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先月の豪雨で、広島市に住む従妹の自宅が床上浸水被害にあった。
自宅は半壊で、もう住めない状態。二日ぐらい自宅二階で過ごしてその後五日ぐらい友人の家にいて、その後すぐにアパートを借りてそこから通って片付けをした、という。ボランティアや知人が片付けに大いに手を貸してくれたと、感謝していた。
家電品はうちの実家にもあるので、これから買わなきゃいけない暖房器具など、使えるものは何でも持っていってくれればいいと伝えておいたけど、車もダメになってしまったので、今はそこまでの余裕はないようだった。
頑張りすぎる傾向がある従妹なので、とにかく頑張りすぎないように釘を刺し、何かほしいものはないかと聞いたら、キリンの淡麗がほしいと(苦笑)。すぐに一箱送った。小さい頃みたいに私のお下がりいる?って聞いたら、うん!という返事だったので、写真のようなものを送った。
小さい頃、彼女の母はあたしの洋服を自分の娘のためにゲットすべく、常に虎視眈々と狙っていた。たまに会うと「kebaちゃん、それもう小さくない?」って(苦笑)。身長がぐんぐん伸びてる時期は1年しか着ないまま彼女に渡ったものも少なくない。着物もバッグも、いろんなものがお下がりとして旅立っていった。今でもその話になると、お互い笑っちゃう。
衣類は主人のものも少し頂いて、行政手続きに市役所まで行くならTシャツばかりじゃダメだろうと、ワンピースやはおりものも入れておいた。
あとは、ニューヨークのホテルでせしめてきたエトロのアメニティーと、チョコレートや塩補給の飴、日焼け止めやハンドクリーム、あと最近何かと話題のベビーパウダーも。日焼け止めとハンドクリームは、父が最後の頃気に入って使ってくれていたロクシタンのヴァーヴェナの香り。こういう時って必需品だけだと生活が味気なくなるだろうから、そうじゃないものも少しは入れてあげたいなと思って。
彼女が敷地内で同居していた義父と叔母は、今回のことで認知症が進んで排泄にトラブルようになった。仮住まいのアパートで一緒に暮らすことは無理になり、施設に入ってもらったという。まだ老人ホームに入る前、父がぼうこうガンや大腸閉塞で毎年夏に入院するたびに、母の認知症がガクッと進んだことを思い出した。自宅の半壊にはじまり、いちどきに多くのことが押し寄せたんだなと思うと、遠くにいてものを送ることしかできない自分がもどかしい。
とはいえ土地勘もなければ、たいした力仕事もできないあたしには、ものを送ることのが一番役に立てるのかもしれない。
12日の法要で弟夫婦とも会うので、実家に立ち寄って従妹家族が使えそうなものをみんなで探索(笑)するつもり。両親が老人ホームで使ってた寝具なんかもあるし、使えそうなものをリストアップできたらと思う。彼女の兄にあたる従弟が福岡市に住んでいて、帰省には車を使うこともあると言っていたので、うちの実家は通り道だしピックアップして届けてもらえないかなとも思う。あるいは、通勤に必要だろうから今月中には従妹の夫が車を買うならそれでも。洋服なんかに関しては、9月に入ったらまた考えようと思う。
自宅は半壊で、もう住めない状態。二日ぐらい自宅二階で過ごしてその後五日ぐらい友人の家にいて、その後すぐにアパートを借りてそこから通って片付けをした、という。ボランティアや知人が片付けに大いに手を貸してくれたと、感謝していた。
家電品はうちの実家にもあるので、これから買わなきゃいけない暖房器具など、使えるものは何でも持っていってくれればいいと伝えておいたけど、車もダメになってしまったので、今はそこまでの余裕はないようだった。
頑張りすぎる傾向がある従妹なので、とにかく頑張りすぎないように釘を刺し、何かほしいものはないかと聞いたら、キリンの淡麗がほしいと(苦笑)。すぐに一箱送った。小さい頃みたいに私のお下がりいる?って聞いたら、うん!という返事だったので、写真のようなものを送った。
小さい頃、彼女の母はあたしの洋服を自分の娘のためにゲットすべく、常に虎視眈々と狙っていた。たまに会うと「kebaちゃん、それもう小さくない?」って(苦笑)。身長がぐんぐん伸びてる時期は1年しか着ないまま彼女に渡ったものも少なくない。着物もバッグも、いろんなものがお下がりとして旅立っていった。今でもその話になると、お互い笑っちゃう。
