こないだ健康診断に行った時、待合室でこの本を見つけた。薬で進行が抑えられているし、夫婦でのんびり過ごせているので日頃は落ち着いている母に、どうやって接することが彼女にとってもあたしにとっても気持ちの上で負担が少ないのか、ず~っと模索中のあたし。「認知症の人の世界と介護」という章があり、「認知症の人はどんな世界を生きているか」というページを見つけ、ヒントがもらえた気がして、帰宅してさっそく購入した。
認知症の人の介護の基本というページに、現実に引き戻すよりも、「過去に生きている」ことを受け入れる。例えば朝「会社に行く」という人に対しては、「そうですか」と返すなど、とあった。うちの母の場合まだそういう会話に至るようなことはないけど、非薬物療法の一つとしてあげられていた「回想法」、つまり、最近のことは覚えてないけれど昔のことをよく覚えているのだから、その時代のことを語り合うことで情緒的な安定を得る効果がある、になるな、と思った。それに「過去に生きている」ことを受け入れてあげれば、あちらもこちらも気が楽になるんだ~、と。母が認知症と診断されてから、斜め読みしたいろんな本にそんなことが書いてあったはず、少しずつ頼りなくなっていく母が目前にいる時は、そんなことすっかり忘れているもんだ。
で、昨年あたりから膨大な写真をスキャナで読み込んで電子化したいと思っていた、そのプロジェクトを是非今年は実行せねば!と遅まきながら本年の抱負を思い立った。その電子化プロジェクトを思いついたときは、単に断捨離・整理整頓が目的だったのだけど、あたしが子供の頃の写真などを読み込んで、フォトフレームに入れて持っていけば、思い出話しもできるし、必要ならそのフォトフレームを置いていける。幸い以前docomoで無料でもらった使っていないフォトフレームがある。解像度はやや劣ると思うけど、画面の大きさは縦12センチ横20センチと、写真のL版で見るより数倍の大きさにできるはず。
遅くともゴールデンウィークくらいには、第一弾として写真を読み込んで持っていきたいと思っている。
認知症の人の介護の基本というページに、現実に引き戻すよりも、「過去に生きている」ことを受け入れる。例えば朝「会社に行く」という人に対しては、「そうですか」と返すなど、とあった。うちの母の場合まだそういう会話に至るようなことはないけど、非薬物療法の一つとしてあげられていた「回想法」、つまり、最近のことは覚えてないけれど昔のことをよく覚えているのだから、その時代のことを語り合うことで情緒的な安定を得る効果がある、になるな、と思った。それに「過去に生きている」ことを受け入れてあげれば、あちらもこちらも気が楽になるんだ~、と。母が認知症と診断されてから、斜め読みしたいろんな本にそんなことが書いてあったはず、少しずつ頼りなくなっていく母が目前にいる時は、そんなことすっかり忘れているもんだ。
で、昨年あたりから膨大な写真をスキャナで読み込んで電子化したいと思っていた、そのプロジェクトを是非今年は実行せねば!と遅まきながら本年の抱負を思い立った。その電子化プロジェクトを思いついたときは、単に断捨離・整理整頓が目的だったのだけど、あたしが子供の頃の写真などを読み込んで、フォトフレームに入れて持っていけば、思い出話しもできるし、必要ならそのフォトフレームを置いていける。幸い以前docomoで無料でもらった使っていないフォトフレームがある。解像度はやや劣ると思うけど、画面の大きさは縦12センチ横20センチと、写真のL版で見るより数倍の大きさにできるはず。
我が家でゴロゴロしているフォトフレーム
SDカードの容量だけ写真を持ち歩ける
遅くともゴールデンウィークくらいには、第一弾として写真を読み込んで持っていきたいと思っている。
まあ、酷くは無いです
田舎の家で育ちました
家畜が、暮す建物と居宅の間に庭が、あり、牛などが日向ぼこをしたり、
