風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

キビ刈り始まる

2008-03-26 22:40:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年1月12日
いよいよキビ刈りが始まる。
朝7:00頃起床。

8:00に畑へ。
前日に練習で倒したキビの葉っぱ取りをする。
キビ倒しにはナタを使う。
前屈みになっての作業なので、かなり腰にくる。
慣れた人でも、ぎっくり腰になるほどの重労働だ。
1人3畝を受け持ち、倒したキビを山にする。
キビは大抵は反っているので、作業しやすいように向きを揃えておく。

ある程度倒したら葉っぱ取り。
葉っぱ取りには、先端が二股に分かれた鎌を使う。

当時取った作業のメモ。




自分は左利きで、キビをナタで倒した時や、葉っぱを取る時にどうしても、皆と向きが反対になってしまうので、これは困った。

右手に持ち替えては力が全く入らないし、作業も極端に遅くなる。
なるべく左端に行くようにして、皆と干渉しないようにした。

葉っぱを取ったキビは、パッと見は竹のようだ。
これらを束にして、何箇所かに集め、大きい山にし、ロープで縛る。

この後に、トラクタでキビの山を一箇所に集める。
最後にユニック付きのダンプが、製糖工場へ運んでいくという流れだ。

仲間が増える

2008-03-25 21:41:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年1月11日
新たに4人のアルバイトが来た。
静岡のSさん、埼玉のKKさん、宮崎のT君、横浜からUさん。
Uさんはこの中でただ一人女性である。

新しく来たメンバーと、OMさん、KYさんと、東京から波照間に移り住んだというSTさん、それに自分とOさんで軽く宴会をした。

メンバーもほぼ揃い、いよいよ仕事が始まるんだなと心を引き締める。
今までは自由に起き、食べ、走り、眠って奔放な生活をしてきた。
自分に甘える事のないようにしっかりしよう。

翌日、OMさんが寮に来て、キビ植えの続きをやると言ったので、今回は4人でやった。
耕うん機のエンジンは慣性起動式。
クランクを差し込んで、グルグル回したらイグニションにつなぐ。
しかしこれがなかなかうまくいかない。 くやしい~。
結局OMさんがエンジンをかけた。

自分達が耕うん機を操作してウネを作るのだが、少し蛇行してしまった。
今回は4袋分のキビ植えなので、あっという間に終わった。
この後、キビ刈りの予行演習を全員でやった。

晩ご飯のおかずは、オカラと菜っ葉とツナの炒め物。
味付けは味の素、しょう油、塩。

炒める順番は、まずオカラ、次にツナ1缶、そして菜っ葉を入れ、オカラが焦げ付かないように、油をたっぷり使い火加減に注意する。
よくかき混ぜてオカラにほんのり色が付いたら味付けして出来上がり。

OMさんが味付けをしたので、とても美味しかった。

農作業の手伝い

2008-03-24 22:58:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
キビ刈りが始まるまでにはまだ日にちがあったので、畑の手伝いをする事になった。

KYさんの畑に砂糖キビの苗を植える。
幅50m長さ70m位の広さ。

OMさんがまず耕うん機でウネを作り、そこにできた溝に30cm位に切られたキビの苗を一直線にすき間なく並べ、足で踏んで行く。
キビの苗がパンパンに詰まった袋はけっこう重い。

普段はもっとすき間をあけて割とラフにいくらしいが、苗を切ってから10日以上たった古い苗だったので、植えた後に幾つかは生えない可能性があるため、なるべくすき間のないようにするためにそのように植えるのだそうだ。

準備しておいた長靴が、早速役に立ったわけだが、団子状になった土が履き口から入ってしまい、靴の中は土だらけになってしまった。

苗が終わったら、次は肥料撒きと薬やり。
肥料は粒状で、それを撒く道具がある。
まずタンクに肥料をいれ、一杯になったら背負って、掃除機のパイプくらいの太さの散布ノズルがつながっているので、均等に撒いていく。

