kebaneco日記

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憲法記念日の翌日に思うこと 3つの主義について

2017年05月04日 | 折々の話題
ポリ袋パン、今回はレトルトカレーを入れて「焼きカレーパン」にしてみた。味は悪くないけど、具とパンの比率を考えると、もっと生地を伸ばしてパンあたりの具の量を増やしたほうが美味しかったな、と思った。あ、それからレトルトカレーの場合は煮詰めてもうちょっと硬くしないといかんな、とも。次回はあんぱんでもつくろうかしらん、それとも手抜きでソーセージパンかしらん、などと目論んでおるところ。


今日も出勤ご苦労様、の主人にもたせたお弁当


さてと、昨日に続いて「あたらしい憲法のはなし」から、憲法の根幹をなす3つの基本的考え方について説明した章を引用。森友学園には「教育勅語」ではなく「あたらしい憲法のはなし」を園児に暗記させてほしいものよ。ってか、文科省よ、これを小学校では2018年度から、中学校では2019年度から始まる道徳の教科書として9年間使い通して、それぞれの年齢に応じて教える内容とテスト内容を変えてはいかが?日本史は第二次世界大戦以降はほとんど教えないんだから、それを補う上でこういう教育ってとても重要だと思う。選挙権が18歳以上に与えられるようになったからこそ、憲法を熟知しておくことはさらに重要。パン屋を和菓子屋に変えてOKにするような、意味不明な道徳の教科書なんてむしろ有害だと思う。

二 民主主義とは

 こんどの憲法の根本となっている考えの第一は民主主義です。ところで民主主義とは、いったいどういうことでしょう。みなさんはこのことばを、ほう/″\できいたでしょう。これがあたらしい憲法の根本になっているものとすれば、みなさんは、はっきりとこれを知っておかなければなりません。しかも正しく知っておかなければなりません。
 みなさんがおゝぜいあつまって、いっしょに何かするときのことを考えてごらんなさい。だれの意見で物事をきめますか。もしもみんなの意見が同じなら、もんだいはありません。もし意見が分かれたときは、どうしますか。ひとりの意見できめますか。二人の意見できめますか。それともおゝぜいの意見できめますか。どれがよいでしょう。ひとりの意見が、正しくすぐれていて、おゝぜいの意見がまちがっておとっていることもあります。しかし、そのはんたいのことがもっと多いでしょう。そこで、まずみんなが十分にじぶんの考えをはなしあったあとで、おゝぜいの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。そうして、あとの人は、このおゝぜいの人の意見に、すなおにしたがってゆくのがよいのです。このなるべくおゝぜいの人の意見で、物事をきめてゆくことが、民主主義のやりかたです。
 國を治めてゆくのもこれと同じです。わずかの人の意見で國を治めてゆくのは、よくないのです。國民ぜんたいの意見で、國を治めてゆくのがいちばんよいのです。つまり國民ぜんたいが、國を治めてゆく――これが民主主義の治めかたです。
 しかし國は、みなさんの学級とはちがいます。國民ぜんたいが、ひとところにあつまって、そうだんすることはできません。ひとり/\の意見をきいてまわることもできません。そこで、みんなの代わりになって、國の仕事のやりかたをきめるものがなければなりません。それが國会です。國民が、國会の議員を選挙するのは、じぶんの代わりになって、國を治めてゆく者をえらぶのです。だから國会では、なんでも、國民の代わりである議員のおゝぜいの意見で物事をきめます。そうしてほかの議員は、これにしたがいます。これが國民ぜんたいの意見で物事をきめたことになるのです。これが民主主義です。ですから、民主主義とは、國民ぜんたいで、國を治めてゆくことです。みんなの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがすくないのです。だから民主主義で國を治めてゆけば、みなさんは幸福になり、また國もさかえてゆくでしょう。
 國は大きいので、このように國の仕事を國会の議員にまかせてきめてゆきますから、國会は國民の代わりになるものです。この「代わりになる」ということを「代表」といいます。まえに申しましたように、民主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことですが、國会が國民ぜんたいを代表して、國のことをきめてゆきますから、これを「代表制民主主義」のやりかたといいます。
 しかしいちばん大事なことは、國会にまかせておかないで、國民が、じぶんで意見をきめることがあります。こんどの憲法でも、たとえばこの憲法をかえるときは、國会だけできめないで、國民ひとり/\が、賛成か反対かを投票してきめることになっています。このときは、國民が直接に國のことをきめますから、これを「直接民主主義」のやりかたといいます。あたらしい憲法は、代表制民主主義と直接民主主義と、二つのやりかたで國を治めてゆくことにしていますが、代表制民主主義のやりかたのほうが、おもになっていて、直接民主主義のやりかたは、いちばん大事なことにかぎられているのです。だからこんどの憲法は、だいたい代表制民主主義のやりかたになっているといってもよいのです。
 みなさんは日本國民のひとりです。しかしまだこどもです。國のことは、みなさんが二十歳になって、はじめてきめてゆくことができるのです。國会の議員をえらぶのも、國のことについて投票するのも、みなさんが二十歳になってはじめてできることです。みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上の方もおいででしょう。そのおにいさんやおねえさんが、選挙の投票にゆかれるのをみて、みなさんはどんな氣がしましたか。いまのうちに、よく勉強して、國を治めることや、憲法のことなどを、よく知っておいてください。もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、國のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。みなさんの考えとはたらきで國が治まってゆくのです。みんながなかよく、じぶんで、じぶんの國のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。これが民主主義というものです。