チャボが、歩き回ったり
そんな暮らしの中で
夫を亡くして10か月ほど経った曾祖母(当時90歳くらい)が、
「ニワトリも一緒に引っ越して来たのか」ってふと言いました
10歳のわたしでも、「ひいおばあちゃん、ちょっとおかしい」って思いました
それが、認知症を身近に感じた瞬間です
曾祖母は、静かな人でしたので、困る事は、ありませんでしたが、
ある夜、マッチ箱を持って立っているところを、母が見つけた時は、
家中のマッチを隠してました
認知症になるなら、可愛い夢見る夢子さんになりたい
それ以外は年齢並みの普通さなので、
数年前に認知症で介護認定を受けたことを知らせたら
義妹の母や近所の人は本当に驚きました。
なので、いまのところは大丈夫だけど、
この状態をできる限り維持できればいいな、と思ってます。
自分の老い方も考えさせられる辛い作業ではありますけど、
とりあえず目前の問題にしっかり対応するしかないですね、、、
否定するな、というのはそこんところを暖かく受け入れる、てことですね。
今や誰がそうなってもおかしくない時代、ことに私は今や、はげしく納得する今日この頃なんですぅ。
「いまね、お父さんと、おもしろいところに来てるよの」と言います。
もうそこに1年以上住んでいるのですが、
一時的な滞在と思っているのか、思いたいのか。
とにかく自宅とは違う場所にいるという認識。
今いる場所に、開所前に家族と一緒に自分が見にきて納得して入ったという部分
つまり、認知症になってからの記憶、はないんです。
どこから記憶が定かじゃないのか境目がよくわからないのですが
従兄妹たちのことは今でも認識できているので、
そんなに境目が昔のことではなさそうですが、
とりあえずあたしたち子供が成人する前の写真をデジタル化して
思い出話に花を咲かせることにします。
とりあえず、認知症に母を人質に取られちゃったので
その認知症を不用意に刺激しないよう、ぐわむばりまする
思ったのは、ハハ(姑)の思考は修正できないって事
ハハ(姑)が考えることが、唯一なのでした。
ですから、応用力のある私達が合わせようと思いました。
古い写真を見つけて、ハハ(姑)の目に付くところに置いておきました。
(ハハ(姑)の家なので、私が探し出して見せるのは、ハハ(姑)の不審を買います。)
夫に片付けるように言ったそうです。何か嫌な思い出だったのか?
そう思ってみると、戦死したハハ(姑)の兄が写っていたり、
子供のハハ(姑)がふくれっ面をしていたり、、
嫌な思い出が蘇ったのかも、^^;
あ、記憶は、時々で変わります。
ハハ(姑)に、娘である義妹のことを話したとき、
「私に娘なんかいない。」と、
その時は、娘を生む前の新妻だったのか?嫁入り前だったのか?
うちは、ハハ(姑)が一人で暮らしていたので、気付くのが遅く、
随分と進行してしまっていました。こちらの知識も無く、
その時々、対応するのが精一杯でした。^^;
そして、嫌な言い方ですが、私は他人です。
同居もしていなかったので、ハハ(姑)との距離がありました。
少し覚めた目で見られました。そうするようにしていました。
それでも、悲しい場面がありました。。。
亡くなったお母様が認知症を患っていらして
最後は自分のこともわからなくなってた、という友人がいます。
そっか、だんだんちゃんと思い出せる記憶が少なくなって
独身時代に戻ってたのかもね。
あたし、そんな状態になったら(そうならないで欲しいけど)
「そっか、お母さんったら独身気分なんだ~」って思ってあげることにします。
ありがとうございます。
覚めた目で見られるのは、介護者には必要な条件だといいます。
あたしは「自分に帰る場所がある」ことで、精神的なバランスを保ててる気がする。
あとはこのブログがあること。
それでも悲しい場面、、、想像したくないです~