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この日は世界遺産のトリニダーとロス・インヘニオス渓谷を見学し、チェ・ゲバラのゆかりの地を数カ所巡ってハバナまで帰る、という民族大移動の日。
前の晩隣国のドミニカ共和国をハリケーン・エリカが襲い20名もの死者を出した。そのハリケーンは一旦高地に上陸して勢力が弱まるものの、再び勢力を取り戻しキューバを縦断し、週明けにはハバナに到達する予報と、ホテルの部屋でつけっぱなしにしてフォローしてたCNNが放送していた。そのもろにハバナにハリケーンが到達すると予想される8月31日月曜日早朝に、ハバナを出る予定になってる我が一族の旅程担当者のあたしは、よしんばハリケーンがハバナを直撃しなかったとしても暴風雨で前日のトロントからの便がハバナに来ず、お迎えがない状態になるのではと心配になって、なかなか寝られなかった。なんせ2年前の出クロアチア記はある意味あたしにとってのトラウマだから。でもま、帰国翌日から仕事を入れてるあたしは、そのトラウマに対する適切な対策を怠っているとも言えるけどね(苦笑)。
が、翌朝トリニダーはいたって穏やかな晴天。ジタバタしても仕方ないんだから、楽しみなさいって、お天道様から言われた気がした。ホテルをチェックアウトして待っていたら、タクシーに乗ったガイドのジュリが現れた。中高で英語を教えていたけれど、学生のやる気のなさと収入の低さに、政府が観光に力を入れていることでもあり研修を受け直して自分の英語力を観光ガイドとして使おうと考えた、という。「あたし、教えたがりだから喋りすぎるきらいがあるの、だからうるさかったら遠慮なく言ってね」といたずらっぽく笑う彼女には、半日の観光ツアーの間本当に色々と教わった。
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さて、最初の写真はこの日最初の見学地のロス・インヘニオス渓谷。18世紀から19世紀にかけて大規模にさとうきびを奴隷を使って栽培していた場所。高台から見下ろす渓谷は今でも美しい農園で、キューバの先住民は体力がなかったのでアフリカから奴隷を連れてきた、その船がキューバに最初に着いたのもトリニダー、トリニダーは植民地時代のプランテーション農業と奴隷貿易の中心地だった、と説明された。
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そのカチャンチャラを出すカフェは、元海賊だったという人物が住んでいた建物を使ったもので、この建物自体1740年建造というなかなかの時代もの。さとうきびの蒸留酒のアグラルデンテ(ラムみたいなもの)とハチミツとレモンと水のカクテル、美味であった。この後ハリケーンが気になっていたあたしはメールもチェックしたかったので、トリニダー市内のインターネットカフェに連れて行ってもらった。20分300円くらいの料金で、カフェにあるPC端末を使ってネットにアクセスするだけ、WiFiで自由に自分の端末から、というわけではないのが残念だったけど、とりあえずメールのチェックよりは帰国がどうなるかじゃと、ネットで検索。どうやら普通の低気圧になったらしいというところまでは確認し、一安心。ネットカフェのスピードは、当時の日本よりはるかに遅かった5~6年前のアメリカのホテルの「高速インターネット(笑止千万もの)」のようで、なんかちょっと懐かしい感覚だった。
ネットをチェックし、ホテルに送り届けてもらったところでジュリとドライバーとはお別れ。ハバナへの移動は別の会社の別のドライバーなので、ホテルで休憩と昼食をとりつつ、汗で汚れた洋服を着替えたりしてお迎えの時間をゆっくりと待った。帰りは主人のたっての希望で、サンタクララにあるチェ・ゲバラ霊廟とトレン・ブリンダード記念碑を見ることに。
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ボリビア政府軍との戦闘でボリビアで捉えられ射殺された1967年から20年後に建てられた霊廟には、その後1997年にボリビアで発見されたゲバラの遺骨が、カストロ議長の手でこの霊廟に納められた。Hasta la Victoria Siempre(常に勝利に向かって)というゲバラの名言は、台座に刻まれている。
