kebaneco日記

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保存の対象の無形文化財とは?

2006年08月05日 | 仕事&いろんなお道具
今日と明日はユネスコや文部科学省や文化庁が関係してあるシンポジウムが開かれている。アジア地域における伝統舞踊の共通性について語り、いかに保存していくか、いかにこの地域の伝統舞踊の担い手のネットワークを築いていくかについての議論が交わされている。

韓国から来た参加者がある問題を提起した。

そもそも儀式として発展してきた舞踊を舞台上で踊る場合、これは「正統性を持っている」といっていいのか?逆に「古典的でも伝統的」でもないけれど、日本の山海塾の踊りのように人の本性や禅の思想をコンテンポラリーな踊りとして体現しているものは、我々が根ざす文化や精神や哲学を具現化しているのだから新しくても保護すべきではないのか?

無形文化財とはどれだけ古ければいいのか?仮に長い伝統を持っていたとしてもオリジナルの文脈から抽出されて舞台芸術としてしか残っていないものも無形文化財になるのか?保存とはなにか?保護とはなにか?何を保護するのか?

今日・明日答えが出るような疑問ではないけれど、そういう話を聞きながら「そういえば」と思い出したことがある。

20年くらい前にスペインはバルセロナのカタルーニャ美術館に行った時のこと。はっきり覚えてないのだけど、どこかの教会から壁画を根こそぎひっぺがしてきて、それを美術館の壁に移設して保護・保存したものが展示してあった。移設によって壁画自体は散逸や退色から守られた。

でも、もともと教会の壁画であった宗教画は美術館の収蔵品としての絵画となって後世に伝えられるわけで、もちろんインテリアも絵画のあった教会に似せて作り直して雰囲気は近くしてあるとは思うけど、「もとのままの形」とは程遠い。それって保存なのかな?と疑問だった。教会の壁を飾る絵としてこれらの絵を描いた画家の気持ちって、絵の一部じゃぁないのか?この絵を心の支えに教会に通っていた人たちがこの絵に寄せた気持ちはどうなるの?って思った。でもはがさなきゃならない理由があったんだろうな。内戦か?火災か?老朽化か?わかんないけど・・・。そこに持ち込むのが最善策だったんだろうね、きっと。悲しい「保存」だと思う。

絵画と舞踊の保存方法や保護方法はまったく異なる。前者は「もの」があるのである程度単純だ。でも後者は実演家育成から奏演場所の確保、装束や備品の制作者の育成と保護、まさかのときのための視聴覚的記録の作成などさまざま。しかも口承伝承だったりみようみまねで伝承されたりするものだから、世代間で技能が移っていくときに「正統さ」が保たれるか疑問がないわけではない。

無形文化財の定義、その認定基準、保存方法、なんかすっごく複雑なんだな~とただただ驚いたkebaでした。驚きが消化不良なのでちゃんと考えがまとまってましぇん。明日もあるし・・・・。こ~ゆ~時ってヘンな夢見るのよね(苦笑)

そうそう、ヘンな夢といえば、sunameriさん(7月29日のエントリーのコメント部分みてね)の夢の中に私が登場したらしい。まだ一度も会ったこともないkebaの夢みるなんて気の毒な人じゃ(笑)。彼女の夢の中のkebaは、一昔前のアイドルみたいなブリッ子姿、エースを狙えのお蝶夫人みたいな巻髪で、真っ白のふわふわのワンピースにピンクのサテンのリボン・・・。予想に反していて夢の中で驚愕したらしい。でもそれってまさにkebaそのものじゃん、実物に会ったら失神するかな(爆笑)?


いつもと毛色の違う仕事をしてヘロヘロになって最寄り駅に着いたkebaを迎えてくれたのは、場所は同じなんだけどこないだとは毛色の違う猫さんだった。ケバに似ている。知らない猫さんのお出迎えもうけたことだし、これからお洗濯して、明日の準備でも開始しよ~っと

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