衣類は主人のものも少し頂いて、行政手続きに市役所まで行くならTシャツばかりじゃダメだろうと、ワンピースやはおりものも入れておいた。
あとは、ニューヨークのホテルでせしめてきたエトロのアメニティーと、チョコレートや塩補給の飴、日焼け止めやハンドクリーム、あと最近何かと話題のベビーパウダーも。日焼け止めとハンドクリームは、父が最後の頃気に入って使ってくれていたロクシタンのヴァーヴェナの香り。こういう時って必需品だけだと生活が味気なくなるだろうから、そうじゃないものも少しは入れてあげたいなと思って。
彼女が敷地内で同居していた義父と叔母は、今回のことで認知症が進んで排泄にトラブルようになった。仮住まいのアパートで一緒に暮らすことは無理になり、施設に入ってもらったという。まだ老人ホームに入る前、父がぼうこうガンや大腸閉塞で毎年夏に入院するたびに、母の認知症がガクッと進んだことを思い出した。自宅の半壊にはじまり、いちどきに多くのことが押し寄せたんだなと思うと、遠くにいてものを送ることしかできない自分がもどかしい。
とはいえ土地勘もなければ、たいした力仕事もできないあたしには、ものを送ることのが一番役に立てるのかもしれない。
12日の法要で弟夫婦とも会うので、実家に立ち寄って従妹家族が使えそうなものをみんなで探索(笑)するつもり。両親が老人ホームで使ってた寝具なんかもあるし、使えそうなものをリストアップできたらと思う。彼女の兄にあたる従弟が福岡市に住んでいて、帰省には車を使うこともあると言っていたので、うちの実家は通り道だしピックアップして届けてもらえないかなとも思う。あるいは、通勤に必要だろうから今月中には従妹の夫が車を買うならそれでも。洋服なんかに関しては、9月に入ったらまた考えようと思う。
ワンピースやはおり物 これから身に付けるたびに
ほっと温かい気持ちになれて うれしいと思います。
うちも あの大雨の日 若い家族4人は近くの中学校へ避難しましたが
とても高齢の両親をざんざん降りの中 車に乗せるのも大変で
そのうえ体育館に やっと連れて行ったとしても 床に座ることも
できないのだし 異常な雰囲気に認知症になる可能性も大でしょう。
ということで 年寄4人は 家に残りました。
運良く助かりましたが 本当に これは運です。
でも そのあとから 異常な暑さが続くこともあって
昼寝をすることのない母が 昼に ずっとベッドで寝るようになりました。
ほっとすると 後からじわじわ来るショックでしょうかねえ。
子供の頃からの仲よし、好きな物も欲しい物も解ってる^^
母も入院を機に認知が進みました。まだ今の施設で過ごせる状態らしいので、
職員さんを頼りに
入院中、通ったおかげて職員さんたちとも親しくなり
頼りになる職員さんたちに感謝感謝です。
年々、新しい事、初めての場面に戸惑うようになってきたと感じます。
不安が認知を進めるような気もします。かと言って、今の状況は
義父様や叔母様の充分な対応は出来ないでしょう、
入れる施設があって、良かったですね。
そんな時間は無いと言われるかもしれないけど、
1日、何もしない日を作ってあげて例えば、kebaさんとおしゃべりランチとか、、
男女の区別もプライバシーも何もない雑魚寝って
はっきり言ってアフリカの難民キャンプ以下だと思います。
国際赤十字が作ったと思いますがスフィア基準というものが世界にはあって、
一人2畳くらいのスペースを確保することが求められています。
災害国日本なのに、あまりに防災インフラが貧弱で毎回驚かされます。
今までは身内は誰も被害にあっていなかったので、お気の毒・・・程度でしたが
今回は半ば怒りを感じます。
自分たちだけではどうしようもない、被災後の後片付け
その間目を離せない老人が二人もいたら、
あたしだったら気が狂うと思います。
従妹が嫁入りした地区は広島市とはいえ古い共同体で
調子が悪くて病院に行ったら、帰りにはみんながそれを知ってるらしい(苦笑)。
高齢者ばかりで片付けの手助けにはならないけど、目や口だけは達者みたい。
平成も30年たってんですけど?ってくらい全く想像がつかない絵図なのですが、
そんな土地柄で、1日何もしない日を作るのは、今の彼女にはしてあげられない。
少なくとも彼女はそれを後ろめたさを感じないで受け入れられない状況です。
しばらくは、従妹からのメッセージを解釈して対応するしかないみたい。
そういう土地柄で被災するなんて、正直何重にもアンラッキーだと思う。