そのような文明の利器がない場合いは、20kg入りの肥料袋の口を10cmくらい開け、肩に抱えてザラザラと歩きながら撒いて行く。

苗から芽が出たての頃は虫にとても弱く、芯を食われてしまうのを防ぐために、粒子状の薬を少量撒く。
これが終わったら、土をかぶせて苗植えは完了。
作業自体は簡単だった。

KYさんは、モニタリングステーションの管理もやっている。
KYさんからの依頼で、施設の周りの雑草取りもやった。
Oさんが草刈機を使って、ボウボウにのびた草を刈る。
自分は刈った草をまとめて捨てる。

草刈機はエンジンではなく、モーターだった。
まるでラジコンヘリのような音だ。
なぜモーターなのかと聞いたら、エンジンから出る熱で、観測データが狂ってしまうせいだという。
かなり精密な観測をしているんだなあと感心した。
そのうち見学させてもらえるというので、楽しみだ。

波照間での生活

2008-03-22 10:48:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
年が明け、テント生活から、屋根のある家の生活に入る。

北部落にある空き家が自分達の住む寮となる。
元自衛隊員のOさんと自分がまず入った。


空き家だったので、床にはゴキブリやらねずみの糞が散乱していた。
まずは掃除から。
OMさんは台所にお供えの花を添えて、火事が起きないように安全祈願。

3人で明日以降の予定を話し合う。
OMさんの話では、数日後にさらに数人入る予定だと言う。
どんな人達が来るのだろうか。
この時、製糖工場で働くK君が訪れてきて、楽しく雑談や仕事の話をする。

OMさんは16年以上調理師として働いていたそうで、料理の知識がとても豊富で勉強になる。

この日作ってくれたのは、パパイヤと葉っぱ、大根の味噌汁。
インスタントラーメンを使った醤油ヤキソバ。
葉っぱを炒める時は、手早く。そうすれば歯ごたえがあって美味しい。

人数が揃って、キビ刈りが始まったら、当番制で自分達で皆の飯を賄わなければならない。
道具類はOMさんが用意してくれたので、大概の物は作れる。
米を炊く電気釜がデカイ(一升炊き)のにびっくりしたが、人数が集まってキビ刈りをやると、これ位の大きさが必要だとの事。

1997年を迎える

2008-03-21 11:06:00 | 1996~97原付日本一周沖縄編
1997年平成9年
近くにテントを張っている、自分と同い年のK君に起こされ、最南端の高那崎へ初日の出を見に行った。
天気はイマイチだったが、太陽の出るところはかろうじて雲が切れていた。


「最南端の島で、初日の出か・・・」

こんな所で、正月を迎えるなんて想像しただろうか。
1ヶ月前まで、ここにくる事すら想定していなかったのだから。
良いのか悪いのかと言うのは、全く野暮な疑問だろう。

とにかく、どんなにつらくとも、ここで金を稼ぎ、無事家に帰ることだ。
そして、旅する者として、豊かな時間を過ごす事。
これが今自分にできる事だ。

太陽が上がってから、高那崎でのんびりした。
岩はすべて珊瑚の化石で、エッジが立っているので、転んだら怪我をする。


険しい崖に荒々しく波がぶつかり、飛沫となって砕け散る。
釣り好きの人には、絶好のポイントだそうで、大物が釣れるらしい。

そして最南端の碑の前で。
右のが古くからある碑で、左の日の丸入りは、後にどこかの団体が設置したらしい。



テント場に戻ると、キビ刈りのアルバイトでお世話になるOMさんが来た。
これから海に潜るので来るか?という誘い。

自分は泳げないので断った。
K君が付いていく事になった。
浜から、彼らが獲っているのを見ていた。

しばらくしたら戻っきた。
K君が「やったゾー!!」と言って、大きなタコを持ち上げて見せてくれた。


水ダコと言うらしく、大きさは120cmくらい、5kgはあっただろう。
この他にも貝とかたくさん獲れていた。
これらを炭火で焼き、醤油をたらして食べた。


シャコ貝もあった。
すし屋だったらいったいいくらするのだろう?
貝柱はとても美味しかった。


缶詰やインスタント食品ばかりだったので、こういった新鮮な魚介類は、とても贅沢な御馳走だ。
OMさんK君、どうもありがとう。