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革命勝利の1年前にチェ・ゲバラが率いる革命軍がバティスタ政権の装甲車を襲撃して武器を奪ったため、バティスタは亡命を決意して革命勝利のきっかけとなったとされる。今でも革命軍が襲撃した装甲車が(野ざらしだけど;笑)展示してある。
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チェ・ゲバラ特集(笑)を無事(?)終えて、我が一族サンタクララを後に一路約280キロハバナを目指した。ぎっくり腰明けの主人だけじゃなくてあたしにとってもかなり大変な移動だった。当初予想していた「道路がデコボコだったらどうしよう」は全くの杞憂。しかも現地発のグループツアーじゃなくて二人だけのために旅程を組んだので、車も自家用車で少なくともバスよりは乗り心地が快適であっただろうと思われる。最初旅程を組んだ時に「夕方までにトリニダーに着くような旅程」「夕方までにハバナに着くような旅程」と、メールで何度も強調された理由は、夕暮れ迫るハバナへの移動でわかった。道路に街路灯がないのである。道路自体も舗装面はほぼきちんと保守されているものの、センターラインが消えかかっているし、そもそも高速道路とか言いながらも馬車とか自転車とかいろんなスピードのものが走っているため、これは夜は危険極まりないだろうなと思った。
そんなこんな、キューバのトリビアなネタを確認しつつ、途中サービスエリア的お土産やさんなどを覗いたりしながら、夕方ハバナに戻ってきた。またアンボスムンドスに投宿し、2日前と同じおじさんにチェックインの手続きをしてもらった。彼はあたしたちのことを覚えていて「今度は何泊だっけ」「2泊です。ところでハリケーンどうなりました?」「消えたよ」「本当?」「本当だよ、この目で見た」。ってな会話をした。この目で見たってね~、ど~やって見たんだよ~って突っ込みたい気持ちはあったけど、やめといた(笑)。2日前と同じ5階のこないだとは違う部屋にチェックイン。今度は部屋も大きくエアコンもバッチリ効いている。2日前はなんだったんだろうね~、でも陸路半日移動してきた後この部屋はありがたいよね~、と笑いながら話した。
後日この件については、あたしが今回のキューバ旅行を全てアレンジしてもらったCuba Travel Networkというオンラインの旅行代理店に「最初の一泊とトリニダーから帰ってきた後の2泊のホテルの部屋は同じジュニアスイートとは思えなかった」とフィードバックした。初日のヘミングウェイ様の瞬間的隣人部屋はそれはそれで満足してたので、特にクレームというつもりはなく、再発防止をお願いできればと思って、と書き添えておいた。そしたら2日くらい経って出発前からやりとりしていた女性から「状況を現地に確認した。申し訳ない最初の夜はスタンダードに泊めてしまった。差額を返金する」と連絡が来た。正直ヘミングウェイの部屋の隣に泊まったので、ま、いっか~と思ってたので、差額約7,500円が戻って来るのには驚いた。キューバへ個人旅行をしたい人には、この旅行代理店お勧めかも。アジア太平洋地区の時間帯で即応してくれる担当者がいるのもポイント高かったし。
は、さておきご飯です(笑)。ホテルでシャワーを浴びて少々休んで、着替えてお出かけ。ハバナ旧市街には、こないだいったラ・ボデギータ・デル・メディオ以外にもヘミングウェイの行きつけ、フロリディータというバー・レストランがある。入ってすぐのバースペースはお客さんでごった返していた。これは先日のレストランも一緒。スタッフに「食事したい」と伝えて、奥のレストランスペースに案内してもらった。
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ヘミングウェイが砂糖抜きのダイキリ「パパ・ヘミングウェイ」を飲んでいたことで有名なので、当然それを注文。味はどれも美味しく、シーフードを目の前でグリルしてくれる演出などもなかなか楽しく、最初の疑問は吹っ飛んだ。
