朝:7月下旬を最後に行っていなかった「オープンオーブン」に行ってみた。
少しメニューが変わっていた。
夜:今日は、墨田公園内に建てられている仮設劇場「平成中村座」に歌舞伎を観に行きます。この小屋、江戸時代の小屋をイメージしたものらしいです。
でっ、本日は、コスプレデー(ピンサロかよ)なので、呉服屋の若旦那に変身。
浅草寺あたりから人力車に乗って芝居小屋近くに乗り付けてやろうと思って歩いていたら、歩きすぎて小屋近くまで行ってしまい、そのまま歩くことに。
2階正面の屏風前の4席は「お大尽席」。食事、飲み物、専用の係り、送迎の人力車がついています。
以下、平成中村座公式ウェブサイトから引用。
十一月大歌舞伎(夜の部)
猿若江戸の初櫓
この作品は、初世勘三郎が奉行・板倉勝重の知遇を得て、日本橋中橋に芝居小屋の櫓を上げるまでをフィクションを加えて描いた、平成中村座の開幕にふさわしい晴れやかな歌舞伎舞踊です。
江戸幕府の御座船・安宅(あたけ)丸(まる)を入津させる折に、猿若の名手であった猿若勘三郎(初代中村勘三郎)が音頭をとり、その功によって将軍家から"金の麾(ざい)"を賜ったという逸話は、中村座の歴史をひもとく際に、必ず語られるもので、木遣り音頭も、"猿若"の代表的な芸のひとつでした。
"かぶき踊り"の出雲の阿国と猿若が江戸へやって来ると、材木商・福富屋が、将軍家への献上物を運ぶことができないと思案に暮れています。すると猿若は得意の音頭で曵かせ始めて―。
伊賀越道中双六 沼津
近松半二、近松加作が天明三年(1783)に合作した全十段の時代浄瑠璃で、有名な伊賀上野の敵討を描いた作品です。 「沼津」は六段目で、全体の物語からすると脇筋になりますが、親と子の義理人情を描いた見応えのあるドラマとして単独で上演を重ねてきました。
東海道を旅する呉服屋十兵衛は、荷物を持たせた雲助平作が怪我をするので、手持ちの塗り薬でその傷を治します。そして平作の娘のお米に一目惚れした十兵衛は、平作の家に立ち寄ることにします。
やがて十兵衛はお米を嫁にと望みますが、お米には夫があり、断られてしまいます。目論見のはずれた十兵衛でしたが、平作の家に泊まることとし、横になります。ところが、お米が十兵衛の持つ塗り薬を盗もうとします。実はお米の夫は刀傷がもとで、病に臥しているのでした。この事情を知った十兵衛はお米を許し、さらに平作の身の上を尋ねるうちに、平作が実の父親であることを知ります。そこで十兵衛は、それとなく金を渡し、印籠に入った塗り薬を置いて旅立って行きます。
十兵衛の置いていった印籠から、お米は十兵衛が夫の仇の所在を知る人物であると悟り、平作がその後を追い、お米も池添孫八と共にこれに続きますが―。
弁天娘女男白浪 浜松屋より勢揃いまで
河竹黙阿弥によって文久2年(1862)3月の江戸市村座で初演された、全五幕構成の『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』のうちの二幕です。「知らざあ言ってきかせやしょう」から始まる名台詞でも有名な「浜松屋見世先」と、揃いの小袖を着て勢揃いした五人男の名乗りが聴きどころの〈動く錦絵〉と呼ばれる「稲瀬川勢揃い」。この二幕をとりあげて上演するさいには、今回のように「弁天娘女男白浪」という外題とします。
鎌倉雪の下の浜松屋へ美しい武家の娘が供の侍を連れてやって来ます。婚礼の品物を選びに来たと言う娘でしたが、万引きを見た番頭は、娘を責めるうち額に傷を負わせてしまいます。ところが娘の懐から出てきたのは他の店の品。慌てて店の者が詫びてもおさまらず、店の主人が供の侍に百両を渡そうとすると、そこへ奥から玉島逸当という侍が現れ、娘が男であることを見破ります。実は美しい娘と見えたのは世間で評判の盗賊、白浪五人男の弁天小僧菊之助、供の侍は南郷力丸だったのでした。