kebaneco日記

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リーダーシップ

2019年02月23日 | 折々の話題

木曜日にはやぶさ2が「りゅうぐう」に着陸した。今度は何を持って帰ってくれるんだろう。

木曜日の仕事で、JFKがライス大学で行ったスピーチの一部を聞く機会があり、「月へ行くど〜」という言葉だけを知っていた部分のその前後を初めて知った。正直JFKにはあまりいい印象を持っていなかったのだけど、このスピーチには感動した。そして、1962年の政治家にはこういう資質があったのに、どうして今の政治家には知への探究心や、一国主義ではない人類の平和に対するビジョン、が欠けているのだろうと悲しくなった。

とはいえ、当時のアメリカが決して一国主義でなかったとは言わない。ソ連との熾烈な軍拡競争もあったし、「知の探求」は、他国に先んじて未踏の地を征服するという目的を綺麗な言葉で粉飾しているとも言える。だけど、このスピーチはマジすごいと思ったし、ライス大学のフットボールスタジアムでふつ〜の人たちにアポロ計画に関して大統領が演説するという、当時のアメリカもすごいと思った。

JFKは人類5万年の歴史を50年に縮めると一体いつ何が起こったかがよくわかる、というところからスピーチを始める。最初の40年間はよくわかってないけど、40年目が終わる頃に毛皮を身にまとうようになり洞窟を出て地表に建物を建てて住むようになったのだ、という。5年前に文字を発明し、2年前にキリスト教が起こり、印刷ができるようになったのはほんの2ヶ月前で、先月電球と電話と自動車と飛行機が現れ、先週になってようやくペニシリンが発明され、テレビや原子力が登場した、うまくいけば今夜深夜までに金星に到達してるはずだ、と人類の歴史がどういうペースで進歩をたどったかを語る。そして、アメリカがすべての変革の波に乗った最初の国であったのだから、宇宙開発競争においても後塵を配するわけにはいかないのだ、と。宇宙を次の戦場にしないためにも、自分たちが先んじねばならない、と話しかける。

そして、あの有名なWe choose to go to the moon(我々は月に行くことにする;月に行くど〜)という言葉を3回繰り返す。60年代末までに月へ行くのだと、期限を切って宣言する。

面白いのはスピーチのそのあとの部分。

今後5年でNASAのスタッフを倍増するとか、投資額とか事業規模にも具体的な金額を示して表現し、宇宙関連予算を2年前の3倍にする、そしてそれが国民一人当たり1週間にどのくらいの金額になるかを告げる。しかもそれが、ある意味「信じるものは救われる(in some measures an act of faith and visionの意訳っす)」的な側面があるものだと知っている、けれども価値のある投資だと語りかける。そして、それを可能にするために一体自分たちがなにを「持っていないのか」を羅列する。宇宙機を月へ送り、高温に耐え大気圏再突入させて安全に戻ってくるためには、今はまだ発明さえされていないような推力・誘導・制御・通信・食料関係の技術も必要だし、見たこともない新しい合金や、今まで達成していない精度でロケットを組み立てる技術も必要だし、と。

最後に英国の探検家マロリーの「そこに山があるから;because it is there」をかりて、「そこに宇宙があるから、そこに月があるから、そこに惑星があるから、そこに知識と平和への新たな希望があるから」と締めくくる。

実に美しい流れるような語り口、平易な言葉を使った誰にでもわかるような演説。その当時のソ連との関係などあるので、意図や言葉を文脈で解釈せねばならない演説ではある。が、その演説が次の政権にも引き継がれ、結果として短期間に成果を出していることに驚かされる。達成ための開発費用は軍事目的でもあり潤沢に提供されただろうけど、途中で開発されたいろんなものが、ふつ〜の人々の生活の利便性を高めるようになったし。全てがアメリカのためだけになったわけじゃないと考えると、JFKの当初の「人類のために」という目標は達成されているという気もする。

細かい背景はさておき、ビジョンとスローガンの違いってこれだなぁ〜と聞きながら感じた。無謀とも思えるような目標を掲げ、そのための期限を設け、その達成に足りないものを(すべてではないにしても)特定することで、一体どれだけの具体性をもった政策ができるのかをよく示していると思った。目標から逆算してなにをすればいいのか、どこに努力を傾注すべきかが大まかではあってもわかるのだから。

今の政府は広告代理店と同じで、スローガンを連発する。具体的に何をしないとその目標として掲げているものを達成できないのか、については言及がない。具体性がないものに人々は「なにかやらなきゃ」とか「この部分で自分は何か貢献できる」という意識を持ちにくい。具体的に示した方が目標達成の確率は高まると思うけど、それをできないのはコミュニケーション能力の問題なのか、それともおつむの問題なのか、あるいはそもそも自分もこのスローガンが達成できると信じていないのか、なんだろ〜なぁ〜、ま、全部やろね。

「わたしが、今まで誰も達成してことがないほにゃられをやる」、とか「わたしが、今まで誰も解決できなかったほにゃられに終止符を打つ」、とか行ってるけどその過程も、どんな終止符なのかもオープンにしない、ってことは、達成できなかった時のための保険をかけてるともいえるし、そもそもできると思ってないのかもね。「偉大さ」を印象付けるために言ってるだけの尊大なおとこよの〜、と思った。

ま、端的に言えばリーダーシップが、人の上に立つものとしての資質や見識が、見事に欠如してるってことさね。お気の毒様ぁ〜


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