カウンターの隅にヘミングウェイの像が置いてあったので、帰りにパチリ。夜かなり遅かったはずだけど、楽隊の生演奏を楽しむ人、生演奏で踊る人、で溢れていた。
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あたしたちは、移動の疲れもあり、目抜通りのオビスポ通りを「あ~、ここも楽隊が入って楽しそうだね」「ここなんかお店の人が踊ってるし」などと言いながらぶらぶら歩いてホテルに戻った。なんせ翌日はハバナ終日観光の日にして最終日だからね、体力温存よ~(笑)。
前の晩隣国のドミニカ共和国をハリケーン・エリカが襲い20名もの死者を出した。そのハリケーンは一旦高地に上陸して勢力が弱まるものの、再び勢力を取り戻しキューバを縦断し、週明けにはハバナに到達する予報と、ホテルの部屋でつけっぱなしにしてフォローしてたCNNが放送していた。そのもろにハバナにハリケーンが到達すると予想される8月31日月曜日早朝に、ハバナを出る予定になってる我が一族の旅程担当者のあたしは、よしんばハリケーンがハバナを直撃しなかったとしても暴風雨で前日のトロントからの便がハバナに来ず、お迎えがない状態になるのではと心配になって、なかなか寝られなかった。なんせ2年前の出クロアチア記はある意味あたしにとってのトラウマだから。でもま、帰国翌日から仕事を入れてるあたしは、そのトラウマに対する適切な対策を怠っているとも言えるけどね(苦笑)。
が、翌朝トリニダーはいたって穏やかな晴天。ジタバタしても仕方ないんだから、楽しみなさいって、お天道様から言われた気がした。ホテルをチェックアウトして待っていたら、タクシーに乗ったガイドのジュリが現れた。中高で英語を教えていたけれど、学生のやる気のなさと収入の低さに、政府が観光に力を入れていることでもあり研修を受け直して自分の英語力を観光ガイドとして使おうと考えた、という。「あたし、教えたがりだから喋りすぎるきらいがあるの、だからうるさかったら遠慮なく言ってね」といたずらっぽく笑う彼女には、半日の観光ツアーの間本当に色々と教わった。
ガイドのジュリ
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さて、最初の写真はこの日最初の見学地のロス・インヘニオス渓谷。18世紀から19世紀にかけて大規模にさとうきびを奴隷を使って栽培していた場所。高台から見下ろす渓谷は今でも美しい農園で、キューバの先住民は体力がなかったのでアフリカから奴隷を連れてきた、その船がキューバに最初に着いたのもトリニダー、トリニダーは植民地時代のプランテーション農業と奴隷貿易の中心地だった、と説明された。
古い町並みはとても美しく、スペイン植民地時代そのままだという
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海賊の攻撃から守るため発達した金属の格子が美しい町並み
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当時から石畳、当時から中央に向かって傾斜があり雨が建物に入らない工夫がされていた
ロマンティコ博物館、さとうきびで成功した大農園主の屋敷だったところ
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ヨーロッパから取り寄せたガラスや陶器、ヨーロッパのデザインを模倣して現地で作った家具など展示
ファゴッティングという布から糸を間引き模様を作る手芸で有名なトリニダー
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露天にも数多く作品が並んでいた
革命博物館は外から見学
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観光の一休みに名物カンチャンチャラにトライ