三 國際平和主義

 國の中で、國民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、國民の意見は、人によってずいぶんちがっています。しかし、おゝぜいのほうの意見に、すなおにしたがってゆき、またそのおゝぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく國の仕事をやってゆくのでなければ、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。
挿絵3
 これは、一つの國について申しましたが、國と國との間のことも同じことです。じぶんの國のことばかりを考え、じぶんの國のためばかりを考えて、ほかの國の立場を考えないでは、世界中の國が、なかよくしてゆくことはできません。世界中の國が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、國際平和主義といいます。だから民主主義ということは、この國際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの國にたいしても國際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。この國際平和主義をわすれて、じぶんの國のことばかり考えていたので、とうとう戰爭をはじめてしまったのです。そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この國際平和主義でやってゆくということを、力強いことばで書いてあります。またこの考えが、あとでのべる戰爭の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。

四 主権在民主義

 みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。いったい「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。勉強のよくできることでしょうか。それとも力の強いことでしょうか。いろ/\きめかたがあってむずかしいことです。
 國では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もし國の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。もしおおぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、みないちばんえらいことになります。もし國民ぜんたいの考えできまるならば、國民ぜんたいが、いちばんえらいのです。こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、國民ぜんたいの考えで國を治めてゆきます。そうすると、國民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。
 國を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が國民ぜんたいにあれば、これを「主権は國民にある」といいます。こんどの憲法は、いま申しましたように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権は、とうぜん日本國民にあるわけです。そこで前文の中にも、また憲法の第一條にも、「主権が國民に存する」とはっきりかいてあるのです。主権が國民にあることを、「主権在民」といいます。あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権在民主義の憲法であるということになるのです。
 みなさんは、日本國民のひとりです。主権をもっている日本國民のひとりです。しかし、主権は日本國民ぜんたいにあるのです。ひとり/\が、べつ/\にもっているのではありません。ひとり/\が、みなじぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは民主主義にあわないことになります。みなさんは、主権をもっている日本國民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりません。よいこどもであるとともに、よい國民でなければなりません。

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4 コメント

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新しい憲法の話 (ようちゃんばあば)
2017-05-04 12:27:28
きのう テレビで この「あらしい憲法の話」を教材として
高校の公民の授業をしている様子がでていました。
子供はもちろん おとなも 大事な勉強だなと思いました。
選挙で 議員をえらぶ本当の意味も これによって理解できると
思います。
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ようちゃんばあばさま (keba)
2017-05-04 13:05:01
高校の公民の授業、そうなんですね、いいと思います。
憲法の精神をこんなふうに噛み砕いて説明しても
たったの27ページにしかならないのだから
みんな読むべきだと思いました。

そういえば、
ポツダム宣言も印刷するとA4一枚だったりするのですが
首相は国会答弁で「読んだ」とは決して答えませんでした(苦笑)

これをちゃんと知ってる子供たちが有権者になれば
そういう人は選ばれなくなる、と思いたい〜
返信する
三権分立 (みどり)
2017-05-05 10:14:25
昔々、まだ恐竜が生息していた、私が小学生だった頃、学校で三権分立について学びました。
先生が真ん中に国民を置いて、それを取り囲むように司法、立法、行政の図を描き、三権がいかにお互いを抑制しあって均衡を保つか説明してくれました。
で、最後に先生が図を指して「この中で、どれが一番強いでしょうか?」と聞きました。
一人一人答えていったのですが、みんなは三権の説明が頭に残っていたせいか、司法とか立法とか三権の一つを答えていました。
私の番、私は「国民」と答えました。
いうまでもなく、それが正解でした。
そんな大昔の記憶が残っているのも、ちょっと得意になる出来事だったからです。
そして今、その「国民」が問題なのです。
理想論は理想論というだけで排斥・棄却されます。
目先の利益を確保してくれる、分かりやすいことを言う人間についていくのです。
(なぜヒラリーが嫌われ、トランプが大統領になったか、見れば明らか!)
損得勘定で動く人間には、損得で説得するしかないように思います。
悲しいけど、理想論は語れば語るほどダメなんです。
このままではアベの術中にはまると危惧しているのは私だけでしょうか。
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みどりさま (keba)
2017-05-05 14:03:33
おっしゃる通りだと思います。

理想論なくしては最終的な方向性を失うので必要だと思いますが、
当然目先の損得が必要だと思います。

だからこそ、北朝鮮とことを構えるアメリカは
自分の国は痛まないけど韓国や日本が危険にさらされる、
そういう「損得」をちゃんと報道して
威勢のいいアメリカと一緒にことを構えそうになる・既成事実を重ねようとする
アベの危険性というか無知をちゃんと理解せねばならないのに、
報道機関が忖度しては世論形成が偏る、と焦ります。

そうこうしているうちに、憲法を変えなくてもできるうえ、
他党がやろうとした時にはバラマキとして反対した
教育の無償化を、改憲抱き合わせ商法で損得感情に訴える
アベの術の巧妙さはいやらしさを増しています。
9条の1項2項を残した自衛隊の合憲化はイシバが疑問を呈し、
教育の完全無償化は議論すらされてないのに。

改憲は必要かもだけど阿倍政権での改憲はNOという国民が過半数
こういう状態を切り崩そうとしていると思います。
国民、いまこそがんばんないと、いつがんばんのよ、と危惧してます。
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