
以下、素敵な文章があったので、引用します。
引用先(asahi.com 山口宏子様)
けたたましく愉快な表層。並行して存在するもう一つの世界。それらの根源にある深層。いくつもの層が照らし合い、迷宮にも似た劇世界が現れるのは、野田秀樹作品の特徴の一つだ。
作・演出の新作「南へ」にも当てはまる。深層にあるのは、これも野田の重要なモチーフである、天皇制をもつ「日本」とは何かという問い。今回は盛り込んだ要素が特に多く、すべてが共鳴し合わないゴツゴツした感触があるが、それをあえて突きつける。
富士山の隣の「無事山」火山観測所に、あまね(蒼井優)が担ぎ込まれる。自殺しようとしたらしいが、彼女は大うそつきで、観測所員(渡辺いっけい、山崎清介ら)や、この日赴任してきた南のり平(妻夫木聡)を翻弄(ほんろう)する。この山を天皇が訪問する話が持ち上がり、ミハル(高田聖子)らが営む旅館に、先触れ(野田、藤木孝、銀粉蝶ら)がやってくる。
現代の無事山、富士山が噴火した宝永年間の山村、第2次大戦下と時空はめまぐるしく変わり、のり平は何者か、あまねはどこから来たのか、あまねを見つめる少女(黒木華)の正体は……といった謎が折り重なる。
見えてくるのは、本当にそこにいるのかどうか顔の見えない存在を「信じること」を核にした共同体の姿。のり平とあまねが二つの光源となり、過去から現在から、内と外から、現代日本を照らす。そこから浮かびあがる事柄は、例えば、火山を「見張る」という使命をなおざりにする観測所の存在はメディア批判か――といった、様々な解釈と思考を導く。
パイプ椅子を様々に見立て、30人近いアンサンブルが迫力ある動きを見せる演出が冴(さ)える。舞台空間は能舞台のよう。死者が現世に語りかける夢幻能のイメージが、劇と響き合う。
3月31日まで、東京・池袋の東京芸術劇場中ホール。
大地震のニュースを見聞きする度に息苦しくなって漠然とした不安から安易に逃れるために、職場の人を誘って本郷の焼鳥「白糸」に行った。
この時期、閑古鳥が鳴いてるのかとおもったら、いやいや混んでうるさいです。
原子力を「げんち力」と言える程度になったので、お店を出た後、ここらへんにスナックとかないかと一探していたら、春日通り沿いに「スナック○○」がひっそりとありました。
扉を開けると、千と千尋となんとかに出ていた湯ばあばが出迎えてくれました。
3000円で飲み放題、歌い放題だそうです。他にお客さんはいません。
とりあえず二日酔いになるくらいウイスキーを飲んで、知っている歌を全部歌ってあげました。
10時頃、湯ばあばが「お客さんも来ないし、もう閉めてもいい?」と言い出したので終了。
10時30分頃の電車に水道橋駅から乗ったらガラガラで座れた。