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そのカチャンチャラを出すカフェは、元海賊だったという人物が住んでいた建物を使ったもので、この建物自体1740年建造というなかなかの時代もの。さとうきびの蒸留酒のアグラルデンテ(ラムみたいなもの)とハチミツとレモンと水のカクテル、美味であった。この後ハリケーンが気になっていたあたしはメールもチェックしたかったので、トリニダー市内のインターネットカフェに連れて行ってもらった。20分300円くらいの料金で、カフェにあるPC端末を使ってネットにアクセスするだけ、WiFiで自由に自分の端末から、というわけではないのが残念だったけど、とりあえずメールのチェックよりは帰国がどうなるかじゃと、ネットで検索。どうやら普通の低気圧になったらしいというところまでは確認し、一安心。ネットカフェのスピードは、当時の日本よりはるかに遅かった5~6年前のアメリカのホテルの「高速インターネット(笑止千万もの)」のようで、なんかちょっと懐かしい感覚だった。
ネットをチェックし、ホテルに送り届けてもらったところでジュリとドライバーとはお別れ。ハバナへの移動は別の会社の別のドライバーなので、ホテルで休憩と昼食をとりつつ、汗で汚れた洋服を着替えたりしてお迎えの時間をゆっくりと待った。帰りは主人のたっての希望で、サンタクララにあるチェ・ゲバラ霊廟とトレン・ブリンダード記念碑を見ることに。
あまりにも有名なこの風景
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ゲバラの遺骨が安置されている霊廟内部は厳重警備。一切手荷物不可、撮影不可、あたしたち行き着けず(苦笑)
ボリビア政府軍との戦闘でボリビアで捉えられ射殺された1967年から20年後に建てられた霊廟には、その後1997年にボリビアで発見されたゲバラの遺骨が、カストロ議長の手でこの霊廟に納められた。Hasta la Victoria Siempre(常に勝利に向かって)というゲバラの名言は、台座に刻まれている。
そこから少し離れたところにあるトレン・ブリンダード記念碑
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革命勝利の1年前にチェ・ゲバラが率いる革命軍がバティスタ政権の装甲車を襲撃して武器を奪ったため、バティスタは亡命を決意して革命勝利のきっかけとなったとされる。今でも革命軍が襲撃した装甲車が(野ざらしだけど;笑)展示してある。
ハバナに帰ろう、と高速道路に戻る途中に州委員会らしき建物前のゲバラの像をドライバーが教えてくれた
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チェ・ゲバラ特集(笑)を無事(?)終えて、我が一族サンタクララを後に一路約280キロハバナを目指した。ぎっくり腰明けの主人だけじゃなくてあたしにとってもかなり大変な移動だった。当初予想していた「道路がデコボコだったらどうしよう」は全くの杞憂。しかも現地発のグループツアーじゃなくて二人だけのために旅程を組んだので、車も自家用車で少なくともバスよりは乗り心地が快適であっただろうと思われる。最初旅程を組んだ時に「夕方までにトリニダーに着くような旅程」「夕方までにハバナに着くような旅程」と、メールで何度も強調された理由は、夕暮れ迫るハバナへの移動でわかった。道路に街路灯がないのである。道路自体も舗装面はほぼきちんと保守されているものの、センターラインが消えかかっているし、そもそも高速道路とか言いながらも馬車とか自転車とかいろんなスピードのものが走っているため、これは夜は危険極まりないだろうなと思った。
そんなこんな、キューバのトリビアなネタを確認しつつ、途中サービスエリア的お土産やさんなどを覗いたりしながら、夕方ハバナに戻ってきた。またアンボスムンドスに投宿し、2日前と同じおじさんにチェックインの手続きをしてもらった。彼はあたしたちのことを覚えていて「今度は何泊だっけ」「2泊です。ところでハリケーンどうなりました?」「消えたよ」「本当?」「本当だよ、この目で見た」。ってな会話をした。この目で見たってね~、ど~やって見たんだよ~って突っ込みたい気持ちはあったけど、やめといた(笑)。2日前と同じ5階のこないだとは違う部屋にチェックイン。今度は部屋も大きくエアコンもバッチリ効いている。2日前はなんだったんだろうね~、でも陸路半日移動してきた後この部屋はありがたいよね~、と笑いながら話した。
後日この件については、あたしが今回のキューバ旅行を全てアレンジしてもらったCuba Travel Networkというオンラインの旅行代理店に「最初の一泊とトリニダーから帰ってきた後の2泊のホテルの部屋は同じジュニアスイートとは思えなかった」とフィードバックした。初日のヘミングウェイ様の瞬間的隣人部屋はそれはそれで満足してたので、特にクレームというつもりはなく、再発防止をお願いできればと思って、と書き添えておいた。そしたら2日くらい経って出発前からやりとりしていた女性から「状況を現地に確認した。申し訳ない最初の夜はスタンダードに泊めてしまった。差額を返金する」と連絡が来た。正直ヘミングウェイの部屋の隣に泊まったので、ま、いっか~と思ってたので、差額約7,500円が戻って来るのには驚いた。キューバへ個人旅行をしたい人には、この旅行代理店お勧めかも。アジア太平洋地区の時間帯で即応してくれる担当者がいるのもポイント高かったし。
は、さておきご飯です(笑)。ホテルでシャワーを浴びて少々休んで、着替えてお出かけ。ハバナ旧市街には、こないだいったラ・ボデギータ・デル・メディオ以外にもヘミングウェイの行きつけ、フロリディータというバー・レストランがある。入ってすぐのバースペースはお客さんでごった返していた。これは先日のレストランも一緒。スタッフに「食事したい」と伝えて、奥のレストランスペースに案内してもらった。
あたしは窓のない暗い場所で食事をするのが苦手、通されたところがまさにそういうスペースで「ここ、美味しいのかな?」と一言(苦笑)
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ヘミングウェイが砂糖抜きのダイキリ「パパ・ヘミングウェイ」を飲んでいたことで有名なので、当然それを注文。味はどれも美味しく、シーフードを目の前でグリルしてくれる演出などもなかなか楽しく、最初の疑問は吹っ飛んだ。
カウンターの隅にヘミングウェイの像が置いてあったので、帰りにパチリ。夜かなり遅かったはずだけど、楽隊の生演奏を楽しむ人、生演奏で踊る人、で溢れていた。
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あたしたちは、移動の疲れもあり、目抜通りのオビスポ通りを「あ~、ここも楽隊が入って楽しそうだね」「ここなんかお店の人が踊ってるし」などと言いながらぶらぶら歩いてホテルに戻った。なんせ翌日はハバナ終日観光の日にして最終日だからね、体力温存よ~(笑)。
思ったほど悲愴じゃないし、食べ物は意外に美味しい
行かないとわからないことってあるな~と再確認しました。
銅像、というかチェ・ゲバラに対する愛、感じました、いろんなところで。
いってみたくなるけどむりなのでジックリ 読んで そこについて行った気分に浸ります。
銅像が どれも すごく力強いですね。
そりゃ、カリスマ後光さしまくりですよね(笑)
キューバは今でも基本的な食料品は人数分の配給だそうです。
ジュリが言っていたのは、砂糖やコーヒーまで家族分配給があるのだけど
それだけでは足りないので「ないよりまし」というほかない。
ただ医療は無料なのでありがたい、と。
ジュリのように能力もやる気もある人が、十分な生活の保障を受けられない国
だとすると何のための革命だったのか知らん、と思えなくもありませんでした。
公務員であろう教師や医師が経済的理由でほかの職業に就く
あるいは海外移住することは、社会にとって決して小さくない損失と思われます。
一人一人の国民にとって楽しいかどうか、はわからないけど
必ずしも、兌換ペソが手に入る人=真面目に努力している人、というわけではないので
そういう不公平感がこれから社会の不安定化の温床にならないといいな、と危惧しています。
いい人たちなんですよ、みんな。。。
格好いい時に亡くなったから、余計にカリスマなんでしょうね
キューバの現状、良く知りません
国民は、それなりに楽しく暮らせているのでしょうか
生活費は、国から支給されるってのじゃ無いのですね
今まで、教育に手を抜いてきたツケは、尾を引くでしょうね