
日時計。
石板中央に垂直の棒をたて、その影の先端の位置をみて大まかな時刻を読み取ることができた、らしい。季節と共に太陽の高さと方角が変わるので、7本もの目盛り曲線が刻まれている。デジタル表示に慣らされたあたしには、こんなの時計と言われても、って感じ。便利な生活は脳を怠惰にするのだろうか、とほほ。
ライオンの吐水口
西暦1世紀にして、既に上水道完備だったポンペイ。写真にはとらなかったけど、青銅製のバルブも展示されていた。素人目にもそうとわかるデザイン、ってことは2000年もの間ほぼ変わってないのかなぁ?研究者によると古代ローマでは水道管とバルブは帝国全土で標準化されていたらしい。さすがは公共事業大国のローマである。広場ではこんな吐水口から常に水が出ていたのかもしれない。
ユピテル(ジュピター)=アンモン形の錘付き竿秤 ブロンズ
ユピテル=アンモン形の錘 ブロンズ
ワインを運ぶ壺が多く出土されていたことからワインの産地であったと思われ、魚醤なども作っていたようだ。そういう取引に使ったであろう道具も、こんな意匠を施したものだったというのが素晴らしい。
奴隷がいたけれど、お金を貯めて奴隷階級から脱却できるという社会流動性もあったようだ。頑張れば報われるというモチベーションで、奴隷はシャキシャキ働いてたのかも。そして、政治家になれるかどうかは家柄ではなく財力で決まるというのは、ニンゲンって、、、と笑っちゃう(いやいや、笑い事じゃいかんのよ、まじ)。女性は政治家にはなれないものの資金があれば支援者にな(って政治家を操ら)れるようだった。富裕層が貧困層のためにパンを買い上げて配る行為が行われたり、貧困層と富裕層の食べ物に大きな差はなかったのではないかとする研究がある。現代人の目から見れば、奴隷制を肯定してそこからメリットを享受しているわけなので、当然ではないか?と思えなくもないけど。
部屋を貸しますや、政治的なメッセージの壁書、客を待たせるパティオに残された多くの落書きなど、1万人の人々が住む都市で営まれていた、書き残された歴史からは窺い知れないような日常が偲ばれるものがたくさん残っていた。生活のそこかしこに、使用目的のためだけなら必要ない意匠をほどこした日用品がある文化的な面を持つ一方で、円形劇場では命に関わる競技を人々が観戦し、時にはファン同士の戦いで死者を出していたのだと思うと、そしてくりまんじゅうさまが教えてくださった売春宿街(たかだか1万人の都市で!)ありという話を伺うと、どういう日常だったのかあまりにも多面的すぎて想像するのがとても難しいなぁと思う反面、とても興味を惹かれた。
2000年も昔の生活なのに、音や匂いまでが蘇ってくるような、そんな気がした展覧会だった。
ポンペイ展の記事を書き終えたのと同時に副反応もなくなった。まとめると当日夜から熱っぽくなり、解熱剤を服用。にもかかわらず翌日は37度出て、解熱剤を飲んでも思うように体温は下がらず、前日睡眠が取れなかったこともありお昼寝たっぷり。3日目は朝はまだ熱っぽさが残るものの、解熱剤は不要、いつのまにか調子が戻ったと思ったのが午後3時ごろ。ただまだ腕はあげると痛い。
以上kebaの副反応レポートでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます